逆行TSはよわくてニューゲームか? 作:ハムスターの尻尾
基本的にクリプティッドに関わる話題は御法度なこの孤児院において、その上で子供たちが盛り上がる題材がひとつだけある。
それは言わずもがな、名誉院長である成島スズカケに関する話題だ。
明るくおおらか、そして強い、と物語に出てくるヒーローのような彼の存在は、何もかもを無くした幼子にとっては唯一に等しい希望だった。
今も、また。
汚れた型落ちのディスプレイの中、輝くスズカケの微笑みは、闇に生きる子供たちの目を、心を惹きつけている。
……いや、そんなことは俺にはどうでもいいのだけれど。
街灯に吸い寄せられる蛾のように小さなテレビを取り囲む彼らから、手元にある文庫本に視線を戻す。談話室にある書籍はとうに著作権が切れていそうな過去の名作ばかりで、それももう、一通り読み終えてしまった。
それでも、啓発本の引用かというようなことしか話さないインタビューに張りついているよりは気が休まる。
現状、この談話室において。
テレビから離れて過ごしているのは、俺と──もう1人。
「………………」
俺のような捻くれた考えで蛾の一匹になるのを拒絶している訳ではないことだけは確実な、成島タツナミ。
テーブルにペン立てとノートを並べて、何か書き物をしている。テレビの内容なんかには明らかに興味がない様子。
まあ、どういう意図があるにせよ、誰かに咎められるようなことじゃないはずだ。俺も含めて。信仰の自由は守られるべきだろう。
少なくとも俺はそういう考えだが、この件で彼らにそんな適度な距離感を期待するだけ無駄、というのもわかる。
──スズカケは、陽力の数値が高いことは良いことだと思っている。
──ただ、その数値が低いことが悪だとは考えていない。
スズカケはそういう考えなのだろうが、そんなごく一般的かつ複雑な論理は彼らには通用しない。
“善”のカードを裏返したら、そこには“悪”があって然るべきなのだ。
陽力の数値が高いことは、“善”だ。
ならば、数値が低いことは?
「────ッ、」
がつん、と鈍い音がした。
テーブルが揺れる。続いて、小さな何かが板張りの床に散らばる軽い響き。
顔を上げる。
タツナミが、虚を衝かれた表情で床を見下ろしていて。その背後で、女子2人が醒めた目でそんな彼を見下ろしていた。
彼女たちがテーブルだかタツナミだかにぶつかったらしい。
いや、そんな中途半端に曖昧な物言いはよそう。ぶつかりに行ったのだ。
「…………」
陽力の測定試験から、大体1ヶ月。
どこから漏れたのか、誰が漏らしたのか。俺たちの数値は孤児院のほぼ全域に行き渡ることとなり。
前代未聞の結果を打ち出した、成島タツナミ少年の現在は。
……まあ、ものすごく端的に言えば。
いじめられていた。
──彼は、かつての俺にとっては捉えどころのない存在だった。
というか、同じクラスにいた人間は良かれ悪しかれ、彼をそう評価することだろう。
巨体、無口、無表情の三拍子が揃った16歳のタツナミは、とてもじゃないがそこいらの学生が寄りつけるような雰囲気ではなかった。別に俺は寄りつきたくもなかった訳だが。
ならば、今現在、14歳のタツナミはどうなのかと言えば。
……あまり、変わらない。
何を考えているのか。
何も考えていないのか。
よくわからない。
そういう「よくわからなさ」は、当然ながら閉鎖的な集団生活では良くない方向に作用する。よくわからないものは不気味だし、それゆえに甚振っても心が痛むことはない。
この空間において、「よくわからないもの」は、「人間ではない」のだ。
──いや、まあ……あの時よりは親しみやすくはあるのか……?
悪い意味で。
ナメられやすい、ともいう。身長も伸びてきたとはいえ、雰囲気から幼さが消えない辺りが主な要因か。
ただそれはあくまで客観的なあれこれであって、当のタツナミが取る反応は相変わらず“無”である。
今も、ペン立てを拾って埃を払うその仕草からは、「うっかり落としました」以外の感情は窺えない。
……こいつ、人間というものに一切の興味がないんじゃなかろうか。
自分の価値判断だけで動いているから、他人からどう思われようが全く気にしないタイプ。ある意味では鉄人だ。
何にせよ、やめなよーなどと仲裁してやる義理もないので、無視。
どうせ、同じようなことは“成島シレネ”が存在する前にもあったのだろうし。成島タツナミはそれらを歯牙にも掛けず、すくすくと成長する。
わかっていることだ、
「シレネちゃん」
……また別の女子2人が、俺のすぐ横に立った。何でこう、女というのは2人組で行動したがるのだろうな。アイスクライマーかよ。
しかも、シレネちゃん、などと馴れ馴れしく呼ばれる関係でもない。俺はこいつらの顔も名前も覚えていない。
「ねえ。あの子さあ、」
不快に上擦った声。
あの子──タツナミのことだろう。
俺が意図的に無視しているのには気づいているのかいないのか、片方が隣の椅子に腰掛けてくる。この間までは俺と目も合わせなかった女だった。
驚きはしなかった。
ただ、妙な納得があった。
──数値が低いのは、悪。
──数値が高いのは、善。
あの一件で「非人間」にまで評価が下落したタツナミとは対照的に、俺はむしろ「スズカケもどき」にまでランクアップしていた、ということらしい。中身は一切変わっていないのに。
人望とは数字で測れるものか?
その上でやることがいじめの勧誘か。
馬鹿馬鹿しい。何もかもが。
「高い機械壊したんだって?」
「ヤバいよね」
──黙れ。とっさに湧き上がった一言を、表紙を閉じて丁寧に押し潰す。
ゆっくりと、息を吐いて。
顔を上げる。無言でその目を見つめ返す。言語も、呼吸も、必要ない。それらを用いる価値さえない。丸い瞳が落ち着きなく揺れている。
「…………行こ」
最終的に。
根比べに音を上げたのは、彼女たちのほうだった。そそくさと離れていくその背中を、黙って見送った。
誰かを嘲ることで存在する繋がりは所詮、死刑の順番待ちに過ぎない。
他人の首を吊るボタンを押す手間と時間が無駄なだけだ。
それから、さらに何ヶ月か経った。
──いじめは、無視していればいつかは相手が飽きる、なんて言ったりもするけれど。
あくまで机上の空論というか、一般論の域を出ないのかもしれない。
今、そう思った。
もっと具体的に言うと、孤児院の裏手。視界の端で特に覚えのない男子に胸ぐらを掴まれ、壁に押しつけられている成島タツナミの姿を見て、思った。
「…………」
2人はこちらにまだ気づいていない。
どういう経緯でああなったのかはわからないが、どうせ彼のほうがちょっかいをかけた上で逆上したのだろう。一番最悪のムーヴメントだ。
タツナミのほうから彼らに何かする訳がない。良くも、悪くも。
ここ数ヶ月、タツナミは不気味なほど無抵抗だった。
本当に、いじめっ子たちなどいないかのように振る舞い続けた。
それが癇に障ったのか。行為はどんどんエスカレートしていった。
──少しくらい抵抗してみせればいいのに。
ほんの少し、苦いものが胸の内に広がる。拳をきつく握りしめる。
何故?
プライドなどないという訳か。一方的に傷つけられ、穢されたところで。
失うものなどない、と。
じゃあどうして。
──勝つ必要はなかったはずだ。
何も。何もないというなら、戦闘でも、勉強でも、ありとあらゆる全てで、俺がお前に打ちのめされてきた意味とは一体、何だったのだ?
単なる気まぐれだとでも?
くだらない。
──ただ、一度で良かった。
ほんの一瞬でも構わなかった。
井の中の蛙で良かった。狭い井戸の中で、それでも俺は一番なのだと、胸を張って思える瞬間さえあれば。
──生きていけたのに、
鈍い音。
はっと、我に返る。
少年が、タツナミに拳を振るっていた。
タツナミは避けなかった。一切。生白い頬に、固めたそれが、簡単に。
俺が最期まで届かなかった、
「おい」
──2発目は、無かった。
罷り間違っても、彼がさっぱりした性格だったからなどではない。
俺が、その腕を掴んで、力尽くで引き留めていたからだ。至近距離で目が合う。
「何やってる」
……突然の闖入者に、少年は流石に驚いていたようだった。
ただ、すぐに多少持ち直して、
「な、何だよ……こいつの味方すんのかよ」
いかにもテンプレートだな。ヤンキー漫画から語彙を学んだのか?
「加害者を透明化するなよ……お前のことが嫌いなだけだ」
目を、細めて。
にんまりと笑いかけてやる。少年が微かに目を瞠った。
「こいつの味方をしたら──どうする。俺も虐めるのか? 俺はお前らよりずっと“強い”のに? お前はどうして成島タツナミを虐めてるんだ?」
俺の屁理屈に、顔と名前とが全く結びつかない少年はすぐには答えなかった。視線が泳ぐ。それを真っ直ぐ見つめながら、続ける。
「……おつむの底が抜けてるな。理由が欲しいだけだ。間抜けを隠すための」
ここに来て、うるせえ黙れの一言すら出てこない人間に抱く関心などない。この期に及んで理屈を捏ねて戦おうとするその性根が気に食わない。
他人に手を上げる人間は馬鹿だ。どうして馬鹿になりきれない?
お前にはこの男を傷つけるだけの価値がない。
「そのままドブの中で仲良く這い蹲っていろ」
ぱっと、手を離して。
背中を向ける。
──その肩を背後から勢いよく掴む、火照った手のひら。今度は、気持ち悪いなどと思っている暇はなかった。
「────がッ、」
目の前で、星が散った。
背中から盛大にひっくり返って。そこで初めて、思いっきり頬を殴られたのだ、と気づいた。
横たわった地面の上から、ぼんやりと下手人を仰ぐ。
赤く染まった拳を振るわせて、悪鬼の表情でこちらを見下ろす少年。
「…………」
恐怖は湧いてこなかった。
ただ、高揚していた。
──なんだ。去勢されてると思いきや、女の顔面をいきなり殴るくらいの気概はあるんじゃないか。
ああ。
そう来なくては。
「ッ、はは、間抜けから一歩前進したな!」
鉄の味がする。冷え切っていた血液が沸き立つ感覚。そうだ。
こっちのほうが、ずっと良い。
殴られて不快だとは思わなかった。今の彼なら、タツナミに挑む意味だってあるはずだ。憎いから殺す。それ以上の理由も言葉も必要ない。
「そうだ、殺す気がないならいじめなんかするな──いじめで自殺を待つくらいなら、その場でぶっ殺せ!」
俺の咆哮をゴングに、歯を食いしばる少年が荒っぽく俺を組み敷いて。
けれど。
拳は、降ってこなかった。
「やめろ」
落ち着いた制止。
膝を折った成島タツナミが、彼の腕を掴んで、その場に留めていた。
俺がそうしたように。
眇められた白銀の瞳が、鋭く少年を睨んでいる。
「……殺すなら俺から殺せ」
低く抑えた、唸るような呟き。普段の淡々としたそれとは違う。
「彼女は正しいことをした」
正しいこと。
その一言に、俺が呆気に取られている間に、
「っ、気持ち悪いんだよ!」
気持ちが萎えてしまったらしい少年が、タツナミの腕を振り解いた。
正論を吐き捨てて、ややふらつきながらも走り去っていく。すぐに見えなくなった。
後には、同じ場所に同じ打撲痕を作った、俺とタツナミだけが残された。
俺のほうも、その頃には妙に高揚していた気分は落ち着いてしまっていて。
「…………罵倒して煽る、のどこが正しいんだよ」
思ったことを、そのまま呟いてみる。
少年が去っていったほうをぼんやり見つめていたタツナミが、こちらを見た。一瞬、妙な間があった。それから僅かに首を傾げるようにして、
「俺がそう思った」
脱力する。
ずっこけた、というほうが正しいだろうか。今の俺は完全に地面へ寝そべっているので、物理的には叶わなかったけれど。
「……、それは客観的に正しいんじゃなくて、お前が勝手に有り難がってるだけだ」
言われたタツナミは、無言で瞬きした。オノマトペをつけるなら、キョトン、とかそういう間の抜けたものが似合いそうな動きだった。
それから、静かに目を伏せて。
「……ありがとう」
そう、喉の奥から絞り出すように、小さく呟いた。
それを見ていたら、何だかさらに力が抜けた。
「……はあ……」
殴られた頬が、今になって痛む。
全く。最悪だ。
何やってるんだろうな、俺。
俺が標的にされていたならまだしも、今回のターゲットはタツナミじゃないか。放っておけば良かった。
──そもそも、どうしてこんなことになっているんだっけ?
思い返すことすら面倒臭い。
何だか妙に疲れていて、起き上がる気力も湧いてこない。今だけはただ、冷たい土の上で、ゆっくり目を閉じた。