逆行TSはよわくてニューゲームか? 作:ハムスターの尻尾
伸びてきた髪が、だんだん鬱陶しくなってきた。
申し訳程度に手入れしている毛先を弄りながら、白紙の用紙を睨むように見つめる。
──進路調査用紙。
A4のそれには、場違いな創英角ポップ体で、そう記されていた。
とうとう、2度目のこの季節がやってきた。
クリプティッド出現のビフォアとアフターで、我が国の教育事情は大きく変わったらしい。最初からアフター側である俺にはいまいちピンと来ないが。
具体的に言うと、高校卒業時点で働き始める子供が非常に増えた。
大学なんて行くのは本当にごく一部の優秀な人間で、多くは高校に入学し、そのまま自然に就職する。そういう流れが一般的になったのだ。
その関係で、普通科のみの高校はほぼ淘汰され、専門学科を主に扱う全寮制の高校ばかりになった。学び舎というよりは、職業訓練の場という意味合いが強くなったという訳だ。
そして、職業訓練校としての高等学校が隆盛を極める一方で、小学校や中学校は減った。
そもそもの数が少ないので、ほとんどの孤児院はそれらの学区外にある。ただ、義務教育期間の学習内容はオンラインで受けられる仕組みが整備されており、大抵の子供はそこか学習塾で勉強を済ませている。
それはこのナルシマ孤児院も例外ではない。
……という訳で、長々と話したが。
何が言いたいかというと、2度目の高校選びはどうすっかなあと、ただそれだけである。
頬杖をつきながら、埋まらない空欄から目を逸らす。散り始めた庭の桜をぼんやり眺める。
春は嫌いだ。
「……別に、どうでもいいんだよな」
手持ち無沙汰を誤魔化すためにペンを回しつつ、呟いてみる。
関係がない。意味がない。
そもそも、俺は2度目の人生なんか望んじゃいない。
そこでやりたいことも、無い。
俺はあの時、死んだのだ。
それで良かったのに。
「…………」
──現実逃避していても仕方がない、か。
冷静に現状を見つめ直す。今以上の面倒ごとは御免だ。易きに流れることを選んだ時、俺が取るべき選択肢は、必然的に“スズカケの推薦を得てCP対策部隊養成学校に行く”一択となる。
一度通った道ではあるし、今の俺には当時と同程度の才能がある。
トップを狙わずそれなりに生きる、を目標にするなら、これ以上の舞台はないだろう。卒業して対策部隊に入ったところで殉死の危険が、とかはもうどうでもいいのだ。こんな数奇で無意味な人生、早めに終わるに越したことはない。
──成島タツナミのことも、どうだっていい。
存在が視界に入るのは不快だが、良くも悪くもそれだけだ。
今さらあいつに負けて何か思うことなどない。かつて永遠に埋まらぬレベルの違いに苦しんだ“俺”はもういない。それゆえに意味がない。
最初からいなかった。
井戸の中ですら海水を飲んで死んだ哀れな蛙は存在しなかった。
“成島シレネ”が発生したことで、そういう結果になったのは、ある意味では救いだったのかもしれない。だから何だという話だけれど。
「……シレネ」
「…………」
……とか考えていたら、当の本人がやってきてしまった。何なんだ、一体。
許可なく勝手に隣の椅子へ腰掛けてくるのを、横目で苦々しく眺める。邪魔だと追い返すのすら面倒だった。
タツナミは、A4サイズの紙を一枚と、鉛筆を持っていた。何の紙かは覗いて確認するまでもない。俺と同じ、進路調査のそれだ。
鉛筆を握って前を見据えたまま、タツナミが慎重に声を掛けてくる。
「……シレネは……どの高校に行くんだ……?」
どこにそんな個人情報をお前に教える義理があるというのだ。とりあえず、無視する。
──こいつが妙に俺に絡んでくるのは、残念ながら今に始まったことではない。
“記憶喪失の少女”という厄介ごとを連れてきたタツナミは、職員から「タツナミ君が色々教えて、仲良くしてあげてね(無駄な仕事増やすんじゃねーよ)」という嫌味を仰せつかっており。遵守意識が服を着ているようなこいつは、その命令を完遂すべくちょいちょい俺に話しかけてくるのである。
──にしても、最近は輪をかけて鬱陶しいけどな……
どうでもいい日常の話題まで振ってくるようになって、面倒なことこの上ない。そもそもの人間性が欠如しているのに、雑談なんて高度なコミュニケーションを取ろうとするな。
「……陽力の数値が高かったから、CP対策部隊の養成学校に行くのか?」
急に思考へ割り入ってくる、慣れ親しんだワード。一瞬、どきりとする。
「皆、そう言っているし……」
皆。
男同士の揉め事に首を突っ込んで、あげく顔面を殴られたことが知れ渡っている女の話題は、どういう温度感で取り扱われているのだろうな。
ちなみに、例の一件以降、タツナミへのいじめは嘘のように収まった。俺という異常者が第三勢力として現れたことで、複雑を嫌う子供たちは面倒臭くなったのだろう。単純な話だ。
……で、こいつは一体何が言いたいのだ?
「……、俺は、数値が低いから……」
低い訳じゃない。
だから、あいつらの話を鵜呑みにするなと言ったのに。
手の中で安物のボールペンが軋む。
「どこでも良いだろ」
どうせ、お前はスズカケの推薦の下、養成学校に入ることになる。
「お前に関係ない」
興醒めだ。
用紙を引っ掴んで、席を立つ。タツナミはまだ何か言いたげな顔をしていたが、知ったことではなかった。
国立ヤヨイCP対策部隊養成学校への入学が、ほぼ決まった。かつての“俺”が所属していた学校。
俺の実力を知っているスズカケは、二つ返事で推薦枠の提供をOKした。その時、タツナミの話はしなかった。今後どういう流れを辿るにせよ、俺がお膳立てしてやるようなことじゃない。
あとは試験を受けて終わりと思いきや、スズカケから「秋の学校見学には行ってほしい」と言われてしまった。やる気を見せるという意味もあるし、俺自身のためにもなるだろうからと。そういえばそんなんあったな。
「……面倒臭いけど、しょうがないよな」
手の中の、パッケージに包まれたボールペンを見下ろして呟く。
ここは孤児院最寄りの商店街、その片隅にある文房具店。備品の類は基本的に一括で取り寄せしているらしいが、社会勉強の一環なのか、こうして子供だけで買い出しに行かされることがたまにある。
まあ、釣りは自由に使っていいと言われている辺り、息抜きかご褒美みたいなものなのかもしれないが。
──小銭を渡されたって、欲しいものなんかないけれど。
メモを片手に必要なものをカゴに放り込んで、会計に向かう。息抜きも何も、小さな個人経営の店に面白いものなど何もない。
「128円のお返しになりまぁす」
渡された釣り銭を、そのままレジ横の募金箱に突っ込んで、店を出た。
──ところでこの買い出し、単独で行かされるということはまず無い。
つまり、今の俺にも同伴者がいるという訳だが。
「終わったのか」
「…………」
……それがどこのどいつか、などという説明は今さら必要か?
巨体で狭い通路をうろつかれるとマジで邪魔、という理由で店の外に追い出していた同伴者の前を、ほぼ素通りして帰路に向かう。
無言で着いてくる気配がする。何か「袋を持ってやるから寄越せ」みたいな仕草をしていた気がするが、見なかったことにした。
──なんっで、ここに来て、わざわざこいつなんだ?
気づいたら要望とか聞かれるまでもなくこの男になっていた。
一番有り得るのは、俺に人望がなさすぎて消去法でタツナミになったとかそういうアレだ。
少なくとも俺は、いじめ勧誘アイスクライマーとか男女平等パンチ君とかには嫌われていることが確定しているからな。そして、その3人は確実に俺よりは人望がある。
にしても、俺にとっては誰であろうがこいつが着いてくるよりは何もかもマシなんだけど。息抜きのはずのイベントがむしろマイナスに作用している。
──こいつだって、俺のことなんか好きじゃないだろうに。
同情はしないが、哀れではある。普段から変に構うからこんな目に遭うんだぞ。
……何にせよ、さっさと帰ろう。
改めてそう思った瞬間、
「────!!」
おもむろに。
昼下がり、閑静な商店街に鳴り響く特有のサイレン。
「……クリプティッド」
聞き慣れてしまった、CP出現の警報音だった。しかもこのパターン、かなり近い。
目も鼻も口もないクリプティッドだが、奴らには人間の存在を感知する何らかの機能が備わっているらしい。しかし、その探知機能は遮蔽物があればあるほど精度が下がる。要するに、こういう場合、屋外にいるよりは建物の中にいるほうが圧倒的に安全ということだ。
「シレネ、店に戻ろう」
焦ったところなど見たことがないタツナミが、やはり落ち着いた声音で呼びかけてきた。
周囲の人間は、とっくに避難の姿勢に移っている。……孤児院に帰っている余裕はもう無い、か。
こいつと避難するのは癪だが、仕方ない。踵を返して、文房具店に戻る。
気の良さそうな女性店主は最初から俺たちを心配してくれていたようで、扉から顔を出す彼女と目が合った。手招かれる。
有り難く店の中に足を踏み入れようとして、
「ママぁ」
微かに耳に届いた声に、一瞬思考が止まる。
幼い子供──少女の声。泣いているような声だった。
振り返る。
「ママ、どこぉ?」
少し離れた場所。
愛らしいワンピースに身を包んだごく幼い少女が、既に誰もいなくなった商店街を彷徨っていた。
──はぐれたのか。
瞬時にそう思う。
こんな時に。母親らしき人間が出てくる気配はない。対策部隊も、まだやって来ない。
誰も手を出さない。
他人だからだ。
当たり前だ。
「…………」
タツナミも、動かない。
この距離だ。間に合わない──かもしれない。それで自分がやられたら。そうだ。間違いない、
「っ、ママぁ……!」
……悲痛な叫びに惹かれたか。
とうとう、商店街の入り口にクリプティッドが姿を現した。
四つ足の獣型。しかし、大きい。
少女はまだ気づいていない。
気づいたところで、もはや手遅れだろう。子供の足ではとても逃げ切れない。
あの子供は死ぬ。
クリプティッドが走り出した。いよいよ間に合わない。
わかっている。
「……っ、」
ああ。
──理解していることと、そうすることはまた別の話だろう?
タイルを蹴って。少女に向かって走り出した瞬間、まず頭に浮かんだのはそんな詭弁だった。
ソフィストが。
俺は俺のそういうところが一番嫌いだ。言い訳するくらいなら最初からやらなければいいのに。
馬鹿馬鹿しい。
その通りだ、
「シレネ、」
背後から声が聞こえた。
今度は、振り返らなかった。
どうでもいい。そうだろう。
俺のことなんて。
──俺は、辛い時に親の名前を呼んだことなどない。
泣いたこともない。
そんな真似は無駄だと最初からわかりきっていたからだ。
誰も助けてはくれない。
期待などしない。
だから。
「……泣けるだけ良い人生だろ」
……俺は今、どんな顔をしているのだろう。
涙目と一瞬、視線が絡む。呆けた顔で俺を見上げる少女の首根っこを、掴む。
お前が大切だから助ける訳じゃない。そんな高尚な思想など持ち合わせちゃいない。けれど、
「無駄にしてんじゃねえよ」
そのまま勢いに任せて、後ろに放り投げた。時間稼ぎくらいにはなるはずだ。
「ッ、つ」
でも、俺は。
スピードを殺し切れず、硬いタイルに強か膝をぶつけた。痛い。でも、泣くほどじゃないよな。
恐怖はなかった。
影が、迫る、
「──────、」
漆黒の爪が。
身体が。
何の前触れもなく──その瞬間、頭上で霧散した。
音も無かった。
アーケード越しの日差しが、再び淡々と降り注ぐ。何が起こったのか考えるよりも早く、その温もりに惹かれるように、ふと顔を上げる。
──輝く白銀が、午後の日差しに煌めいていた。
まるで、何事も無かったかのように。いつも通りの成島タツナミが、穏やかな無表情で俺を見下ろしていた。それを見た。
「…………」
陽力の極めて高い人間は、水晶核の補助なく武装できる。
かつて自ら立てた仮説を、ぼんやりと思い返す。
不思議なほど、驚きはなかった。成島タツナミは、それをやったのだろう。そうして、クリプティッドを退けた。誰に言われるまでもなく。
──やはり、天才なのだ。
二の句が継げない俺の前で、タツナミが静かに目を細める。
「……前に、」
地面に落ちたレジ袋を、何気ない仕草で拾い上げて。
「俺のことを“強い”と言ってくれたな」
陽力試験の時。
覚えていたのか。淡白な驚きだけがあった。俺を見つめるタツナミが、ゆっくりと瞬きをする。
そうして、空いた右手をこちらに突き出してきた。──否、差し伸べていた、のかもしれない。
「きみのことを信じたい」
朦朧と、光を背負うその姿を仰いで。
……そこでふと、我に返る。
差し伸べられている。手を。商店街のど真ん中で。
今の俺はまだ、冷たい地面に座り込んだままなのだった。
視線を感じる。危機が去ったことを感じ取ったらしい住民が、店の中からこちらを窺っている。その中には、母親らしき女に抱かれる少女の姿もあった。
「……、1人で立てる」
何とかそれだけを絞り出す。
なんだか、ものすごく恥ずかしいことをされている気分だった。
──名前も知らない広葉樹の赤く色づいた葉が、地面いっぱいに敷き詰められている。
体感としては8年近くも前に最初にくぐった門を、今また通る。
そう。
あれから、何ら変わり映えのない日常は、倍速を掛けているかのようにあっという間に過ぎ去って。
今日は、別に待ちに待ってもいない学校見学の日だった。
……当時、俺はどんな期待を抱き、何を思っていたのだろう。
それらは形としては思い出せても、感情として心に染み込んでくることはない。永遠に失われた喜びの味を反芻することはできない。
「早く帰りてえ」
温もった便座の上、掃除の行き届いた天井を仰いで、ぼやく。
校舎も何もかも見慣れた場所だし、嫌な思い出しかない。
早々に不快な気分にさせられたので、今は僅かな休憩時間を利用してトイレで息抜きを図っている最中だ。
「…………」
タツナミは、一緒ではない。
彼は未だ推薦枠を獲得していない。
それだけが一応の救いか。見慣れた学び舎と成島タツナミの組み合わせなんて、精神に悪すぎる。
今ですらほとんど参加者と目を合わせないようにして出来るだけ窓の外を眺めているというのに。
推薦枠のくせに態度が最悪というお叱りは甘んじて受けよう。そもそも入学してからもそんなに真面目な生徒をやる気はない。
追い出したければ追い出せばいい。陽力値0.89なんて、どこの養成学校も喉から手が出るほどほしい人材のはずだろうけれど。
俺にはもう、価値がないのだ。
「…………戻るか」
「はあ……」
手を拭きながら、トイレを出た。
プログラムは残り半分。今の時点で最悪の気分だが、何とかやり遂げるしかない。
誰もいない廊下をとぼとぼ歩く。中途半端な時間帯、教室の外に生徒の気配はない。
集合場所に戻らなくては。
そうして、曲がり角に差し掛かったところで。
養成学校の制服ではない少年と、すれ違った。学校見学の参加者だろう。何気なく、顔を見る。
その瞬間。
呼吸が、止まった。
何故って。
居るはずのないものがそこに居た。当然の顔をして。
……あれ?
いや。ええと。
思考が追いつかない。
そんな。
何故。
どうして。
「…………、?」
急に。
幽霊でも見たような表情で立ち止まった見知らぬ女に、彼は怪訝と不快が混ざった顔で横目をくれて。それでも、無言で立ち去っていった。
でも、俺は動けなかった。
ああ。俺にとっては幽霊みたいなものだ。
──どうして、ここに居る?
想像もしていなかった。
死んで、魂ごと生まれ変わったと思っていた。輪廻転生なんか信じちゃいないが、起きてしまった以上はそう考えるしかないだろう。
でも、そうではなかった?
……その仮説自体が、愚かな勘違いだったとでも?
──同じ人間が、ひとつの世界にいるなんておかしいじゃないか。
そうだ。
けれど、それは単なる思い込みに過ぎない。何の、根拠もない。
ばくばくと、心臓が激しく脈打っている。信じられない。……信じざるを得ない。
少年の横顔が、曲がり角の先に消える。
紫がかった紺色が、荒っぽい歩みに合わせて揺れている。
気質の鋭利さを抽出して煮詰めたような深紅のつり目は、ただ真っ直ぐに前だけを見つめている。
俺は、彼を知っている。
──
それが、彼の名前であり。
かつての俺の名前だった。