何事もなく平和な時が流れる感覚を、今のうち楽しんでおこうと、林田は普段通りを装って…普段から装っているのだが、今回ばかりはついつい表情が綻んでしまうのだった。
その原因が今、同じように本を読んでいた。
彼の心に純粋な楽しさと嬉しさで付けこんでくる少女は八神はやて。足が不自由で、車いす生活を余儀なくされ、同年代のこと同じ遊びはできないことはおろか、まともに学校生活を送る事すらできず、最低限教育委員会よりお達しが来ないギリギリレベルでやり過ごしているというが…
それでもこうして打算のない笑顔を向けるはやては、なんと逞しいことか。
彼女と出会うことを割と楽しみにしていたが、図書館という頭も気も落ち着く場所に来てしまったために、林田は冷静になり、考えたくもないことを考え始めるのだった。
(この子は、「危険なロストロギアを所持している」という理由だけで殺されねばならない…)
本来この世界、第97管理外世界は魔法とは無縁の世界だ。そんな中で不運にもロストロギアが彼女に宿ってしまう。
普通の対処ならば、ロストロギア所有者にアプローチをかけ、話が通じるならば対象の引き渡し、それが叶わなければ対象の機能停止の後、摘出措置をとる。
しかし八神はやてに宿ってしまったロストロギアは、その危険性に加え、今までに出してきた被害規模から、これ以上被害を生まないため、上では見つけ次第ロストロギアの封印を最優先とした。
つまり、宿主の命の保証はないのである。
林田のいつもの無表情が、影が差したような、どこか暗く沈んでいた。
視線を本から、隣のはやてに移す。
彼女は『野生の思考』を読み終えたようで、『人間失格』に手を伸ばし、特に抵抗なくすんなりと読み始めた。
読んでる本のレベルを抜きにすれば、こうして読書に没頭する彼女はいたって普通だった。
林田は「違う本を取ってくる」と一言入れ、席を立つ。
そして、彼女から逃げるように本棚の陰に隠れ、先程まで読んでいた本を戻した。
(ますます普通の…いや、もっと優しい少女ではないか…我々の都合を押し付け、彼女の命を奪うなど…)
林田は顔を顰め、不意に握った拳に力が入った。
奥歯がぎりぎりと音が鳴る。
一度心を落ち着かせようと、外の自販機でコーヒーを買い、ずいっと飲み干した。
それでもため息は止まることはない。むしろ、こうしてターゲットに近づき、不用意に仲良くなってしまった自分に冷たく言い放った。
「よくも私は普通に歩み寄れたな…」
自分自身のこれまでの行動に対し、激しい強烈な気持ち悪さを抱いた林田は、こみ上げる吐き気をグッと堪え、また自分を待つ彼女のもとへ歩いてしまった。
その際、忌々し気に呟くのだった。
「『闇の書』か…」
その頃ムラマツは、少ない客が帰るところを見届けると、流しにあるカップや皿を拭いていた。
オレンジの淡い照明に照らされた皿は、独特の温かみがある光沢を見せていた。
皿もカップも綺麗になった。
客も、提供したコーヒーとお茶請けの饅頭に舌鼓を打ってくれた。
満足そうに、ムラマツから自然と笑みがこぼれた。
「時間だな」
ムラマツが呟くと同時にカランカランと、やや黄金色の塗装が錆びたドアベルが鳴り、ギィと音を立て、物腰穏やかそうな高齢の男性が来店した。
「グレアムさん…お久しぶりです」
「やあムラマツ君」
カウンターに腰をかけたグレアムは、店じまいに取り掛かるムラマツに尋ねた。
「店を閉めたようだが、もういいのかい?」
「貴方とこれから話すことは、他言無用。一般人はもちろん、管理局にも知られてはなりませんからね」
グレアムは以前から親交があった元局員のムラマツに、今回林田が管理外世界での活動をする理由について、現在の上層部の意向と交えながら告げた。
当然内容は良いものではなく、ムラマツは聞けば聞くほど眉間に皺を寄せた。
「まったく…上の連中は誰が闇の書の主が知らないだけではなく、主がただの被害者だったとしても、なりふり構わず封印してしまうというのですか?」
上層部、それも一部しか知られていないトップシークレットの計画。
特定危険指定物のロストロギアは20段階に分けられ、その「コード17」に位置するそれは、「可及的速やかな無力化、もしくは処分」の対象となっている。そして、そこに宿主の意向は反映されていない。
言ってしまえば、「殺してでも止めろ」と、あまりにも酷なものであった。
「すまないがこれは…決定事項なんだよ…ことが重大であるため、慎重にいかざるを得ないんだ。当然クロノ君らを欺くことはもちろん、一人の罪のない少女の命を奪うことに何も感じないわけがなかろう。だが上にこのことを伝える訳にもいかんのだ」
「…上が責任から逃れるためか…」
簡単に言えば、万が一の事態が起きてしまった時、上は「知らない」の一点張りができ、不測の事態を招いた現場の責任として切り捨てられる。
管理局の体裁を守るためには必要なこととはいえ、犯罪レベルのことをさせた挙句に捨て駒としていつでも切り捨てようとする上層部の黒さに、ムラマツは瞳に怒りを灯し、口元を震わせた。
話をするグレアム自身も表情に出してはいないが、申し訳なさと悔しさに目をそっと閉じた。
暫しの沈黙の後、いくらか平静を取り戻したムラマツに、グレアムは口を開いた。
「全てを把握しているのは私と林田君、権藤君だ」
そして、これが意味をすることは明白だ。切り捨てられるのが、この3人であること。そして…
「息子同然に育てたあの子に実行させるのですか…」
ムラマツはやるせない気持ちで、力無く呟いた。
「相変わらず上の考えることは好かんな」
「…人のことを言える立場ではないが、私はそう命令が下された時、その歪んだ口もとを掻っ切ってやろうかと思ったさ」
瞳に悲しみと憎しみ、怒りを浮かばせ、そして深い後悔をするグレアム。
さぞ辛かっただろう。
殺された両親に代わり、保護者として道を踏み外さぬよう育んだ林田に、上からの酷な命令を実行するよう伝えた。
(あの時…怒りに燃え、恨んでくれたら良かったものを…)
しかし彼は特に反発することもなく、無表情なまま淡々と「了解した」と答えた。
極悪非道にも思える計画を伝えたのに、怒りや悲しみで顔を歪ませることも、実行に対して躊躇うこともせず、感情を失ったような顔に、グレアムとリーゼ姉妹は恐れを抱いた。
(既に私は道を踏み外していたのか…)
林田がこのようになってしまったのは全て自分のせいだと、深く後悔するグレアムに、ムラマツはこれ以上言及せず、渡された資料を見た。
「表向きはジュエルシードをめぐる事件調査だが、君らの本命は闇の書か…身内にも我々敵にも利用されるあのフェイトという子も報われんな」
どうしてこうも、魔法は人を選ぶのだろうか…
林田は再び図書館に入り、自分を待っているであろう彼女の元へ向かった。
戻ってくると、はやては窓の外を眺めていた。その手元には、栞が挟まれた本があり、その隣には先ほどまで読んでいた本が積み重ねられていた。
恐らく目を休めるため、遠い景色を見ているだろうが…
(つくづく思うな…なぜ彼女なのだろうか…)
本当に、普通の心優しい女の子、八神はやて。
当然望んだわけでもないのに、その手に余るほどの強大な脅威を、理不尽にも授けられた。
幸いと言うべきか、彼女の両親は既に他界し、交友関係も希薄なため、悲しむ人間は少ないはずだ。
酷な思考となった林田は、彼女へ歩み寄ろうとした時だった。
「待て待てぇ!」
「捕まるもんか!」
「こらっ!道路で遊ぶのはやめなさい!」
「公園まで我慢しよ?ね?」
外から賑やかな子供の声が聞こえてきた。
やんちゃな男の子を、しっかりした印象を与える女の子が嗜める様子が見られた。
無邪気な、いかにも子供らしいほっこりする様子だった。
「あ…」
声を無意識にもらしたはやて。
林田は目を見開き、息が止まったような感覚となった。
はやての目から流れる、一筋の光。
表情変えないあたり、ごく自然に流れたのだろう。
その雫が手に落ちた時、ようやくはやては自分が涙していることに気づいた。
(普通な子だと…?違う…彼女は…)
はやての悲痛な様子を目の当たりにし、自然と拳が強く握られていった。
彼女は魔法に関わりが無ければ、普通な女の子というわけでもない。
自分同様、理不尽に振り回されているものの、林田は「魔法のせい」と一方的に見做し、苛烈な復讐心と、同じ境遇の者を救いたい正義が原動力となり、今日まで生きてこられた。
では、儚く花が散るような目の前の少女は?
孤独の日々に加え、日に日に「闇の書」による侵食を受け、いつか動かなくなるどころか死ぬかもしれない恐怖に、心がもう限界なはずだ。
ずっと他人に見せまいとしていた強がりが決壊しようとしていた。
林田は自然と前へ歩んでいた。
コツコツと革靴が床を蹴る音がすると、彼女は急いで袖で涙を拭った。
そして、次の瞬間には取り繕ったような笑顔をこちらに見せてきた。
林田はより一層拳に力を込めた。
なぜ、このような子が、誰にも甘えず、強がらねばならないのか。
「おかえりなさい。随分と遅かったやないの」
林田が隣に座ると同時に、はやては安心したかのようなごく自然な笑みを浮かべてくれた。
そして、また涙が頬をつたった。
はやては落ち着かない様子で涙を拭いながら、「違う、違うんや」と何かを否定している。
「はやて」
林田は悟った。
故に今度は心に決めた。
「泣いてもいい。私はここにいる」
はやては林田に抱きつき、胸に顔を埋め、ひたすら声を殺した。
しゃくりあげる彼女の小さき肩を、優しくポンポンと叩き、林田は決意した。
この子を救う。
ただそれだけだ。
図書館ではやてを落ち着かせていると、ガラス窓の向こう側に男が一人立っていた。
その男は顎で「出ろ」と言う。
林田は、はやてに事情をでっち上げ、今日はその場でお開きとした。
図書館を出ると、例の男が待っていた。
「あんな若い少女と任務を放棄して密会とは、室長もなかなかやりますな。ですが、小学生に手を出せば犯罪になるんで、そこはご用心」
「権藤、君が考えるようなことにはならない。おもしろがって揶揄うのはいいが、君こそ外から覗き込むような行為は犯罪者予備軍を思わせるから慎め」
出会ってすぐ、言いたい放題の二人。
そして、暫く罵り合いが続いた後、二人は海の方まで歩き出す。
「それで、『海』の行動方針はどうなった?」
人通りも、車通りも少ない堤防の道に差し掛かったところで、林田は問う。
自分が彼女とコンタクトをしている間、同じ特殊戦略作戦室の権藤に「表」の任務を任せていたのだ。
「ひとまず実行犯のフェイトと言う少女は治療という名の拘束。使い魔のアルフは思いの外落ち着いていたな。んで、割と協力的だったんで事情を聞いたところ、お前さんの読み通りだったな」
アルフの証言によると、ジュエルシードの一連の事件の黒幕は、大魔導士プレシア・テスタロッサということが判明。
フェイト・テスタロッサ及びアルフはただそれを集めるよう言われただけであり、その危険性や目的は伝えられていないようだ。
「『海』の連中はすぐ突撃班を作り、プレシア・テスタロッサの身柄の拘束に乗り出したんだとよ」
居場所の特定は、クロノがフェイトを逃した時から行われた。極めて微弱な魔力を辿り、転送の際のほんの小さな歪みを探し、つい先ほど掴んだそうだ。
相手が相手なだけあり、突撃班は男女問わず、魔法の扱いに長けた者たちが選ばれた。
「ま、なんにせよ、あの幼気な少女をどうにかせずに済んだわけだ。こちらとしても、胸糞悪そうなことにはならないようで良か…いや、そうでもねえか」
フェイトらと死闘を演じることは無くなったとは言え、次の標的はプレシアとなる。
母であるプレシアを逮捕できればいいが、ジュエルシードは既にいくつかがあちらに渡っている。事態が深刻化すれば可及的速やかに排除行動をとることになる。
「そうか…」
林田は少しだけ目を伏せ、悟った。
権藤もまた、大きく息を吐いた。
恐らく、もう暫くすれば我々にも出動命令が下されるだろうと。
無傷で逮捕する術を持たず、物理兵器を運用できる我々が行く時は、目の前には凄惨な有様が広がり、気分よく解決はできる段階ではないだろう。
「俺らにも…クロノたちみてえな魔法が使えりゃいいんだがな」
「…無いものねだりしても仕方ない。我々はただやるべきことをやるだけだ」
二人は立ち止まり、水平線を見た。
曇りの薄暗い灰色の空と、白波立つモノクロのような海の境界線ははっきりしなかった。
「そうだ、権藤。個人的に頼んでいたものは?」
「ああ。そのことだが、やはりだった」
林田は「そうか」とだけ呟いて、上を見た。
(事態は徐々に大きくなり、二転三転と変わり続けている…そんな中で…)
はやてを救えるのか?
ただ海を眺めること数分。
不意に人の気配が一切無くなると、権藤は懐から徐にタバコを一本取り出し、口に咥えた。
林田は特に咎めることもなく、視線を奪われたように海を見続けた。
「ちっ…おい林田さんや」
呼ばれたのでそちらを見ると、権藤がライターをカチカチ鳴らしながら、何も持っていない方の手を差し出してきた。
…
「結界を張ったのをいいことにタバコを嗜むとはいい度胸だ、権藤」
転送でやって来たのは、ややご機嫌斜めなクロノだ。
「だいたいいつも君は不真面目すぎるんだ。任務中にも関わらずタバコ、この前なんて休憩と称してパチンコへ行ったそうだな。そこを目を瞑ってるのは任務をしっかりこなす実績があるからだが、本来ならば懲罰ものだぞ」
「まあまあそう目くじらを立てなさんな。普段からそう張り詰めてちゃ、いらんことまで神経が過敏に反応しちまう。落ち着ける時は落ち着く。これが一番さ」
クロノの説教も全く意に介さないようで、今注意されたばかりにも関わらず、煙をふくのだった。
「はあ…上に説明する僕の辛さを知ってもらいたいものだ」
「ああ、いつも感謝してますよ?今後もよろしく頼まあ」
権藤の態度に、再びクロノは額に青筋を浮かべるのだった。
航行部隊と連携し、対処にあたることは少なくない。こんな不真面目かつ無礼な権藤も、よく航行部隊と行動を共にし、より危険な最前線を戦い抜いてきた。
その窮地に立たされようとも生き残る実力と、どんな状況でも不敵に笑い、しかし冷静な判断で対処にあたる、チームの精神的支柱として、「陸」や特殊戦略作戦室からの評価は高い。
しかし、何分こんな性格なので、正統派の魔導士が集まる航行部隊、上層部は頭を悩ませていた。
最も、本人はそれを楽しんでいるようだが。
「すまんな。権藤はこんな性格だが、身内評価抜きで考慮しても、今回の事件では十分に戦略になるはずだ」
心労の絶えないクロノを、林田が宥めるというなんとも珍しい光景がそこにはあった。
そして、クロノを困らせた張本人である権藤は、白い歯をニッと見せており、そんな彼にクロノは、忌々しげに鋭い視線を向けるのであった。
…
三人は無事、アースラに転送される。
そして、林田、権藤の二人はクロノに連れられ、管制室へと向かっていた。
その向かう途中、権藤はふと突撃班の者たちの詳細なデータを知りたいと言うことだった。
「好きにしろ」
クロノはぶっきらぼうに答えて後悔した。
権藤はその辺を歩いていた情報科のファイルを取り上げたのだ。
「『好きに僕の部屋の資料を見て構わない』という意味だったんだが」
「じゃあそう言ってくださいよ」
権藤は悪びれることはない。
「んで、なーんで俺らまで出動の可能性が出てきたのよ、くろすけ君や」
権藤は突撃班に選ばれた者たちの履歴書を閲覧する。
そこには日本で言う難関大学を出た者や、輝かしい実績のある者たちが書かれていた。
当然それ相応の実力も備えており、小隊規模でもよほどのことがない限りは問題などなさそうなチームであった。
「それでも、現場では何があるかわからない。そして相手はあの大魔導師だ。用心に用心を重ねることに越したことはない。あとくろすけ言うな」
先程はあのようなやり取りをしていたが、クロノは二人のことをよく理解し、信頼している。
万が一の時、最も頼れる友人として、仲間として。
そして、その思いは林田、権藤もまた同じであった。
…
「林田特佐」
林田を呼び止めたのは諸星だった。
「…バイタルチェックの時間だ」
「…そうか。すまないがクロノ、権藤、先に行ってくれ。そう時間は取らないはずだ」
林田は二人に先に行くよう促す。その様子はどこか急いでいるようにも見えた。
「…はいはいそうですか。んじゃ、クロ・スケ太郎君や、先に行っちまいましょう」
「クロノだ。まぁバイタルチェックなら仕方あるまい。いつでも出動できるよう、整えてくれ」
林田と諸星は軽く頭を下げ、医務室へと向かう。
クロノは権藤を連れ、管制室へと向かうが、この瞬間微かな違和感を覚えていた。
(バイタルチェックはもう終わったはず。次回まではまだ時間があったはずだ…何か異常でもあったのだろうか?)
例え調子が悪いとは言え、諸星の腕のすごさは知っている。心配するようなことはそう起こるはずはないと、微かな疑問は消えていく。
ちなみに、この時の諸星は特徴的な赤いメガネをかけていなかった。