ヤツカダキ恋奇譚   作:77493

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ヤツカダキ恋奇譚 壱日目

 

 

壱日目

 

 

目の前に打ち捨てられた死骸を見下ろす。

かつて黄金色に輝いていた体内器官と、それを濃く映し出す絹糸は、剣の刃か槍の先端で無残に引きちぎられていた。

緑色の体液はすっかり乾ききっていて、斬撃の合間に刈られた草ともども、湿った地面の上に規則性のある弧を複数描いている。

大きなものが一つ。更には小さいものが、一つ、二つ、三つ、四つ……声にも音にも出さず、悲哀に染まった吐息だけが、亡骸の軌道をなぞっていった。

 

『全部で、やっつ……私の大切な友と……彼女たちの、こどもたち』

 

腕を伸ばし、つるりと滑らかな自身の顔を覆う。荒れ狂う感情のままに掻きむしろうとして、しかしそれは取り止めた。

さながら、石榴石をつぎはぎしたような美しい自身の前脚。飛竜の甲殻さえ容易に貫くそれでは、同程度の耐久性を持つ顔面の表面すら傷つけられない。

そうだ……嘆き悲しむより先に、自分にはまだやるべきことがある。

のそりと重い四肢を引きずるようにして、湿気と泥土に塗れた森の奥地からひとり抜け出した。

 

 

 

 

『……それで、被害のほどはどんな感じかな?』

『先週と似たような具合だ。長(おさ)よ、このまま放っておけば、奴らは種族ごと消されかねんぞ』

 

朽ち果てた高木と木造家屋、生い茂る竹林に、視界にちらつく雷光虫の群れ。

苔むし、ひっそりと月光に照らされるだけの広大な景色の中。むっと濃く漂う霧のその奥に、ひそひそと何者かの話し声がする。

片方は、霧にまぎれるように巨大な体表のあちらこちらが透けていた。

きょろりと忙しなく上下左右を見渡す眼は淡い藤色で、独特の凹凸を乗せた丸みを帯びている。

 

『いくら森の奥に隠れ潜んでいようと、密猟を謀る不届き者がおるならば意味がない。いっそ森の連中を総動員して、奴らの里ごと滅ぼすべきだ!』

 

もう片方は、怒りをあらわにして口髭を揺らした。体表は黒に近しい焦げ茶色で、髭や長い尻尾の先端に黄金の泥土が点々とこびりついている。

憤慨に燃えるその顔は、ナマズかドジョウのようにぬるりと泥で濡れていて、ただでさえ恐ろしい貌が余計に恐ろしく見えてくる。

しかし彼が怒り狂うのは大抵、高い自尊心に傷をつけられたときか、あるいは仲間内で何か異常があったときだ。

今回は正にそれで、まさかその風貌と気質が災いして多方に「翁」と称されているとは知りもしまい。

故に長身のそれが声を荒げて池を騒がせる度、藤色の怪物は心底愉快とばかりに笑うだけだった。

翁と呼ばれる黒い海竜はまたしても髭を揺らしたが、この地を広く束ねる怪物はうんうんと首を曖昧に振るばかりで、まるで堪えた様子がない。

 

『さて、オロミドロ。此度の件、肝心要の主役のご登場だよ』

 

藤色の怪物がゆっくりと、オロミドロの背後に視線をやる。

何を、驚き半分といった体で振り向いた翁は、山肌に開いた巨大な空洞からのそりと白い影が現れたのを視認して黙り込んだ。

 

『……長よ、この地を統べる、姿隠しの達人よ。私どもを……お助け下さい』

 

それはオロミドロより体長は短く、また藤色の長より少しばかり小柄だった。

しゃなりしゃなりと歩み出る姿は、まるで白無垢に身を包んだ年若い花嫁のように見える。

白無垢とは妙なたとえで、実際にはそれは白く強靱な蜘蛛糸だ。濃く艶めく紫色の体表を、複雑に織られた蜘蛛糸が美しく覆い隠しているのだ。

……それの名は、ヤツカダキという。人里離れた森の奥で、ひっそりと息を殺すように生きる怪異の一つだった。

のそりと、前脚に隠されていた顔が露出した。つるりと滑らかな赤黒い顔面は、先ほどの友たちの最期を憂いて濡れている。

 

『ヤツカダキ。確かに僕は姿隠しが得意だ、けれどそれが今、何の役に立つだろう』

『お願いです。これ以上、私は友を喪うことに耐えられません。どうか私に、この恨みを晴らす機会をお与え下さい』

『恨み? 恨みと今、言ったのかな。正直、僕はそれを許すわけには……』

『どうしても駄目だと言うのなら、私、この姿のままひとりで人間の里に向かいます。たとえそこで朽ち果てることになろうとも、もはや黙ってなどいられません』

 

人間。彼らモンスターと称される生き物とは全く異なる生態と思考を持つ、二本足の非力な生命体。

世界に広く生息していながら、多勢で群れることで初めて力を発揮する獣たち。

藤色の長をはじめ、古来より多くの仲間が奴らに翻弄されてきた。

此度においては、無数の同胞がそのこどもごと犠牲となった……森の奥に身を潜ませて暮らしてきたヤツカダキからすれば、この蛮行を許せるはずがない。

 

『ハンターだか何だか存じませぬが、私の友を無差別に殺して回った。これで恨まずにおれましょうか。長よ、どうか止めないで下さい』

 

仇討ちだ――決して許さぬと八つの眼を光らせるヤツカダキを見て、長は短く嘆息した。

 

『……わかった、わかった、わかったよ。では、とっておきの秘術を君に貸してあげよう』

『なっ、お、長よ、正気か!?』

『おやあ、反対する道理があるかい、オロミドロ。それに、今は何を言っても無駄だろうからね』

 

人間たちは、自身の暮らしを安定ないし発展させる為に平気で他者の命を奪う。

曰く、これはモンスターとの共存行為であり、モンスターの命とは自然の恵みであり、それらに対する感謝の念はきちんと存在しているという。

しかし、果たしてそれがどこまでを指すのかは、長であるオオナズチにも理解が及ばないときがあった。

 

『そうだなあ。そのまんま、テスカトたちと落ち合うときのにしようか』

 

白い霧が余計に濃く立ちこめる。オロミドロが当惑している間に、いつしかヤツカダキの姿は先の巨大蜘蛛のそれと大きく変化していた。

花崗岩で塗り固めたような白く艶のある髪に、伏せがちな目には金色の瞳が光る。細く、今にも折れそうな長い四肢を隠すのは上品な風合いの白い着物だ。

 

「こ、これは……人間そのもの? 長よ、この姿は!?」

『うんうん、いいのじゃないかなあ。それはね、ヤツカダキ。僕等が人里を観にいくのに用いる術だよ。容易に解けるものじゃない』

 

池に映った自身の姿を見て驚くヤツカダキに、オオナズチは常のように怪しく、至極楽しげに笑った。

 

『いいかい、よおくお聞き。その術は今日から八日間、今の姿を維持するだろう。けれど一時でも八日を過ぎれば、たちまち元の蜘蛛の姿に戻ってしまう。それまでに、必ず森のねぐらに戻るんだよ』

 

ついでにこれも、と紫色の液体が満たされた小瓶も受け取った。オオナズチ曰く、自身の毒霧を限界まで濃縮したとっておきの毒薬だという。

ヤツカダキは、小瓶を胸元に潜ませてもう一度水面を覗き込んだ。誰が見ても、この娘が巨大蜘蛛なのだとは思うまい。

 

『僕が人里で学んだ知識も与えてある。けれどね、勘のいい人間というのは何処にでもいるものさ。決して油断してはいけないよ』

 

言われた通り、立つ、歩くといった基本の動作だけでなく、一度口を開けば人間の言葉も発することさえできた。

これで人間の里にまぎれ込むことができる、そうすれば友を殺した奴らに報復することも夢じゃない……

ヤツカダキはオオナズチに頭を深く下げ、着物が乱れないよう注意しながら門をくぐり出て行った。

 

『……長よ、本当に大丈夫であろうか。あれは意外と、短気なところがあるのだし』

『だからこその八日間だよ、オロミドロ。あの子もすぐに駄目だと知るはずさ、人間だって色々いるからね』

 

白い霧が再び濃くなる、森を統べる者たちを掻き消していく。

ぽたりと池の咬魚が跳ねた後、そこには誰の姿も残されていなかった。

 

 

 

 

 

 

長と翁の二頭と別れた直後、ヤツカダキは目の前に現れた光景に息を呑んだ。眼前、見上げた先に短い青色の毛を持つ巨体が堂々と佇んでいる。

普段は全く歯牙にも掛けない相手だ。

怪異としての実力差はもちろん、自身が操る強力な火炎ガスとの相性も悪く、顔を合わせればまず向こうから立ち去ってくれる程度には。

 

「アオアシラ……?」

 

しかしそれも、普段であるならば、の話だ。今目の前に立ちふさがるこの青熊獣は、全身の至るところに無数の傷を負っている。

ただごとではない。ヤツカダキが一歩下がろうとした瞬間、それは両前脚をがばりと天高く掲げ、低い声で怒声を張り上げた。

明確に消耗し、痛みのあまり怒り狂っている。

 

「待って、私は!」

 

叫んだ直後、ヤツカダキははっとした。振り下ろされた爪を避けながら、糸を手繰ろうとした手が宙を空振る。

蜘蛛糸が使えない! 考えてみれば今の自分は非力な人間そのものだ。

怪異同士でなんとなく通じるはずの言語を放っても、アオアシラには全く通用した様子がない。

姿形だけではない。纏う気配も、足を動かすスピードも、発声器官も、全ての要素が人間のそれなのだ。

オオナズチの言葉は決して大袈裟なものではなかった……頭が真っ白になり、刹那、ヤツカダキは着物に足を取られて転倒した。

 

「い……っ!」

「――目を! 目を閉じろ!!」

 

悲鳴も上げられずに頭を抱えた、次の瞬間。ふと、ヤツカダキは鼓膜に何らかの音を聞いた。すぐさまその声に従って、うずくまったまま固く両目を閉じる。

そのときだ。カッと視界が目映く輝き、全ての音が遠のいた。呼吸することも忘れて、強烈な光が止んだ後、すぐに顔を上げる。

 

「だっんっなっさーん!! 大タル爆弾、いっちゃうニャー!?」

「ぎゃああ、バカーッ! あかつきぃ! お前、また全部吹っ飛ばす気か!?」

「ワンワン! ワオーン!!」

 

そこは、混沌と化していた。濃い鮮やかな青色の服に身を包んだ一人の男が、似たような防具を纏ったアイルーと牙獣ガルクに翻弄されている。

否、翻弄されているというよりは振り回されていた。

アオアシラを囲んで好きに攻撃を加える彼らを見て、ヤツカダキは「とんでもないところに出くわした」と歯噛みする。

 

「ラスト! 鉄蟲糸技、風車!」

「ニャー……旦那さん、ソレほんっと好きニャー。何とかの何とか覚えニャ」

「暁ぃ! 爆弾好きのお前に言われたかないわ!!」

「クゥン! ヒィン!」

「とーもーしーびー! お前も暁を止めとけよ!!」

 

鮮やかな青緑の甲殻と、それに備えつけられた淡黄の角が美しい一振りの剣、丈夫な盾。

振るう度にパリパリと電撃の軌道を描くその刃は、その男が「ハンター」と呼ばれる怪異を狩る立場の人間であることを教えてくれる。

ヤツカダキは座り込んだまま、拳を固く握りしめた。

あれらの刃が、容易く友らの命を奪っていったのだ……想像しただけで、怒りで我が身が燃え盛るように思えた。

 

「シビレ罠、シビレ罠はー……暁、灯火、下がってろ!」

 

よだれを垂らし、息も絶え絶えといったアオアシラは、男が地表に埋め込んだ罠に容易に足を取られた。

そのまま赤茶色の手投げ玉を投げられ、瞬く間にその場に崩れ落ちていく。いとも簡単に、あの巨体が人間によって囚われの身となったのだ。

……逃げなければ、そう思った。

自分の正体が見破られた日には、あの青熊獣のようにあっという間に捕まるか、殺されて体を好き勝手に弄られるかに決まっている。

冗談ではない! 立ち上がろうとするが、何故かその場から動けなかった。よく目を凝らせば、着物に隠されていたはずの足ががくがくと震えている。

 

「もう、こっ、こんなときに……」

「おーい、君、大丈夫?」

「ひっ!」

 

ヤツカダキはついに悲鳴を上げた。見上げた先、先の狩人が手を差し出しながらこちらを見ている。

 

「や……こ、こないで……わ、私は大丈夫ですから」

「え、でも……」

 

ここは意地だ、ぐっと奥歯を噛みしめて立ち上がる。男は面食らったように目を白黒させていた。

乱れた着物の裾を手早く直し、怪しまれないようににこりと微笑みかける。さらりと白い髪が揺れ、月光を柔らかく照らしとっていた。

 

「助けて頂いて、ありがとうございました。商団と、その……はぐれてしまって」

 

心にもないことを吐いている、もっともらしい嘘を吐きながら、ヤツカダキは内心で男を見下していた。

古くから、この辺りが人里と人里をつなぐ一種の貿易路となっていることは知っている。

恐らくこの男は、たまたま姿を現したアオアシラが商人たちの邪魔をしているとの報を受けて狩りに出てきたのだろう。

気取られないよう、容姿を観察した。まだ若い雄だ、恐らく二十数年ほどを生きているはず。

鍛えられた体つきに黒髪黒瞳、凛々しくも優しげな光を宿す眼差しに、磨き抜かれた片手剣。

装備と先の立ち回りから察するに、腕前はそこそこといったところだろうか。

一方、狩りの支援を担う二匹のうちアイルーは興味津々という体でこちらを見上げ、ガルクは身を低くしてうなり声を上げていた。

こちらの方がよほど狩人としての危機感を有しているわ――薄花色の毛の若い牙獣を柔らかい眼差しで見下ろして、ヤツカダキはふと視線を前に上げた。

 

「……」

「……? あの?」

「えっ? あっ、いや、な、なんでもっ」

 

何でもない、そう言おうとしたのか、男は思いきり舌を噛んだ。がぶり、という鈍い音がこちらまではっきり聞こえたほどだった。

大きく肩を跳ね上げた後、立ったまま一人で悶絶している。それを、アイルーはへらへらと笑いながらからかい、ガルクは心配そうにヒンヒン鳴きながら見上げていた。

ヤツカダキは、ぽかんとして彼らの様子を見つめていた。青熊獣の返り血に塗れていながら、彼らは楽しげに笑い合っている。

 

(やはり……私の友らを殺したのは、この男なのかもしれない)

 

手のひらに爪が食い込む感触があった。ぐっと歯噛みして、次の瞬間にはまた優しく微笑み返しておく。

男はまた、うっと息を詰まらせて黙り込んだ。みるみるうちに、その顔が赤く染まっていく。

 

「う、あ、その……君、商団からはぐれたんだろ? 行く当てはあるのか」

「えっ? いえ、それが……どうしましょうね」

「そ、そうか! だったら俺の家に来ないか? 商団が迎えに来るまででいい、ほら、この辺は何かと物騒だし……」

「おやー、旦那さん? へたれのくせにナンパしてるのかニャ?」

「あ、暁ぃ! お前っ、変なこと言うなよ! 俺はただ、困ってるかもしれないからって!!」

 

この男の家に転がり込めば、そうだ、仇討ちも容易になるかもしれない――袖に潜ませた毒薬を飲ませでもすれば、一気に仕留めることだってできる。

ヤツカダキは微笑みながら頷いた。男は今度こそ顔を真っ赤にして、なんとか体面を繕おうとして口を真一文字に結ぶ。

 

「お、俺はヨイチ。夜一っていうんだ。君は?」

「えっ……ああ、その、ツヤ……艶と申します」

 

名前を聞かれて、一瞬たじろいだ。そうだ、人間は互いを認識する為に、生まれた折にそれぞれ固有の名前をつけ合うと聞いている。

急遽、ヤツカダキの字をなぞって艶と名乗ることにした。男は「艶か、いい名前だ!」と頬を染めながら何度も頷いた。

馬鹿な男だ、ヤツカダキは笑みを零しながら夜一の誘導に従った。

遠く煌々と燃えるかがり火が、小さな人里の周りを人魂鳥のようにぐるりと取り囲み、夜の外気を赤く染めている。

 

 





……

執筆開始日:21/06/26
サイト公開日:21/06/29

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