いやでもナイスネイチャは現役の時撃墜手段がトレーナーの一番を死守するしかなくて卒業後の連絡もないからそこ対策されたら三十路になるまでくっつけない恋愛弱キャラなんで〜   作:壬生谷

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薄紅色のエピローグ (4)

 夜。トレセン学園のファン感謝祭は今回もまた成功を収めた。閉会後、来場者のほとんどが笑顔で帰っていき、学園の生徒たちは模擬店や企画の成功を祝って、先日飲みに行った同僚達も担当らの相手に追われ、現在の担当はクラスメイトと打ち上げに出かけていったので、俺は学園の職員が住む社宅アパートの自室で珍しく一人での休日前夜を過ごしていた。

 

「…………」

 

 とはいえ降って湧いた余暇に何かそれらしいことをするわけでもなく、やることと言えばコンピュータに向かって担当の今後のレーススケジュールやトレーニング計画の制作とかレース映像の視聴など、普段の夜と何ら変わらないことをしている辺り、重度の職業病に罹患している自覚はある。トレーナーという職について十年以上経ってなお、ずっとこのようであった。そう、それは彼女の担当であったあの頃からずっと変わらず……。

 

「……。いかんな、集中しないと」

 

 かぶりを振って思考を元に戻そうとするが、彼女のことが頭からちらついて離れなかった。

 脳裏に浮かんだのは昼間のこと。十数年ぶりに彼女と再会したときのことだった。学園の校門前で思いがけず出会った彼女は綺麗だった。ツインテールだった髪を下ろし、ふわりと揺れる艶やかな赤みがかった鹿毛の髪に見惚れそうになるのを理性で隠して、純粋に、その再開を喜ぶように彼女に話しかけた。……尤も、互いに連絡を取り合わなかった負い目もあってか、彼女は気まずい様子を隠せないでいたが。

 それから側にいた彼女の知り合いらしい子どもたちが学園の模擬店のある方へと去って行くのを見送ったあと、俺たちはカフェテリアまで移動したが。結局あまり話すこともなく別れてしまった。

 

『その優しさは、トレーナーさんの奥さんに向けてあげてください』

 

 ご結婚おめでとうございます。そう言って去って行った彼女の目は何かを堪えているようで。制止の声を上げても彼女の足を止めることは出来なかった。

 そんな彼女に向けた手の先にはあのダミーの指輪があって。何のために今まで付けたのかわからないようなそれの存在が、あの時はなによりも恨めしかった。

 優しさなんて、向ける相手もいないのに。

 

「……………………」

 

 あぁ、ダメだ。思考が徐々にマイナスに振られていくのを感じる。

 こうなると作業の進みも滞り、ロクに仕事に集中できない。どうせ明日は休日なのだ。明日起きてからやることにしよう。

 そう考えてパソコンの電源を落とし、寝室に向かおうと立ち上がったそのとき、キーボードのそばに置いていたスマホが震えだした。

 

「……? こんな時間に電話か?」

 

 

 ### #### ####………………。

 

 

 一定間隔のバイブで着信を知らせるそれに手を伸ばし、着信元を確認しようと目を向けて、息が止まった。

 

 

『         拒否

 ナイスネイチャ 

          通話』

            

 

 見間違いかと思い、目を擦るが、画面は変わらず彼女の番号を示していた。まだ彼女は自分の番号を持っていたのか。そのことに言い様もない感慨深さと、何故今かけてきたのか。本当に彼女なのか。そんな疑問が過るも、いつまで経っても応答しなければ手元の震えが止まってしまうことに気づき、慌てて受話器のボタンをタップした。

 

「……もしもし」

 

『…………』

 

 返事は無言だった。やはり同じ番号のイタズラ電話だったのではないかと思った。けれどスピーカーから誰かの吐息のような音が聞こえたので、もう一度応答することにした。

 

「もしもし? ネイチャか?」

 

 これで返事がなければ切ろう。そう思いながら返事を待つこと数秒。けれど永遠のようにも思える沈黙を味わっていると、

 

『……んぁ。とれーなーさんのこえがする。もしもし~』

「!?」

 

 なんだいまの。

 昼間聴いた声からは想像がつかないほどにふにゃふにゃした声音がスピーカーから聞こえてきて、思わずスマホを取り落としそうになった。

 今の、本当にネイチャなのか……!? 想像とは違った状況に愕然としながらも、声を返した。

 

「ね、ネイチャなのか……? どうした……?」

『あは。とれーなーさんだぁ。おいっす~。ないすねいちゃで~す』

 

 ふにゃふにゃした声はやっぱりというか。まさかというか。変わらず彼女の声であるはずで、昼間の様子からは考えられないほどふわふわしていた。

 ……。…………。まさか、とは思うが。俺はそんな彼女の声を聴きながらある予想を立てた。……正直、非常に当たってほしくはないのだが。

 

「……ネイチャ。まさかとは思うけど、その。……酔ってる?」

『んえ~? ぜんぜんよってませんよ~?」

 

 ……流石にその返事を鵜呑みにできるほど『パカ』ではない。思わず天を仰いだ。おい嘘だろ。彼女、嘘だろ。酔った勢いで電話をかけてきたのか? だとすれば現在彼女はかなりの泥酔状態なのではないか。周りに誰か一緒にいる人はいるのだろうか。

 

「ネイチャ? 誰かと飲んでいるのか?」

『えぇ? うちのみせでひとりですよ~』

 

 あは~。などとやたらと上機嫌な声を漏らしているのを余所に、俺は頭を抱えた。いや、流石に見逃せないって。元とはいえ担当に酷い酩酊状態のまま電話掛けてこられたら。昼間の彼女の様子について考えていたことなどすっかり吹き飛んでしまった。それはそれ、これはこれであった。

 

「……とりあえず、今君の店にいるんだね? 一応、様子を見に行くから」

『……………………ふぁ』

 

 惚けたような返事というか、吐息というか。そんな声とも呼べない応答を是と取って、俺は電話を切った。

 ……一応、店と言っていたのだから、かつて彼女の御母堂と面談した際に赴いた商店街にあるスナックでいいのだろう。まあ、大丈夫かもしれないが、一応水だけ何本か買っていこう。そう決心しながら俺は外に出た。

 

 

 

 ♯♯♯

 

 

 

 商店街の通りはまだ飲み屋で賑わっていた。周囲の店から出てくる酔っぱらいの集団とすれ違い、数本のペットボトルの水だけ入れた鞄を持って歩く。十月の中旬を迎えると、秋は一気に深まっていく。夜風が木の葉をさわさわ揺さぶっているのを耳にひやりと聞くと、葉の裏にそれとなく漂っている冷気がどことなく肌寒く感じさせた。

 

(たしか、ネイチャのところのお店はこの辺りだったような……)

 

 記憶を頼りに見覚えのある道を歩いていくと、やがて記憶通りの店構えが街灯に照らされているのが見えた。しかし店の扉には臨時休業と書かれた札が立てかけられていた。いらないお節介だったのではないかと一瞬考えたが、とはいえ見過ごせないのは確かではあり、念のためドア横にあるインターホンを押した。

 

「……」

 

 返事はない。もう眠ってしまっているのかもしれない。ひゅるりと木枯らし混じりの夜風が背中を押す。やはりほとんど勢いで押しかけるような形で来るのは間違いだったのだと語りかけているようだった。それに促されるように踵を返し、帰路につこうとして。

 

 からん、ころん。

 

 進もうとした一歩が止まる。ガチャリ、という音とともに扉がドアベルの鐘を僅かにくすぐったあと、つい先ほど耳元でささやかれた声が聞こえた。

 

「……んう、どちらさまですか~?」

 

 畢竟、振り返ると扉の隙間から顔を覗かせる彼女がいた。てらてらと明滅する街灯だけが辺りを照らしているためか、顔は暗がりに隠れていて、とろんと垂れた目元がかろうじて見えていた。彼女はこちらをそんな気怠い目でじぃと見たあと、幾ばくかして俺に気づいたらしい。

 

「あれ~、とれーなーさんじゃないですか~。ほんとにきたんだあ」

 

 くしゃりと笑いながら扉を開けた彼女は「きょうはりんじきゅうぎょうなんですけどぉ」と言いながら、こちらを手招きする。一瞬の逡巡の後、俺は彼女の店の中に入った。

 店内の明かりは必要最低限のものしかつけておらず、少し暗かった。かろうじて洒落た内装が窺える店内ホールの、カウンター席の一席には焼酎の一升瓶と、その中身が少し残ったガラスのコップが鎮座していて、あまり酒に詳しくないので、瓶の達筆なラベルを見て上等そうな印象だけ抱いていると、彼女はその席に座って言った。

 

「これね、さっきまでのんでたんだよね~。とれーなーさんものむ?」

「え、あ、ああ……」

「おっけー」

 

 否応もなく焼酎の中身を注がれたあと、言われるままにコップを押しつけられた。おそらく彼女が使っていたものであるのは言うまでもない。これで飲んでいいものか、と躊躇っていると彼女は不満そうに口をとがらせた。

 

「もう~、なんでのまないのさ。ぐいっといきなよ~」

「わ、わかったって」

 

 半ば強制的に促されるままにコップに口をつける。人よりアルコールに強いはずのウマ娘をここまで酔わせるのだ。かなり強いのだろうと思いひと嘗め程度に飲み込んだが、それでも想定よりもずっと強いものだったらしい。猛烈に喉が焼ける感覚に襲われた。思わず咳き込みそうになったが、懸命に耐えた。

 

「お~、とれーなーさんいがいとのめるクチなんだ~」

「ん、ぐ。……こんなの飲んでたのか……?」

 

 酒瓶の裏を見て度数を確認すると、案の定すさまじい数が表記されていて、絶句する。一瞬誤植かと思いかけるほどだった。

 俺が衝撃を受けているのもよそに、彼女はへへへ、と笑って、言った。

 

――アタシね、こうやってとれーなーさんと飲むの夢だったんだよねえ。

 

「……ネイチャ」

「おとなになって、この店継いだらまずさいしょにとれーなーさんに言いたかったんだけどね。けっきょく日和ってれんらくもできなくてさー。きがついたらもうこんな歳じゃん」

 

 わらっちゃうよね。彼女は嘆息して続ける。酔いは覚めていないのだろうが、呂律の回りが少しなめらかになっていた。

 

「そんでようやくとれーなーさんとあったのにさ。なんかいつのまにか結婚してるじゃん。そういうのちゃんと言ってよねえ」

 

 こんなになるまで初恋ひきずらずにすんだのにさ。上半身をカウンターに預けながら、俺を見て言った彼女の瞳には切ない諦念が宿っていた。

 

「あは、言っちゃった。あの頃いえなかったのにねー。しつれん確定した後に言うとか、メイワクにきまってるのに」

 

 なにがとれーなーさんのいちばんは譲らない、だ。いつの間にかとっくにごーるされてんじゃん。もう。くだを巻いていた彼女の声は次第に寂しげに震えた声へと変わっていって、最後にそう話したときには、彼女はしゃくり上げるような呼吸をしていた。そしてそれに呼応するように、彼女の目にはだんだんと涙が貯まっていって、それが仄暗いこの空間できらりと光った。

 

「うぅ、っ、ごめんなさい、こんなことっ、言われ、ても。もう、こまるよね。っもう、とれーなーさんはとれーなーさんじゃないんだから。イマサラすきとかアイしてるとか言い出すのとか、メイワクなだけだよね……っ」

「ネイチャ……俺は……」

「なにもいわないで……っ! よけいツラくなるだけだから……っ!」

 

 嗚咽を漏らしながら堰を切ったように泣きじゃくる彼女を前にして、ただ彼女の背中をそっと摩ることしかできない俺は、己の不始末を自覚した。担当ウマ娘との関係を拗らせるのを防ぐための方便が、結果的に彼女を苦しませることとなった。彼女があの頃秘めていた想いを察しておきながら、見ないふりをした怠惰のツケが今になって返ってきたのだ。それを不始末と言わずになんというのだろう。心の呵責が渦を巻き、自分への怒りばかりが積もる。恥と自責の念が己に鞭を打ち、その責任を取ることを命じていた。

 責任。責任とは何か。この過ちを禊ぐ責任とは。……本当はどうするべきかは見当がついていないわけではない。しかしそれはあまりにも俺に都合が良い選択で。ともすれば弱みにつけこむような、そんな卑怯な選択にも思えて仕方がなかった。

 

「……ン……ぅう……」

「………………」

 

 いつの間にか彼女は泣き疲れたのか、嗚咽も収まって寝息を立てていて、背中を摩っていた手を止める。左手薬指には未だに赤い宝石があった。無機質な光を僅かに反射するそれは、どこかポインセチアの花のようで、あの時の彼女を見ているようだった。それは彼女を支えるためにトレーナーになった。そう考えていたことを思い出させた。

 それがきっかけになったのかはわからないが。

 

「…………よし」

 

 コップに残っていた焼酎で喉を焼く。悶えそうになるほどのアルコールはある種の発破にはなった。

 覚悟を決める。俺が彼女のトレーナーという立場でなくとも、彼女を支えて生きていくという決意が、この瞬間に固まった。

 だから、まあ。そう。まずやるべきことと言えば。

 

「……とりあえず、寝かせてやるべきか」

 

 起こさないように可能な限りゆっくりと彼女を背負う。流石に何処に寝室があるのかなどわかるはずもないのだが。まあ何となくここら辺だろうと当たりをつけて、店の奥のほうへと歩いていくと、二階へと通じる階段があって、上がった先の扉を開けてみるとそこには彼女の自室らしき空間があった。あまり人の部屋を見回るものでもないし、彼女の眠りを妨げないように足音を潜めて部屋の電気をつけないまま、彼女をベッドに運んだ。

 

「……ネイチャ」

 

 毛布を掛けてやって、改めて彼女の顔を見る。顔立ちはあの頃よりも大人びていて、綺麗だった。そんな彼女にずっとそのように想われていたのなら、一生をかけてそれに応えたいと思った。

 

「おやすみ」

 

 そっと部屋を出る。……半ば不法侵入じみた状況なので、混乱させてしまうかもしれないが。明日、彼女が起きたら、話をしよう。そうすることにした。

 

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