もし、刺されたのがアクアだったら 作:八秒で泣くオタク
二話目?です
2−星野ルビー
─────私はずっと
白々しく泥のようにどろどろとした黒い心を誤魔化すように幾層にも塗り固めた冷たい
白い天井に消毒液臭さが染みついた部屋は私の心の中を表しているようだった。
窓の外に広がる空は今日も灰色で。
それはまるで私の心と同じようにどんよりとしていて。
雨が降るのだろうか、それともこのまま止むのだろうか。雲から降り注ぐどろどろと濁った液体のような雨粒を見つめながら、私はただひたすらに願っていた。
どうか早く晴れてよ、と。
言葉を覚える頃にはもう病気を患っていた私にとって
『
私がどれだけ苦しくても、どれだけ助けて欲しくても見舞いにすら来てくれないパパとママ。
気の毒そうにそんな私を見る看護師さんや先生たち。
そんな人たちを前にして私はパパとママが来てくれないのはお仕事が忙しいからだよねと笑みを浮かべる毎日。
呪いのように心の奥に積もっていく灰のような澱んだ感情。それを吐き出すこともできずに押し殺していく日々の中、私はいつしか自分の気持ちを押し殺すことが当たり前になっていった。
いつの間にか笑顔の裏にはいくつもの仮面を被るようになり、本当の自分というものを忘れていく。
そして、私はいつしか自分自身でさえわからないくらいの分厚い
──────誰にも愛されてないことなんて分かりきっていたのに必死に気づかないふりをして。
そんなある日のことだった。
いつも通り、パパとママが来ない病室で私はひとりぼっちで窓から見える景色を眺めていた。
何の変哲もない灰色の空を見ているうちにふいに涙が溢れてきて止まらなくなった。
泥水のような悲しみが胸を満たし、嗚咽が漏れる。
どうしてこんなに悲しいのか自分でもよくわからなかったけれどそれでも泣いている自分が惨めで情けなくてどうしようもなく辛かった。
闇色に染まりつつある窓の外。
その向こうにあるはずの青空を見たくなった私はベッドから抜け出すとそのまま廊下へと飛び出した。
本当は歩いちゃいけないのに、助けがなければろくに歩けもしないのにガクガクと足を震わせながら壁伝いに歩いていく。
ひんやりとした空気と静寂に包まれた薄暗い病院の廊下。そこに響く私の足音だけが虚しく反響する。
怖いはずなのに不思議と恐怖はなかった。ただただ、目の前に広がる真っ暗な世界に飛び込んでいきたかったのだ。
この暗く深い闇の底へ沈んでしまえばきっと楽になれるような気がしたから。
一歩ずつゆっくりと進んで行くたびに全身を襲う鈍痛。ふらふらとする視界の中で必死になって前に進む。
やがて、廊下の端まで辿り着いた私はロビーの待合室に備え付けられたテレビへ何気なく視線を向けた。
─────全てが奪われた。
どこかの舞台の上に立つ『彼女』の姿に目を奪われる。心臓を鷲掴みにされるかのような圧倒的な存在感。
「·············きれい」
たったの数秒にも満たない輝きとの邂逅に全てが些事に思えるほどに私の心は強く揺さぶられてしまった。
身体を常に蝕む痛痒すら忘れてしまうほどの衝撃が全身を駆け巡る。それは恋情にも似た感情で、雷のように迸る激情が灰色の心を突き抜けていく。
ちかちかと明滅を繰り返す思考回路。呆然と立ち尽くし食い入るように画面を見つめ続ける。
舞台の上でスポットライトを浴びて踊る彼女はどこまでも輝いていた。
その煌めきに魅了され、魂ごと吸い込まれそうになる。
名前も知らない彼女が私には天使のように見えていた。星空をちりばめた夜色の髪にアメジストを思わせる瞳。
妖精のような可憐さと気品を兼ね備えた容姿は見る者全てを魅了するような美しさと輝きを放っていて。
小さな画面の中で一等星の如く煌めく彼女の姿から目が離せない。心臓が大きく跳ねて息苦しいはずなのに胸の奥底から湧き上がる熱に私は身を委ねざるをえない。
ドクドクと高鳴る胸の鼓動。じわっと滲む。まるで、何かに取り憑かれたかのように私は画面の中の彼女に見惚れ続けていた。
脳髄が、筋肉が、神経が、皮膚が、彼女の姿を焼き付ける為だけに特化したものへと成り下がる····················否、昇華されていく。
彩りのない灰色に包まれた世界が色づいた瞬間だった。
この日を境に『私』の毎日は劇的に変わった。
星野アイという『推し』を得た私の視界は灰一色から鮮やかな色彩を纏うようになったのだ。
どれだけ苦しいリハビリも辛い治療も耐えられた。生きる希望すらも失いかけていた私に生きる意味を与えてくれたのは紛れもなくあの輝きだった。
孤独に押し潰されそうになっていた私に光を差し伸べてくれたのは間違いなく彼女だ。
そしてその私を支えてくれたのがせんせだ。
研修医だとか言っていかにも不真面目そうな顔をしているけど本当に優しくて温かい人。
最後の最期まで私に付き添ってくれてパパとママの代わりに私を愛してくれた。
私のワガママを聞いてくれて、一緒に泣いてくれた。
一緒にアイの応援をしてテレビの前で大騒ぎをした。
振りまきたくもない
せんせは私の
テレビの前でアイを見ているときとせんせの前でだけ
ついぞ叶いはしなかったけど経験することなんてないと思っていた初恋は私がずっと欲しかったものを全部与えてくれた。
だから、私は。
──────私は、せんせのことが好き。
それは何よりも純粋で穢れを知らない綺麗で尊い想い。灰色の空を映していた私の目に一筋の光が差し込んだ気がした。
────でも、今の私はアイにも
大好きなアイドルの娘に生まれ変わるなんてそれこそ先生と話していた夢物語みたいな話。
生まれ変わってしばらくはそれこそ死ぬ前に見る都合の良い幻覚なんじゃないかと疑ったくらい。
夢のように明るくて夢のように幸せな毎日。だからこそアイの携帯でせんせの病院に電話してせんせが失踪してるって聞いた時は不安になった。
またせんせと話せると思ったのに、今度は元気な姿を見せられると思ったのに············。
大方、たらしのせんせのことだから女性に言い寄られてそれから逃げる為に雲隠れしたんだろう。
それはそれでむかむかするけど、まあ仕方がない。
なにより辛いのはアイの娘に生まれたからにはアイに私に前世があるなんて悟られないように
推しを一番間近で見る事が出来て、その娘として生を受けられたことはこれ以上ないくらいに幸せだけど同時に残酷でもあった。
今度は『天童寺さりな』ではなく『
「(············これでもう、私が嘘をついてないのはせんせだけになっちゃったね)」
また会いたいなぁ。会えたらいいな。いつだって思い浮かべられるせんせの優しい笑顔。
唯一、私が
アイドルの娘に生まれ変わったなんて言ったら普通 信じてもらえないと思うけれどせんせはきっと受け入れてくれる。
そんな確信があった。
きっと、せんせなら私のことをわかってくれる。
「(·············あぁ、そういえばもう一人いたや、嘘つかなくて良いの)」
─────星野アクア。
私の双子の兄でありながら私と同じ 転生者で私と同等以上の熱量を持ったアイのファン。
お互いに前世のことは知らないけれど生まれてからのこの4年間でお互い度々喧嘩しつつもそれなりに良い関係を築けていると思う。
私がアクアが転生者だと知っているようにアクアも私が転生者だと知っているからお互いに嘘をつく必要がないのは気が楽でいい。
せんせには遠く及ばないけどアイの事を2人で話し合う時間はそれなりに楽しかった。
もっとも、アイの話になると途中まではよくとも根っこのところで解釈違いが起きて私とアクアの意見が食い違うことが多々あるから毎回、議論が白熱しちゃうんだけど。
それでも、こうして嘘偽りなく語り合える相手がいることは嬉しかった。
私とアクアとアイの3人家族。
前世とは比べ物にならないくらい温かくて明るい日々。
将来はアイみたいなアイドルになってせんせにちゃんと告白できたらいいななんて考えながら今日もまた私はルビーを演じる。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
どうしよう。
辺りに金物臭い血の臭いが充満する。
あまりのことに事実を受け入れられなくて息が詰まる。
突然家に押しかけた変な男からアイをかばってアクアが男の持っていたナイフで刺された。
心臓がバクバクと激しく脈打つ。目の前が真っ暗になる。身体が震える。息ができない。
どうして? なんでこんなことになったのかわからない。
ドア越しにつんざくアイの悲鳴にも似た叫び声を聞きながら私は呆然と立ち尽くしていた。
噎せ返る血の臭気。
見えない、見えないけど何が起きたのかはわかる。
私がドアの前で茫然自失としている間に男はどこかに走り去って行ってしばらくしてから救急車のサイレンの音が聞こえてきた。
泣き叫んで狂乱するアイと一緒に救急車に同乗する私だがその心はどこか冷め切っていて。
────これはもう、助からない。
青白い肌で呼吸すらままならないアクアの姿に手鏡で見た死ぬ寸前の自分の姿を重ねてしまう。死を待つばかりだと嫌でも理解してしまう。
どうしてこんなことになったのだろうか。ほんの少し前まで幸せだったはずなのに。
··················ねぇ、せんせ、こんな時私はどんな顔をすればいいの?
どんな『嘘』をつけば───
「········ルビー、これは、俺と『同じ』お前にしか·······頼めない······」
血塗れのアイに話しかける救急隊員の人とサイレンの音に遮られて私にしか聞こえないか細い声でアクアはぽつりと呟いた。
唯一にして絶対の秘密を共有できるたった一人の相手の最期。
たった四年、されど四年もの間一緒にいた兄。
「················なぁに?」
その声を聞いて心のどこかでこれが最後なんだなと納得してしまっている自分が恐ろしい。あまりにも非現実的で受け入れ難い現実を前に私の思考は停止したままだ。
まるで魂が抜けたかのように虚ろな目で返事をした私の手をアクアはそっと握ってきた。今にも消えてしまいそうな程弱々しい力で。
私の手を握る力とは対照的に口元だけは笑みを浮かべている。
「··························前にもこんな事があったけどやっぱりアイの住所がばれたのはおかしい」
アイを守れて良かったと笑いながらも苦しげに話すアクア。こうしている今にも少しずつ命がこぼれていっているのだろう。
それでも、アクアは話し続ける。
まるで何かをやり遂げたかのような満足げな顔で。
アクアの言っていることは正しい。
確かにおかしいのだ。
一世を風靡するアイドルであるアイの住所は私たちという子供の存在もあって普通の芸能人とは比べ物にならない精度で隠されているはず。
それこそ知っているのは社長たちくらいのものでただのストーカーが調べられるものじゃない。
じゃあ、一体誰が?
私の中でその答えは一つしか思い当たらなかった。
「··························どこか、身近にアイを殺そうとしているやつがいる。··························俺の代わりにそいつからアイをお前が守ってくれ」
「···········うん、約束する」
最後の最後までアイのことを気にかけるなんてファンの鑑だね。アイのことが心配で仕方がないのは私も同じ、アクアの頼みを断るなんてことはあり得ない。
だから、私はアクアの手を強く握り返す。するとアクアは嬉しそうに微笑んだ。
その笑顔がどこかで見たような気がして 私の心を俄にざわつかせた。
「························ねぇ、アクア」
「··········ん、なんだ?」
──────思えばこれが分岐点だったのかもしれない。
「最期にアクアがアクアになる前は何て名前だったのか教えて、私も教えるから」
最期になんて言うもんじゃないと思いながらも次の瞬間にも死にそうなアクアの姿を見ていると聞かずにはいられなかった。
お互いに転生者だと知っていても詮索しなかったお互いの過去、でも最期に自己紹介をするくらいならバチは当たらないはずだ。
アクアはそんな私の気持ちを知ってか知らずかふっと笑ってくれた。それはきっと、肯定の意味。
「··············まぁ、良いか············」
嘆息したようにそう言った後、アクアは少し躊躇いがちにゆっくりと口を開く。
少し遅れて私もアクアと同じように口に出した。
「俺の、僕の名前は───」
「私の名前は─────」
「「────
「ぇ···········せんせ?」
➁√ルビー編一話ですがうわ言のようにってのはちょっと無理でしたね
死ぬ間際まで割としゃべり倒すアクアと初期の初期に覚醒してしまうルビー、自分のせいで2度先生を殺してしまったことを知ったアイ
全てが終わった後に事を知るドーム準備中の社長