本編、進みます。お待たせして申し訳ない。
─────咄嗟に顔を傾けた俺のすぐ横を、雷元素の矢が通りすぎる。
そのまま立て続けに飛来した矢も手にした霧切で叩き落としながら、俺は相手…九条裟羅に接近した。
「……はっ!」
九条裟羅は俺が近付いて来ると見るや、バックステップをしながら俺の軸足に的確に矢を撃ち込んでくる。それを避けるためには彼女への接近を諦めなければならない。
俺の思いつきで始まった模擬戦。場所を人気のない浜辺に移動して、弓使いの彼女とのハンデに100m離れたところからのスタート。
流石は幕府軍大将と言うべきか、ひとつひとつの動作のキレがものすごい。丁寧に矢も1本1本圧縮雷元素が付与してあり、俺が避けた矢が浜辺に刺さるとそのまま爆発して砂地を抉り飛ばしている。
このレベルの重さの矢は磁極付与でも止まらないので避けと迎撃に専念しながら近づくと、九条裟羅は一気に体を倒し雷元素を纏った弓の弦部分で俺を斬り裂こうとしてきた。迫る弓の弦に霧切を合わせる。
ギャリッ!
「……嘘だろ?」
「……これくらい出来ないと大将などやっていられん」
なんで弦で霧切と鍔迫り合いが発生してるんスか?
それほど彼女は雷元素の扱いに長けているのだろう。身体を回転させて弓を振り抜いた九条裟羅は、そのまま1本下がって雷元素の矢を接射してくる。しかも、避けられないように5本に増えてる矢を俺は全力で後ろに飛びながら身体を捻り着弾までの時間を伸ばしながら弾き凌ぐ。
このままでは埒が明かないので、俺は地面に手を置き九条裟羅に磁極を付与して上に飛ばそうとするが、それすらも自身の雷元素で強引に剥がされた。マジか。
飛んでくる矢をたたき落としながら近づく。刀の間合いに入ると後ろに下がろうとしたので、そのまま一歩だけ蒼ノ雷光。
蒼雷を纏った俺の右脚が、ありえない加速を生む。証拠に踏み抜いた砂地が吹き飛び、向こうには俺が消えたように見えたはずだ。
「…っ!?」
ただ、感知はした用で後ろに回り込むのとほぼ同時に後ろに矢を射ってくる。その矢を横に半身をズラして躱した俺は射った直後で伸ばしている彼女の腕と弓を掴んだ。
そのまま手を振り払い後ろに下がろうした九条裟羅に、俺はそのまま着いていく。驚愕した様に目を見開く彼女を尻目に、チャージしていた霧切をそのまま叩き込んだ。膨大な雷元素が解放され、そのまま動けない九条裟羅を……。
────九条裟羅の脇を通過した剣閃はそのまま海を割る。その場に尻もちを着いた彼女は自分の首筋で止まった切っ先に固まると、弓を落として両手をあげた。
「……えっと、どうですか?」
「どうもなにも、私の完敗だ。……確かに噂通りの、いや…噂以上だった」
どうやら納得してくれたようだ。先程の非礼を詫びたいと頭を下げてくる九条裟羅に気にするなと返しながら、稲妻城へ戻るまでの間に影さんとどんなことをして鍛錬しているのかを話した。もちろん将軍や影さんの秘密は話していないけど、笑顔でどえぐいコンボを平然と決めてくると言っておいた。
「…それにしても、久々にあのレベルの雷元素の使い手の人間と戦ったかもなぁ」
「…それは嬉しいな。弓兵だから、色々と模索を重ねたのだが…、あの量の元素をあそこまで速く圧縮するにはどうしている?」
「俺の場合は捻り縮める感覚。直線的に出す場合は濡れた布巾を絞るみたいな…?」
「ああ、なるほど。私の方は手のひらを握る感覚だな。確かに迅殿の方が矢を射るには効率が良さそうだ」
そして、話しているうちにちょっと仲良くなった。同じ雷元素使いは貴重だし。このまでの使い手となるとかなり限られるんじゃないか?それこそ影さんは喜びそう。
「そこまでの腕なら影さ…将軍様も手合わせしてみたいですとか言われるかもな」
「…や、やめろ畏れ多い。……そうだ、もし貴方が良ければ、定期的に手合わせをして貰えないか?…私の周りには鍛錬になるほどの者がいなくてな」
「……ああ、それはいいけど…狛荷屋で稲妻に居ないこともあるし、それこそ将軍様に…」
「だから畏れ多いと言っているだろう!……大体、将軍様を前にして普通に話してる迅殿の方が異常だ」
「…まぁ、慣れってやつかなぁ」
最初は俺も緊張してたけど、それを吹き飛ばすくらい影さんが可愛いんだもん。毎回半殺しにされるけど、終わり際の「…つ、次はいつ来れますかっ?」の聞き方とわくわく顔でどうしても頷いてしまう。
実際さっきもクソ可愛かったけどね。つか将軍もいるからひとりで2度美味しい感。
そのまま歩いて稲妻城につく。見ると中から影さんが出てきた。びしっと固まる隣の大将様を尻目に、俺は会釈をする。
「九条裟羅と戦っていたのですか?」
「はい、ちょっとした腕試しで」
「………私とは戦ってくれませんでしたのに」
そう、いじけたように言う影さん。
「すみませんって。今度やりましょう?最近考えた新技使いますから」
「ほんとうですかっ?…約束ですよ?」
ぱぁと笑顔になる影さんは大変可憐なんだけども、今は目の前に幕府軍大将様がいるわけで。彼女は口をパクパクさせながら俺と影さんのやり取りを見ている。
影さんはそんな九条裟羅に微笑みかけた。
「…九条裟羅。手合わせをして、彼はどうでしたか?」
「…は、はいっ。かなりの手練でした」
「そうでしょう?…それに、人徳も備えている方です」
「はい。城に着くまで話を聞きましたが、親しみ易い男でした。眷属に選ばれたのも、納得です」
「……そうストレートに言われると照れるんだけど…」
ただまぁ、九条裟羅にちゃんと認められたのは良かった。
俺が胸を撫で下ろしていると、影さんに腕を掴まれる。
「これから、休憩に団子牛乳を飲みに行くのですが、おふたりもどうですか?」
「お、いいですね」
「へぇっ!?…そ、そそそんな私が将軍様と同席するなど…!」
「今日のこの時間は将軍と部下ではなく、武人同士として進行を深めるとしましょう?団子牛乳は共に飲む人が多ければ多いほど美味しいのでっ」
「……えっ、ええ…?」
困惑したり照れたりと忙しい九条裟羅に俺も苦笑して、2人の後を追った。
3人並んで団子牛乳を飲んだあと。稲妻城に戻っていく2人と別れて、俺は城下町を歩いていた。歩きながら周りを見るとやっぱりそこそこ注目を集める。ただ嫌な視線は全く無く、狛荷屋の配達員としての印象が強いようで挨拶とかをされるのを返しながら花見坂辺りまで下った。
そもそも俺を蒼夜叉として見てくるのは璃月港の人達が多いからなぁ。こっちだとあんまり戦ってないし。正直変に祭り上げられるよりも心身ともに負担が少ないんだよな。
そんなことを考えながら歩いていると。
「……あっ!…兄さんっ、ここにおられましたか…!」
「……ん、綾華?」
後ろから呼ばれたので振り返ると、綾華が俺の方に走ってきた。少し走っていたようで息が乱れている。
「ど、どうした?俺を探してたのか?」
「……はい、……その、兄さんはこの後お時間はありますでしょうか」
「…特にないけど…本当にどうした?デートのお誘い、ではなさそうだけど」
「…ふふ、それはまた後日に。……本日、兄さんを神里屋敷に招待をしたいと思いまして。突然で申し訳ございませんが、来ていただけないでしょうか…?」
綾華はスカートをきゅっと握りながら俺に頭を下げた。俺はとりあえず頭を上げさせながら頷く。
「よしわかった。このまま行けばいいのか?」
「…よろしいのですか?」
「綾華の頼みを断るわけないだろ?」
「……そ、そうですか?……この前の一緒にお風呂は断られましたのに…」
「そ、それはっ……ってこんな街中で……!」
幸い小声で言ってきたので周りには聞かれてない。綾華はふふっと小悪魔のような笑みを浮かべると俺の手を引いて歩き出した。それに着いて行きながら、もしかしてと思ったことを聞いてみる。
「…なぁ、それって前に俺抜きで神里に集まってたこととなんか関係あるやつか?」
「はい、そのこともあちらでお話出来ればと。………今日は楽しんでくださいね」
「楽しむ…?」
首を傾げて歩く俺を見た綾華はにっこりと微笑んだ。
そしてそのまま鎮守の森を抜けて神里屋敷へ。こうしてゆっくり歩くのも何気に久しぶりだな。1人の時は大抵飛んじゃってるから、綾華と一緒に森の中を歩いているとなんだか心が洗われる感じがする。最近ちょっと俺、変になってた気がするしね。主に女性方面で。
ただね、紺田村くらいまでは普通の距離感で歩いていたのに、森に入った辺りで急に指を絡めだしたこの妹をどうしてくれよう。なんか俺チラチラ流し目を向けて来るし、その時の顔が小悪魔すぎる。
「……で、神里で俺は何をすればいいんだ?」
「いえ、特に何をしろという訳ではございません。……ただ、お家で兄さんとゆっくりしたかったので…」
そういうこと言う時は恥ずかしそうにするんかい。ギャップで風邪ひくわ。
「…とりあえずわかった。……で、今日は大胆だな」
「……そ、そうですか?」
屋敷の前まで来たはいいけどこのまま入るのはちょっとアレじゃない?綾華はほんのりと頬を染めながら恋人繋ぎの手を見る。
「…いかがでしたか?八重宮司に色々お聞きして実践してみたのですが…」
「…綾華がやるとより強力だよ」
こう言っちゃなんだが、今の関係になってから1番いい意味で変わらないのが綾華だった。
わかりやすい例を言うと刻晴で、最初は常識的だった距離感が今だともう原型がない。ご存知、洞天にほとんど住んでる刻晴とは1番2人になる事が多いんだけど、その時に俺が入ったら綺良々を超える速度で抱きついてくるし、やってくることの方向性が
これでみんなが揃ってる時はお外の顔ですまし顔してるっていう。みんなそうだけど2人きりになると豹変するのはなんなんですか?
そんな彼女たちの中で、いつでも可愛くて清楚な綾華は俺の密かな癒しだったんだけども。最近になってちょっとこういう「あざとい」仕草を覚え始めた。
さりげなく手を握って来るのはまだいいとして、ボディタッチとか、目線とか表情が凄く色っぽい。
つかまた八重宮司かい。……今度油揚げ持っていこう。
「……あ〜、綾華まで俺を誘惑してくるなんてなぁ」
「…ふふ、皆さんに遅れは取りたくありませんのでっ。……では、入りましょうか」
綾華の言葉に頷き、門をくぐると。
「おかえりなさいませ、迅様」
「…あの、なにしてんすか?」
門番というか、今の剣術指南役の義達さんがまるで俺の家臣かのように頭を垂れて出迎えたのに、俺は目を点にして聞き返した。ほかの奉行衆の人たちも俺を見るなりまるで綾華や綾人兄さんを迎えるみたいに頭を下げている。
俺が呆然としていると、横を抜けた綾華が笑いながら振り返る。
「ふふ、何を驚いてらっしゃるのですか?…今や兄さんは私やお兄様と同格……いえ、より上の位の方なのですから」
「…上の位て。……否定はできないけど」
雷神の眷属って確かに今の時代八重宮司と俺しかいないわけだし、そう言われればそうなんだけども。
でもなんか、やっぱこういう扱いを受けるとむず痒いな。
中に入ると綾人兄さんとトーマが出迎えてくれる。今日は爆速で仕事を終わらせたらしい2人は、今日はゆっくりしましょうかと卓に座った。
反射でお茶を入れてこようと立ち上がろうとしたら3人に止められ、家政婦の人が「貴方様に淹れれていただく訳にはいきませんっ」と必死に行ってくるのでそのまま座り直した。神里を出てから結構な時間が経つけど、やっぱこういうのは体に染み付いてるよね。
軽い会話をしていると稲妻茶が届いた。1口飲んでみると自分で淹れるよりもずっと美味しい。給仕をしてくれた先程の家政婦さんの目を見てお礼と感想をいうと、何故か涙目になっていた。…どうしたんだろ?
「……俺、なんか変なこと言った?」
頬を濡らしながら退出して行った彼女を尻目に綾華に尋ねて見ると、にっこりと笑って「いえ、兄さんはいつも通りでしたよ?」と返してくる。
一応さっきの人は俺が幼少期に神里にいた頃からここに勤めてた人だ。あの環境の中だと俺の態度はマシな方だったし、変な思い出も少ししかないんだけど。
お茶を飲み終わったあとはみんなの湯のみを持って台所へ。トーマは「迅がやらなくても大丈夫だぞ?」と苦笑していたが、やっぱりしてもらうってのは落ち着かないんだよな。
「……っ!?…じ、迅様っ…片付けなら私たちが…!」
「いいですってこれくらい。……俺は昔みたいな感じで接してくれた方が落ち着きますよ」
「…っ、そ、それは…」
「……この間、神里でなにかあったんですか?」
そのまま湯呑みを洗いながら聞いてみると、給仕係の彼女が俯いた。その反応は図星だな。
すぐに洗い物が終わり、布巾で手を吹いて振り返ると、彼女は俺に深々と頭を下げていた。
「……今更、何卒今更の謝罪で申し訳ございません。……貴方様を…妖の子などというデマを一瞬でも信じ、邪険な目で見ていた事を、謝罪申し上げます…!」
「……あー、やっぱりそういうことですか」
「…大…変っ…申し訳ございませんでした…!」
そう頭を下げながら言った彼女に、俺は少し腑に落ちた気がした。
今日ここに入ってきた時に感じた視線の多くは「罪悪感」が多分に混じったものだった。恐らく、この前の俺抜きの集まりで何か彼女たちの認識を変える事があったんだろうな。
俺はまくってた袖を戻すと、まだ頭を下げたままの彼女に優しく声をかけた。
「……ひとまず頭を上げてください」
「…はい」
ゆっくりとおじぎを辞めた彼女は俺の顔を真剣な顔で見上げている。
今は30代半ば位の年齢の彼女は、俺が神里にいた頃……ちょうど前当主が無くなり、俺の扱いが激化した時期に入ってきた給仕係だった。
その時は俺を神里に使える使者に育てると前当主の方針で教育を受けてて、食事の配膳の時に頻繁に彼女と顔を合わせていた。
そして、前当主が無くなり、綾人兄さんが若いながらも後任を継がなければ行けなくなっててんてこ舞いの状態は、俺を嫌う一派にとって絶交のタイミングだっただろう。綾華や綾人兄さんに触れないように巧みに俺の悪評を流され、当時10代後半の少女だった彼女はその噂を真に受けた。
まぁ、どういう感じで言われたとかやられたとかは思い出したくはないから詳しくは言えないけど、ひとまず彼女がこんなふうな顔になるくらいの事はされた覚えがあるなぁ。
ま、全然気にしてねぇんだけども。だからさっきあんまし変な思い出はないって思ったわけだし。
「……俺はもう昔のことを気にはしてません。謝罪は受け取りますが、それで俺にへりくだる必要もないです。……普通に接してくれた方が俺としては助かるくらいなんで」
「……ですが…」
「雷神の眷属にもなりましたけど、俺としてはそうやって下から来られるのに慣れてないんですよ。……なので、普通にしてくださいっ」
「…は、はい。……お気遣い、ありがとうございます…!」
「あー、言われたそばから…」
再び頭下げて動かなくなってしまった彼女を苦笑しながら起こす。
何とか普通に話そうとしてるけど、俺が声をかける度になんか感激してて話が繋がらない。なんか言う前より腰低くなってない?…あと迅様はやめて欲しい。ほんとに。
湯呑みを返し、部屋に戻る最中。
「……ん?」
中庭に見知った妖力を感じた。その方向を見ると、先程まで誰もいなかった縁側に1人の女性が座っている。俺に気がつくと、微笑みながら立ち上がった。
「……あ」
「…や。…久しぶりっ」
銀色の長い髪を揺らし、桃色のエプロンと浴衣が混ざったような衣装に包まれた小柄な身体からうっすらと、しかしの濃密な妖力が溢れ出ている。かなりの大妖怪の証だ。
そして、俺も顔を合わせるのは数年ぶりになる。稲妻から出てるんじゃなかったっけ?
俺はこっちに寄ってきた彼女……獏妖怪の夢見月瑞希を見て目を見開いた。
「久しぶり……ってか、こっちに戻ってきてたのか?」
「…うんっ。だって貴方が帰って来てるって聞いたから。…急いで戻ってきたんだぞ?」
「…戻ってきたって、……どうしてまた?」
「ちょっと、キミの妹さんから依頼があってね。…実は……」
彼女が言うにはあの日、神里の従者を全員集めて、雷神の眷属となった俺とどう接するかの大会議があったらしい。議長は綾人兄さんで書記が綾華、監督がばぁちゃんだったそうな。
そして「この神里家を、蒼夜叉にして雷神の眷属、神里迅の宗家とする上で過去に彼を迫害した従者を洗い出す」という話し合いが開かれたと。会議っていうよりもう審問会じゃん。
そして過去に務めていた従者たちもまとめて招集した後、案の定智久一派が俺を反対する人達が現れたらしい。もう神里に務めていない、名ばかりの歳食ったジジィ共が騒ぐ中、にっこりと笑った綾華が言い放ったそうな。
「貴方達は、兄さんを妖怪の子だと決めつけ私やお兄様の見えないところで数々の嫌がらせをしたそうですね?……兄さんは気にしてないと仰られていますが、彼にそんな行いをした方をそのままのうのうと過ごさせる訳には絶対にいけません」
その時の綾華は、それはもうブチ切れていたらしい。そんなに怒るって事は、もしや……?
綾華は俺が迫害されてたのは知ってたけど、主にどういう扱いされてたかまでは知らないはず。……だって今知ったら絶対犯人探し回りそうだし、俺としてはもう過ぎたことだから言わなくてもいいやって思ってたんだけど。
「……瑞希、……まさか」
「キミの悪夢のこと、妹ちゃんに喋っちゃった✩」
「…おいィ!?」
喋ったァ!?……あ、あれを…!?
「喋っ……ど、どこまで?」
「とりあえず、過去に見たキミの夢を」
「…………っ、ちょっと待ってくれ……え?……ほんとに?」
「まぁ、話したっていうよりは見せたんだけどね。君の悪夢をなんかこう、映像として」
「……………綾華はなんて……?」
「……やっぱり、普段は物静かな人が本気で怒るとすっごく怖いんだね」
俺は膝から崩れ落ちた。ちなみに綾人兄さんとトーマも見たそうです。終わった。
その後の流れはこうだ。
綾華はまず、智久一派を神里から除名。今後一切の俺への接触を禁ずると言い渡した。そこで当然除名しておいて命令とは何様かと抗議が上がったんだけども。
「……そこに、将軍さまが現れた……と?」
「うん。八重堂の娯楽小説みたいて面白かったなぁ」
後に聞いたことだけど、影さんと綾華は事前に打ち合わせをしてたんだって。なので当然、悪夢の内容を知らされた影さんも珍しく怒ってて、将軍の名において、彼らの処分は決定したんだと。横暴って言われそうだけど、後の雷神の眷属に迫害だの虐待をしてたって考えるとむしろ軽く見えて来る。
で、表立って俺を批判してた奴らの処分は済んだ。……でも、綾華達の怒りは彼らに対してではなく。
「……俺の活躍を知るや否や手を返した人達に怒ってた」
「大正解」
だから、さっきの給仕係はあんな感じだったのか。瑞希曰く、その手のひら返しの従者たちをひとりひとり診て、内心で俺にまだ不信感を持っている人と、不信感はないけど過去の行いに罪悪感を残している人に分け、罪悪感を拵えてる方に綾華直々に俺の良さや魅力、武勇を語りに語ったそうだ。……ちょっと待ってクソ恥ずかしいんだけど?
「……というわけ。少しでも神里を君が安らげる場所にしたかったんだって」
「…ほ、方法はまぁ置いといて……正直助かった…かもな。………瑞希もありがとう。協力してくれて」
「……ちなみに、あたしの目的はまだ終わってないんだぞ?」
「ん?」
「誰の為に心身療法を修行してると思ってるの?……あたしが唯一治せなかったあなたの為だよ?」
「それは何卒…?」
瑞希は俺の近くにまで来ると、俺の顔やら首やらを触る。
「……うん、特に異常はないね。……よかった…。良くなったんだね」
「…流石にね」
前に診てもらった時は確か稲妻を出る前だから3年前とかか。あの時に比べたらメンタルは格段に安定してるからなぁ。
俺は瑞希に隠してる、
「…というわけで、一旦俺は綾華たちの所に戻るよ。……また後で挨拶しに行くから」
俺はそう言い、瑞希から離れようとしたその時。
「──────なんちゃって」
「…え、……っ……」
瑞希はフェイントをかけて俺に催眠を打ってきた。瑞希ほどの大妖怪の催眠は仙人であろうと問答無用で効き、俺の意識は一瞬で朦朧としだす。
「良くなったって言っても、やっぱり心配だからね。……一度診てみるよ」
俺のぼやける視界の中、妖力を纏った瑞希が微笑みながら目を閉じた。
────げほ、ごほっ。
深夜。
森の中で、少年が自分の口の中に指を突っ込み、胃の中の物を吐き出す。
傍から見ると異常な光景だが、咳き込みながら吐く少年の顔には一切の表情が無く、まるで日常的にいつもやってることのように胃の中の物を全て吐き終わった。少年はそのまま無言で鎮守の森の中を歩いて川へ行き、慣れた手つきで魚を捕る。それを今吐いた物の代わりかのようにそれらを焼いて食べていた。
ふと少年が川を見ると水面に自分の顔が映る。月明かりで反射した顔の、その目がまた金色に光っているのを見て少年は嫌そうに顔をしかめた。
そして。
突然、少年の動きが止まった。身体から軋むような音が響き、激痛が彼を襲う。ここで絶叫をしてしまうと敵を集めてしまうので、そこらに落ちていた木の枝を噛んで何とかそれに耐える。
その間にも彼の小さい身体が金色のオーラに包まれた。痛みにもがき、川辺の岩を掴んだ手がバキッと音を立てて岩にくい込み噛んでいた枝が粉々に悔い潰れる。狂乱しながら頭を打ち付けると岩にヒビが入り、打った額から血が流れるが傷口が瞬く間に再生する。
はぁはぁと倒れ込んだ少年から、弱々しい息遣いが漏れた。
だがすぐに少年は立ち上がり、能面かと疑う程の無表情と、何も映してない暗い瞳を金色から空色に戻しながら、再び無言で屋敷に戻っていくのだった。
昼間になって、少年は出された食事を摂る。何故か周りの者とは違う鍋で作られたものだが、文句は一言も言わない。そして、明らかに何かが入っているような味がするが、決して表情に出さない。真っ先に食べ終わった少年は途中ですれ違う妹に挨拶を返し、兄に微笑みながら散歩をしてくると外に出て、夜と同じように吐き戻す。
そして、飢えないように魚や、時間がなければその辺の野草を摂り食べる。その後は屋敷に戻り、周りの批難する視線と、兄妹には見えないところでなされる虐待に笑顔で相手をする。
そして、明らかに毒が入っていそうな飯を食べ、夜に外に行って吐き戻す。
痛くて、苦しくて、虚しくて、それでいて突然思いかかってくる正体不明の耐え難い激痛と怪力。その中に過ぎる妹の笑顔。
痛い、苦しい、虚しい。なんで俺がこんな目に。あ、そうだ笑わないと。笑わないと誰も相手にしてくれない。気を配らないと。気を遣わないと。誰も俺を認めてくれない。嫌でも笑わないと。苦しくても笑わないと。痛くても笑わないと。じゃないと嫌われる。ただでさえ嫌われてるのにもっと嫌われちゃう。優しくしないと。痛くても優しくないと。苦しくても優しくしないと。虚しくても優しくしないと。優しくしないと。優しくしないと。優しくしないと。気を配らないと。気を遣わないと。そうじゃないといつか俺を嫌いになる。みんな嫌いになる。痛い、苦しい、虚しい。痛い、苦しい、そうだよ、もっと笑わないと。笑わないと誰も相手にしてくれない。気を配らないと。気を遣わないと。誰も俺を認めてくれない。嫌でも笑わないと。苦しくても笑わないと。痛くても笑わないと。じゃないと嫌われる。ただでさえ嫌われてるのにもっと嫌われちゃう。優しくしないと。痛くても優しくないと。苦しくても優しくしないと。虚しくても優しくしないと。優しくしないと。優しくしないと。優しくしないと。気を配らないと。気を遣わないと。そうじゃないといつか俺を嫌いになる。みんな嫌いになる。痛い、苦しい、虚しい。痛い、苦しい、虚しい。なんで俺がこんな目に。笑わなくちゃ。笑わないと誰も相手にしてくれない。気を配らないと。気を遣わないと。誰も俺を認めてくれない。嫌でも笑わないと。苦しくても笑わないと。痛くても笑わないと。じゃないと嫌われる。ただでさえ嫌われてるのにもっと嫌われちゃう。優しくしなくちゃ。痛くても優しくないと。苦しくても優しくしないと。虚しくても優しくしないと。優しくしないと。優しくしないと。優しくしないと。気を配らないと。気を遣わないと。そうじゃないといつか俺を嫌いになる。みんな嫌いになる。痛い、苦しい、虚しい。
優しくしないと。
みんな、俺の前からいなくなる。
「───────ッ!?」
瑞希は、弾かれるように迅にかけていた催眠を解き夢から飛び出した。
肩で息をしながら、思わず口に手を当てて嘔吐く。
何とか吐き出さずに済んで、しかし腰が抜けた瑞希は呆然と震えながら彼を見た。
迅はちょっと困った顔で瑞希を見ている。なんなら気遣うように「だ、大丈夫か?」と声までかけてきた。
「なっ……な、なん……で……?」
「……ごめん、見せる気はなかったんだけど」
「……っ、き、きみっ……全然……治ってなんか……!」
瑞希が目のうちに涙を貯め、呆然と言うと迅はバツが悪そうにそっぽを向いた。いや、そんなイタズラバレた子供じゃないんだからっ、と普段な言い返していただろう瑞希も言葉が出ない。むしろ、今見た悪夢と彼の反応のギャップがかえって不気味に感じた。
「ねぇ、…これ、ただの悪夢じゃないよね?……へ、平気なの?」
瑞希が見た夢は、彼が日頃見てる夢と彼女自身が指定したものだった。それなのに。
迅は瑞希の問にくすりと笑う。まるで二人の間にの話題が食い違っているのでは無いかと疑うくらい、彼の様子から悲壮感は見えてこない。
迅は笑いながら言った。
「んー、慣れた」