これにて、無印編は終了です。
君は…生きろ…
あの人は、私のことを本気で見てくれた。
偽物の、空っぽの私を、本気で向き合ってくれた。
不運の渦に飲まれる私に、抗うことを教えてくれた。
偽物の私を、本物にしてくれた。
そんな恩人を私は…私は…
転送が完了し、近代的な様式の部屋の中では、誰もが助かったことを喜ばなかった。
その理由は一つだった。
ここまで、多大な負傷者を出しながらも、奇跡的に犠牲者はゼロであったのだ。
たった一人の行方も安否もわからない男を残して。
最後の最後に、一人の少女を救うため、一人の男が崩壊する庭に取り残された。
「おい、オペレーター!特佐の生命反応は探知できるか!?」
「い、今懸命に探しています!」
権藤の怒号に怯えながらも、オペレーターは総出で林田を探した。
ごく僅かな希望に賭けて…
この待っている時間が堪らなく苦痛である。
フェイトは震える体を抑えようと、自分自身を抱きしめるが、その幼く小さい体で背負う責任の重さは計り知れまい。
「私の…私のせいで…」
フェイトはその絶望の目に涙を溜め始めた。
「フェイトちゃん…」
苦しむ親友に、何も言葉をかけてやれずに、高町はただ一緒になって震えを落ち着かせてやることしかできなかった。
「フェイト…」
長く共にしたアルフも、声をかけられずにいた。
フェイトは今、事件の責任をとるつもりで懸命に戦ったが、結果は大勢の怪我人を出しただけでなく、自分の大切な家族を失い、恩人すらも自分のせいで失ったのだ。
悔しさ、無力さ故か、その大きな赤い瞳からボロボロと涙が溢れてきた。
あぁ、ごめんなさい。
私はやっぱり悪い子だ。
だから、母さんは私なんて…
フェイトの精神はついに限界を迎えようとした時であった。
「バーカ」
失意に沈もうとする彼女の意識を引っ張り上げたのは、長く林田の相棒として戦ってきた権藤だ。
彼はフェイトの前でかがみ、その小さな頭を撫でてやった。
「そう簡単にアイツがくたばるかよ」
そこには強がりなどなく、さも当然のように、されど少女を安心させるような温かさがあった。
「信じて待ってやろう、嬢ちゃん」
…
ここ何年も感じられなかった、安らかな気分であった。
血ばかり流れる殺伐とした所ではない。
緑の野原に、美しい白い花が咲き乱れ、その上を名もわからない蝶が踊っていた。
林田は夢とわかっていた。
直前まで何があったかも覚えていた。
それでも、この心地よくも、どこか恐ろしい幻想的な楽園に呆然と立つばかりだ。
次第に体から力が抜けてゆく。
そしてとうとう、野に倒れてしまった。
痛みはなく、力が抜けた体を、地面が優しく受け止めてくれた。
(私は…何を…)
次第に考える力も失われていく感覚だ。
頭の回転の速さに自信のある林田だが、考えることが全て、白い靄がかかっているようだった。
(…眠いな…)
林田にこれ以上ないほど、気持ちの良い微睡が訪れた。
瞼が重くなっていき、目を開けようと思うことすらできなくなってゆく。
(ここ…で…終わ……り………か…)
抗うことなく、その時を受け入れようとしたその瞬間だ。
(これは…)
林田の記憶が最後に映し出したのは…
(光………いや………)
目を眩ますほどの、強烈な光だった。
そして、その中に一人の少女がこちらを見て微笑んでいた。
その暖かさは、大地を見守る母のようであった。
そして、太陽のような明るさの中で、彼女は今にも消えそうな儚い笑みを浮かべ、その大きな瞳から涙を流していた。
林田はそれを拭き取ろうと手を伸ばすも、彼女に触れることはできない。
ただの錯覚だが、林田は冷静さを欠いていた。
驚きで目を見開き、何もしてやれない自分の無力さを呪い、怒りでどうにかなりそうだ。
未だ止め処なく流れる涙を拭いてやることも、震える小さな体を抱きしめることもできない。
手は届かない。
助けられない。
彼の中で存在が大きくなっていく彼女が、血に濡れ、崩れていく。
まさに自分の目の前で、死んでゆくのを見届けるのだ。
そして、彼女は果てしなく遠い。
林田の中で絶望が膨らむと同時に、全身を不快な痛みが襲う。
気力で踏ん張ろうにも、激しさを増す痛みに意識を刈り取られ、今度は対照的に視界は真っ暗となった。
目に柔らかな光が差し込む感覚に、林田は心地よく目覚めようとした。
ただ、途端にその表情を歪ませるのだった。
耐え難い身体中の鈍痛が、ふわふわとしたその意識を一気に引き上げたのだ。
「こ、これはなかなか…」
吹き出す冷や汗が、至る所に開いた傷口に染み渡り、鈍痛が噛み付くような鋭い痛みに変わった。
なんとか気力を振り絞り、起き上がる。
そして、そのあまりにも現実離れした美しい光景に、林田は息を呑んだ。
透き通るほどの綺麗な池を、背の高い立派な木々が取り囲んでおり、自分は柔らかい草原の上に立っていた。
生い茂る緑の隙間から光が差し込み、澄んだ空気を青く照らしていた。
一瞬全ての思考が洗いざらい流される感覚になりかけたが、自分の内から頭に語りかけるような「声」が、彼を現実に引き戻した。
痛みに慣れてくると、彼はまたいつもの調子を取り戻し、警戒心を持って空を見上げた。
「…危なかった。『彼』に感謝せねばな…」
優しくトンッと、自身の胸に手を置きながら呟いた。
天候は全くわからない。ただ白い空間であることはわかった。
恐ろしいほど、自分を引き込もうとするこの空間であることも。
…
持ち直した林田にとって、精神を侵そうとする空間は脅威ではない。
危険性が無くなったところで、林田は腰を下ろし、自身を観察した。
(あれだけ出ていた血は完全に固まったか)
付着した血液だった物体を指で擦ると、ボロボロと崩れていった。
血は止まり、痛みもある程度引き、そろそろ元の場所に戻ろうと動き出した。
周りを見渡せば、どこもかしこも果てしなく続く緑であった。
上を見れば、空自体が光っているのか、柔らかい光を放っていた。
「相変わらず、気が狂いそうだな」
独りごちたところで、誰も反応しない。
そもそも、他の生命の気配が全くないのだ。
鹿の類の獣、虫の一匹、花すら咲いていなかった。
先ほどから感じていた得体の知れない気持ち悪さとは、これであった。
これだけ森が生い茂り、綺麗な水もありながら、生態系が全く作られていない。
広大な緑に、たった一人生きた人間。
方向感覚も全てが狂う中で、林田は確かに気を持ち続けることにした。
暫く歩くと、微かに水が流れる音が聞こえてきた。
その音がある方へ歩いて行くと、そこにはやはり、沢が流れていた。
しかし、林田の目を引いたのはそれではなかった。
一際高く隆起した、苔の生えた岩の上に、二人の
「…ここにいたのか」
近づき顔を確認すると、やはり二人はプレシアとアリシアだった。
アリシアは既に息を引き取っていたが、プレシアはまだ微かに息があった。到底長くは生きられない、弱々しいものだが。
「戻る…の…あな…た…は…」
林田は驚いた。まさか、まだ会話できるのかと。
ボソッと呟く彼女に、林田は答えた。
「戻るさ。こんな私でも、待ってくれている者がいる」
真っ直ぐ答える彼に、プレシアは続けた。
「あなた…の…平…穏を…奪…た…あの…」
彼女が呟く言葉に、林田は一瞬動揺した。
確かに、魔法の世界が関わってからというもの、尊き人の命が失われるのは何度も見た。
親だって殺された。
親同然に接してくれた者も殺された。
あまつさえ、理解者の子を奪おうともしている。
「…ああ。戻さ」
少しの間の後、林田も呟くように答えた。
「…そう…強い…の…ね…」
プレシアはそう言い残すと、以後何も発さず、驚くほど安らかな表情で逝った。
『こんなはずではない世界』
よく気の知れた友人が呟くフレーズが頭をよぎった。
「『戻るのか?』か…」
プレシアは最期を迎えた。
その表情は、亡骸のアリシア同様、何もかもから解き放たれた、安らかなものだった。
「…なんの憂もなければな…」
終わりにしたかった、と。
…
目を閉じ、手を合わせる先には二輪の花。
その下では親子仲良く永遠の眠りについている。
「結局、私の中にいる『彼』を聞き出せなかったか。まあいい、ここが求めていた場所かは定かではないが、今は誰にも邪魔されない場所でゆっくり休んでくれ」
林田は立ち上がり、あたりを見渡した。
どこを見渡しても神秘的な森が広がっている。
しかし、同時に悍ましくもある。
人、獣どころか、虫一匹居らず、永遠に草木が続いているのだ。
土を掘って汚れた手を洗おうと、透き通る池に手を入れた。
魚も何もいない。鬱蒼と水草が生えているばかりだった。
(耳を澄ましても、聞こえるのは私の呼吸と鼓動の音だけ…)
あの二人の亡骸はたいそう柔らかな表情をしていたし、プレシアに至ってはこれから死ぬというのに安心していた。
それが不気味でならなかった。
そして、不意にポケットの中が暖かく、そして時折熱くなったり、また落ち着いたりを繰り返していた。
「『君』も警笛を鳴らすか」
…
林田は妙な胸騒ぎを覚えながら、洗い終わった手を引っ込めた。
その時水の中に泥が舞った。
おかしい。
あれほどまで透明だった池が、途端に茶色く濁り出す。
林田は冷や汗を垂らし、その濁りが晴れるまで待っていた。
「なっ…」
再び透き通る水に戻った時、池の底には先程までなかったものが沈んでいた。
脆く崩れた遺骨、相当年季が入ったことを思わせる壊れた電化製品、壊れ、ヒビの入ったレンガなど…
まるで人類の築き上げた文明が終焉を迎えたようだった。
呆気に取られて気付かなかった林田は、急いで周りを見ると、あたり一面花が咲き乱れていた。それは二人を埋葬した時に生えた花と酷似していた。
先ほどまで全く気配がなかったのに、どこからか夢で見た、名も知らぬ蝶が、その上を舞っていた。
それだけでない。
先程までいなかった動物たちまでもが現れては、皆虚な瞳で林田を凝視していたのだ。
林田は気がつくと、ポケットからカプセルを取り出していた。
全くの無意識であった。
「私は生きねばならない…だから…」
「力を貸してくれ」と、祈りが通じたのか、カプセルは強烈な目を焼くような光を放ったが、今の林田にとってそれはむしろ安心できるものだった。
いざ、この場をさろうとした時、自分の背中を押すように風が吹いた。まるで、これ以上ここに居てはいけないと言うように。
(死者にとって、ここは楽園なのかもな…)
生きている林田としては、とてもではないが、この静寂が魅力的だとは思えなかった。
今度こそもといた世界に戻るため、カプセルのスイッチを押す。
光がスパークし、林田はその眩しさに目を閉じた。
その時、どこからか聞こえてきた。
あの子をお願いね。
あの子を頼んだわ。
ありがとう…
果ての世界
林田曰く、「死者の楽園」とも。現実味のない、空想のような美しい光景が広がっている。緑が生い茂り、そこが見えるほど透き通る水もあるにも関わらず、生態系は醸成されていない。
動物もいなければ、植物以外何もない。その植物も生きているのかわからない。時間も平衡感覚も全てが狂いそうになるそうだ。
林田曰く、「来たものは拒むことはないが、一度引き込まれたら戻れなくなる悍ましさがある」らしい。
詳しいことは一切不明である。