逆行TSはよわくてニューゲームか? 作:ハムスターの尻尾
──あれから、何をして、どこをどう通ったのか。
気づけば俺は、ナルシマ孤児院の前で一人、佇んでいた。
高く昇っていたはずの太陽はいつの間にか、傾きかかっていた。
……あれ。
今まで、何をしていたのだっけ。
ぼうっと考えて、
「…………!」
即座に思い出す。口元を押さえる。
──生きていた。
存在していたのだ──“俺”が。花鳥ウズが。
どうしよう。
どうすればいい。
絶対に起こり得ないと考えていたことが起こってしまった。いや、絶対に起こってほしくない、と思っていたことだった。
花鳥ウズと、成島タツナミが、出会ってしまう。
それだけは。
それだけは避けなくてはいけない。
何を犠牲にしてでも。
……俺は、何をすればいい?
どうすればまだ間に合う?
「…………タツナミ……」
──成島タツナミ。
養成学校に、入学させないようにすればいい。少なくとも、ヤヨイ島のそれには。
それだけでいいのだ。
同じ学校、同じ学年、同じクラスの一人として出会いさえしなければ。
それだけで、生きていける。
「…………」
拳を強く握りしめる。
敷地に足を踏み入れる。
自我の薄いタツナミのことだ。適当に言いくるめられさえすれば、唯々諾々とそれに従うだろう。
誰もいない廊下を進む。
何だっていい。
矛盾していようが、その場しのぎだろうが、何でも。思いついたことをそのまま口に出せばいい。
それしかない、
「────将来有望だなぁ!」
「っ、」
談話室のドアノブを握った瞬間。
中から響いて来た声に、心臓が跳ねた。……覚えのある、弾んだ響きだった。
──成島スズカケ。
嫌な予感がする。
考えるな、
「────、」
勢いに任せて扉を開けた先──スズカケとタツナミが、向き合って立っていた。それが、二人揃ってこちらを見る。明るい表情をしていた。
心臓が、再び激しく脈打った。
「……シレネ」
先に反応したのは、スズカケに手を握られていたタツナミだった。やんわりそれを振り解いて、こちらに歩み寄ってくる。
「帰って来たのか」
いつもよりも穏やかに聞こえる声。柔らかい雰囲気。
「……ぁ、ああ……?」
彼は、俺が今日、学校見学会に参加することを知っていた。
前からだ。そもそもが大したことじゃない。何より、行くつもりはない学校のイベントだったはずだ。
それで。
どうして──そんな、何かを惜しむような口ぶりなんだ?
「もう少し早く行動していれば良かった」
……何を?
頭痛がする。脳の血管全てが浮腫んでしまったかのように、思考が回らない。動けない。
タツナミは、しばらく無言で俺を見下ろしていたようだったが。
やがて、決心したように、
「……推薦の枠が貰えた」
そう、口にした。
推薦の枠。
……国立ヤヨイCP対策部隊養成学校の?
彼の背後で、スズカケが満足そうに微笑んでいる。今日、この場所で知ったのだろう。知ってしまった。
成島タツナミの実力を。
神に愛された男の才を。
「これで、同じ学校に行ける」
常に血の気のない頬に、薄っすら赤みが差しているように見えた。……どうして、そんな顔をしているんだ?
ああ、でも。
ひとつだけわかった。
何もかも、手遅れだったということだけは。
そして、暗転。
──成島タツナミが死んだ。
──4月、それをネットのニュースで知った。
優秀な隊員だった成島は、過去最大規模のクリプティッド発生に際し、その討伐作戦に駆り出されて殉職した。部隊の4割近くを屠った親玉と刺し違えた結果らしい。
享年18歳。
トップを飾る無表情のバストショットは遺影じみていて、このニュース記事がこの男の葬式会場なのだと思った。コメント欄に群がる顔のない参列者たちが、彼の死を無責任に悼んでいる。
それをただ、少し離れた場所で、黙って眺めている。
成島タツナミ。
天賦の才を持つ男。最後まで、一度たりとも手が届かなかった男。孤高の神童。
成島は俺が求めた力の全てを持っていた。誰も勝てない。誰にも負けない。誰からも認められ、称賛される無敵のヒーローなのだ。
……だった。
ぼんやりと。くだらない個人情報の羅列を人差し指で流して、最下部のコメント欄を開く。いつだったか何となく作ったアカウントが生きていたので、少し考えて、
『あほ』
それだけをフリック入力で打ち込んで、手向けとしたところで。そのすぐ下に、ほぼ同時に投稿された新たなコメントが現れた。
アカウント名は“匿名希望”、本文はたったの一行のみ。長文が並ぶコメント欄で、俺とそいつの投稿は妙に浮いて見えた。
その内容は、
『春って死ぬのにちょうどいいもんな』
ああ。
目を伏せて、タブを消す。スマートフォンの電源を落とす。
暗くなった画面に、自分の顔が映る。青白く痩せ細って、乱れた髪が目元を覆う無様な姿。
「……そうか、」
久しぶりに出した声は、みっともなく掠れて、酷い響きだったけれど。それでも、確かに俺の声だった。
春は死ぬのにちょうどいい。
さっそく俺のコメントと競い合うようにバッドがつけられるその“お悔やみ”を眺めて、深く息を吐く。
立ち上がる。
部屋の扉を、開ける。降り積もった床の埃が舞い上がったが、気にならなかった。
そのまま数ヶ月ぶりに降り立った屋敷の階下は静かで、そういえば今は平日の昼間なのだと思い返す。
外に出た。
良い天気だった。広い庭に、桜の花びらが舞っていた。小鳥の囀りを聴きながら、長いアプローチを素足で進む。
──春は死ぬのにちょうどいい季節だ。
──だから成島タツナミは死んだのだ。
──そうだ。だから、
……だから?
門から一歩、足を踏み出す。
裸足の裏で生い茂った下草を踏みしだく。時間の感覚をとうに失った身体がふらつく。時々、岩のようなものを踏みしめたが、気にならなかった。
歩く。走る。
──成島タツナミが死んだ、
はっ、はっ。
自分の呼吸が煩い。心臓が、肺が痛い。運動不足だからだ。そうだ。間違いない。
べたつく汗を必死に拭う。歯を食いしばる。
走って、走って──海沿いの、崖の上まで辿り着いた。
家の裏手にあるこの場所。昔はよく、ここから水平線を眺めていた。海が好きだった。白く泡立つ波打ち際なんかを見ていると、辛いことを何もかも忘れられる気がした。
「…………、」
誰かが持ち込んだのか、種子が飛んできたのか。
いつの間にか辺り一帯に群生していた薄紫色の小さな花の群れを、踏み潰しながら歩みを進める。ゆっくりと。
温もった海風が、伸び切った髪を揺らしていく。午後の日差しに照らされる水面が、白銀色にきらきらと煌めいている。
「…………ぁあ……」
春は死ぬのにちょうどいい季節である。
──その通りだ、
さらに、一歩。
踏み出した足の裏にはもう、何もない。
わかっていたことだった。
浮遊感に身体が包まれる。それから強く下に引っ張られる感覚。
白波に包まれる灰色の岩場が、眼前に迫って────
「────いやだ、」
飛び起きた。
……飛び起きた?
「ッ、……はっ、はぁっ……」
胸を押さえる。
──ここはどこだ。
薄暗い中、必死に視線を彷徨わせる。
埃とゴミに埋もれた“俺”の自室ではない。
ここは──ナルシマ孤児院。女子に割り当てられた共同寝室。規則的に並んだベッドは一様に丸く膨らんでいて、それ以上に動く気配はない。
「……ゆめ……」
夢を見た。
既に終わったことで、存在しないことになった夢を。
ああ。そうだ。
俺はもう、花鳥ウズではない。
あいつは死んだ。
死んだはず、なのに──
「…………う、」
脳裏にフラッシュバックする、あの少年の瞳。血の色の眼。
とっさに込み上げた嘔吐感に、口を押さえる。
生きていた。生きている。
……この世界に、花鳥ウズは存在してしまっている。
ということは。
──また、死ぬのか?
またぬか喜びして。また絶望して。また引きこもって。また──成島タツナミの死を目撃して。
そうして死ぬ。
大好きだった海に身を投げて。
──花鳥ウズが成島タツナミに勝てる日は永遠に来ない。
これは確定事項である。
俺はまた、“俺”が無様に、惨めに、意味もなく死ぬのを受け入れなければいけない。
成島シレネは花鳥ウズではない。わかっている。……割り切れない。
見てしまったから。
思い出してしまったから。
“あの時”の気持ちを。
景色を。
──……耐えられない、
「っ、」
掛け布団を吹き飛ばすようにして、ベッドから飛び出した。とにかく、じっとしていられなかった。
息が苦しい。
肺が痛い。
心臓が早鐘を打っている。
──ああ、願わくば何もかも全て、単なる悪い夢でありますように。