もし、刺されたのがアクアだったら 作:八秒で泣くオタク
更新途切れちゃってすみませんでした
「安心しなよ、君の大好きなせんせはきっと世界のどこかで見守ってくれているよ。それこそお星さまになって··········ね」
烏の鳴き声がピタリと止んだ。心臓がどくんっと跳ね上がる。ドクンドクンと血流が勢いを増す。
思考が真っ白になって呼吸が乱れ始める。世界から色が急速に抜け落ちてモノクロに染まっていく。
駄目だ、聞いちゃいけないと理性が警鐘を鳴らす。頭の中でガンガンと鳴り響く警報音、これ以上聞いてしまえば取り返しのつかないことになると分かっているのに身体が言うことをきかない。
烏の目線が私を射抜く。
その目はどこまでも深く暗い。吸い込まれてしまいそうなほどの深淵。
「なにを、言っているの········?」
前世のことは自分とアクアしか知らないはずの秘密。私と、さりなとせんせの事を今の私と繋げることが出来る人間はいないはずだ。
それなのにどうしてせんせの事を知っている?
頭が上手く回らない。意味が分からない、理解ができない。
目の前の少女は一体何者なんだ。
混乱する私に少女は口元に弧を描いて笑いかける。
烏の目が私をじっと見据えて逸らすことはない。まるで獲物を捕らえて逃さない捕食者のように。
一歩、彼女が足を踏み出す。
それに反応して私も無意識のうちに後退ってしまう。不吉な予感が止まらない。
疫病神のような不吉さ、闇色に染まった服、底なし沼のような目。そして、なによりも彼女から感じる気配はこの世のものとは思えないほど異質で禍々しいものだった。
今までに出会ったことのない、言葉では形容できないような得体の知れない恐怖心。
耳を貸してはいけない、なにか致命的になる言葉を聞かされる前に逃げなければ。
必死に頭を回転させようとするがも思い浮かばない。
まるで脳ミソがぐちゃぐちゃになったみたいに正常に機能しない。烏の鳴き声がまた耳に入ってくる。
致命的なことが起きようとしている。それだけは分かるのにそれがなんなのかがわからない。
逃げなければと思うのに身体が動かない。まるで金縛りにあったみたいだ。
息が苦しい。冷や汗が流れ落ちる。そして、少女はついに私のすぐ近くにまで歩み寄ってきた。
もう、逃げることはできない。烏の鳴き声が聞こえ、少女の口が開かれる。
「残念だけど雨宮吾郎の魂はこの世のどこにもいないよ、あるとしたらそれこそ星空にかな。彼はもう二度と生まれ変わることはない」
「··········っ!!」
「なんだかんだ言って君は心のどこかで思ってたんでしょ? 雨宮吾郎が、星野アクアがまたどこかで生まれ変わっているって」
────それを期待していなかったと言えば嘘になる。
一度目があったのだ、ならまたどこかで生まれ変わっていても不思議ではない、と。
そんな希望を捨てきれない自分がいたのもまた事実だ。もしかしたらもう一度会えるんじゃないかと、そんな淡い願いを抱いていた。
「雨宮吾郎の魂はあの時確かに崩れて星と海に溶けていった、もう二度と再構成されることはない」
────だからなんだ。
何が言いたい、何者かは知らないけどわざわざ出てきて何のためにそんなことを。
にたにたと笑う彼女を睨みつけずにはいられない。悪意すら感じる笑みに嫌悪感が込み上げてくる。
けれど彼女はそんな視線など気にも留めていないのか、むしろその逆か、嬉しそうに顔を綻ばせて私を見つめてきた。
その瞳には相変わらず感情は映っていない。ただ無機質に、無感動に私を捉え続けている。
「雨宮吾郎は満足して死んだ、その魂に未練など何もない」
だからもう生き返らないと、そう断言した彼女。神のようであり、悪魔のようで、そしてそのどちらでもないにも見える。
人の形をしているのに人とは思えない存在。まるでその目には私の姿なんて写していないかのように思える。
「君と星野アイのおかげだよ」
「················は?」
「細かいことは 省くけど彼の前世にはいくつか強い未練があった。母親を犠牲にしたこと、星野アイの出産に立ち会えなかったこと────そして君を救えなかったこと」
せんせが私を救えなかった?
そんなわけはない、せんせがいたから私の心は救われた。
せんせがずっと傍に居てくれたから、せんせが支え続けてくれたから私はこの世に絶望せずに済んだ。
あの人のおかげで私は知るはずのなかった恋を知ることができた。せんせがいなきゃ私はとっくの昔に死んでいたかも知れない。
私はそれだけのものをせんせから貰った。
それなのに私を救えなかったとはどういうことだろうか。
紛れもなくせんせは私を救ってくれた。
それなのにせんせは私を救えなかったと嘆いていたとでも言うのだろうか。
それこそ本当に『一生』をかけても返しきれない程の恩がある。
「君の気持ちはどうあれ彼からしたら病に苦しむ子供を前にしてなにも出来なかったという後悔が残っていた」
なにも出来なかったなんて嘘っぱちだ。だってせんせはいつだって私のそばにいてくれた。どんな時も寄り添い続けていくれた。
それだけの事がどれほどありがたかったか、どれだけ救われたか。
「出産のことは言わずもがな産まれたときに母親を犠牲にした罪悪感はストーカーの凶刃からアイを庇えたことで晴らされた」
「そして、ろくに太陽の光を浴びることすらできずに最後は病室で親にも看取られずに死んでいった君がアイという母親のもと丈夫な体に生まれ変わったということを知ることで彼の魂を縛っていた最後の軛も消え去った」
だからアイと私のおかげだと嘲笑うように言った。どこまでも見透かすように、私なんかよりも遥かに深いところまで知っているような口ぶりだった。
烏が鳴いている。まるで私の心を嘲るように。頭が痛い、吐き気がする。耳を塞いでしまいたい衝動に駆られる。
せんせが私のことを最後まで覚えていたことに対する喜びよりも、せんせが私のせいで苦しんでいたということを突きつけられたショックの方が大きい。
私がせんせを苦しめていた。私の存在が先生を不幸にした。そんなことは知りたくはなかった。
そして最後の最期に私が名乗ることで晴れたということがさらに私を追い込んでいく。
仮にあの時名前を聞かなければ、名乗らなければ、そんなたらればの話が脳裏に過る。
「···············貴方が誰かは知らないけど、お願いだから放っておいて」
眼の前の疫病神じみた少女がマトモじゃないのはわかる。私やせんせが転生したのと同じ理屈の超常の存在なのかもしれない。
ゾワゾワとした嫌な感覚が泥のように纏わり付いて離れない。足元からなにか良くないものがせり上がってきてるような不快感を覚える。
これ以上彼女の言葉を聞いていたら本当に取り返しのつかないことになる。そんな予感がする。
だから、頼むから、今すぐここから立ち去って欲しい。睨みつけて必死に訴えかけるが、それでも彼女は笑顔のままだ。
「こわーい、でも良いのかな? あたし·········君の知りたいことを知ってるよ」
「··············はぁ」
レッスンを終えて家に帰る途中、思わずため息が出てしまう。できるだけ家の外でも中でも心配をかけないように繕っているつもりだけどちょっとキツい。
あれ以来仕事量は減る所か増える一方で人気が出てきているのは嬉しいけれどその分負担も増えてしまっている。
元々ハードスケジュールだったのに最近はそれに加えて新曲のレコーディングに撮影にライブの準備と休む暇がない。
私ほど働いてる20歳もそういないんじゃないかなぁ、って思う。まあ、それでも弱音は吐かないけどね。
お陰でダイエットは成功したし、仕事が忙しいお陰で入ってくるお金も段々と増えてきた。
それでもまだまだ足りない。私がアイドルとして活動できなくなった後も何不自由なくルビーを育てられるようにもっと稼がないといけない。
「···········ルビー」
あれ以来、ルビーは一度も笑ってない。どれだけ手を尽くしても私ではあの子に笑顔をとり戻すことはできそうにない。
どこか気まずいというか、どう接すれば良いのかわからない。
仕事で忙しくて中々構うことができない上にルビーは優しいから余計に辛い思いをさせてしまったと思う。
やっぱりこういうところで母親としての適性が私にはないのだと痛感させられる。
諦めるつもりはないけれど正直自信がなくなりつつある自分がいるのは確かだ。
それでも、なんとかしてルビーを復起させるとまではいかずとも前を向いて歩いてくれるようにしたい。
切り替えることがいいなんて思わないけどあのままじゃダメになっちゃいそうだから。
せめて辛い気持ちを楽しい思い出で上書きできるように。どんなに醜くても、どんなに心が軋んでも、私にできる精一杯の愛情と優しさを注ぐ。
そのためならいくらだって嘘をつく。どんなに辛い嘘でも、悲しい嘘でも、それがあの子の為になるのならば躊躇ったりしない。
「··········よしっ」
ぱちんと頬を叩き、気合いを入れる。こんな暗い顔をルビーに見せるわけにはいかない。
ドアの前に立ち、軽く深呼吸をして扉を開ける。
「たっだいまー!!」
「っ、アイ!」
努めて明るい声を出しながら玄関に入り、リビングに向かうとそこには血相を変えた社長の姿があった。
その顔に何か良くないものを感じ取り、嫌な予感を覚える。血の気が引くのを感じた。
「どうしたの?···········あれ、ルビーは?」
もう夕方だというのにルビーの姿がない。とっくに幼稚園は終わっているはずなのにどうして家にいないのだろうか。
それに、社長の表情を見る限りただ事じゃないことはわかる。もしかして、またなにかあったんじゃ!? そう思い至った瞬間、目の前が真っ暗になりそうになった。
「ルビーは、どこ?」
「今しがたミヤコから連絡があって ちょうどお前にも電話しようと思ってたとこなんだが·········ルビーが幼稚園からいなくなった」
──────は?
意味がわからない、いなくなったってどういうことなの。もしかして先生が目を離した隙に抜け出して遊びに行ったとか?
でも、ルビーは勝手に出歩いたりしないはずだし、そもそもそんなことをする子ではない。
もしかして誰かに誘拐されたとか?
「なんで?!警察には?!もしかして攫われたんじゃ······っ?!」
「落ち着け!!········なにか争った形跡もないらしいしおそらく遊びの時間に目を盗んで抜け出したらしい、どこに行ったかは分からねえが捜索中だ」
アクアのあの姿がフラッシュバックし、心臓が激しく脈打つ。まさか、ルビーがまた、あんなことに······。
最悪の想像を振り払う。大丈夫、何もされていない。きっと、無事に帰ってくる。
多分、魔が差してどこかに遊びに行っちゃっただけ。満足したら戻ってくるはずだ。
そうだよ、そうに違いない。
だから落ち着いて冷静にならないと。
そう自分に言い聞かせても震えは止まらない。
もし、ルビーにもしものことがあれば私はどうなるのだろう。
私はルビーまで失って生きていけるのだろうか。
耐えられるのだろうか。
いや、無理だ。
絶対に無理だ。
壊れてしまう。
考えるだけで頭がおかしくなりそうになる。
「おいっ、しっかりしろ、アイ!!」
ぐわんぐわんと視界が揺れる。耳鳴りがうるさい。膝から崩れ落ちるようにして床に倒れる。
どうしようどうしようどうしよう。
このままルビーが帰ってこなかったら私は────