よく知った世界だった。
この身は人にあらず、飢えてさえいなければ力任せに大抵のことができる。やることの多さに気が遠くなったことも一度や二度ではないが、それでも基盤の構築は人ひとりがやるよりずっと簡単だった、ように思う。
試すべきことは無数にあった。飛竜のいた跡から火種を持ち帰る。狩った肉をバラして焼く。実を石で砕き、煎じて飲む。薬草と蜂蜜を混ぜて飲む。樹皮を煮て紐にする。手製の抱っこ紐でより多くの実が運べるようになる。辺りに散らばる鉱石のかけらを叩きつけて鉱脈を砕く。いい感じに砕けた鉱石を大地の結晶で磨き、紐を巻き付けて取っ手にする。刃はますます精緻な加工を可能とし、ついにポーチの試作品が完成する。そして……
比較的涼しい季節が終わった。昼の前。晴れ。密林。崖を登って跳躍する。高所で行う偵察にも随分慣れた。すぐに見つかった。今まさに眼下を悠然と闊歩している。
漆黒の体表。背には黒毛。獣らしく進化してはいるが飛行さえ難なくこなすれっきとした飛竜。複数本の刃を膜で繋いだような翼。その狩りは何より翻弄を重んずる。
素早い攻撃、回り込むようなフェイントからの飛び掛かり。徐々に追い詰める一方で敵を自身の動きのテンポに慣らし、しかしそれもまたフェイントとして機能する。
一拍置いて無駄を誘い、本命のしなる尾を叩きつけて、そして殺す。そうした手口を本能のうちに身につけた、生まれついての狩人。
絡め手も何もなく真正面に降り立つ。骨の双剣を抜いて構える。容易く殺せる獲物を見つけたとでも思ったか、それは歓喜の唸りを上げる。
睨み合う。双眸赫然、黒疾風。
その名は迅竜。ナルガクルガ。
胸元のポーチ、その脇に取り付けた粗い目の虫かごに指を入れる。勾玉草で編まれたこのかごは捕らえた虫が暫し……飽きるまでの間中に居着いてくれる。
隠れ里、カムラの狩りで広く使われるその虫は極めて強靭な身体を持ち、恐るべき牽引力で以って出した糸を引き込む。ハンターはこれを使って陸を空を駆け、滞空し、狩技を繰り出す。
今から行うのはその真似事だ。
虫の糸に引かれながら咆哮を浴び、受けたインパクトを受け流す。糸を軸に身を翻し、勢いのままに切り掛かる。
鉄蟲糸技の一つ。朧翔け。
フェイントと本命からなる二段の飛びかかりを避け、振り回す尻尾を飛び越える。攻撃前の隙間に、繰り出された攻撃の後隙に、少しずつ打撃を与えていく。狩りとは大いなるものを殺すことであり、ゆえに最も重要な行為は回避である。一撃与えるのに一撃もらっていては殺す前に死ぬことになる。攻撃するだけで済むような行為を狩りとは呼ばない。
一方的に殴られている迅竜は横に、少しだけゆっくり飛び跳ねた。追って光の線が走る。かの者の最大の特徴である。感情の昂りが瞳に緋色の光を与える。目前の対象を殺す為に抑えていた全力を解き放つ……怒りの形態である。こちらも全力であらねば無礼であろう、と思った。距離を取って双刃を交差させた。
気。そう呼ばれる概念がある。武器をよりよく扱う為の方便だと思っていたが、そうではなかった。武器により使い方も様々ではあるが……双剣の場合は二つの剣を交差するように構え、そこに気を流し込む。骨の刃から白煙が上がり、身体もまた不快なほどの熱さを帯びる。
身体と武器が回路で言うところの短絡を構成し、流し込まれる気は解除の動作を取るまで無尽蔵に消費され続ける。引き際を誤れば疲れどころか死すらありうる危険な状態ではあるが、引き換えにこの形態は身体能力の著しい向上をもたらす。より速く走り、より速く斬り込み、空を舞うことさえ可能とする。
双剣使いの強化形態。鬼人化、と呼ばれている。
咆哮を終えたナルガクルガが仕掛ける。回避のステップすら要らず、ただ走るだけで飛びかかりを避けて動きを見る。予想の通りにもう一度飛びかかる。サイドステップを挟んで翼を振り回す。もう一度サイドステップ。本命の飛びかかり攻撃が来ると分かる。
そして最後の攻撃も回り込むように走り、結果として空振りに終わる。攻撃が当たってしまう場所から走り去るようにして回避する……双剣使いが用いる足捌きのセオリーである。隙を見せた迅竜の尾に両刃を一度に叩きつけるように当て、反動で飛び上がる。
両脚で反動をつけて急降下し、身体を回転させながら刃で切り付ける。その反動でさらに滞空し、また身体を回転させる。これを繰り返すことで敵の体表に沿って尾から頭まで斬撃を刻む。さながら移動する竜巻のように。
双剣が持つ大技の一つ、空中回転乱舞をもろに受けたナルガクルガは手足を振り回し、力なく声を上げ、そして倒れ込んだ。念のため頭を蹴り、死んだふりでないことを確認する
狩りが終わり、剥ぎ取りが始まる。
「……というわけでしばらくお世話になります。よろしくお願いします!」
「そんなにかしこまらなくても大丈夫!俺はハネナガ。よろしくね」
二人の狩人がオトモ広場を歩いている。
イズチの装備に身を包んだ男はハネナガと名乗った。
もう片方の男はランポスの防具を着ている。カムラでは珍しい装備である。
「それで……ウナバラ君だっけ?フゲンさんには会ってきた?」
「はい!」
フゲン。カムラの村長の名はエルガド、ひいては王国でもよく知られている。主にはその伝説的な強さによって。齢60を超えて尚現役であり、ひとたび太刀を振り回せば破龍砲の如き威力でモンスターの身体をへし折るのだとか。
「そっかそっか。じゃヒノエさんも?」
「はい、そばにいらっしゃったんでちょうどその時に。受付をされてるんですよね?」
「そうそう。村のクエストはヒノエさんから、集会所のクエストは団子屋の先にある建物でミノトさんから受けられるよ」
ヒノエとミノト。竜人族の双子の姉妹である。ウナバラはエルガドでよくミノトの絵を見ており、その独特なタッチに惚れ込んで数枚ほど購入していた。作者がカムラ在住だと教えてくれたのは猛き炎と呼ばれる知り合いのハンターだった。
「ありがとうございます!実はヒノエさんとお話してさっきクエストを受注したとこだったんです」
竜人族は長命種であり容姿から推測される年齢は人間のそれと大きく異なる。みな彼女らをさん付けで呼んでおり、もしかするとフゲンより年上である可能性もある。あったが知り合ってすぐの先輩ハンターにそれを突っ込んで聞く気は起きなかった。
「おーそれはそれは。見てもいい?……密林のナルガクルガか、いきなりすごいの行くね」
「中型は何度か経験してるんでちょっと背伸びして受けちゃいました。行けるかどうかは半々ですけど……」
「いいね!でもホント怪我にだけは気をつけてね」
ハネナガと別れの挨拶をして小船に乗る。カムラで受けるクエストの現地入りは最寄りの街までが小船で、そこからは陸路になる。隠れ里であった名残かカムラまで直に続く道は存在しない。正門の真正面でさえ一面が森である上、そこから現地に行くなら森を抜けて山を越えなければならない。
じきに慣れるか、と思いながらウナバラは兜を被った。