フォルモーントを放牧に出てもうすぐ一ヶ月が経とうとしていた。
放牧は二ヶ月間の予定なのでちょうど折り返し地点である。
調教師の佐山はぼんやりと馬房に収まる管理馬達を眺めながらフォルモーントについて考えていた。
佐山は調教師として随分長くなるがフォルモーントのような馬の面倒を見るのは初めてだった。
うるささという面でもそうであるがフォルモーントは妙に賢いところがありときどき時計やカレンダーの数字、人間の会話を理解しているような仕草を見せるのだ。
いくらサラブレッドが人間の3歳児並みの知能を持っているとはいえ普通の馬が理解できないようなことを本当に理解しているような様子を見せるので滅多に冗談を言わない佐山が調教助手の山口にこの中に人間が入っているかもしれないと真面目な顔で言ってしまうくらい不思議な馬である。
しかし変わった馬ではあるが人への懐き方は他の馬と同じだった。
どちらかと言えば嫌な事を強要する佐山や山口、騎手である宮原のことは嫌いらしく特に宮原が来ればプイと顔を背け調教やレース以外では乗せようとしなかった。
反対に身の回りの面倒を見てくれる担当厩務員の松田にはある程度心を開いているようで入厩したてのころは触ることすら許さなかったのに今では鼻面を寄せて甘えている。
松田が言うには何度か調教後にストレートにするのではなくこっそりとあげている風を装ってにんじんやりんごを与えてやったのが効果的だったらしい。
佐山や宮原がすれば嫌がることも松田にかかればすんなりと受け入れるようになったフォルモーントだがそれでも検温だけは嫌がった。
サラブレッドの検温は肛門に直接体温計を差し込んで直腸の温度を測るという方法をとるのだがそれだけはいくら松田がしても嫌がり差し込むなら鼻の穴にしろと言わんばかりに体温計を持っていると尻を向けずこちらを睨みつけて渋った。
フォルモーントが賢い馬であるのは確かである。
だが何故レースや併せ馬になると制御不能になってしまうのかが分からない。
入厩したての頃に比べると意思疎通をとれるようになりまだまだ嫌がるものの調教でメンコやブリンカーを装着できるまで精神面が成長したがどうしても視界に他の馬が映ると鞍上の指示を無視し我慢が効かなくなる。
厩舎側として可能なことはほぼ全て試したがまるで効果がなくさらなる精神面の成長を頼るしかなかった。
フォルモーントが帰ってくるまであと一ヶ月、馬主が望む菊花賞出走に漕ぎ着けるためにはやはり逃げさせるしかないのかと佐山は思案に暮れた。