逆行TSはよわくてニューゲームか?   作:ハムスターの尻尾

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05. 春は死ぬのにちょうどいい季節である

 ──あれから、何をして、どこをどう通ったのか。

 気づけば俺は、ナルシマ孤児院の前で一人、佇んでいた。

 高く昇っていたはずの太陽はいつの間にか、傾きかかっていた。

 ……あれ。

 今まで、何をしていたのだっけ。

 ぼうっと考えて、

 

「…………!」

 

 即座に思い出す。口元を押さえる。

 ──生きていた。

 存在していたのだ──“俺”が。花鳥ウズが。

 どうしよう。

 どうすればいい。

 絶対に起こり得ないと考えていたことが起こってしまった。いや、絶対に起こってほしくない、と思っていたことだった。

 花鳥ウズと、成島タツナミが、出会ってしまう。

 それだけは。

 それだけは避けなくてはいけない。

 何を犠牲にしてでも。

 ……俺は、何をすればいい?

 どうすればまだ間に合う?

 

「…………タツナミ……」

 

 ──成島タツナミ。

 養成学校に、入学させないようにすればいい。少なくとも、ヤヨイ島のそれには。

 それだけでいいのだ。

 同じ学校、同じ学年、同じクラスの一人として出会いさえしなければ。

 それだけで、生きていける。

 

「…………」

 

 拳を強く握りしめる。

 敷地に足を踏み入れる。

 自我の薄いタツナミのことだ。適当に言いくるめられさえすれば、唯々諾々とそれに従うだろう。

 誰もいない廊下を進む。

 何だっていい。

 矛盾していようが、その場しのぎだろうが、何でも。思いついたことをそのまま口に出せばいい。

 それしかない、

 

「────将来有望だなぁ!」

「っ、」

 

 談話室のドアノブを握った瞬間。

 中から響いて来た声に、心臓が跳ねた。……覚えのある、弾んだ響きだった。

 ──成島スズカケ。

 嫌な予感がする。

 考えるな、

 

「────、」

 

 勢いに任せて扉を開けた先──スズカケとタツナミが、向き合って立っていた。それが、二人揃ってこちらを見る。明るい表情をしていた。

 心臓が、再び激しく脈打った。

 

「……シレネ」

 

 先に反応したのは、スズカケに手を握られていたタツナミだった。やんわりそれを振り解いて、こちらに歩み寄ってくる。

 

「帰って来たのか」

 

 いつもよりも穏やかに聞こえる声。柔らかい雰囲気。

 

「……ぁ、ああ……?」

 

 彼は、俺が今日、学校見学会に参加することを知っていた。

 前からだ。そもそもが大したことじゃない。何より、行くつもりはない学校のイベントだったはずだ。

 それで。

 どうして──そんな、何かを惜しむような口ぶりなんだ?

 

「もう少し早く行動していれば良かった」

 

 ……何を?

 頭痛がする。脳の血管全てが浮腫んでしまったかのように、思考が回らない。動けない。

 タツナミは、しばらく無言で俺を見下ろしていたようだったが。

 やがて、決心したように、

 

「……推薦の枠が貰えた」

 

 そう、口にした。

 推薦の枠。

 ……国立ヤヨイCP対策部隊養成学校の?

 彼の背後で、スズカケが満足そうに微笑んでいる。今日、この場所で知ったのだろう。知ってしまった。

 成島タツナミの実力を。

 神に愛された男の才を。

 

「これで、同じ学校に行ける」

 

 常に血の気のない頬に、薄っすら赤みが差しているように見えた。……どうして、そんな顔をしているんだ?

 ああ、でも。

 ひとつだけわかった。

 何もかも、手遅れだったということだけは。

 そして、暗転。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──成島タツナミが死んだ。

 ──4月、それをネットのニュースで知った。

 

 優秀な隊員だった成島は、過去最大規模のクリプティッド発生に際し、その討伐作戦に駆り出されて殉職した。部隊の4割近くを屠った親玉と刺し違えた結果らしい。

 享年18歳。

 トップを飾る無表情のバストショットは遺影じみていて、このニュース記事がこの男の葬式会場なのだと思った。コメント欄に群がる顔のない参列者たちが、彼の死を無責任に悼んでいる。

 それをただ、少し離れた場所で、黙って眺めている。

 成島タツナミ。

 天賦の才を持つ男。最後まで、一度たりとも手が届かなかった男。孤高の神童。

 成島は俺が求めた力の全てを持っていた。誰も勝てない。誰にも負けない。誰からも認められ、称賛される無敵のヒーローなのだ。

 ……だった。

 ぼんやりと。くだらない個人情報の羅列を人差し指で流して、最下部のコメント欄を開く。いつだったか何となく作ったアカウントが生きていたので、少し考えて、

 

『あほ』

 

 それだけをフリック入力で打ち込んで、手向けとしたところで。そのすぐ下に、ほぼ同時に投稿された新たなコメントが現れた。

 アカウント名は“匿名希望”、本文はたったの一行のみ。長文が並ぶコメント欄で、俺とそいつの投稿は妙に浮いて見えた。

 その内容は、

 

『春って死ぬのにちょうどいいもんな』

 

 ああ。

 目を伏せて、タブを消す。スマートフォンの電源を落とす。

 暗くなった画面に、自分の顔が映る。青白く痩せ細って、乱れた髪が目元を覆う無様な姿。

 

「……そうか、」

 

 久しぶりに出した声は、みっともなく掠れて、酷い響きだったけれど。それでも、確かに俺の声だった。

 春は死ぬのにちょうどいい。

 さっそく俺のコメントと競い合うようにバッドがつけられるその“お悔やみ”を眺めて、深く息を吐く。

 立ち上がる。

 部屋の扉を、開ける。降り積もった床の埃が舞い上がったが、気にならなかった。

 そのまま数ヶ月ぶりに降り立った屋敷の階下は静かで、そういえば今は平日の昼間なのだと思い返す。

 外に出た。

 良い天気だった。広い庭に、桜の花びらが舞っていた。小鳥の囀りを聴きながら、長いアプローチを素足で進む。

 

 ──春は死ぬのにちょうどいい季節だ。

 ──だから成島タツナミは死んだのだ。

 ──そうだ。だから、

 

 ……だから?

 門から一歩、足を踏み出す。

 裸足の裏で生い茂った下草を踏みしだく。時間の感覚をとうに失った身体がふらつく。時々、岩のようなものを踏みしめたが、気にならなかった。

 歩く。走る。

 

 ──成島タツナミが死んだ、

 

 はっ、はっ。

 自分の呼吸が煩い。心臓が、肺が痛い。運動不足だからだ。そうだ。間違いない。

 べたつく汗を必死に拭う。歯を食いしばる。

 走って、走って──海沿いの、崖の上まで辿り着いた。

 家の裏手にあるこの場所。昔はよく、ここから水平線を眺めていた。海が好きだった。白く泡立つ波打ち際なんかを見ていると、辛いことを何もかも忘れられる気がした。

 

「…………、」

 

 誰かが持ち込んだのか、種子が飛んできたのか。

 いつの間にか辺り一帯に群生していた薄紫色の小さな花の群れを、踏み潰しながら歩みを進める。ゆっくりと。

 温もった海風が、伸び切った髪を揺らしていく。午後の日差しに照らされる水面が、白銀色にきらきらと煌めいている。

 

「…………ぁあ……」

 

 春は死ぬのにちょうどいい季節である。

 ──その通りだ、

 

 さらに、一歩。

 踏み出した足の裏にはもう、何もない。

 わかっていたことだった。

 浮遊感に身体が包まれる。それから強く下に引っ張られる感覚。

 白波に包まれる灰色の岩場が、眼前に迫って────

 

 

 

 

 

 

 

「────いやだ、」

 

 飛び起きた。

 ……飛び起きた?

 

「ッ、……はっ、はぁっ……」

 

 胸を押さえる。

 ──ここはどこだ。

 薄暗い中、必死に視線を彷徨わせる。

 埃とゴミに埋もれた“俺”の自室ではない。

 ここは──ナルシマ孤児院。女子に割り当てられた共同寝室。規則的に並んだベッドは一様に丸く膨らんでいて、それ以上に動く気配はない。

 

「……ゆめ……」

 

 夢を見た。

 既に終わったことで、存在しないことになった夢を。

 ああ。そうだ。

 俺はもう、花鳥ウズではない。

 あいつは死んだ。

 死んだはず、なのに──

 

「…………う、」

 

 脳裏にフラッシュバックする、あの少年の瞳。血の色の眼。

 とっさに込み上げた嘔吐感に、口を押さえる。

 生きていた。生きている。

 ……この世界に、花鳥ウズは存在してしまっている。

 ということは。

 

 ──また、死ぬのか?

 

 またぬか喜びして。また絶望して。また引きこもって。また──成島タツナミの死を目撃して。

 そうして死ぬ。

 大好きだった海に身を投げて。

 

 ──花鳥ウズが成島タツナミに勝てる日は永遠に来ない。

 

 これは確定事項である。

 俺はまた、“俺”が無様に、惨めに、意味もなく死ぬのを受け入れなければいけない。

 成島シレネは花鳥ウズではない。わかっている。……割り切れない。

 見てしまったから。

 思い出してしまったから。

 “あの時”の気持ちを。

 景色を。

 

 ──……耐えられない、

 

「っ、」

 

 掛け布団を吹き飛ばすようにして、ベッドから飛び出した。とにかく、じっとしていられなかった。

 息が苦しい。

 肺が痛い。

 心臓が早鐘を打っている。

 ──ああ、願わくば何もかも全て、単なる悪い夢でありますように。

 

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