ヤツカダキ恋奇譚   作:77493

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(注)本来翔蟲を発見、使役できるよう訓練したのはウツシ教官です

……



ヤツカダキ恋奇譚 陸日目(3)

 

 

滝の横から崖下めがけて飛び降りて、翔蟲を繰りながら着地と同時に疾駆する。ひたすら、ただひたすら先を急ぐ。迷う余地も躊躇う暇もない。

ススキの原を駆け抜け、石でできた大鳥居をくぐり、俄に湿気を感じる竹林のその奥へ。けたたましく鳥が鳴き、いくつかの羽ばたきの音が頭上を過る。

切らした息は一歩、二歩と速歩を落とすことで強引に整えた。眼前、立ち塞がるようにして現れた小柄な怪異数頭をじっと睨む。

長く柔らかな体毛の、橙と白色の対比が鮮やかな怪異だった。どこか愛嬌のある顔立ちとは裏腹に、その爪と長い尾の先端の鎌は爪のように尖っている。

 

「――どいてくれ」

 

自分でも異常だと思えるほどの冷たい声が、喉から絞り出された。腰に下げた剣の柄に触れながら、じり、と間合いを詰める。

刹那、一際大きな体の怪異が天空目掛けて威嚇の声を上げた。静まり返っていた竹林が俄にざわつく。

 

「いや、いいや。そのままでいい」

 

軽快に跳ね、飛び掛かってくる小型の怪異たち。小柄といえど、その爪牙は、尾の鎌は、人間の皮膚や肉を裂くには十分な鋭さと強度を誇る。

……夜一は右半身を半歩分後ろに下げ、次いで前に姿勢を前傾し、刹那のうちにまた、駆けた。

暁にそろそろ切った方が、と言われていた前髪が視界を掠め、次の瞬間にはオサイズチたちの包囲と竹林のうち一つを抜けている。

 

『――ヨイチ。いいか、モンスターを無理に相手にする必要はないんだ。必要なときに必要な分だけ、依頼主に望まれた通りに、その命を狩らせて貰え』

 

焦燥の合間、過る、過る、記憶が過る。黒髪黒瞳、木漏れ日のように暖かな笑み、太刀振るう姿は勇ましく、正に理想そのものである狩人、その背中……。

心痛、苦み、歯噛み。笹の葉、草むら、熱を帯びる湿気……それら全てを置き去りにするようにして、夜一の体はあっという間に朽ちた門の前に出た。

雷光虫や灯蟲が眼前を行き交い、束の間、我に返って呼吸を整える。大きく息を吐き終えたところで、視界の端に黒い影が映り込んだ。

 

「二頭同時か」

 

影の数は二つある。

一つは浅黄色の巨体。筋肉と水分で膨らんだ体と、大きな袋をつぎはぎして作られたような五指、嘴。一目で怪力の持ち主であることが分かる見目だった。

体表を覆う苔は半乾きで、主な生息地である大社跡奥の河川からしばらく離れて行動していた個体であることが窺えた。

もう一つは塀の上から降ってきた。先のオサイズチより更に特徴的な顔立ちをしている。人間味のある顔だが、それらは襟回りの角と体毛に囲まれていた。

緑、青、紺色と、色鮮やかな小翼と太く長い尾が地面をなぞる。音もなくふわりと着地したそれは、夜一の出方を窺うように忙しなく上半身を乗り出した。

 

「ヨツミワドウ、ビシュテンゴ」

『――ヨイチ。新しいモンスターに出くわしても、まずは驚かないことだ。観察して隙を見つける。相手は生き物だ、隙の一つくらい必ずあるもんさ』

「どう、だったかな。ネム先生」

 

追想に溺れている時間など、ないはずなのに。遠雷のような懐かしき人の声が、耳元に延々と木霊していた。

河童蛙の威嚇は地鳴りがするのではないかと思えるほど大きく、また、天狗獣は落ち着きのない様子で体を揺すって夜一の行く手を阻む。

阻む、というのは恐らく正しい――まるで囚われの姫君を助けに行く異国の騎士の物語のようだ。黒髪の狩人は口角が上がっていくのを抑えられなかった。

 

「艶。俺は、」

 

一度目を閉じ、今は傍にいない愛しいひとの姿を頭の中に思い起こす。女の真横に立つ黒瞳の狩人については「見なかった」ことにした。

……彼女に、今の今まで誰にも話したことのなかった思い出話をしたせいだ。決してあの男を懐かしんでいるわけではない。

頭を振り、目を開く。眼前、ビシュテンゴの腕羽がすぐそこまで迫っていた。頬に僅かな風を感じ、刹那のうちに翔蟲に紡がせた糸を手元に手繰り寄せる。

糸を雷狼竜の剣に絡め、巡らせると、たちまち天狗獣の体は硬直した。翔蟲の翅の音を頼りに両腕を交差させ、剣を軸に巨躯を縛りつける。

 

『……!』

「ほら、頼んだぞ」

 

強く糸を引く。がくりと前のめりに傾いだ天狗獣の腿を、腰を、背中を次々と踏み抜き、夜一の体はあっという間にビシュテンゴに飛び乗っていた。

軽く足裏で背中を蹴れば、狩人を振り払おうともがいていた体が有無を言わさず前方へ走らされていく。

 

『――!?』

 

追撃しようと両手のひらを突き出しかけていたヨツミワドウは、珍しく慌てふためいていた……少なくとも、夜一の目にはそう見えた。

『テンゴちゃんどうしたの』、そう叫ぶように嘴が震え、円らな瞳が歪み、逡巡するように肩が跳ね……次の瞬間には蹴飛ばされた天狗獣と激突している。

肉と肉、分厚い皮同士がぶつかる鈍い音がした。もんどり打って倒れた二頭は、何が起きたのか分からない、というように苦鳴を上げてもがく。

その隙に、夜一は旋回しながら戻ってきた王剣シツライ弐をはしっと掴んだ。次いで翔蟲が糸をほどくと、すぐに得物を腰に下げ直す。

 

『っ! ――!?』

「ごめんな、急いでるんだ」

『~~!!』

 

苔むした巨体と青緑の怪異は、何事かを必死に訴えていた。のたうち回る河童蛙は涙眼で、衝撃で動けずにいる天狗獣は懸命に狩人の背中に手を伸ばす。

 

――なんだ、「艶」にはここまで心配してくれる友達がいるんじゃないか。

 

夜一はもう一度口角をつり上げた。これといった手を出さないまま二頭から視線を外すと、きびすを返して門をくぐり、先を急ぐ。

 

『……夜一、さん』

 

不意に、控えめにこちらの名を呼び、はにかむ女の姿が脳裏を過った。強い湿気の臭いに顔を歪ませながら、大きく開けた池の前に出る。

 

「……艶。俺は、」

 

目と鼻の先。ゆらりと景色が歪み、また視界が白くけぶり、立ち止まった狩人を待ち伏せていたかのように、見覚えのない巨体が緩慢な動きで姿を現した。

藤色、紫、艶のないなめらかな表皮。くるくると忙しなく動く目玉は丸い凹凸が目立ち、まるで爬虫類のそれのよう。

ぞくり、と背筋が冷え、たちまち体が硬直するのを夜一は感じた。今まで様々な怪異を狩猟してきたが、眼前のこれはそのどれとも異なる。

これは「畏怖」だ……ざわりと恐怖心が胸を刺し、その場に体を縫いつけようとする。ぐっと拳を作り力を込めると、幸い呼吸だけは取り戻すことができた。

 

「あー……通してくれないか」

『――、』

「俺は、……艶に、大切な女に会いに来たんだ」

 

恐ろしく長い舌が蠢く。丸い眼が自分を見下ろしている。立ち込める霧は自然のものではなく、目の前の怪異が作り出したものであることは理解できた。

クーロは「古龍が現れた」と話していたはずだ……だとすれば、この藤色の怪異はほぼ十中八九古龍のうちひとつなのだろう。

脂汗が額から顎に伝い落ち、互いの出方を窺うように沈黙する。先に動いたのは狩人の方だ。片手剣には一切触れずに、夜一は自棄気味に前へ駈け出した。

 

「くっ、」

 

迎撃は、確かにあった。その見た目から想像もつかないほどの恐ろしい速さで、長く柔い舌が鋭く宙を切る。

頬を掠め、血が飛んだ。痺れるような痛みは無視をして、夜一は走る勢いのまま池の中に飛び込んだ。

 

(落ち着け、落ち着くんだ……無理にやり合う必要はない)

 

気泡が弾ける、耳障りな呼気の音が鳴る。雨上がりの後、深く濁った淡水はことごとく狩りに必要な感覚を奪っていった。

それでも頭上を仰ぎ見たときには、夜一の目にはっきりと紫色の怪しげな靄が見えていた。

靄、いや、霧か煙か、それとも霞か。いつしか一帯に広がっていた毒霧は、視界全域を紫に染め変え、この区画が彼の怪異の支配下にあることを主張する。

「霞龍」、オオナズチ……片田舎でしか狩りをしない夜一でも、その名だけは耳にしたことがある。

森や沼地に生息し、侵入者には悪戯を仕掛けて楽しみ、追い返そうと努める古龍種。その性質と攻撃の要として用いる毒霧から、霞の銘が与えられた存在だ。

 

(うん、まあ勝てるはずないしな。クーロは俺を買いかぶりすぎなんだよ)

 

首肯した後、霧が晴れたのを見計らって立ち上がった。首を巡らせると、オオナズチは先ほどとさほど変わらない場所に静かに佇んでいる。

確かにそこに存在しているのに、白い霧と相まって夢幻の塊を見ているかのようだった。

黙って観察していると、一歩進んでは下がり、また進んでは下がり、と不思議な歩き方をし始める。「賢そうだ」、夜一が抱いた第一印象はそれだった。

 

――古龍種というくらいなら、彼はこの狩り場の主と見ていいのだろうか。だとしたら、「艶」を連れ戻したのは彼なのか。

 

心臓が不穏な鼓動を立てる。ぐっと口を真一文字に結んだ後、夜一は反射的に抜刀していた。

オオナズチはくるくると細かく動く眼で狩人を見下ろしていた。一介の人間の敵意など痛くも痒くもない、そう言いたげな、憐れみ嘲笑うような視線だった。

 

「お前は……艶を知ってるのか。彼女は今、どこにいる?」

 

そのように狩人を嘲りながら、彼は艶を手元に戻したというのだろうか。それとも、あるいは彼女に自らそう選択するように仕向けたのか……。

元から言葉など通用するはずもない。答えもせず涼しげな顔のままでいるオオナズチを見上げ、夜一は音が鳴るほど強く歯噛みする。

 

「――ッ、答える義理もないって言うのか」

 

頭に血が上る。観察眼など、平常心など、艶のことを想えばすぐさま幻となって消えてしまった。

夜一が駈け出したのと、霞龍がふと短く息を吸ったのはほぼ同時。吐き出されたのは溜め息でも罵声でもない、ただただ濃く、純粋な毒の霧。

食らいつく覚悟で夜一はその霞の中に飛び込んだ。喉に、肺に、恐ろしい速度で猛毒が浸透していく。ぐらりと脳が揺れ、強い吐き気と倦怠感に襲われた。

 

「頼む、通してくれ!」

 

意識が傾ぐ、揺らぐ、持って行かれそうになる。それでも狩人は卒倒するのを堪えた。一歩、二歩と強引に足を進め、青緑と淡黄色の一振りを横に払う。

藤色の体表に、すうっと横一直線の緋が走る。浅い、夜一が焦る一方でオオナズチは冷静だった。

翼を素早くはためかせ、鈍い速度の風圧を起こして男の身をやんわりと引き剥がし、大きく後方に跳躍して距離を取る。

霞龍が着水したと同時に、夜一は盛大に吐血した。失血性の毒素だ、そう理解はしても絞り出される赤色は胃に留まろうとしてくれない。

 

「……艶、」

 

荒い呼気と滴る血が、否応なしに体力を奪っていく。絞り出した己が声が、まるで獣の唸り声のように聞こえた。

 

『……、』

「何? ……なんだって?」

 

大きく咳き込んだ瞬間、夜一は凛と透き通る、硝子片か朝露を連想させる不思議な音を耳にした。見渡してみても、この場には自分とオオナズチしかいない。

はっとして、狩人は霞龍の顔を見た。円錐形の角を傾げ、眼はくるくると細かく動かしながら、オオナズチは一つも動かずそこに座す。

「行ってやれ」と、そう言われたような気がした。頷くことも忘れ、夜一は振り向かずに大社跡の奥へ足を急がせる。

 

――艶。俺は、

 

途中、道ばたに生えていたげどく草をむしり、根に近い部分を噛みちぎった。強烈な苦みとえぐみ、土の味がしたが、吐き出すのを堪えて無理矢理嚥下する。

惚れた女に会いに行くのに、無様な姿は見せられない――げほっと一度咳き込んで、涙目になりながら山道を登る。

 

「……ここ、は」

 

狭い道を抜けきると、開けた水場に出た。どこまでも清らかな水が高山から降り注ぎ、あたりを水しぶきで薄く白くけぶらせている。

滝壺の中には鱗を輝かせる魚が複数遊泳していて、青々と伸びる水草や笹の葉、水面が陽光をきらきらと跳ね返す様と重なり、実に美しい風景となっていた。

束の間、夜一はゆっくりと深く息を吐く。腰を下げ、手を伸ばし、冷たく澄んだ水をすくって顔を洗った。

初夏にもかかわらずきんと冷えた水は、血の上った頭をすっかり冷やしてくれた。

 

「……ここは、確か大社跡の最奥、だったよな」

 

一人呟いて、暁たちが同行していないことに気づく。視線を巡らせても、白い毛並みの生意気な獣人も、薄花色の毛並みの愛らしい牙獣も姿を見せない。

置いてきたのは自分なのに……空を仰いで夜一は心底深く嘆息した。次第に頬や手のひらに痛みが蘇り、また、気だるさと疲労が足を重くし始める。

急がなければ、ぐっと目を閉じ自分に言い聞かせた。心が枯れてしまう前に、艶の気持ちが離れてしまわぬうちに、早く……彼女と言葉を交わさなければ。

 

「なあ、艶。君はきっと、『俺が気づいていない』と思っていたんだろうけど」

 

夜一さん、そう自分の名を呼ぶ美しい女の姿を思い描く。

真っ白な髪に琥珀の瞳、いやに白く細い四肢と、上品な風合いの着物。はにかみ微笑む度に、白磁の肌にほんのりと朱が差すのがたまらなく愛おしかった。

……初めて彼女に出会った夜、夜一は暁たちに翻弄されながらも、彼女の足元に映し出された彼女の「影」を確かに見た。

糸を、蜘蛛糸を幾重も重ねて作り出された繊細な織物。それを体躯に乗せ、巻きつけ、纏わせ、細く硬質で不気味な歩脚を覆い隠して佇む巨体……。

「『彼女』は人間ではない」。初めから、端から、最初から。夜一という狩人は、艶が人の身ではないことに気がついていた。

 

「なあ、そんなの今更じゃないか。俺は君が好きで、君も俺が好きなのに。それのどこに間違いがあるって言うんだ」

 

ざあざあと、滝の音が聞こえる。次第に強まるように感じられるそれは、狩人の本能が酷く昂り、感覚が鋭敏に研ぎ澄まされていくが故の警鐘だ。

ぐるんと素早く振り向いた夜一の前に、オオナズチとは異なる姿の怪異が現れる。

赤く、紅く燃えるようなたてがみ。ゆらりと揺れる尾や、体を覆う甲殻もまた炎を塗り固めたような深紅の色で、その姿は水場にはあまりにも不釣り合いだ。

艶やかな紅鶸や洋紅といった差し色とは別に、唯一、より一層鮮やかな空色の眼が夜一を射抜く。

湾曲した角も相まって、目の前に炎を抱く王が降り立ったかのように見えて仕方がなかった。硬直する体を叱咤して、逃げ出そうとする足を無理矢理留める。

 

「……なあ、艶。俺は君が何者であろうと、君の傍にいたくて仕方がないのに」

 

「炎王龍」、テオ・テスカトル。水場はおろか、森林地帯になど間違っても現れないはずの、炎と爆破粉塵を操る偉大な古龍。

オオナズチがけしかけたのか、ここ最近の怪異たちの不安定な挙動に釣られたのか。いずれにせよ、予想だにしない遭遇に夜一は冷や汗が止まらなかった。

 

「艶。君は俺から離れたって後悔しないって、昨日だけの夢でもいいって……そう言うのか」

 

ぶわりと、熱せられた風が頬を撫でる。一瞬で汗が蒸発し、次の瞬間にはテスカトルの巨躯が眼前に走り寄っていた。

剣を抜き、盾を構え、とん、と川底を蹴る。真横に突進を避けた狩人は、取って返すと水しぶきに紛れて炎王龍の横腹に斬撃を振り下ろしていた。

 

『……夜一、さん』

 

熱と雷、爪と剣、牙と盾、空色と黒瞳。交差し、互いに互いの出方を窺うような攻防が続く。そんな中でも、夜一は苦い追想を止められない。

――一夜目、二夜目と、日を重ねるごとに疑念は確信に変化していった。夜ごと、壁や天井に映し出される女の影は、どう見ても蜘蛛型の怪異のそれだった。

いつ喰われるか分からない。いつ殺されても文句は言えない……それでも、自分は彼女を追い出そうとは思わなかった。

最初こそ怯え、警戒し、威嚇や無駄吠えを繰り返していた灯火も、気がつけば彼女から手渡しで食餌を貰うほどにまで懐いていた。

暁に至っては端からこちらの恋情に早々に気がついたのか、ちらちらと双方を見比べては、にやにやと意地の悪い笑みを向けてくる始末だった。

心と感情、思い出を殺された男たちに、彼女は光を与えてくれた。たとえその身が怪異そのものであろうとも、夜一たちにとって艶という女は特別だった。

 

「――ッ、あ、」

 

――じり、と皮膚が引き裂かれる感覚が走る。意識を強引に狩り場に引き戻され、夜一はたまらず悲鳴を上げた。

袈裟懸けに振るわれた豪腕、その爪が片腕をなぞる。咄嗟に上半身を反らしていたからか、肉や骨は辛うじて繋がっていた。

ばっ、と鮮血が宙に溶け、たたらを踏む。激痛に顔が歪み、どっと噴き出した脂汗に焦りが募った。

荒い息遣いが耳元に届き、どくどくと早鐘を打つ心臓の音が頭の中にまで響く。濃い鉄の臭いがして、夜一は肺に溜めていた息を思いきり吐き出した。

 

「っは、この……!」

 

息に毒素由来の血が混ざる。ばしゃりと川が悲鳴を上げ、水面に炎と血しぶきの鮮やかな赤が映った。

だらんと垂れ下がるばかりの左腕を見下ろして、頭を振る。ぐっと力を込めれば、噴き出す血の熱と、裂かれた皮膚がもたらす痺れに似た痛みで肩が震えた。

熱い、痛い、寒い、冷たい、息が苦しい。ぐらりと体が揺れ、意識を手放しかける。しかし、それを炎帝と称される古龍が許すはずがない。

 

『――!』

「五月蠅いな、分かってるよ!!」

 

迫る巨躯に対し、狩人は吠えた。躊躇も激痛も置き去りにして、強く強く前に出る。

考え難いことだが、一つの仮説が脳裏を過ってやまない。「彼ら古龍は、自分の、夜一という狩人の覚悟を試している」というものだ。

ヤツカダキという怪異と本当に結ばれたいと思っているのか、生涯を添い遂げたいと覚悟しているのか……馬鹿げた仮説ではあるが、そうとしか思えない。

彼らは手を抜いている、そのようにしか見えなかったからだ。本気を出せば、考え事に耽る自分などあっという間に骨か消し炭にされている。

 

「うあっ……このっ、死んだら会うも何もできないだろ!!」

 

避けて、転がって、立ち上がり、駆け上がり、また避けて。対峙すればするほど、実力を測られているような気しかしてこない。

それでも自分は精一杯だ、ぎりっと音が鳴るほど奥歯を噛んで、血の味を噛みながら業火の中に飛び込んだ。

 

ここを乗り越えられないようなら、決して艶には会えない、会わせてなど貰えない。

躊躇いの霞を振りきり、痛切の灼熱を踏み越えて――狩人よ、前へ。

 

 





……

執筆開始日:21/10/11
サイト公開日:21/10/15

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