『……はぁぁ!! 姉ちゃんに勝ったー!!!』
『……!!』
私は弱い。
あの日の追いかけっこ。私よりも一つ下の妹は、最も容易く私の背を抜き、私は、アイツの背中に手を伸ばすことしかできなかった。
何事にも初めてはある。ただ、その“初めて”を妹に取られた。ただそれだけの話だ。そう思い込んで、その一瞬は、心の奥底に芽生えた“気持ち”に蓋をした。
次は負けない。そう心に誓って、私は幾度も妹と走った。懸命に、必死に、全力を持って。そのはずだ。
しかし、私は、あいつの後塵を拝すことしかできなかったのだ。
姉だというのに。
トレセン学園に入学し、初めて訪れた夏は、ビワハヤヒデにとって試練の夏となった。年内デビューをするにあたって、長期休暇等が重なるこの期間が、地力を伸ばすのに最適であるために、トレーニングの強度は、今までのそれと比較し、飛躍的に上回ることになったのである。
その中でも、最も過酷なトレーニングといえば、やはり、
『よろしく頼む。お互いに悔いの残らないよう、全力を持って取り組もう』
『胸を借りさせていただきます。“シンボリルドルフ”会長』
トレセン学園に在籍している強者と、可能な限り直接肩を並べて走ったことであろう。
『できる限り近道した方が楽でしょ』
とは、灰を被ったような髪色の彼女のトレーナー、あぶみの談である。
そうして、長いようで短い夏も終わり際。残暑の厳しいものの、秋の入り口が見え隠れする時期に入っていた。
新学期が始まって1週間、休み時間の教室の中は、少女達の話し声と足音、弱々しい蝉の鳴き声が支配していた。
そんな中、わたのような白い長髪に、赤縁メガネをかけたビワハヤヒデは、教室の片隅の自分の机に新聞を広げていた。
「ハヤヒデのレースの枠順だぁぁあ!!!」
「うっさ…… 4枠か」
と、彼女の机を囲むように立つ二人――ウイニングチケットとナリタタイシンの言う通り、そこには、週末に行われる、芝1600m右回りのメイクデビュー戦の枠順が記載されていたのである。
「悪く無い位置だ。あとは、当日に全力を尽くすのみだな」
そう言い、自身の枠順を指でなぞる彼女の金色の瞳は、冷静に燃え上がっているように見える。そんな彼女に、無二の友人二人が不安を覚えるはずがない。
「……アタシもすぐ追いつく。だから、負けんじゃ無いわよ」
「タイシン燃えてる〜!! うおおおおおお!! アタシもアタシもー!!」
短くした鹿毛をいじりながら、青い瞳でビワハヤヒデを見据えるナリタタイシンの傍らで、快活にガッツポーズを掲げる、頬に絆創膏を貼り付け、全てを吹き飛ばす笑顔を浮かべたウイニングチケット。彼女達の激励を受け取り、ビワハヤヒデは不敵に微笑んだ。
「当たり前だ。お前達の期待以上のものを見せてやるさ」
____「そううまくいくかなあ」
その時、3人だけの空間に異音が走った。穏やかでいて、刺々しい声の主は、手をかけていた教室の扉から、スタスタと淀みない足取りで近寄り、眼前のビワハヤヒデを見下ろした。
「……君は、ピローブロック、先輩か」
茶色の髪をボブカットにし、緩んだ口元を隠さない糸目のウマ娘――ピローブロックの糸目と、ビワハヤヒデの金色の瞳が交差する。
「あれ、知られてないと思ってた。まあ、一番人気は私なんだから、知らないわけないかぁ」
「当日はお互いにいい勝負をしよう。よろしく頼むよ」
ビワハヤヒデはあくまでも平然として、枠順をなぞっていた手を差し出す。
しかし、糸目の少女の手は下を向いたまま、ひとかけらも動きを見せない。
「その、勝ちを確信しているような態度。ムカつきますよ」
彼女の薄い瞳が、ギラリとビワハヤヒデを捉える。緩んでいた口は、固い真一文字に変わっていた。
「……ま、あなたに関しては色々異例づくしですけども。入学して半年そこらで勝てるほどレースは甘くないってことを、あなたと、
あなたの掟破りな新人トレーナーさんに教えてあげますよ」
「……」
ウイニングチケットの困惑したような視線。ナリタタイシンの刺すような視線。そして、ビワハヤヒデの“読めない”視線を受けながらも、ピローブロックはゆっくりと宣言する。
ビワハヤヒデの差し出しされた手には、一回も目をやることは無かった。
「それでは。また日曜日に」
突然の来訪者、ピローブロックは、再びゆるりと笑みを貼り付け、スタスタと教室から歩み去っていく。
そして、完全に姿が見えなくなったところで、二人分の視線がビワハヤヒデへ集中する。
「せ、宣戦布告だよハヤヒデェェ!! あぁ大変だ大変だ」
「うっさい黙って! ……」
落ち着かない雰囲気の二人をよそに、ピローブロックが出ていった方向から顔を戻したビワハヤヒデは、澄ました表情でいた。
ただ、差し出した手を握りしめ、胸の前に置いていること以外は、平時と変わらず落ち着き払っていた。
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