逆行TSはよわくてニューゲームか? 作:ハムスターの尻尾
前略、世を儚んで海に身を投げたと思ったら、5年前にタイムスリップした。
「……は?」
しかも、女の姿で。
「…………はい?」
──冗談みたいな経緯だが、何はともあれ。
俺はこの瞬間、実体を伴ってこの場に存在してしまっている。
今は2017年4月。
前述の通り、俺が自殺を試みた2022年の春から丸5年、時間が巻き戻っている。当然、俺はもう当時所属していた養成学校の3年生ではない訳だが、かと言って何者なのかと聞かれてしまうと、すごく困る。
気づいたら荒れ果てた街の片隅で倒れていて、身分を証明するようなものも何も持っていなかった。
しかも、容姿どころか肉体の性別すら違う。18歳の男だったはずの俺の身体は、まだ幼いとすら呼べる少女の姿に変わっていた。
当たり前に混乱したが、残念ながらこの乱世では災害孤児だの、行方不明者だのは珍しくもなく。
俺はほぼ自動的に、そこら辺の孤児院に引き取られることとなった。
全く、どうしてこうなった。
『──速報が入りました、
退屈なサスペンスの再放送が終わった、平日の昼下がり。談話室に一台だけのテレビは、今度は変わり映えしない午後のニュースを流し始める。
そこに飛び込んでくる、見慣れてしまった速報。
クリプティッドが出現して、人的被害を齎しているという知らせ。
クリプティッド──どこからともなく現れて、人間を含めた生物を襲う黒い靄の塊みたいなモノのこと。
物理攻撃が効かない、死ぬとすぐさま霧散して消える、などの性質から、未だに生態は明らかになっていない。そもそも生物なのかも怪しいところだが。
本来、“Cryptid”とは単に未確認生物を指す言葉なのだが、最初にこれが発見された北米での呼び名が、そのまま固有名詞として定着してしまったという経緯を持つ。最初にこいつが現れたのがどこなのか、というのは未だにはっきりしていない。長らくオカルトじみた都市伝説扱いで、存在が公的に認知されたのは世界規模で被害が深刻化して以降だからだ。
公的機関が手をこまねいているうちに──というのも責任転嫁な気もするが、15年ほど前、日本は大体12個くらいに分割されてしまった。物理的に。世界的にも例を見ないクリプティッドの大規模襲撃による被害の結果だった。
その結果、国家機関によって立ち上げられたのがCP対策部隊。ポジションとしては警備警察のひとつなので、普通に公務員である。
妙に詳しい理由は、俺が通っていたのはそれの養成学校だったからだ。
『シモツキ所属CP対策部隊が討伐に──』
──ぶつん。
その瞬間、おもむろに。
ディスプレイの中、真面目な顔でこちらを見つめる女性アナウンサーのバストアップが闇に飲まれる。
驚きはしなかった。
視界の端に映る、リモコンを構えたポニーテールの少女。彼女が、テレビの電源を落としたのだ。
「…………」
数少ない娯楽を奪われたことに対する怒りの声は上がらなかった。
ここにいるのは、ほとんどがクリプティッドによって家も親も奪われた子供たち。何なら、そういった経緯で別の孤児院にいたのが、災害によってさらにここに流れ着いたような散々なタイプもいる。
要するに、クリプティッド襲来のニュースなんて、地雷中の地雷。
リモコンを乱暴にテーブルの上に置いた少女は、足音荒く部屋を出て行き。それを皮切りに、ソファや床で思い思いにくつろいでいた子供たちも、さりげなく立ち上がって自室に戻っていく。
後には、椅子に座って本を開く俺だけが残された訳だが。
「……俺も戻るか」
経験則だが、1人でいると色々とロクなことにならない。
普段なら見過ごされているようなちょっとしたことで職員にぐちぐち言われたり、面倒ごとばかり起こる。彼ら彼女らのストレス解消の捌け口にされているような感じだ。
擦り切れた文庫本を棚に戻して、廊下に出る。……その前に、トイレに寄っておくか。
「……うむ」
ジャー、と洋式便器の水を流して、個室の扉を開ける。
……未だに慣れない。シャワーもトイレも精神衛生上できるだけ避けたいが、そうすると物理的な衛生上良くないので、やるしかない。
恋人や妻がいるような男だったらすぐに順応できたのだろうか……と益体もないことを考えつつ、洗面台で手を洗う。
ふと、鏡に映る自分の姿に目が留まる。
「…………」
薄く紫がかった紺色のストレートヘア。強引に左へ流して最低限の視界を確保している、長い前髪。毛先は肩につくかつかないかという長さだが、そのうちもっと伸びてしまうのだろう。
つり気味の瞳に収まる深紅が、蒼白に近い肌の色も相まって、血のようで不気味だ。かつて思っていたことを、今になっても思う。
色彩だけを摘んで抜き出せば、俺は“かつての俺”によく似ている。
「陰気な女」
手のひらに溜まった水を、鏡の中の自分にぶち撒ける。マナー違反だとはわかりつつ、妙に苛立っていた。
きつくコックを締めて、ハンカチで手を拭きながらトイレを出た。
誰もいない廊下をつかつかと歩く。
気分が悪い。
ここに来てから良い気分になったことなど一度もないけれど。
「──シレネ、」
早く部屋に戻ろう。
「シレネ」
軽い頭痛がする。夕飯までまだ時間はあるし、少し仮眠でも取って、
「……シレネ」
「っ、」
おもむろに。
肩口に襲いかかる重みと熱。その部分から、一瞬で鳥肌が全身に広がる。
とっさに振り返った先、ごく薄いブルーグレーと視線がかち合った。俺よりもやや背の高い少年が、こちらを覗き込んでいた。
決して大きくはないこの孤児院において、知らない顔ではなかったが、むしろ不愉快な気分にさせられた。
「お前……」
「ああ。俺だ」
青みがかった白髪、しっかりした体躯のわりには血の気の薄い肌。全体的な色素の薄さに見合った透明な無表情が、じっとこちらを見つめている。
「……何の用だよ」
とりあえず、肩に乗ったままの手を払い除ける。他人に触られるのは嫌いだ。“昔”から。
──
ずっと呼ばれていたのか。慣れない呼び名に、反応が遅れた。
まさか、本当は18歳の男なんですうなどと世迷言を口走る訳にもいかず、あくまで孤独な記憶喪失の少女として貫き通した結果がこれだ。まあ、早々に精神病院にぶち込まれるよりはマシな顛末だったと思いたい。
そして目の前のこいつは、明らかに不機嫌が滲み出る俺には一切動じず、
「スズカケさんが呼んでいる」
淡々と、それだけを口にした。
「スズカケ……」
何の揺らぎも見られない報告だったが、その名が出たことは、俺にとっては多少なりとも驚くべき事態だった。
成島スズカケ──このヤヨイ島に配置されたCP対策部隊の長であり、日本全土を含めても5本の指に入る実力者だ。
そんな男がなぜこんな場末の孤児院に……というのは、ここの正式な名称を知っているなら出ない疑問である。
ナルシマ孤児院、それがこの院の名前であり、他ならぬ成島スズカケが私財を投じて設立した施設なのだ。といっても多忙なスズカケはあくまで名誉院長という立場に収まっており、運営は外部の人間が行っている訳だが。
それ故に、疑問が生まれる。
「……何であの人が?」
「理由までは教えてくれなかった」
淡白な返答。こいつは嘘がつけるようなタイプではないので真実なのだろうが、それはそれで不気味なだけだ。
それきり無言で佇む俺を見て、何を思ったか。
「俺も呼ばれている。一緒に行こう」
機械のような柔らかみのない仕草で、大きな手を差し出してくる。
俺は、その手を──
「…………」
無視して、脇をすり抜けた。
……ややあって、後ろから落ち着いた歩みで着いてくる気配がする。
不快なだけだった。
無駄に子供扱いされていることも──同じくらいまだ幼い、この男の存在も。
こいつのことを、俺は今の彼自身よりよく知っている。知ってしまっている。
成島タツナミ。
一言で表すのなら──天才であり。
俺が、命を絶つことを決意した、実質的な原因となった男である。