空腹や渇きには、耐える自信はあった。
イエル・オグルにとって空腹やのどの渇きは、日常だったのだ。
「無様すぎるだろ」
だが違った。かつては日常だった空腹が辛い。喉の渇きに苛立つ。
シャディク・ゼネリが贅沢になった? そうではない。かつての自分を思い出し、耐えてなどいなかったと思い直す。
我慢はしていたが、耐えてはいない。それは似てはいるが異なるものだ。
食事が手に入らない。手に入れるのを諦めて空腹を我慢する。
我慢している間は、眠っていれば良かった。
今の状況とはまるで違う。
食糧も水もある。だが、それを口にするタイミングに悩む。
腹が減ったからと喰いだせば、途端に襲って来る。喉が渇いて水を飲もうとした時もだ。
耐えるだけでは無い、判断が重要だった。いや、耐えると判断はセットだ。
進む。飲む。食う。迎撃。逃げる。それ以外は動かず耐える。
そのほとんどは動かずにじっと耐えるだ。わずかな間にどれかを選ぶ。
その判断を間違えたら攻撃を受ける。
それは、ある意味では人生の縮図だ。
イエル・オグル如きなら構わないが、シャディク・ゼネリの人生は今後、耐える事と判断する事の連続だろう。
そして、判断ミスは自分だけでなく、背負った仲間をも傷つける。
「上等だよ」
ラウダが言いかけた言葉を思い出す。
自分用の訓練。グエルはそれを分からせる戦いをしている。
良いだろう。望み通り糧にしてやる。
グエルの望むとおりに。いや、予想を超えてやる。
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同志たちと相談した結果、ナジはグラスレーと手を組むことを決定した。
不満を持つ者がいないでもなかったが、シャディクというより、彼の仲間の少女の方がやってくれた。
シャディクがナジと話している間、サビーナとエナオは避難民と会話をしていたのだが、そこでグラスレーがジェタークと協力し合うこと、ここを開発しようと考えている事を伝えていた。
更に上空を飛んでいる可変MSを操縦しているのは、ジェタークでいくつもの開発に成功した人物で、今は上空から観察していると言っていたそうだ。
上手くいけば、ここの避難民には仕事が与えられ、飢えに苦しむことは無くなる可能性が高い事を。
その事を責めることは出来ない。何も悪い事などしていない。ただ事実を述べただけ。
だが、結果として非戦闘員は向こうに靡いた。
その事が、シャディクの言った、何のために戦うかを考えさせられた。
アーシアンのためと言う大義に沿えば、ここにいる難民の声を無視する事は出来ない。
それを無視して、今までと同じ行為を続けても、単なる腹いせでしかないと非難されて自身の拠り所を失うだけ。
特に家族がいる者は、戦い続けることに反対している。
もう、意地を張らずに手を組む、実質は降ると言っても良いだろうが、それが最善だと思えた。
だが、問題は残っている。
グラスレーとジェタークが何をさせようとしているのか、それを詳しく聞く必要がある。
その内容によっては決裂も有り得るし、決裂とまでは行かなくても反感を抱く者が多く出れば、それを押さえる必要が出てくる。考えようによっては後者の方が内部分裂を起こし、離反した者が過激なテロ行為に出かねないため余計に厄介な状況になる。
だからこそ、甘い言葉に騙され契約し、後になって後悔するような事が無いよう注意しながら話す必要がある。
そして、ナジは警戒しながらシャディクを迎えたのだが……
「おい、大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ。気にしないでくれ」
「気にするなと言ってもな……」
シャディクの顔は、気にしないで済む状態では無かった。
皮膚がかさつき、唇が腫れて、目の周りには隈が出来ているだけでなく、中心にある目が少し飛び出したようになっている。眼球の水分が不足しているようだ。
まるで戦場に数日間、取り残された兵士の様だった。
「一週間ほど、ジェターク兄弟の訓練に付き合ったけど、うん。アレだな」
「訓練って……」
二の句が継げずにいると、剣呑な表情をしたオルコットが、そっとシャディクの後方に近付いた。
「ん?」
シャディクが、唐突に後ろを振り返ってオルコットを見る。
2人で見つめ合うように固まっていた。
「訓練とは、陸戦の特殊部隊とか?」
「良く分かったね。えっと……」
「オルコットだ。最近になって、ナジの世話になりだした」
「そう、ナジも怖い人を仲間にしてるね」
「お前が言うか? その歳で後ろに回った人間の気配に気づく奴はいない」
「俺と同じ歳で、それを普通にやってる奴と、ずっと一緒にいたから、基準がわからないな」
おそらく、いや、間違いなくジェタークの兄弟だ。
異常すぎる。ますますジェタークが分からなくなってきた。本当に手を組んで良いのか?
だが、ここで悩んでいても答えは出ない。ここは踏み込むしかない状況だ。
「まあ、良いさ。色々と相談したが、いくつか聞きたいことがある。
仮に手を組むとして、そちらの要求は何だ?
まさか、相談役としてジェタークやグラスレーの人間の側に侍れとは言うまいな?」
処分する気なら既にやっているので可能性は低い。これは反発を考えれば慎重にもなる。
他に考えられる可能性としては飼い殺しだ。
危険を冒さないよう目の届くところに置いて何もさせない。
向こうとしては危険なテロリストだ。被害を出させないと考えれば悪くはないだろう。
何もしなくてもエサを与え、飼いならしていく。
そうやって牙を抜こうとしている事は十分に考えられる。
当然だが、そんな甘言が飛び出れば拒否するつもりだった。
「残念だけど、そんな楽はさせてやれないかな。
ナジには民間軍事会社を設立して欲しい。幸い人はいるからね。初期装備はこちらで準備する」
今まで率いてきた難民を、この国に明け渡す。その選別として装備を与えられ、民間軍事会社を設立させる魂胆だ。
現状、フォルドの夜明けが所持している装備は、古いMSが最大戦力で貧弱と言って過言ではない。
それを型落ちとは言え、ハイングラやデスルター、更にはギャプランまで無料で提供すると言っている。
「傭兵をやれと? 何をさせる気だ?」
民間軍事会社と言っても、基本的に傭兵の集まりと言って差支えが無い。
つまり、ジェタークとグラスレーの目的は、自分たちを戦力として組み込むことかと考え、納得と同時に、強い落胆があった。
要するに、首輪を付けるのと同時に、便利にこき使おうというのだろう。飼い殺しとどちらがマシか悩むところだ。
「当然、ジェタークとグラスレーが手を出している地域の防衛の依頼。大丈夫さ、最初に出す装備資金とは別途で都度に依頼料は出す」
「話が見えないが?」
「うん。首輪を付けようとしていると思ってるね? 誤解するのも無理は無いと思うが、俺たちはナジを配下にする気はない。むしろしたくない。
俺たちが求めるのは、アーシアン全体の利益を考える組織だ。俺たちのやり方が気に入らなければNOを突き付けるような相手が欲しい」
民間軍事会社を立ち上げた後は、どの仕事を選ぶかは自由。基本的にジェタークとグラスレーからの依頼が美味しいはずだが、それ以外を選んでも良いと言っている。破格すぎる好条件に益々疑念が沸き上がる。
「それで、お前たちはどんなメリットがある?」
「今のナジは俺たちの視点から考えて、俺たちの狙いを読もうとしているだろ?
俺たちは、ナジの視点が欲しいんだ。視点の数が足りないんだ。広いや深いではない。前に言ったと思うけどアーシアンの立場、全体を考えてのね」
それぞれのコミュニティーと会話は出来る。個人ともだ。だが、全体となると、ジェタークも、グラスレーも、想像は出来ても現実感がない。
「これは、肌で感じるしかないというのが、
かと言って、それを出来る人材はいない。当たり前だが、どれだけ望もうとスペーシアンには出来ないんだ」
ナジがトップに就く民間軍事会社には、ジェタークとグラスレー以外の組織からも依頼があるだろう。両社の紐付きだと思われているだろうが、それでも依頼自体が大きな情報源になる。少なくともスペーシアンが親会社の傭兵より、幅の広い依頼が舞い込むことになるだろう。
無理に受ける必要もなく、依頼だけでも想像が出来るし、実際に依頼を受けることで、より情報が入ってくる。
「過酷だと思う。特にナジの性格から、助けることが出来る人間が増えることで、逆に抱え込むことが増えるだろうし、結果として取りこぼす事を実感することが増えるはずだ。それでもやって欲しい。
酷い話だとは思うけど、それでも言うよ。苦しんで、それを聞かせてほしい」
今までは、戦力が無いからと諦めがついた。いや、言い訳が出来た。
それを出来なくする。そして全てを解決する戦力を与えられる事は当然ない。優秀な装備を与えられたところで、使える人材は限られているのだ。
だから選ぶしかない。選ばれなかったものを取りこぼす苦悩が、必ず付いて回るだろう。
「俺も、最近になって自分の立場を思い知らされた。この前までの訓練は、体に叩き込む感じで、それを実感させられた。
選ぶって大変だよね。耐えて耐えて、その先に選んで、失敗したら叩きのめされ、大丈夫だと思っても、これで正しかったのかと苦悩する。
そして、それがこれからの俺の人生だと思うと、少なからずウンザリもするよ」
「だが、選んだのだろ?」
困ったように苦笑する。才気に溢れた自信と皮肉気な笑みではない。素直な弱さと、内に秘めた強さを感じられる不思議な笑み。
以前から惹かれる少年ではあったが、それが増している。今まで以上に助けてやりたいと思ってしまう。
なるほど、彼を慕う少女たちの気持ちが分かる気がした。恋愛や肉欲抜きで女性が寄ってくる。不思議だと思っていたが、この弱さも彼の武器なのだろう。
「返事は今すぐにでなくてもいい。ただ…」
「いや。受けよう」
元々、組むと決めていた。それしかないと思っていた。
それに対し、向こうは慌てていないと再三言っていたのも、ようやく分かった。
何のことは無い。最初からグラスレーの、いや、おそらくはジェタークの思惑は一貫していたのだ。
お前の苦しみを教えろ。それ以外は戦力としての価値や人脈など余技に過ぎない。
その情報を元に、彼らが進むべく道の選択肢を搾る。
現状のナジから聞くことでも、彼らには貴重な情報源だ。そして可能なら、より大きな力を与えた上で、広い視野を持たせた情報元としたい。
それどころか、これまでの経歴から考慮して、背くことさえ視野に入れているのだろう。力を与えた結果を見ようとしている。短絡的な暴挙に出るか、より力を蓄えようとするのか、それさえも注視している。
とことん利用しようという腹積もりだ。背筋が凍るのを超えて笑えてくる。いっそ清々しいほどに悪辣だ。
だが、ナジは選ぶ。それしかないではなく、それを選ぶ。
「苦しんでやるよ。そして、散々に愚痴をぶちまけてやる」
お前と一緒に。それは口にしなかったが、シャディクの表情で伝わったと分かる。
その上で、年長者として助言もしておくとする。
「それに、苦しいだろうが、その分、良いことも増えるだろうさ」
悪いことばかりではない。良いことも増える。それに気付かなければ、この先はやっていけないだろう。
目の前の少年が悲観的にならないよう注意をしておく。
「うん。そうだね。その通りだ」
こちらの思いが伝わったのか、シャディクの笑みは今まで以上に穏やかだった。