海の中というのは不思議な感覚だ。機体に包まれているのに、宇宙のような寂寥感がない。
何かに包まれる感覚。海には妙な安心感がある。
この感覚こそが、宇宙から地上へと戻りたがる生物としての本能なのかもしれない。
だとしたら、この安らぎこそが最大の敵になるって事か。
『ラウダ、深度200mで1時間が経過したぞ。こちらからは異常は見当らない』
「こちらも、問題ない。これから浮上する」
外していた耐水圧のヘルメットをかぶり、操縦桿を握る。
海面に出た後は、巻き上げ機で艦上に持ち上げられ、コクピットから出て外の空気を思いっきり吸い込む。
「今日のテストはこんなものだな。ありがとうアリヤ。体調は平気か?」
「ああ、帽子が無ければ無理だが、何とかなる」
海上の太陽の照り返しはスペーシアンにはキツイものがあり、日光に強いアリヤに手伝いを頼んだが、そんな彼女もずっと外はきつそうだ。
「少し休んでくれ」
そう言って、もう1機のテスト機へ向かう。
そこでは、ナジとパイロットが何か話していた。
「どうだ? 海の中は?」
「ああ、ラウダか。良い感じらしい。見ろよ。この腑抜けた顔を」
「腑抜けって……まあ、落ち着くのは確かだよ」
革命家志望から民間軍事会社の社員に転職した、ジャリルという青年が苦笑しながら答える。
テストには血の気の多い奴を希望していたが、まさか、こんな若いのを連れてくるとは意味が分かってんのか?
「まあ、このまま漁師ってのも悪くは無いと思う」
「いや、お前は、もう少し働いてからだ。これは退職者のことを考えての試みだからな」
「それが分かってるのだったら、もう少し歳がいった奴を連れてきてくれ」
軍人であれば退役者は出る。それは当たり前のことだ。
では民間軍事会社はどうか?
その前に民間軍事会社とは何か?
簡単に言うと派遣会社である。
軍隊、正規軍と言うのは雇用の確保に頭を悩ますものだ。
基本的に消費しかしない組織なので、多く採用すると支える国家財政を圧迫する。
その有効的な対策が徴兵制である。一定の訓練だけを済まして、平時は民間で労働を行い、有事に登用可能な兵を確保しておく。
このシステムは、古くからあり、戦国時代などでも普段は田畑を耕しながら、戦があると駆り出される。
屯田制もこれに近いと言える。
だが、欠点として人の成長が最も著しい時期に軍の訓練を行う事で、その人物の成長を損なう欠点がある。特に理数系の頭脳は20歳前後が最も成長するので、近代産業の発展を大いに損なう。
更に問題はある。
軍隊に限らず、組織と言うのはピラミッド構造が基本である。
指揮者となる頂点が少なく、肉体労働である底辺が多い。
機械化により底辺が短くなっても、三角は三角で、四角には絶対にならない。
つまり、上に行くのは限られているが、肉体労働が可能な年齢は限られているので、軍隊においては下の階級ほど引退時期が早まる。
要するに出世しそこなった人間は早々に切り捨てたいというのが組織の本音で、それは軍隊でなくとも変わらないと言える。
無論、そのようなことをすれば反発され、組織が成り立たなくなるので、簡単に切り捨てることなく、多少の損を被っても雇用を継続するのだ。
軍隊であれば、確保でき無くなれば、転職先の斡旋に全力を尽くす。
そこで脚光を浴びたのが派遣会社である。
業績が良好ならどんどん採用し、悪化すれば簡単に切り捨てられる。
軍隊で言えば、戦時には多く採用し、平時になれば転職先の斡旋もしなくて良い。
だが、派遣会社が派遣社員の将来を、会社が正社員にするほど考えているかと言えば断じて否だ。
僕の前世では、一生派遣社員だった者の老後の問題は表面化していなかったが、おそらく増えていくだろう。
つまり、老後の生活苦からの老人犯罪の増加が増えると予想している。
これが、民間軍事会社の場合は洒落にならない。
軍事訓練を受けた者の生活苦からの犯罪など、治安を守る警察の手にも余るだろう。
ましてや、それが革命家希望者の成れの果て集団だったらなおのこと。
その予防として、兵役が難しくなった者の再就職先として、農業だけでなく、漁業に手を出す準備を始めることになった。
来年になるとミオリネの農地改革の成果が出てるので、そちらに手を割かねばならないだろうから、やるなら今の内だ。
同時に、海によるセラピー効果に期待できないかを試したが、中々に好評のようだ。
「助かった。俺が後先考えずに誘ったせいで」
「いや、ナジが誘わなかったら、それはそれで単なる不平分子でしかないからな」
ナジの会社に就職希望者が殺到したことで、老後前の就職斡旋を考える必要が出たが、ナジに言った通り就職しなければ単なるテロリスト予備軍だ。今の内に手を打てたと喜ぶべきだろう。
おまけに魚介類が食べられると良いことだらけだ。
いや、断じてそちらがメインではないからね。グラスレー社に無理をさせたのは、あくまで治安を心配しての事だから。
「しばらくは資源調査として海中装備のジュネーズを運用しよう。
その際のセラピー効果は、そちらで判断してくれ」
「分かった。これが上手く行けば職の斡旋と心の安定で一石二鳥だな」
「今の内に資源調査をして、造船所では小型の船舶が生産できる体制になりそうだから、それを買って漁を開始しても良い。
あと、海より土が良いという者も出るだろうから、農業支援の方も続けよう。
それと、こいつを併用するのも気が引けるが、軍事教育だな」
「御曹司がデリングにかましたんだってな」
「ああ。作業用のディランザを使っている者に、いざ、戦闘になったら。それを教育した方が良い。
購入者は、最初から想定していたことだし、兄さんがデリングに言ったことも耳に入っている。
まあ、デリングがやるとは思えないが、訓練をするだけで抑止にはなるから、教育の依頼があるはずだ」
前世では、日本に徴兵制が復活するぅ~とか、いきなり徴兵されて銃を持てと言われたらどうすんのぉ~とか言う奴がいたが、訓練もしていない人間を徴兵することはない。
徴兵制とは、一定の訓練を受けた人間を、全ての成人男性や全国民レベルにまでに増やすシステムであって、やる気のない邪魔な奴を戦場に連れだすシステムではない。
では、訓練をしていないにも関わらず、戦場に出ることは無いかと問われれば答えはNOである。
例えば前世の日本は徴兵制はしていないから、自衛隊の早期退職者が現役に戻る形になるが、それで足りない場合は志願兵や義勇兵の募集と言う形になる。
他国に攻め込むと言っても集まることは無いが、日本が攻め込まれて日常が崩壊したら、仕事も出来ないし、自分や家族やコミュニティを守りたいから戦いたいという人は必ず出る。
この場合でも、無理やりはない。おまけに、これまで工作員かとしか思えない言動をしてた人なんて、むしろ拒否されるだろう。
何しろ、工作員疑惑がある人だ。無能な味方より内側に抱えるリスクが高い。
例えそれが、今ままでの言動を悔いてのことだとしても、信用は出来ない。内部工作されるリスクを考えれば断るのが当然だ。
そして、ディランザの作業者は、この義勇兵に当たる。
作業者は、妙な事に使われないために、どの国でも家族がいて今の生活を守りたい人物から優先して選んである。
そのような人物なら、守るために戦おうとするだろう。
ただ、普通の志願兵や義勇兵と異なり、MS戦ということになれば、事前の訓練は疎かには出来ない。
「デリングは本当にやらないか? インキュベーション・パーティで脅されたんだろ?」
「まず、やらない。あいつが戦争が好きなら、軍人を辞めたりはしないよ。
ここで戦争を煽っても利益にはならないからね。兄さんにお灸をすえてやろうとして失敗しただけだ」
これ以上は言わない。デリングが戦争を嫌っていると言っても理解しないだろうし、こいつ等の目的だったスペーシアンとアーシアンの格差は、テロや戦争をいくら繰り返したところで、縮むどころか逆に広がるだけだなんて、言う意味が無い。
その内、いや、すでに自分たちで気づき始めてるみたいだしね。
「でも、これが希望的な観測だと言われても否定は出来ないからね。
デリングの意思を抜きにしても、備えはあって悪いものじゃないよ」
「そうだな、私情を持ち込みそうな奴は抜きにして、仕事として受けるようにする」
「そうしてくれ」
「なあ、ラウダ」
僕たちの会話に区切りがついたタイミングを見計らって、アリヤが声をかけてくる。
「私も海の中を見てみたいんだが」
「そうだな。あまり深くなければ危険も無いか。深く潜っても見えはしないし」
そう言って、水中を経験してきたわけだが……
「なあ、海の中って、息苦しいというか、圧迫感を感じないか?」
「包まれる優しさとか感じない?」
「無いな」
「……ちなみに宇宙は?」
「ん? 解放感があって気分が良いだろ?」
あれ? 僕が特殊なだけ? この安らぎこそが最大の敵になるって事かキリッ、とか考えてた僕って痛い子?
でも、目の前にいるナジという男も僕と同じ考えみたいだしな。
うん…………少し調べてみるか。