いやでもナイスネイチャは現役の時撃墜手段がトレーナーの一番を死守するしかなくて卒業後の連絡もないからそこ対策されたら三十路になるまでくっつけない恋愛弱キャラなんで〜 作:壬生谷
冬を越し春が来た。
春を過ぎて夏が訪れた。
夏が終わると秋が始まった。
雪が解けた。花咲き、緑芽吹いた。桜は散った。雨が降った。空気が冷えて、木漏れ日に朱が混じった。
時と共に季節は巡った。
それでも、あの日見た彼女の走りを、片時も忘れることはなかった。
ずば抜けて速いわけではなかった。強いレースを走れるわけでもなかった。1着をとることだって多くなかった。
けれど彼女は、いつだって輝いていた。自分のことをキラキラなウマ娘なんかじゃない、なんて卑下していた彼女は、その実、恒星のように煌めいていて。初めて彼女の走りを見た瞬間。
赤褐色の鹿毛が走り抜ける様が、まるでターフでポインセチアが咲き誇っているように見えた。さながら季節外れのクリスマスだった。
ポインセチアがクリスマスの花とされるのは花や
きっと、俺は彼女を支えるためにトレーナーになったのだと。そう、予言されたからなのだろう。
♯♯♯
ベニヤ板の壁に染みついたタバコの匂い。ビールジョッキがテーブルの上で軽快な音を立て、仕事を終えた社会人が、仕事や上司の愚痴、プライベートの話を交わす。夜に賑わう居酒屋は、そうした粗雑な喧噪で溢れている。
品書きが掛けられた壁の側では、カジュアルなスーツ姿の四人の男女がテーブルを囲っていた。
「ほんとさぁ……未だに信じられねえんだよな。あの時指導していた担当がさあ……、気がつけば大人になっててよ、しまいにゃ結婚までしてんだよなあ……」
ぐびり、とジョッキいっぱいに満たされたビールを呷りつつ、男の一人が言った。くたびれたネクタイを緩めて、ため息をつくのを横目に、向かいに座る女の一人が相槌を打つ。
「ほんとよ。うちのタンホイザなんか卒業後にも連絡取り合ってたんだけどね、ある時から急に恋愛相談持ちかけてきたのよ?」
あのタンホイザがよ? 悪い男に引っかかってないか心配でしょうがなかったわ、と遠い目を浮かべた。妹のように担当を可愛がっていた彼女だ。おそらく教え子の両親共々過保護気味であったのだろう。
とくとくと冷酒を注ぐ女――――イクノディクタスの元トレーナーは、思い出したように話しかけた。
「そういえば先輩のお子さん、彼女のお子さんとお友達なんでしたっけ? イクノから聞きましたけど」
「まあね。あんたのとこのおかげで娘もタンホイザの子もすくすく育ってるわ」
鉄の女さまさまね。と呟いてマチカネタンホイザの元トレーナーはハイボールを飲み干すと、店員におかわりを注文した。既に二杯のグラスを空にしているためか、頬に赤みを帯びているが、まだまだ余裕そうだった。
俺はビールのジョッキをちびちびと啜りながら、同僚たちのやりとりをぼんやりと眺めていた。
彼らは俺が新人トレーナーとしてトレセン学園に入職したばかりの頃からの知己である。入社式の時から顔は合わせていたが、本格的に仲良くなったのは彼女に友人であるツインターボ、マチカネタンホイザ、イクノディクタスを紹介され、そのまま併走トレーニング等で彼女たちの担当トレーナーであった彼らと顔を合わせるうちに仲が良くなり、担当が引退し、卒業した後も、こうして四人で飲みにいったりしている。
酒場での話題は、トレーナーという職業柄か、もっぱら現役ウマ娘のことであった。レースの話、現在の担当の話、かつての担当の話。などなど。
今宵の話題は俺たちが知り合ったきっかけとなった担当たちの話だった。
イクノディクタスは小学校の体育教員となり、奇しくもマチカネタンホイザや彼女の元担当トレーナーの子供を教え導いていることとか。そのマチカネタンホイザは運命的な出会いを果たし、卒業後も姉のように慕っていたトレーナーに相談を持ちかけていたこととか。
同僚らは今もなお元担当との関係は良好らしい。無論彼女らとの契約が満了した後に担当したウマ娘たちとも。
一方、俺はと言うと――――。
――――あ、あのね、トレーナーさん。……う、うぅ、あー……。……な、なんでもない……。
「――そういやよ。お前さんのとこはどうなんだ? ほら、ナイスネイチャは」
脳裏から離れない、あの声。その持ち主の名を聞いて、はっと我に返る。見ればつまみの焼き鳥を囓りながら、こちらを見つめるツインターボの元トレーナーや同僚たちがいた。
「え、あ、ど、どうって?」
「いや、ナイスネイチャと卒業してから連絡取ったりしてないのか? 傍目から見てもだいぶ仲良かったろ、お前ら」
「……。…………」
何を言えば良いかわからず、ビールを飲む。ただ沈黙を返す。気まずい態度の俺を見た彼らは今の俺たちの関係を悟ったらしい。
「――――は!? あんた、もしかして何にも連絡取り合ってないワケ!? あんなに仲良かったのに!?」
「な、仲良かったって。別に普通だっただろう?」
「アレが普通なワケねえって!」
「……いや、先輩とナイスネイチャさんはお二人が思っている以上に距離が近いように見えていましたよ……」
三人が身を乗り出して思いっきり否定してきたので、思わず仰け反る。その反動で口に含んでいたアルコールを一気に飲み込んだので、咽せずにはいられなかった。水を飲んで、少し落ち着いたところで、自分の考えを話した。
「……その、距離が近かったとしても、ダメだろ、それは。トレーナーとウマ娘の関係は、変わるべきじゃない」
……まあ、自覚はしていた。彼女が俺に対してトレーナーと現役ウマ娘という関係性以上を望んでいたことも。遠慮か、萎縮か、或いは羞恥か。いずれにせよ、その望みを彼女なりに隠そうとしていたことも。そして――俺もまた、そんな彼女に惹かれていながらも、社会的規範、トレーナーとしての倫理、つまるところ世間体に言い訳をして、その感情を見ないふりをしていた。ウマ娘は人間よりも成長のスピードが早い。だから人間の成人女性と遜色ない美貌や精神を学生のうちから備えている。ナイスネイチャというウマ娘もまた、その例に漏れなかったとしても。それはトレセン学園という環境故に身近な異性の存在が俺しかいなかったが故の間違いで、その間違った感情に気づかないふりをすることが、俺にとっても、彼女にとっても最善なのだ、と考えていた。
たとえ、俺がそれを彼女が卒業して十数年経った今も引きずっているとしても。彼女が今幸せなら、きっとそれでいいに決まっている。
アルコールで緩んだ口から、そんなことをつらつらと話すと、三人は何とも言えない表情を浮かべていた。
「なんだよ」
「いや……拗らせてんな、って」
「その歳でンなこと考えてるのだいぶキショいわよ」
「せ、先輩直球すぎますって」
うっ……そこまで言うか。思わず苦虫を噛みつぶす顔を浮かべると、言うわよ流石に、とマチカネタンホイザの元トレーナーはぴしゃりと言った。
「まあ年月も経ってるしあの娘もいい人の一人や二人くらいいてもおかしくはないとも思うけどね。ウマ娘はややこしい関係とか結構引き摺るわよ。上辺では取り繕うけどその辺はっきりさせたがるし。担当の好意をうやむやにした結果、後々外堀りも人生の墓場も埋められて『メジロ』にされたヤツなんか腐るほど見たでしょ」
あんた何のためにその指輪付けてんのよ。そう言われて俺はジョッキを握っていた左手の薬指に通った安い指輪の存在を意識した。
前提として。この指輪の対はない。言い換えれば、俺には将来を誓った相手はいない。それどころか、恋人もいない。とはいえ自分のファッションで付けているわけでもない。
端的に言えばトラブル回避のため。担当ウマ娘と『複雑』な関係になるのを避ける小道具。つまるところダミー。社会的な体裁を保つための小細工でしかないが、担当とむやみやたらと『メジロ』になるような事態が起きるよりかはマシ、という男性トレーナーたちの工夫だった。……尤も、一部のウマ娘には通用せずめでたく『メジロ』されるトレーナーがいないわけではなかったが。
そういうわけで、自分もその〝流行り〟に乗るなどしていたのだった。
「あんたがどう思ってるのかは知らないし。そもそもあんたらが再会するかわからないけどさ。もし会ったときには色々面倒なの精算しな。あんた、だいぶ気に入られてたんだし」
言いたいことは言ったとばかりに彼女はハイボールを空にし、店員におかわりを注文した。それを見ながら俺は空になったジョッキを前にして、ぼんやりと指輪を眺めていた。米粒のような小さくて安っぽい赤い宝石。四十もとうに過ぎた人間に靡く年頃の子など早々いない。けれども心のどこかで俺を問う自分がいる。正直外してもいいとは思うが、それでもずっと付けているのは何故か。あの時、何故この色を選んだのか。彼女に連絡を一度も寄越さなかったのは何故か。それは――――。
気がつけば時計の針も十一時を指していて、明日も変わらず仕事のある俺たちの飲み会はお開きとなった。それから帰路について、床に伏すまでの間、俺はそんなことを考え続けていた。今年の秋のファン感謝祭、聖蹄祭で彼女と再会するまでは――――。
♯♯♯
常連の子たちを家まで送り、それから家路についたのはもうとっくに日が沈んだころだった。流石に帰ってきてさあ営業だ、とはなれなかったから、今日はおとなしく臨時休業ということにしていたが、とはいえちょっとした仕事がないわけではないので帰宅先は店の事務室だった。といっても2階はそもそも私の自室だし。おふくろが始めた頃から個人営業なのでその辺りの融通は利く。
パソコンの画面には先月の収入収支とか発注の用意とかその他いくつかの経営関係のデータなどが入力されている。カタカタとキーボードの打鍵音だけが聞こえていた。
……まあ、実のところこれらの作業は別に今しなければならないわけではないのだけれど。私情が入ると昼間のことが脳裏に過るから、こうでもしないと正直心がきつい。
「……うっわ。これ発注ミスってんじゃん」
思わず耳が垂れる。目の前の画面には発注先に頼んだ覚えのない品を1ダース程度発注しているデータがあった。もう取り消しもとっくにつかないし、諦めてどうにか消費するほかないらしい。調子の良し悪しであからさまに物事に影響が出るのはウマ娘の性だとしても、ここまできたらもう今日は作業する気にもならない。
あーもう。今日はムリ! はあ、と大きなため息をついて、事務室を出る。こうなったらもう自棄だった。どうせ余計な酒も近いうちに届いてしまうのだ。だったら今の内にいくつか消費してやる。そんなつもりでバックバーに残っている焼酎の酒瓶を引っ張り出した。
「まあ、適当なコップでいっか」
どうせ私しかいないし。今日ぐらいはいいでしょ。そんなことを思いながらぐいっと呷ると、特有の焼けるような感触が喉の奥を通り過ぎていった。そのまま一気に飲み干す。
「っはぁ……」
アルコール度数の高い液体が胃袋に落ちていく感覚が体温をほどよく温める。カウンターのテーブルに身体を預けて、ぼんやりと呟く。
「あーあ。失恋しちゃったなあ」
口をついて出た言葉は、存外軽かったけど、心の奥底にずんとのしかかる感じがした。胃の中のざわめきとあわさったそれは煩わしくて、二杯目を飲んで喉を焼いたけれど、酒精はそれを誤魔化してくれなかった。嫌な味だ。この銘柄結構美味しいはずなんだけどな。もしこのうっとうしい感じが俗に言う失恋の味なのだとしたら、あまりにも飲み合わせがよくない。……いや、十年引き摺った未練を肴にしているのだ。消費期限なんてとっくに過ぎている。マズくないわけがない。けれど酔いはそのときの気分を増幅させる作用がある。嬉しいときに飲めば嬉しさは倍増し、悲しいときに飲めば悲しみは大きく膨れ上がる。そうなるともう三杯目には味なんてわかんなくなって、あるのはただただぶつけようのない悲しみばかりだった。カウンターに突っ伏して、ぼんやりとスマホを見る。画面には電話帳に登録された、あの人の名前と番号だけが表示されていた。
「……あは、あれだけ一緒に走ってきたのに、最後に残ったのはこれだけって」
あまりにも情けなくて笑えてきた。泣きたいほど苦しいのに涙も出ない。感情と表情がリンクしていなくて、それがおかしくてたまらなかった。
「ん……くぁ……」
もはや投げやりになって四杯目を口にすると、とうとう頭の中もぼやけていって、一気に眠気に襲われる感覚に包まれている。夢と現実の差異すら判別できない。自分にしては珍しいほどの泥酔状態だった。
いや、意識の半分以上はふわふわしていて、夢の中に片足を突っ込んでいた。けれどほんの少しだけ開いている目は変わらずスマホの白い画面の中の、ミミズがのたくったような線と変な模様から放たれる光に入り込まれて、寝落ちまでには至らない。
「……ねよ」
画面の光がうっとうしくて、私はおぼつかない手つきで適当に操作すると、なんとか電源を切れたらしい。暗い画面に切り替わった。それを確認すると、満足した私はついに意識が飛んだ。そこからのことは、覚えていない。
### #### ####………………。