ビワハヤヒデ達の一幕と時を同じくして、レースの授業をしているのだろう、少女達の掛け声や風の音を眼下に、あぶみは屋上の柵に背をつけ、ココアシガレットを咥えて青空を眺めていた。
その時、彼女しかいない屋上に、鉄の扉が軋む音が響き渡った。眠たそうな瞳が、内側から開く屋上の出入り口を捉えると、
そこから出てきたのは、穏やかな表情のがたいのいい男。
「よう、元気してる?」
「なんでここにいるってわかったんです」
「ここに歩いて行ってるお前を見かけた」
ストーカー! というあぶみの言葉にトゲは無く、また、したり顔のような笑顔を浮かべていた。男――あぶみの先輩トレーナーは、遠慮なく彼女の隣へ陣取って、同じように鉄柵に背をつけた。あぶみは1ミリも動かなかった。
「お前とビワハヤヒデの初戦も間近か」
彼の独り言は、山嶺のように連なる入道雲に溶けて消えていく。ちらりと横を見ると、あぶみは項垂れていて、灰を被ったような癖毛の銀髪で表情を隠していた。
本当に前と同じだ。とは口に出さず、彼は静かに微笑んだ。
(さーて、どう言えば元気付けられる____)
「ねえ先輩。私、怒ってるんですよねー」
「ん?」
ふと、あぶみは先輩トレーナーの方へ顔を向けず、そうこぼした。その声は、脅威を感じる静けさを湛えていた。
「レースの人気順みました……?」
「え? 確か1番人気はピローブロックで、2番人気は____」
その瞬間、ガバっと灰色の頭が起き上がり、あぶみは彼の目の前に素早く移動。男らしい広い肩を、細い手で鷲掴みにし、
「なんっ……で、ビワが2番人気!? 群衆共の目は節穴か!? ねえっ先輩! ねえって!」
見開かれた三白眼で睨みつけるように男を見て、予想の斜め上の感情をぶちまけるのだった。
「……」
急速に力が抜けていくような感覚を表すように、彼の表情はみるみるうちに萎びていく。そんな彼を慰めるように、または嘲笑うかのように、呑気なそよ風が吹き抜けていく。あぶみは必死に肩を引っ張ったり押したりするが、彼の身体は嘘のようにびくともしないでいた。
「ぜぇ、ぜえ…… 何微妙そうな顔してるんです?」
「時間を無駄にした気分だからかねえ。戻っていい?」
「え?」
はて、と首を傾げたあぶみであったが、限りなく似ているかつてのシチュエーションを思い出したのだろう。今度は間違いなくしたり顔になって、彼を煽るように見上げる。
「……初担当のウマ娘がデビュー戦を目前に、一人思い悩んでいる教え子にありがたい言葉をかけてやろうという魂胆ですか」
「……」
「そうなんですか? そうなんですね?」
「……先輩への敬意はないのかー」
でへへへと笑うあぶみをよそに、先輩トレーナーは大きくため息を吐く。
再び彼の隣に行ったあぶみは、鉄柵越しに眼下の生命力あふれる緑を眺めながら、
「敬意はありますよ、先輩とシンボリルドルフ会長の協力があったからこそ、今のビワがあるんですから……」
「あいつの夢は俺の夢だ。支障がないなら断る理由がない」
隣の後輩の脇腹をつっつき、先輩トレーナーが差し出した手に、あぶみはココアシガレットを一本渡す。それを咥えた彼は、しみじみと口を開く。
「それにしても、ルドルフ以外の強者とも、練習とはいえあんなに連戦させられて、普通のウマ娘なら自信無くしちまいそうだが……」
頭上の声に、あぶみは歯を見せてニヤつき、
「アイツは諦めが悪いんですよ。そして、一旦やると決めたら何がなんでもやり遂げようとする。あれは目標への道程に過ぎないんだから、そりゃあやるでしょうよ。
すごいんですよ、アイツは」
そう語るあぶみの、銀色の髪の隙間から見える表情は誇らしげで、普段は腐っている瞳には、鉛玉のように鈍い光が湛えられていた。
(……ま、これなら大丈夫か)
そんな彼女を見下ろしていた彼は、鼻を鳴らしてふんわりと作り物の香りを醸すココアシガレットを噛み砕いた。
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