今話の主人公はゼファーの息子、ゼットです。
海円歴1494年
film.1 家庭教師、来る!
ここ数年くらいで、唐突に流行り出したパラダイス・イヴと言う睡眠時用アロマ。何でもこれを嗅いで眠ると必ず良い夢が見れるらしく、不眠症の人だけでなく、幅広い年代の人達に人気をはくしている。
ゼファーの息子であるゼットもそれを愛用してる者の一人だ。初めは只の興味本位、流行に乗っただけの試し買いで、効果のほどもどうせ大袈裟な噂だろと信じていなかったが、これが存外バカにならない。このアロマを嗅いで寝ると本当に毎回良い夢が見れる。
現実では優秀な父や弟と比べられ、失敗作だとか、才能を全て弟に取られた残りカスだとか、ダメゼットとか、パシリとか、言われており、正に絵に描いたようなダメダメライフを歩いている。テストはいつも赤点だし、スポーツも俺の入ったチームは何時も負け、おまけにここ一週間くらいは学校にすら通わなくなり、10歳にして立派な引き籠りだ。
そんなダメダメすぎる俺でも夢の中でだけは思い通りに出来る。テストで百点を取って父さんに誉められたり、スポーツでチームを優勝に導いたり、学校のマドンナとデートしたり、
まあ、所詮夢は夢なんだけど。
でも、一度この夢を見てしまったらもう止められない。どうせ才能の欠片も持たない俺は何をやってもダメなんだから、夢に逃げるしかないんだと自己弁護しつつ、今日もアロマを嗅ぎ、布団の中に引き籠った。
「くべっ!」
翌日の目覚めは過去最悪のものだった。
何時もと同じくアロマを嗅いで、ぐっすりすやすや眠っていたら、唐突に体を蹴られ、ベッドから転げ落とされる。落ちた衝撃と痛みにより強制的に夢から覚醒させられた俺は、訳も分からず猛烈に痛む腹を押さえながら、辺りを確認する。
「────!」
すると、さっきまで自分が寝ていたはずの布団の上に見知らぬ女がいた。その女はまるでボールを蹴った後のような体勢をしており、すぐにその女が俺を蹴ったのだと分かる。
「な、何すんだよ!てか、誰だよあんた!」と涙目で情けなく、僅かに恐怖の孕んだ声で、誰何を問えば追加の蹴りが来て、見事に頭部にクリーンヒット。「うぐ!」と頭を抱えて踞る。不平の一つでも言いたいところだが、言ったら言ったでまた反撃されそうで、ひよったゼットはただ恨めしげに青い髪の女を見た。恐ろしく美しい女だった。夜を思わせるサラサラとした青いウェーブの掛かった短髪に、猫のようなつり目気味の金色の瞳。身長は190cm程もあり、女としてはかなり大柄だが均整の取れたモデル体型をしている。着ている服はアーニー・ブラウンの旧作…てか百年くらい前の軍服で、迷彩柄のスカートと、同柄の長袖のジャケットが特徴だ。腰には骸骨柄のベルトを巻き、黒い鞭を携帯し、太股にはガーターリング………すらりとした白い太股が強調され、リングに付いた武骨な黒い拳銃との対比が危険な美しさを放っている。
しかし、やはり一番目を引きつけられるのは大きく縦に開かれたジャケットの前部だろう。胸の大きい女の多いこの世界でも彼女の胸は特別に大きかった。そのため前が閉まらないのか、それとも只の露出趣味なのかは知らないが、ジャケットの前ボタンは全て外されており、谷間はおろか首から臍まで全て見えてる状態だ。もはや痴女である。思春期真っ盛りの男子が寝起きに見るにはいささかどころかかなり刺激の強すぎる格好だ。
これが女慣れした男なら洒落た言葉や口説き文句の一つでも言えたのだろうが、所詮ゼットは超ゼットなわけで……
「うわわ!ご、ごめん!わざとじゃ!」
頭を抑えたゼットが恨めしげに上を見上げると、今さっき初めて会ったばかりの美女のパンツやら胸やらが直で見えてしまう。そもそも勝手に人の部屋に上がってきてる相手に謝る必要もないのだが、そんな現状も忘れ、一瞬で顔を真っ赤にさせたゼットは、慌てて目を逸らし立ち上がる。しかし、余りにも慌てすぎていたため、自分で自分の足を引っ掻けてしまい、前へと転倒!そのまま女の胸に顔からダイブ!しかも、両手はしっかり乳首を掴むというおまけ付きで。もはやわざとやってるのではと思えるが、恐るべき事に全て天然である。
「………………………………………………………」
自分の胸を掴みながら、うわわわ!と更に慌てるゼットを見て、女は頭痛を堪える仕草をし、直後、強烈な蹴りを放ってゼットを引き剥がした。
閑話休題
現在、二人は向かい合って座っている。ゼットは正座をした状態で、対する女は胡座をかいた状態で。もはやどっちが家主か分からない構図だ。少なくとも不法侵入者と家主の構図ではない(逆なら有り得るが)。
それに、不法侵入者の話を一々聞くのも変な話なのだが、口より先に手が出る女に、長年のパシリ生活の経験則から、この女には逆らわない方が良いと直感が働き、ゼットは実に従順に話を聞いていた。
「えーと、つまり話を要約すると、ミラさんは、父さんが俺の引き籠りを治すために送ってきた家庭教師で、海兵時代の父さんの上司ってことですか?」
「そういうことだ。」
大業に首肯く女──ミラ・キュラソー。その姿からは嘘をいってる感じはしないし、下らない嘘をつくタイプにも見えない。しかし、女の話を全て信じるのも出来ない話だ。
何せ父さんは今年で47歳。しかも、かなり早出世だったので、年下の上司がいたとは考えにくい。その父さんの上司となると最低でも5,60歳はいってる筈なのだ。しかし、どう見ても女の外見は2,30歳程度にしか見えなかった。
「失礼ですが、年齢を伺っても」
「女に年を聞くとはデリカシーのない、と言いたいところだが、まあ、もっともな疑問だ。大方ゼファーの上司にしては若すぎると思ったのだろう」
「え、ええ、はい。」
「オレはとある悪魔の実を食べて不老になったんだ。だから、外見年齢と実年齢は違っている。もっとも、まだピチピチの238歳だがな」
「238!!」
思わず大声で驚いてしまった。即座に鞭が飛んでくる。
「ぐぶ!な、なにを!?」
「近所迷惑を考えろ、ダメゼット!今何時だと思ってるんだ!」
正論ではあるがお前が言うな!とゼットは思った。もちろん、声に出す気は無かったが、何時もの癖で声に出してしまう。
「んな!?迷惑って、こんな時間から不法侵入してきたや「あん!」ひいっ!何でもないです!」
軽い一睨みで速攻で白旗を上げるゼット。
その姿はあまりにも情けなくまるで狼に睨まれた羊…いや、兎…いやいや、ヒヨコだ。
「ちっ、情けないほどのヒヨコ体質だな。こりゃあ、ミッチリ鍛えてやらねえといけねえな。覚悟しとけ!」
「ミ、ミッチリ?!きょ、拒否権は?」
「オレは依頼を受けて此処に来たんだぞ。お前に拒否権があるわけないだろ」
おかしい!俺の事なのに何で俺に拒否権がないんだよ!
心からの叫びだった。
しかし、そんな内心が聞こえるはずもなく、また聞こえたとしても気にされるはずもなく、女は立ち上がる。
「それじゃあ、早速外に行くぞ───健全な精神は健全な肉体に宿ると言うのがオレの考えだ。まずはその弛んだ体をネッチョリ鍛え直してやる」
「んな!?」
物凄く嫌そうな顔をするゼットの頬に鞭が飛んでくる。
「んな!?じゃない!さっさと支度をしろこのウスノロ!」
「ぐべっ!り、理不尽だ…!」
ミラ・キュラソー教官に連れてこられた場所は島の北東部にある砂浜だった。湾曲した青い海岸線と対照的な白いサラサラとした砂浜。南国の木々や巨大な岩が散見し、レインシャワーやパラソルまでついている。海の向かいには白い巨大な庭園付きの豪勢な別荘。表札にはROSEANNEと言う金文字がエレガントに表記されている。
ゼットの記憶が正しければ此処はバーダン・ロザンヌと言う大富豪の私有地だ。島一番の富豪であり、砂浜を含めた島の北東部全体をまるまる購入出来るくらいの金持ちである。当然此処もバーダン氏の私有地内であり、部外者の立ち入りは固く厳禁とされている。
(は、入っていいのかな……流石に許可は取ってると思うけど…元海兵らしいし……いや、でも、あの傍若無人ぶりだと無許可で私有地くらい入りそうな気も…)
そして、もう一つの疑問は何故体を鍛えると言われて連れてこられたのが砂浜なのかだ。
この島には海軍駐屯基地や海兵養成学校がある。引き籠ったとは言え今も歴とした学校の生徒ではあるゼットは学校の訓練場を使うことが出来るのだ。
(どうゆうこと?いや、別に学校に行きたいとかじゃないんだけど、これはこれで不気味だよ)
何せ相手は寝ている子供に蹴りを入れるような女である。まともな訓練をするとは思えない。そこにきて、連れてこられたのは訓練とは似ても似つかない砂浜(プライベートビーチ)だ。公共の場では出来ないような恐ろしい訓練をさせるつもりなかと、邪推してしまうのも仕方無い。
「あの……訓練場でやらないんですか?俺一応軍養成学校の生徒ですよ」
恐る恐ると聞くゼットに、ミラは振り返らずに答える。
「お前のような弛んだ体の奴がいきなり激しい運動をしたら体を痛める。その点、砂浜なら体に負担をかけずに鍛えることが出来るからな」
「なるほど」
思ったよりまともな答えが返ってきた。
失礼なことを考えていたゼットはちょっぴり反省するのだった。
film.1裏 家庭教師、見る!
ミラ・キュラソーは教育のプロである。元々はとある国の軍隊の教官だったが、その高い実力と教育能力に目をつけた世界政府が、海軍に中将の地位を用意し、引っ張ってきた。彼女はすぐに大将へと昇進し、100年ほども海軍の最高戦力として君臨し続け、多くの優秀な海兵を育て上げた。
気に入った者しか育てないと言う拘りがあるものの、逆に彼女が目をつけたものは必ずと言って良いほど大成する。その中には現大将である仏のセンゴクや、5年前海軍を辞し教官に転向した黒腕のゼファー、元帥コングなども含まれる。
そんな彼女が現在育てようと思っているのがゼットと言う子供だ。前評判は今迄取ってきた弟子の中で一番悪く、バカで運痴でスケベなダメダメな人間、おまけに根性までなく、早くも引き籠りになっている。
しかし、彼女の優れた教育者としての眼力はゼットの中に眠る巨大な才能を直ぐに見抜いた。
天才には二つのタイプがいる。一つはゼファーやゼットの弟のような早熟型の天才、もう一つは大器晩成型の天才だ。彼はどうやら大器晩成型のようで、器だけなら父をも越えているだろう。
「存外面白い仕事になりそうだな」
そうニヤつくミラの視線の先で、学校にも行かずぷらぷらとゲームショップから出てきたゼットは、チワワに追いかけ回された挙げ句、買い物帰りの奥さんとぶつかり、盛大に股に顔を埋め、強烈なビンタを貰っていた。
「…………先は長そうだがな」