いやでもナイスネイチャは現役の時撃墜手段がトレーナーの一番を死守するしかなくて卒業後の連絡もないからそこ対策されたら三十路になるまでくっつけない恋愛弱キャラなんで〜 作:壬生谷
朝。カーテンの隙間から漏れる日差しが目蓋を照らす。薄く目を開くと自分の部屋にいたことに気づいた。……そうだ、昨日割と強いの飲んだんだっけ。自分の部屋まで戻った記憶もない辺り、かなりの深酒をしたらしい。それでも二日酔いになってないのはウマ娘の頑丈さ様々だった。そんなことを考えていると、昨夜あまり食べていなかったせいか、くぅ、と胃が空腹を訴える音がした。
「……あさごはんたべよ」
あまり頭が働かないけれど、何かしら食べたい気分だったのでとりあえず起き上がって下のキッチンまで降りようと扉を開けた。
「……? なんかいいにおいするんだけど」
階段の下から香ばしい匂いが漂っている。……誰かいる? おふくろか弟あたりが急に来る連絡もなかったはずだ。不思議に思って降りてみる。仮に泥棒だった場合を考えて、スマホに110番を入力し、いつでも発信できるようにしながら、こっそりとキッチンを覗く。すると見覚えのある後ろ姿があった。というか。
「…………トレーナー、さん?」
…………。どうやらまだ夢を見ているらしい。いや、だってさ。ありえないって。朝起きたらキッチンにあの人がいるとか。しかもわざわざ買ってきたらしい食材が用意されていて、それで手料理を作ってるとか、ありえないって。ほんとに。
「……? ああ、ネイチャ。おはよう。すまないな、勝手に朝食を作らせてもらっているんだが……」
「え、あ、はい。大丈夫です」
いやいやいやいや。なんか普通に会話できるし。夢なのに。明晰夢にもほどがある。現実と思いそうになってたまらない。
「とりあえず二日酔いになってないかだけ心配だったからしじみの味噌汁と雑炊にしようかと思ったんだが……。その様子なら心配なさそうだな」
「ど、どうも」
どうやら夢の設定的には昨日あの人と飲んだらしい。都合良すぎない? めっちゃ失恋引きずるじゃん、私。と、思いつつ。目の前で湯気を立てている鍋の中身を見ると、なんだかほっこりしてしまう。優しい味の出汁の香りに食欲がくすぐられる。……いや、あまりにもリアルすぎない? 本当に夢?
「ちょ、ちょっと顔を洗ってきます」
嫌な予感がした私はあの人の返事も待たずにバタバタと洗面所に駆け込み、蛇口を捻る。両手に溜めた水道水をばしゃりと顔にかけると、言うまでもなく冷たい感覚が鮮明に伝わってきた。それのせいで嫌な予感が確信に変わりそうなのが怖くなって頬をつねった。
「……痛い、ってこと、は」
ひゅ、と思わず息が止まる。
今の状況は夢じゃなくて現実で。つまりあの人は本当にここにいるということで。昨日あの人と飲んだらしいというのもマジで。日にちまたいでここにいる、ということ、は。
「す、すきゃんだる」
最悪の想定なんだけど。まさか私はやってしまったのか。失恋のあまりあの人をここに呼び出してウマ娘の力のまま襲ってしまったのではないか。いやでもあの人は平然としてるしというかなんで平然としてるのもしかして合意の上でそういう関係になったのではないかいやでもあの人に限ってそんなことするはずないし――――!
「というか、ゆめといえば」
なんか普通に夢を見たような気がする。飲んだ後眠くなってそのまま寝落ちしたつもりだったから記憶が曖昧だ。少し夢を思い返す。すると電話かけたような気がしてきたので通話履歴を見返すと、今までかけずじまいだったあの人の電話番号があって。
それを見た瞬間、
『……んぁ。とれーなーさんのこえがする。もしもし~』
『ね、ネイチャなのか……? どうした……?』
『あは。とれーなーさんだぁ。おいっす~。ないすねいちゃで~す』
『お~、とれーなーさんいがいとのめるクチなんだ~』
『ん、ぐ。……こんなの飲んでたのか……?』
『うぅ、っ、ごめんなさい、こんなことっ、言われ、ても。もう、こまるよね。っもう、とれーなーさんはとれーなーさんじゃないんだから。イマサラすきとかアイしてるとか言い出すのとか、メイワクなだけだよね……っ』
『ネイチャ……俺は……』
『なにもいわないで……っ! よけいツラくなるだけだから……っ!』
全てを思い出した。思い出してしまった。
「あ、ああ!! あああああああ!!!!」
悲鳴を上げ、顔から火が出る思いをしながらバタバタと急いで戻ると、あの人はやはりキッチンにいた。あの人は慌てた様子の私を見て、「ど、どうした?」と困惑した声を上げた。
「と、ととととトレーナーさん、さっささ昨夜はとんだご無礼を……!!」
「ね、ネイチャ!?」
「た、多分しでかしてはないとは思うんですがお、おおおお奥さんに知られたらら」
「と、とりあえず落ち着こうかネイチャ」
「いいい慰謝料なら払いますのでコトが大きくなる前になかったことにしたほうがががが」
「ネイチャ! 落ち着け!」
「は、はいっ」
混乱する私は、慌てた様子のあの人に両肩を捕まれて、前後にゆさゆさと揺さぶられて、ようやく落ち着いた。あの人はそれを見て、ふう、と一息つきつつ、鍋の火を止めた。「一旦、ご飯を食べながら話そう」と言ったので、それに従い近くのテーブル席まで朝食を持って行く。二日酔いを想定された優しい味のしじみの味噌汁はようやく私の混乱を沈静化させた。
「……とりあえず、誤解を解こうか」
あの人は私と向かい合った席に座って、どこから話そうか、と顎に触れて考え込む仕草をしたあと、「結論から言うんだけど」と言う。そして左手の――左手薬指のエンゲージリングを外してみせた。えっ、と声が出た私に苦笑しながら、あの人は言った。
「実はこれ、ダミーなんだよな」
だから俺に、結婚している相手はいない。だから間違いは起こってないよ。そんなことを宣ったので、私は開いた口が塞がらなかった。
「な、なんでっ」
「それこそ、職場で間違いを起こさないためだね」
「……つまり、わ、私が酔った勢いでトレーナーさんに自爆特攻したのも、夢?」
「……それは夢じゃないね」
思わず天を仰いだ。それも誤解であってほしかった。あの人に相手がいなかったという安堵と一番見られたくない姿を見せてしまった羞恥で情緒がめちゃくちゃになって、
「も、もうおよめにいけない」
つい、そんなことを零した。いや、だってさ。普通ヤでしょ。十年も想い続けるような重い女がさ。酔った勢いで電話掛けてきてさ。それでギャン泣きしながら感情を押しつけてくるの。迷惑にもほどがあるでしょ。流石に。
「そっか。行けないか。お嫁に」
「ウン……」
「多分ソレ、俺が原因だよな」
「ウン……」
「じゃあ、責任取って君の気持ちに応えるべきだよな」
「ウン……。……。……? ……はえ?」
現役のときにも思ったけどさ。『この人』、多分見る目ないと思う。じゃなかったらテイオー辺りをスカウトしにいったりせずに真っ先に私の元にきたりしないし、私がURAファイナルで彼女に勝つようなところまで行かせたりしないし、その後卒業するまで支えてくれたりしないし、なんならその時の恋を未だに引き摺るアラサーのヤバい女を受け入れたりしないって。
ただ、まあ。その。そんなこの人の選択を喜んでしまう自分がいる辺り、惚れた弱み握られたら勝てないんだな、って。
♯♯♯
秋も終わると冬が来て。
冬が過ぎ去ると、やがて春になるのに時間は掛からなかった。
「おはよう、ネイチャ」
「ふあぁ……。おはよ、――さん」
暖かい季節になった。先週春一番が吹いてからというものの、瞬く間に春の陽気が差し込むようになった。もう間もなく桜も咲き始める頃合いだろう。新しい生活への変化が到来する、そういう気風だった。
変化、と言えば。あれから私たちの関係は変わった。同じ屋根の下で生活するようになったこととか。この人を名前で呼ぶようになったこととか。それと――
、
「…………んふふ」
「……!」
布団の中でそっとこの人の手を握り締める。指を絡めて握ると、ぎゅうと優しく握り返してくれた。そのまま少しだけ手を握る力を強めると、この人も同じくらいの力で返してくれる。彼の指先は私の薬指に通るものを触れている。あのときこの人が付けていた指輪。そのもう片方。それが私の左手薬指にあった。偽物は本物に、ひとつはふたつになった。
私たちの関係が進んでから、真っ先にしたことは周囲への報告だった。お世話になっている商店街の人たちやトレセン学園時代から交友が続いている友人たち、それとこの人の同僚の人たちは、そのことを知るなりやっとか、と言わんばかりの顔を浮かべたのは遺憾だったが、みんな祝福してくれたのは変わらなかった。意外なことに互いの家族への報告については思ったよりもあっさりと終わった。両親は学園のころからこの人を知っていたのもあったが、当時はまだ小さかった弟も我が事のように喜んでくれていた。この人のご両親も、初めて会うなり私のことを娘のように可愛がってくれて。式も先なのに、できるだけ早くに初孫を見せてやりたい、と思ってしまったのは気が早かっただろうか。
「朝ご飯、食べよっか」
「そうだな」
少し時間は早いけれど、布団から出て、寝間着のまま寝室を出て、台所へ立つ。彼が味噌汁を作っている間に私が卵焼きを作る。その間に炊飯器が炊き上がりを知らせる音を鳴らした。
出来上がった料理をそれぞれのお皿に盛り付けて食卓へと運ぶ。二人分の箸を用意して、向かい合って座って手を合わせる。
もういつも通りになった朝食の風景だ。だけどそこにあるのはふたり分の人生で。これからはずっと続いていく人生だ。そう思うだけで胸の奥が熱くなるような感覚を覚える。
いただきます、と言って二人で食事を摂り始めた。
「今日からだよね、学園の新学期」
「ああ。今担当してる子は今年から本格化が来る見込みだからな。そろそろ忙しくなりそうだ」
「そっかそっか。じゃあデビュー戦のときは私も見に行こっかな。ちゃんとトレーナーしてるのかも、ね?」
「おいおい……」
冗談めいた口調で言うと彼は苦笑した。差し入れぐらいは定期的に持って行ってあげようかな、というまだ会ってもいない後輩ちゃんを可愛がる決意をしつつ、食事を終えて身支度を整える。化粧をして、髪を整える。その間に彼も折り目正しいスーツをきっちりと着て、ネクタイを締める。最後に玄関の前で向き合うと、
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
二人同じ言葉を交わし、唇を重ねた。軽く触れるだけのキスをしてから互いにくすりと微笑みあって家を出る。鍵を掛けてエレベーターに乗り込むと、ふと彼の手が私の手に重ねられた。そのまま手を繋いで指を絡められる。私はそれに応えるように握り返した。
一階に着いたら、どちらともなく手を離す。触れた手のぬくもりがしばらく残っていて、名残惜しい気持ちになった。エントランスを抜けて外へ出る。
「あ」
柔らかくて甘やかな香り。花信の便りが届いたのを感じる。見上げるとはらりと花霞が踊っている。春が咲いていた。「綺麗……」と思わず溢すと、横にいたこの人もああ、と頷いた。
「ここまで満開だと夜になったら夜桜も楽しめそうだな」
「おー、いいですねえ。じゃあ帰ったらさ、お花見しようよ。良いやつ持って帰ってくるからさ」
「ははっ、期待して帰るよ」
帰ってきたらどっちが「おかえり」って言うかな。なんてことを考えながら、私たちは歩き始めた。
薄紅色のエピローグの、その先へ。
連載としてはこれで完結となります。
読了ありがとうございました。感想、高評価、ここすきなどお待ちしております。
同じ合同誌に寄稿してたフォロワーにこれ見せたら
「壬生谷ってめんどくさい人間関係とかキショい感情書くの上手いよな」
「やっぱ本人がキショいから……」
って言われました。ゆるせねえ〜〜〜〜〜〜