「マリア姫。マムクートというのは蔑称です。頭髪の薄い方にハゲと言うようなものです。小柄な方にチビと言うようなものです。そのような言葉を使ってはいけません。竜族、あるいは竜人族です。チキに謝ってください」
「ご、ごめんなさい。私、知らなくて……」
マリアは素直に謝罪した。一方のチキはポカンとしている。バヌトゥはそれを温かい目で見守っていた。
「だいじょうぶだよ!」
と、チキはマリアの謝罪を受け入れた。チキも知らなかったようだ。だとすれば失敗した。残念ながらマムクートという言葉は一般的に広まっている。使う側も、悪気がない場合がほとんどだ。
マリアも悪気があって言ったわけではあるまい。
だがチキはマムクートが蔑称だと知ってしまった。これからマムクートと呼ばれる度に嫌な気分になるだろう。もしかしたらバヌトゥはこれを危惧して、あえて教えていなかったのかもしれない。
俺の落ち度だ。反省だな。
「シスターレナはご存知でしたか」
「いえ、お恥ずかしながら、初耳です」
貴族としての教育を受けたはずのレナでも知らない。これが世界の現実なのだ。やっぱアドラ一世ってクソだな。
個人的にマムクートって響きは嫌いじゃなかったんだが、その言葉が生まれた理由を知ってしまってはな。だが別シリーズでは普通に使われてて、いつの間にか公式用語になってたんだよな。もしかしたら、アカネイア大陸以外では蔑称ではないのかもしれない。
アリティアの解放に成功した同盟軍は次の目的地をグルニアと定めた。これにもひと悶着あったらしい。
アカネイアの貴族が、軍をアカネイアに戻し、船団を率いてマケドニアに攻めるという案を出したのだ。
これは……俺が光と星のオーブを持ってきたから、ラーマン神殿に行く必要がなくなったから出てきた提案か?
だがこれは逃げの提案だ。ようするにアカネイア貴族はグルニアを恐れているのだ。なにせ黒騎士カミュに王都パレスを落とされ、占領統治によって国土はズタズタにされた。ここに居る彼らも田舎に引き籠るはめになった。
要するにグルニアが怖いのだ。カミュとは顔も合わせたくないに違いない。だからグルニアを回避してマケドニアを攻める。そしてそのままドルーアに攻め上がる。首尾よくメディウスを打倒できれば、グルニアは膝を折る。そう考えている。
しかしそう上手くいくわけがない。普通に挟撃される可能性もあるが、俺がグルニアならマケドニアには申し訳程度の援軍を送るか、適当な理由をつけて援軍は出さない。
そして同盟軍がマケドニアを降し、メディウスを倒したのを見計らって、グルニア全軍でマケドニアに上陸する。
マケドニアの残党にも檄を飛ばし、同盟軍を殲滅するのだ。マケドニアの立地上、南から攻められれば、同盟軍は逃げ場を失う。北方東西は峻険な山に囲まれているため、ほぼ確実に殲滅できるのだ。
そうすれば大陸の覇権はグルニアのものとなる。かつて都落ちの憂き目にあったオードウィン将軍の無念を晴らすことができる。
マルスもハーディンもこの可能性に気づいている。気づいてないのは現実が見えていないアカネイア貴族だけだ。
故にマルスは彼らの提案をやんわりと却下し、軍をグルニアに進めた。今はカシミア大橋を挟んで睨み合いを続けている。
マルスはグルニアに対して停戦を呼び掛けているのだ。パレスは奪還され、グルニアの兵士も数を大きく減らしている。
元々グルニア兵の数は多くない。騎士団は精強で知られているが、そちらも少数だ。パレスを落とすことができたのはカミュの活躍も大きいが、連合軍として数で勝っていたのも大きい。
故にグルニアが停戦に応じる可能性は十分にあると踏んだのだ。
だがグルニアはそれを拒否。戦闘は避けらぬものとなった。両軍が慌ただしく動き出し、軍の配備が進められていく。
開戦間近の緊張感が軍を包み始めていた。
◇
「エストがね、帰って来たんだよ!」
「それは朗報ですね」
グルニアに潜入していたペガサス三姉妹の末妹が帰って来たと、マリアが顔をほころばせた。
そしてアカネイアが誇る三種の神器の一つ、宝剣メリクルソードを奪還したと。
「それをね、誰が使うかもめてるんだって。変だよね、一番強い人にあげればいいのに」
「そうですね。それが一番正しいと思います」
「ね、ね、ヴァンもそう思うよね~」
自分の意見を肯定されたことが嬉しかったのか、マリアは太陽のような温かな笑みを浮かべた。
同盟軍を見渡した感じだと、一番の剣士はナバールに感じた。じゃあナバールにメリクルソードを持たせるかというと、それは絶対にない。
なぜならナバールの立場はマルスの私兵、義勇兵の一兵卒にすぎないからだ。そんな男にアカネイアの神器を預ける? ありえないね。アカネイアの貴族どもがこぞって反対するだろう。
次点でオグマだが、これもない。オグマはタリス王国の正式な兵士だが、いかんせんタリスの発言力が弱すぎる。
アカネイア貴族にしてみれば、タリス? なにそれおいしいの? って感じだろう。タリスがおいしいかどうかは微妙なところだ。避暑地やリゾート地として開発すればあるいはって感じだが、モスティンがどういう反応をするかだな。
ナバールもオグマもダメとなれば、やはりアストリアだろう。あいつにはディール侯シャロン家のミディアという強力な後ろ盾がいる。アカネイア貴族も文句は言い難い。それにアストリア自身がアカネイアの騎士なので、他国の兵士に預けるという問題が発生しない。面倒くさい派閥争いだよ。
やっぱアカネイア貴族はクソだな。
パルティアをジョルジュが使っているのも同じ理由だ。まああいつの場合は実力だとは思うが。
グラディウスも同様の理由で使い手が決まるはずだ。
たぶんハーディンだな。ミネルバもワンチャンありそうだが、まあアカネイア貴族がごねるだろう。
戦後の事を考えると、ミネルバの戦功が大きすぎるのは面白くないのだ。
一応アカネイア貴族の
そもそも彼女の技量でグラディウスを使いこなせるのかが疑問だ。
「ではマリア姫。そろそろ出撃の準備をしなければなりません。名残惜しいですが、失礼させていただきます」
「……うん。ちゃんと帰ってきてね」
マリアから死なないおまじないをかけてもらい、戦場へと赴く。
とその途中で、先ほどまで話題になっていた少女と出会った。
「あなたがヴァンね。マリア様のお気に入りの」
「光栄にも目をかけていただいているようです。貴女は?」
その髪色から間違いないとは思うが、初対面なので一応尋ねておく。
「あたしはエスト。ミネルバ様の部下のペガサスナイトよ」
「私のことはご存知のようですが、一応は名乗っておきましょう。ヴァンと申します」
「でも本当の名前じゃないんでしょ?」
エストがニヤニヤ笑いでこちらを見つめる。あ~、となるとミネルバも気づいているのか。
「あたし一度見た美形は絶対に忘れないの。自信あるのよ」
「美形ですか。何やらこそばゆいですな」
ということはミネルバは気付いてない? ふむ、判断に迷うな。部下だし、普通に報告してそうな気もするが。何気なく話している可能性もあるし。
「そうですね。訳あって名を隠しております。その胸に収めていただければありがたく思います」
「マリア様は知ってるの?」
「ええ」
「う~ん、ならまあいっか。いいよ、内緒にしといてあげる」
エストは人差し指を唇に当てると、面白がるように笑った。
◇
念願のメリクルソードを手に入れたぞ!
なんてこともなく、俺は支給されたキルソードを手に、向こう岸に居座るグルニア軍を睨んでいる。
そこに、ヤツはいた。
あれはカミュかな? いや、違うな。カミュはもっと後から出てくるもんな。こんなところにいちゃいけないよ。
たぶん俺の見間違いだな。
……と思いたいが、あれ絶対カミュだよ。まぎれもなくヤツだよ。なんかアカネイア兵があり得ないくらい動揺してるし、間違いなく黒騎士カミュだよ。
ウッソだろおまえ! ドルーアに幽閉されてたはずじゃなかったのか? いや、逆に考えるんだ。ロレンスとまとめて相手をしなくなって良かったと、そう考えるんだ。
「隊長、あれって黒騎士カミュですよね」
「そのようだな」
「先陣切るみたいですよ」
「見れば分かる。先頭に居るからな。先頭で戦闘するつもりなんだろう」
「さすが隊長。余裕ありますね」
上の動揺は下にも伝わるからな。正直、後ろでどっしりと構えてくれてた方が楽なんだが、状況がそれを許さないのだろう。自軍の士気を上げ、敵軍の士気を下げる。
あの様子じゃアカネイア兵は当てにできん。橋の幅は広いとはいえ、騎馬隊同士がぶつかり合うには狭い。
いっそ乱戦に持ち込んでドサマギで首を狩るか? そう上手くいくかねぇ。
最初の策では、わざと橋を突破させて、抜けたところを槍衾で仕留めるというものだった。だがカミュが相手となれば話は別だ。対岸を許せば、ヤツは縦横無尽に陣地を荒らしまくるだろう。
つまり、橋上でヤツを仕留めるのがベストだ。
ここでひとつグルニアの話をしよう。
グルニアが騎士の国と呼ばれていたのも今は昔。グルニアが国として成立し、騎士の一部が貴族となり、権力者が生まれた。権力のあるところに腐敗が生まれるのは世の常。彼らは分かりやすい富の象徴である、金を求め始めた。
金、金、金、騎士として恥ずかしくないのか!
グルニアの祖であるオードウィンも草葉の陰で嘆いているだろう。騎士の中の騎士と謳われたオードウィンの教えも忘れ去られ、彼らは更なる領土を求めた。
とはいえ、北に広がるのは広大な砂漠であり、これ以上手を伸ばすことはできない。というより領土にする旨味がない。
東の海を越えるというのも現実的ではない。マケドニアのドラゴンナイト部隊は強大であり、いくら精強な騎士団といえども空から攻撃されれば分が悪い。それが海上でのこととなればなおさらだ。
かといってアリティアを攻めるのは風聞が悪い。アリティアはドルーア戦争を終わらせた勇者アンリの興した国。そこを攻めるというのは、世界の敵となる可能性があるのだ。
そこに降ってわいたドルーアとの同盟話。ルイ王は及び腰だったが、貴族たちは案外乗り気だったらしい。グルニアもアカネイアへの反感が強かったからだ。そのアカネイアの領土を我が物とできる。
先鋒を買って出たのもそれが理由だろう。
こうしてグルニアは最強の騎士団である黒騎士団を投入。開戦から全力でアカネイアに攻めかかった。誤算だったのはカミュ率いる黒騎士団が強すぎたことだろう。あるいはぬるま湯につかりすぎたアカネイア軍が弱すぎたのか。ともかく、カミュは破竹の勢いで攻め上がり、援軍に来たアリティア軍も一蹴し、遂には王都パレスまで落としてしまった。
ここにきてグルニアの貴族たちは焦っただろう。カミュの功績が大きすぎると。どうにかして自分たちの取り分を増やそうと画策している時に、カミュはとんでもないことを言い放った。
――ニーナ姫の助命、その対価はこの戦争で得た自分の功績全て
グルニアの貴族たちは手のひらを返したようにカミュの援護に回った。皮肉にもグルニア貴族たちの心が一つになったのだ。
こうして味方を得たカミュだが、時間が経つにつれて、カミュの心にも焦りが生まれる。
メディウスがいつしびれを切らすか分からないからだ。だからカミュは強硬手段に出た。ニーナをオレルアンに逃がしたのだ。
その代償として、カミュはドルーアに幽閉されることになる。そのカミュが出てきたということは、メディウスはもうグルニアを見限ったのだ。メディウスの目的は人類の滅亡だからな。精々同盟軍を削ってくれといったところだろう。
話を戻そう。
カミュの出陣を確認したマルスは陣容を変えた。こちらの先陣はアリティア軍が務めるようだ。先頭にはジェイガンの姿が見える。
うん? ジェイガン!? 正気ですかマルス王子。カミュにジェイガンをぶつけると?
ご乱心なされたか!?
いや、落ち着け。心を平静にするんだ。素数を数えて落ち着くんだ。素数は1と己でしか割ることのできない孤独な数字。俺に勇気を与えてくれる。
……2……3……5……7……11……よし。
そうだよロシェ。ここはゲーム世界じゃない。ハーディンだってあんなに強かったんだ。アリティア騎士隊隊長のジェイガンが弱いはずないよ。ハハッ。
では見せてもらおうか。アリティア騎士隊隊長の実力とやらを。
そしてついに、戦端は開かれた。
アリティア騎士隊が突撃し、その後に俺たち歩兵隊が続く。
「カミュには絶対に近づくな。馬の脚を狙え」
「ハッ、では隊長、出撃の号令を!」
「ん? ああ、そうだな。
『了解!!』
前方は馬が邪魔でどうなっているか見えない。欄干を足場に前へと進む。最前線ではジェイガンとカミュが斬り結んでいた。おおっ、やるじゃんジェイガン。
加勢したいところだが、まずは後方を荒らすか。
「行くんですか隊長! 相手は神器持ちですよ!」
「当たらなければどうということはない。武器の性能差が戦力の決定的差でないことを教えてやるさ!」
欄干の上を走る。
黒騎士団の槍をかわしながら跳ぶ。剣先で首を突き、蹴りで首を砕く。馬の尻を軽く斬って場を乱す。
八艘跳びならぬ八馬跳びで反対の欄干へ。それをもう一度繰り返す。下を見れば、落馬した兵の頭を暴れ馬の後ろ脚が踏み砕いていた。
三度目の欄干渡りはなしだ。次は本命を狙いに行く。ジェイガンはまだ粘っていた。カインとアベルの三人がかりでカミュを抑えている。
つうか三人相手に一歩も引いてないな。いや、ジェイガンたちの背後でオグマが隙を窺っているから四人か。
そしてたぶんこいつ、後方で跳ねている俺の動きにも気づいている。常に死角を移動しているはずだが、見られている感覚がするのだ。
さすが
一対一で勝てないなら、囲んで叩くのが戦場の習いだ。卑怯とは言うまいね?
などと言ったものの、じわりじわりと押されているのはアリティア勢の方だ。ええい、グルニアの黒騎士は化け物か。
これ以上時間をかけるわけにもいかんな。とはいえ、俺の方も黒騎士団から槍で突かれまくって気の抜ける状態じゃない。密集状態だから魔法や矢が飛んでこないのはありがたいが、一手間違えばあっさり死ぬ。
だがこのままじゃいずれ押し切られる。多少強引でも行くしかない。
――まだだ、まだまだ。ここ!
カミュ目掛けて必殺のタイミングで跳ぶ。だがその瞬間、カミュの持つグラディウスが半回転した。神槍の矛先がこちらを向く。
神器特有の輝きと、ブォンという独特の音が耳朶を打った。
首筋のうぶ毛が総毛立つ。
――来る!
そう感じた瞬間、グラディウスが飛んだ。何の予備動作もなく、カミュの手から放たれた神槍が一直線にこちらへと飛来する。
「――くっ!」
ギリギリで切り払いに成功した。だがキルソードは神槍との激突に耐え切れずに砕け散った。飛翔するグラディウスが空中で旋回し、再びカミュの手に舞い戻る。
これが神竜王ナーガの造り出した三種の神器の一つ、神槍グラディウスか!
空中で体勢を崩した俺に向かって、黒騎士団の槍が襲い掛かる。俺は何とか槍を掴み、騎手を一蹴する。
よし、銀の槍ゲット! って言ってる場合じゃねぇな。
尋常じゃねぇぞこりゃ。
俺は再びカミュの死角を移動しつつ隙を窺う。
上はダメか。ならば今度は下から攻める。馬群に身を隠しつつ、背後からカミュに近づく。
だがカミュは、これにも反応してみせた。だがさっきよりは遅れたな!
ギリギリでグラディウスをかわしながら、槍を突き出す。
角度的にカミュを狙うことはできなかったが、乗騎の尻を狙うことはできた。カミュの愛馬が暴れ出す。
その隙を、ジェイガンたちは見逃さなかった。三方から槍が突き出される。ジェイガン、アベル、カインによる必殺のトライアングルアタック。その内の一本がカミュの脇腹に突き刺さった。
愛馬から投げ出されたカミュの身体が欄干に叩きつけられ、海へと落下する。
「ニーナ……さらば……」
声が聞こえたわけではない。だがカミュの唇を読むと、そうつぶやいたように見えた。
「首を取ることはできなんだか。しかしあの傷では助かるまい。黒騎士カミュ、アリティア騎士隊が討ち取った!!」
ジェイガンが高らかに勇者の槍を掲げる。
カミュが討たれたことでグルニア兵の士気は一気に低下した。その気配を瞬時に察知したマルスはグルニア兵に降伏を促す。
一人が武器を投げ捨てると、あとは雪崩のように投降が始まった。
前線隊長を任されていたグルニアの将スターロンは徹底抗戦するつもりだったようだが、味方の手によって討たれた。これにて、カシミア大橋の戦闘は幕を下ろした。
カミュの死体は海に消え、決して上がることはなかったという。