冷たい風と穏やかな陽気が一面の大きな窓から入り込むトレーナー室。そこには、少しだけ埃っぽい、人の気配の少ない匂いが漂っていた。
ほんの数週間前から錆びついていた機能を動かし始めたのだから、当然である。
「むあぁ……」
その中、窓を背に椅子の背もたれに思い切り寄りかかり、大きくあくびをかいた部屋の主は、徐に、スラックスからココアシガレットの箱を取り出して、一本咥えた。
ココアシガレットが溶け出し、すっと舌に広がっていくチープな甘さが、うねった灰被りの髪の毛の下にある脳へ伝わる。それが、彼女にとって眠気覚ましとなるのである。
しかし、彼女の寝ぼけたような三白眼は変わらずにいた。
「ん…… 行くか」
大義そうに立ち上がって、再度背筋を伸ばし、パキパキといわせた彼女――“
____澄み渡った青空の下、桜の花弁に染まった地面を踏み締めて、今日、トレセン学園には300人強のウマ娘が入学を果たした。
何もかも真新しい環境に置かれ、未来への自信と不安感がないまぜとなった彼女達は、道路を挟んで向かい側の寮へ赴く者、広大無比なトレセン学園の敷地を探検しにいく者と、各々、入学式後初めての放課後を過ごしているのだった。
そんな様相の中、中央玄関前の噴水に立つ三女神像が見守っている、草木そよぐ広場には、ちょっとした人だかりが散見されているのであった。
入学式直後によく見られる、毎年恒例の光景である。
「君の前評判は聞いている! 私と共にトゥインクル・シリーズの頂点を目指さないか!?」
「私と組めば、G1レース優勝も確実だぞ!」
「私と共に__」
有名税とでもいうべきだろう。
トレセン学園に在籍するトレーナー達は、当然有力なウマ娘と契約を結びたいと考えるものである。だからこそ、日々の練習ぶり、年に4回開催される選抜レースなどで実力を測るのであるが、必ず、トレセン学園入学前から、その強さ、素質を注目されているウマ娘が、毎年数人は入学する。
そこで、そういったウマ娘を早くに押さえてしまおうと考えるトレーナーが殺到、このように人だかりが形成されるという訳である。
「あらあら、こりゃあ頭痒いなぁ……」
灰色の髪を後ろで一纏めにし、ココアシガレットを咥えた彼女、あぶみは、騒々しい広場に足を踏み入れた途端、メガネがズレるような感覚に襲われるのであった。
すると、人だかりの中から、体格の豊かな男があぶみの方へ振り向き、群れから這い出て駆け寄ってくる。
「遅かったなぁ
「先輩、こういうの来なさそうだと思っていたんですけどね」
じとっとした視線を受け、男はニカッと歯を見せて笑った。
人混みをよそに、二人は三女神像の噴水の傍にあるベンチにかけ、穏やかな会話を続ける。
「実際に脚を見てみにゃわからんこともあるだろ、こういう日は、気ままなウマ娘がどこにいるのかわかりやすいから楽でいい。……ところで、お前は行かないのか?」
「有力なウマ娘ほどこういうところで契約しないでしょ。本当の実力も見ないで契約するトレーナーなんて信用できない〜って」
その間も、人だかりから“脱落”した若いトレーナー達が、肩を落としながらその場を去っていく。それを見送ったあぶみは、ガリっとココアシガレットを噛み砕いて、ポケットから箱を取り出した。
「それがわかってるならなんでここにきた? 俺とも目的が違うようだが」
「スカウトですよ、スカウト。……ただ、ここにいる人たちとは、ちと事情が違いましてね」
脇を突き、ココアシガレットを催促してきた先輩の手を引っ叩き、これみよがしに咥えて見せたあぶみは、続々と、一様に項垂れて去っていくトレーナー達の流れ、その先を一点に見つめていた。
そこは、広場の時計の下にある丁度木陰に隠れたベンチ。
広場の中で3番目ぐらいに人を集めていた場所であった。
「違うって?」
「約束なんですよ、だから、あなたの下でサブトレやってる時はヒヤヒヤしたんですから…… 今年に間に合わないかもしれないって」
そうこうしているうちに、あぶみの見つめる先は、だいぶトレーナーもはけて、付け入る隙が幾つも生まれていた。
「……」
彼らの隙間から見える、白く、自身のようにうねった長い髪は、
腕を腿について、前のめりになっていたあぶみは、いよいよ、気だるそうに立ち上がって、再三背伸びをして震えた。
そして、見上げてくる先輩へニヤリと笑ってみせ、
「ほいじゃ、そろそろ行きますわ」
白く大きな耳を横に倒して、赤縁メガネのずれを直したウマ娘は、自身の酷い癖っ毛の悩みを気にする時のようにくたびれていた。なにしろ、何十何百、契約契約と声がそそがれるのである。
そんな雰囲気をおくびにも出さず、一人一人丁寧に誘いを断っていっているが、そろそろ彼女の金色の瞳は揺れ始めていた。
「はいはいどいてくださいよ〜」
しかし、喧騒の中に一瞬聞き慣れた声が立った。その瞬間、彼女の大きな耳も起立するのであった。
それとは裏腹に、彼女は目を伏せ、小さくため息を吐いた。
そんな彼女の前に、狼狽えたトレーナー達を押し除け現れたのは、灰を被ったような髪色をし、ココアシガレットを噛んだ、不健康そうに細い長身の女。
「お待たせ。ビワ」
「遅いよ、
いや、と被りを振り、ふわふわな髪の毛のウマ娘――“ビワハヤヒデ”は、すっと立ち上がって、
「トレーナー君」
と、高らかにいうのだった。
周囲の空気が変わった瞬間であった。
一話が複数に分かれてる奴、まとめて欲しい?
-
して欲しい
-
どっちでも
-
して欲しくない