月日が経つのは早いもので、ビワハヤヒデがトレセン学園に入学してから二ヶ月が経過していた。
この頃になってくると、一度目の選抜レースを経てトレーナーと契約をするウマ娘も増えてくるので、あぶみとビワハヤヒデへの注目は多少控えめになっているのだった。
ただ、いまだにあのことを引きずって、後ろからあぶみの肩を叩く者がいるのは、まさしくビワハヤヒデの優秀さを表していると言っていいだろう。
トレーニングも順調に進んでいて、この調子なら年内デビューは確実だろうというのが二人の共通認識であった。
このように、あぶみとビワハヤヒデは、大した障害に阻まれることもなくことを進めていたのである。
しかし、四月からふた月時を刻み、今は六月始め、初夏の入りである。
その時期は、日本の南の海上から北上してきた太平洋高気圧と、北のオホーツク海高気圧とが日本上空で激突、大気の調子が非常に不安定になり、どんよりジメジメとした日が続く時期。
つまり、梅雨の始まりの時期なのである。
連日、トレセン学園の上空には分厚い雲が機嫌を悪くしたように暗く漂っていて、延々と振り続ける鬱陶しい小雨に、芝は項垂れることしかできないでいた。
カタツムリやナメクジが元気に壁を這い回る下で、人間もウマ娘も、心まで湿気ったような気分で日々を送っていたのだった。
無論、生来の性格が駄目寄りのあぶみにとって、梅雨は“二重の”意味で天敵なのであった。
「……」
二重のというのは、彼方此方がジメジメするトレーナー室のデスクに体を預け、頭の鈍痛を少しでも和らげようとこめかみを指で押すあぶみを見ればわかることである。
特筆すべきはやはり、灰を被ったような色の、彼女を表すかのように捻じ曲がりきった長髪だろう。
「フンっ……!」
ガバリと体を起こし、おもたげに広がった髪の毛を細い手で掬い、後ろでまとめようとしたあぶみであったが、湿気にやられた灰のうねりは、ヘアゴムの限界を容易く超えていたのであった。
諦めて手を離すと、抑圧された髪の毛はばっと広がり、背中の上半分を隠した。
しかし、彼女は
____すると、もともと目つきの悪い三白眼を、さらに細めていた彼女の耳に、こんこんと小さくノック音が入った。
「どうぞー」
ギギ、と軋んで、扉はゆっくりと開かれていく。すると、うねった白髪の束が数本溢れ出すように飛び出した。
「……おはよう」
そして、普段の二倍はあろうと錯覚される威容、うねって浮いて広がった白髪を背負って、上だけジャージ姿の彼女――ビワハヤヒデは、不服そうに目を閉じ耳を横へ倒させ、小雨の音が静かに聞こえていたトレーナー室へ入ってきたのであった。
「……朝、どうだった?」
トレーナー室の中心に置かれた机、その側のソファに腰を鎮めたビワハヤヒデは、恨めしそうに自身の髪を手で梳かしながら、
「久しぶりに窒息した。ここまで
「……私は10分で匙投げた」
ゆさゆさと揺れる白い生き物を背負っているかのようなビワハヤヒデを見ながら、あぶみは大きくため息をつき立ち上がって、水滴滴る窓から外を見下ろした。
無論、そこから見える練習用のコースは、霞がかかったように見えにくく、しんとしていて人影は見当たらない。
「ま、今日は筋トレとミーティングぐらいだな。トレーニングルーム行くぞ」
振り向くと、ビワハヤヒデは俯いて、重力に従って流れ落ちる白髪に顔を隠していた。
「あぁ…… わかった。」
まるで白い毛玉が返事を返してきたような様相となっていた妹分を見て、あぶみは気づかれないように肩を震わせていた。
(とはいえだ…… 毎年毎年、あいつも難儀よなぁ)
後日、生徒たちが授業中につき手持ち無沙汰なため、転びそうなほど滑らない廊下をぶらついていたあぶみは、ゆさゆさと揺れ動く白い毛むくじゃらが頭から離れないでいるのだった。
ビワハヤヒデの髪の毛のことは今に始まった話ではない。
『お姉ちゃん髪やって!』
『むぅ……』
その昔、高校生の頃の事。度々平和酒店へ泊まりに行ったり、逆に姉妹が泊まりに来ることがあったが、その時に二人の髪のケアをしてあげていたあぶみは、“波状毛の捻転毛の超混合、美容師もお手上げのハイパー癖毛”の凄まじさを体感している数少ない一人なのである。
『じゃあ、あぶみお姉ちゃんのはわたしがやる』
ちなみに、パワーで全てを解決しようとするブライアン式ヘアセットの“被害者”でもある。
大学生活中も、帰省してハヤヒデと顔を合わせれば、話すことの中に髪の毛の話が出てくるのは必至。
(なんだかなぁ……)
スラックスのポケットからココアシガレットの箱を取り出し、まるで本物を吸うかのように一本咥えたあぶみは、うねって捻れて広がった髪に隠された頭を掻いた。
(……)
節電の煽りを受け、薄暗い廊下の窓のへりに肘を乗せた彼女は、珍しく雲の切れ間から太陽が差し込んでいる外を眺めた。
(……)
ぼんやりとした彼女の脳梁へ、遠く聞こえる青春の喧騒と、ほんの少しのココアの香りと暴力的な甘みが伝わる。
その瞬間、
「あっ」
まるで子供が悪巧みをポンと思いついたような表情を浮かべた彼女は、一人で歯を見せて笑みを浮かべるのだった。
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