「ゴメンね急がしいのに。ちょっと悩みと言うか相談があって」
授業が終わって直ぐ、シャディクにミオリネが占拠している理事長室に来てもらったが、彼は明日の朝から予定が入っており、今日の夜には学園を出るそうだ。
多少の余裕はあるだろうが、ゆっくるするのも良くはない。
「ラウダに会社を立ち上げてみないかって言われたんだけど……」
「へえ、どんな?」
これは知ってるな。シャディクの反応を見て、ミオリネは何故かそう感じた。
何故だろう? ポーカーフェイスで、感情は読み取れない。それなのに……
「ああ、そうか」
思わず呟くと、シャディクが怪訝な表情を見せる。
そうだ。ラウダに会社を立ち上げろなんて言われたら、シャディクはもっとリアクションを見せる。
喜ぶか、あるいは勝手な事と怒りを見せるはず。
「えっと、答えを聞いているのね?」
「バレた? うん、降参。実は、元はと言えば、俺から、正確にはグラスレーでミオリネを手放したくないって意見が出た結果、それならミオリネに会社を立ち上げさせてはどうかって意見が出て、俺がグエルたちに提案した」
「それでラウダが、私には利益が上げられないって言ったのね?」
「正解。実際にどう?」
「うん。困ってる。悔しいけど、アイツの読みは正しい。
会社を立ち上げろって言われた時は嬉しかったけど、どう利益を出すか決めて、インキュベーション形式で資料を出せって言われたら……」
今までやってきたことの延長。むしろ自由度が上がり、好きなことをやれる。
だが、それで利益を出せと言われても、そもそも何処から資金を得るのか?
「ラウダは言ってたよ。ミオリネの欠点は潔癖さと人の好さだって」
「なるほど。本当はもっと酷いことを言ったけど、優しく要約するとそうなるのね」
「何で分かるんだよ?」
「1年間、一緒に仕事をしてきたから、アイツの言いそうなことは分かるわ。
ムカつくけど、言う事正しいし、勉強になった」
気に入らない男だが、それでも優秀だと認めざるを得ないし、参考になることが多い。
それに、聞けば素直に教えてくれる。
自分でも成長できたと実感する1年だった。
「シャディクから見て、私には無理そうな答え?」
「どうかな? だが、ラウダの正解を探す必要は無いさ。
そもそも、ミオリネは何かしたいことがあったんじゃないか? だから、最初は嬉しかったんだろ?」
「そうだけど、利益が出るような話じゃないし」
「それは今でなくても良いさ。ラウダの真似をする必要は無い。俺はミオリネらしさを無くして欲しくないな」
「そ、そう?」
そう言われると嬉しくなる。
単にラウダの真似が気に入らないというのもあるが、自分らしさを貫いて良いと言われると単純にその気になる。
「うん。だから聞かせてよ」
「えっと、私が元々、母さんがやってきた植生エンジニアを目指していたことは知ってると思うけど、その方向と結構似てるというか、地球で育てていたブランドものってのがあったの。
特に、シャディクがスタート地点にした日本には凄く多くて」
イチゴやグレープ系の果物に非常に甘美な味の品種が作られていた。
他に野菜でも興味深いものが多い。
ブランドものと言うほどではなく、普通に作られていたが、ニンジンも皮を剥くだけで、そのまま生で食べれた。
最初は躊躇していたフェルシーが、美味しいと2本目を食べようとして止めたくらいだ。
「シャディクもスイートポテトは食べたと思うけど、あれ美味しかったでしょ?」
「うん。知っているものとは別物だった。焼いただけの芋を、そのまま食べるなんて正気かと思ったけど、あれは調理いらないな」
「そうなのよね。でも、あれって、特別な技術がいらないし、収穫量が多かったから生き残ったけど、質より量ってことで、生産が中止になった品種が、まだあるんだって」
サツマイモという名前のスイートポテトを食べたときも衝撃だった。
その話を日本の農業従事者に話した際に聞いた内容だったが、先方も作りたいと言った訳では無い。
だが、何気ない会話をした流れで出てきた内容。
そう。1年かけて、アーシアンの農業従事者と何気ない会話が出来る関係になっていた。それが何より嬉しかった。
「そうか。流れ的には、最初に宇宙へ行った人達は、それこそ質より量だった。何しろ、宇宙で食料を生産すること自体が課題だったから。今の地球で、ジェタークが最初に行った手法である芋と豆が中心だった。
その後、宇宙が発展していき、逆に地球が貧しくなったから、地球でも質より量の作物に代わった。
でも、宇宙だって、かつての地球程には発展してはいないって事か」
今でも普通に合成食料が食べられているのが現状だ。
かつての地球の裕福な国に比べると、食事に関しては大きく劣ると思う。
果物や野菜だけでなく、乳製品だって、アリヤの実家やグラスレーが開発を始めた欧州で作られているものの方が、宇宙のプラントで育てられているものより遥かに美味しい。
「母さんはアーシアンだったけど、父さんと結婚したことで分かるように、そこそこ裕福なアーシアンだったから、植生エンジニアなんて、ある意味で贅沢なことをやれた。
ああ、言ってたら、母さんのトマト、作りたくなる」
この理事長室を占拠した際に、何れは温室のガラスハウスに改造して、トマトを作ろうと思っていたが、あまりにも忙しい日常を送っていたため、手を付けないまま2年生に進級してしまった。
あのトマトは生食用で、ある種の贅沢品だ。健康面でも広めたい気はするが、現状の地球で求められているのは料理に使う加熱用の品種で、やはり質より量だ。
でも、地球では住民の免疫強化をしたいし、健康のためにも、そろそろ手を付けたい気がするが、それも手が回っていない。
これも全部ラウダの所為だ。
「なるほど、高級品種の復活か。良いんじゃないか?
ヴィム代表が、ラム酒でやったように、当面はスペーシアンの富裕層に贈呈品として送って価値を知らしめれば」
「それは考えたんだけど、現状では何も出来ていないのよ。しばらくは採算の取れない研究になるし、仮に出来たとしても、通年は出荷できない上に、保存がきかないものが多くなる。
生鮮品だと宇宙までの輸送に耐えられないから…」
「ちょうど良いじゃないか。取り敢えず研究を続けながら、出来そうな見込みに合わせて輸送ルートを整えれば良いんだ。
ラウダの奴、ミオリネがやった仕事の影響を見越して、輸送ルートを整えられるように、造船所に手を付け始めたんだし、これに便乗すれば良い。日本からボルネオ島までの輸送ルートさえ整えれば、後は軌道エレベーターに乗せれば行けるさ」
「やれるかな?」
「やってみよう。作りたい品種をピックアップして、その日持ちの見込みだな」
「最初は日持ちしそうな品種に力を入れた方が良いわね。リンゴ……より、うん。ミカンって名前のオレンジ類とか良いかも。
地球で食べたのも結構美味しかったけど、ハウス栽培だと、あれより甘いのが出来るそうだし」
リンゴは皮ごと食べられるが、スペーシアンは土に忌避感を持つものが少なくないから、地球で作られたと聞くと面倒でも皮を剝くだろう。
その点、ミカンは皮を手で剥けるから、手軽に食べることが可能だ。最初のお試しに向いている。それに確か冬に収穫するせいもあるが、イチゴやグレープと違い半月は持つ。
「何だか、俺の知らないところで、色々と食べてないか?」
「羨ましい? でも、ミカンや柿は普通に木になるから、行った時に分けてくれるわよ。
フェルシーと行くせいか、何だかお年寄りが食べ物くれるのよね」
「ああ、分かる気がする。見た目が子供っぽいからな。
でも、そのお年寄りたちに、アイツの戦っているところを見せたいよ。あの速度で叫ぶ妖怪だからな」
「いや、聞いてる分には可愛いわよ。お年寄りも普通に笑うと思う」
途中で関係が無い雑談をするが、何故か効率が上がる。
他の品種も、同様の視点で評価して行き、受け入れやすさと実際に収穫可能となった際の、輸送ルートとの兼ね合いで作るかどうかを決めていく。
何だか楽しい。実現したら、ある時期になると地球で作られている作物に思いをはせるスペーシアンが出てくると思うと、何が何でもやってみたくなる。
そして、何れは宇宙で栽培したいと思う人が出てくるかもしれない。
そうなったら、どうするのか? 農作業の従事者が地球から宇宙へ出ていくのだろうか?
そんな事を言い合いながら、シャディクと作業を進めていると外が暗くなっていた。
「もう、こんな時間か」
「そうね。ここまでにしましょうか。
明日は朝から忙しいんでしょ? 今夜の内に出るのよね? 何かの会合って聞いてるけど?」
「うん。グエルと一緒にね。今日中に移動だけど、明日は午前中だけだよ。午後からは普通に学園にいるよ」
そんな状況なのに、こんな時間まで付き合わせてしまった。
「ゴメンね。私なんかに付き合わせて」
「とんでもない。ミオリネの呼び出しなら大歓迎だよ。今日も楽しかったし」
そう返答してくれると半ば確信しながら言ったことだが、やはり、そう言われると嬉しくなる。
「そうだ。もう少しなら良いわよね?」
「ああ。大丈夫だけど?」
「そこに座って」
3人用のソファに座らせると、その隣に肌を密着させて座る。
「ミ、ミオリネ?」
「もう少しこのまま」
動揺するシャディクを黙らせる。
なるほど。全然違うな。
リリッケに言われたドキドキしないかという言葉。実際に地球から帰って直ぐに、地球寮の男子で試した。
結論はムカつく。殴りたくなった。予想はしていたが、自分のパーソナルスペースは広かった。いや、予想ではもっと広いと思っていたから、前より人馴れしてはいるようだ。それに実際に殴りもしなかった。褒めて欲しい。
そして、グエルで試した。ムカつきはしないし、緊張した。まさか、グエルに惹かれているかとも思ったが、何かが違う。どちらかと言えば、逆らえない相手が隣にいる感じだ。
だが、シャディクは違う。緊張するし、ドキドキする。だが、嫌ではない。むしろ、ずっとこうしていたいくらいだ。
「うん。分かった」
そう言って立ち上がる。
確認は終わった。
「えっと、なに?」
「気にしないで。ホラ、グズグズしてたら、遅れるわよ」
背中を押して外に追い出す。
このまま続けていると、変な気分になりそうだった。
「ヨシ、今日はありがとう」
「いや、構わないけど、後は1人で大丈夫かい?」
「うん。やってみる。今日中に終わると思う。
ただ、最終的な期限はまだあるんだし、追試になったら、また頼るかもしれないけど」
「その時は、何時でも声をかけてくれ」
「うん。じゃあ、お仕事頑張ってね」
「っ! ああ、行ってくる」
あれ? 何か夫婦と言うか、新婚の会話のようだ。
言った後で恥ずかしくなったし、シャディクも意識したようだ。
シャディクの後ろ姿が見えなくなっても、しばらく立ちすくんでいた。
「我ながら乙女すぎる」
自分にこんな面があるとは思わなかった。
もっと、さっぱりした性格だと分析していたが、意外と湿度が高い。
ただ、相変わらず壁のようなものを感じた。それがどうしても引っかかり、前へ進めないでいる。
「さて、続きをしましょうか」
何時までも余韻に浸っていては、何も出来なくなると考え、あえて声に出して部屋に戻ろうとしたところで、人影が目に入る。
ここは本来は理事長室だけあって、人の往来は少ないので珍しい。
何かを探すかのように顔を左右に動かしているが、やがて目が合う。背の高い女生徒だが見覚えは無い子だ。
「な…」
何か探しているのと、声をかけようとしたところで、ビクッとして、そそくさと元来た道に戻り始めた。
何か見た覚えがある……そうだ。日本で見た野生動物。アライグマに似た毛むくじゃらの生き物。名前は何だっけ? 逃げるのに俊敏に動けず、とてとてと言った擬音が聞こえそうな挙動がそっくりだ。
だが、その名前を思い出そうとしている間に、少女の姿は見えなくなっていた。