逆行TSはよわくてニューゲームか?   作:ハムスターの尻尾

6 / 6
06. 再演

 ずっと、気づかないふりをしてきただけだった。

 

 ナルシマ孤児院は、俺の実家のすぐそばにあって。

 あの崖も、すぐ近くにあった。

 海が好きだ。

 好き、だった。

 だから、考えないようにしていた。波の音も。潮の香りも。

 でも、思い出してしまった。

 何もかも。

 

 

「はっ、はっ……」

 

 素足でコンクリートを蹴る。走る。

 辺りは薄暗い。夜明け前、街はまだ眠っている。ここで、俺がやるべきことはもう決まっている。

 早く。はやく、

 

 ──……死なないと、

 

 花鳥ウズが生きていた。

 だからもう、成島シレネは生きていられない。俺は“俺”が二度死ぬのを受け入れることはできない。

 死なないと。

 何もかも、無かったことにしないと。成島シレネなんて存在しなかった。

 それが最良で、絶対で、そうするしかないのだ。

 

 ──花鳥ウズは成島タツナミに勝てない。

 ──成島シレネは成島タツナミに勝てない。

 

 だったらもう、こうするしかないじゃないか。

 未来は変えられない。ここで“花鳥ウズ”という最低のクソ映画がエンドロールまで垂れ流されることが決まっているのなら、席を立つしかない。

 人生という席を。

 

 

「はあ……ッ、」

 

 ……どれだけ走ったのか。

 いつの間にか、あの崖の上までやって来ていた。道は、足が覚えていた。

 水面の向こう。煌めく朝陽が、昇りかかっていた。──忌々しい、

 

「…………」

 

 花なんか咲いていない、枯れかかった下草を踏みしだいて、ゆっくりと崖際に歩み寄る。

 大きく、息を吐く。

 

 ──出来る。

 

 少し、足を踏み出すだけ。

 かつての“俺”はできたことだ。恐怖なんかない。

 これから確実に待ち受けている苦しみに比べたら、ずっと良い。ここで全てを終わらせる。

 拳を強く握りしめる。

 出来る、出来る、出来る──

 

「────ぅぶ、」

 

 ──気づけば。

 とっさにその場へ膝を折って、

 

「ぉ、えぇ……っ」

 

 胃の中身を、草むらにぶち撒けていた。

 

「……ぇ、あ……っ」

 

 夕食なんてほとんど口を通らなかった。だから、出てきたのはほとんどが水みたいなもので。いや、そんなことはどうでもいい。

 

 ──……吐いた?

 

 どうして。

 ……死ぬのを恐れて?

 そんな訳ない、

 

「ゔ……っ」

 

 眼下に広がる暗闇を視界に捉えた瞬間、喉奥から迫り上がってくる苦いもの。とっさに当てた手のひら、その指の隙間から、再び滴る。

 ……怖い。

 

「っ、ちがう……」

 

 違う。

 怖くなんてない。怖くなんか。

 くだらない焼き直しを観させられるよりはずっと良いだろう。

 ここで。この始まりの場所で、全てを終わらせる。……わかっているのに、どうして足が動かないんだ?

 

「違う、違う……」

 

 潔く死ぬことすらできないのか。惨めに、無様に、生き続けることを選ぶのか。

 どうせ、3年後には死ぬくせに?

 馬鹿らしい。最悪の終わりがわかっているのに。希望などないと知ってしまっているのに。

 ふざけるな。

 

「動け、動け、動け……」

 

 神経が切れたように動かない足を掴んで、爪を立てて、繰り返す。痛みさえ感じない。動け。あと少しでいい。あと少しで終われるのに、

 

「……動けよぉ……」

 

 ああ。

 どうして、何もかもが上手くいかないんだろう。

 

 ──生まれてこなければよかった。

 

 二度目の人生なんか必要なかった。自分の過去がどれだけ愚かで、無意味で、くだらなかったかを見せつけられるだけの人生なんて、そんな。

 一体、誰が欲しがるというのだろう。

 

 ──死んでしまいたい。

 

 叶わぬ願いを抱いて、ただ項垂れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、あれから。

 俺は結局、諦めた。

 海で死ぬという当初のプランを放棄した。そうせざるを得なかった。

 だから、帰らなくてはいけなくなった。

 

 ふらついて、時々転びながら、それでも孤児院に戻ってきた。たった今。

 けれど、今だけはそれでよかった。死ねないならあんな場所、何の価値もない。ゴミみたいな思い出だけが蟠っている。捨てる機会を逃して、ただ腐って、澱んでいくだけの記憶たち。

 耐えられない。

 死んでしまいたい。

 ……できなかったのだった、

 

 ──なぜ死ねない?

 

 生きることのほうがずっと辛いとわかっているはずなのに。

 一瞬のトラウマより、半永久的に続く苦しみを選ぶのか。愚かな獣の性だ。死んでしまえ。

 商店街でクリプティッドに遭った時は受け入れられたのに。

 許せない、

 

「……う、」

 

 トイレに辿り着くまで、我慢できなかった。誰もいないキッチンに駆け込んで、空っぽの内臓から胃液を絞り出す。

 

「ぉ、え……」

 

 シンクに嘔吐するなんて衛生的にも良くない、とわかっていても、もはやどうしようもない。

 擦った頬は乾いている。

 ここに来ても、涙の一粒さえ浮かんでこなかった。構わない。

 酸っぱい唾液を、飲み込む。

 キッチンだ。俺がやりたかったこと。思い出せ。

 

「……包丁、……」

 

 朦朧と、呟く。

 海は駄目でも、それ以外のやり方なら。死ぬ方法なんていくらでもあるのだ。片っ端から試せばいい、

 

「シレネ……?」

 

 背後から聞こえてきた声。

 幻聴かと思った。

 否、そうであれと願った。

 しかし、身体はとっさにそちらを振り返っていた。戸口に立つ大柄な人影。暗がりで淡く燐光を放っているかのようなその立ち姿を認めて、凍りつく。

 ──成島タツナミ、

 

「どうした」

 

 未明、一人でキッチンに蹲る人間。何にせよ、まともな状況ではないのは間違いない。

 けれど、それは寝巻き姿のタツナミにも当てはまる。どうした、はお前の方だ。よりによってこんな時に。

 案の定、無防備に近づいてくる気配に、奥歯が軋む。来るな。

 

「具合でも悪いのか、」

 

 伸びてきた手を、

 

「触るな」

 

 とっさに振り払っていた。

 ぱしん、と乾いた音がした。

 うるさい。黙れ。

 お前に心配なんてされたくない。何もかもお前のせいだ。

 お前さえいなければ。

 

「…………」

 

 気遣いを無に帰されたタツナミは、しばらくその姿勢のまま、無言でこちらを観察していたようだったが。

 やがて、ゆっくり立ち上がった。それでいい、見なかったことにしてさっさと帰れ、と思っていたところに──再び視界に入ってくる白。

 彼が、1mほど横に離れた位置へ、腰を下ろすところだった。戸棚を背に膝を抱えて、明らかに居座る雰囲気だ。

 何をしてる。

 俺の困惑と苛立ちが伝わったのか、タツナミが前を向いたまま薄く唇を開く。

 

「……体調が悪化して、……いざという時に……すぐに誰か呼べるように……」

 

 余計なお世話だ。

 

「水を……飲みに来たんだ」

 

 どうだっていい。

 勝手に飲めばいい。

 頭痛が酷い。気を抜くと、また戻してしまいそうだった。

 

「…………」

 

 それきり、静かになった。

 べらべらと喋られるよりはマシ。そのまま部屋に戻れ。

 思いながら、横目で彼の様子を窺って。

 

「は、…………」

 

 一瞬、思考停止。

 ……寝ている。

 やや項垂れて、目を閉じたその横顔。拍子抜けして。

 一度漂白された頭の中へスムーズにポップアップしてくる、

 

 ──殺せる。

 

 思考の枠を飛び越えた、ほとんど本能的な“気づき”だった。

 

 ──今なら、それができる。

 

 そして俺の脳味噌は、その“発見”に──名案だ、と手を打った。

 よく、わかった。

 簡単なことじゃないか。

 この男を殺してしまえばいいのだ。今、ここで。

 感情が、絶え間なく凪と細波を行き来している。それがわかる。いや、落ち着いている。俺は冷静だ。

 何も、間違っちゃいない。

 腰を上げて、膝を使って慎重に距離を詰める。1m。ほんの1m。今までの何よりも長く感じた。

 

「っ、…………」

 

 至近距離で見下ろす、気の抜けた寝顔。

 だから早くどこかに行けと言ったのに。こんなところで要らぬ温情を見せたから、お前は自分より遥かに格下の存在に殺されるのだ。

 そうだ。

 殺す。殺さなきゃ。

 白い喉に、手を伸ばす。

 逞しい首筋を両手で捉えても、タツナミは目覚めなかった。

 ──好都合だ。

 手のひらの下で、どくどくと脈打つ感覚。温かい。生命の感触。気持ちが悪い。

 関係ない。ここで絶ってしまえばいい。無かったことにしてしまえばいい。全てを終わらせる、

 息を吸い込んで、

 

「────、」

 

 瞬間。

 呼吸が、止まった。

 

 成島タツナミが、俺を見ていた。

 

 先ほどまで確かに閉じていたはずの瞼が、開いていた。

 透き通った綺麗な瞳。寝起きでぼやけていると言うにはあまりに鮮明で、それでいて、透明だった。

 何の感情も窺えない。

 抵抗する様子もない。

 ただ、己の興味を満たすように。じっと、瞬きもせずにこちらを見つめていた。

 冷や汗が、こめかみを伝った。

 ああ。

 

「…………」

 

 ────無理だ、

 震える両手を、ゆっくりと離す。

 足に力を込める。ふらついたが、構わず立ち上がった。

 背を向ける。

 振り返らない。そのまま、壁を伝うようにして自室に戻った。吐きそうだった。

 

 

 

 

 ──夜が明け始めたばかりの寝室は、まだ静かだった。

 けれどもう、あと少しでアラームが鳴り始める時間だろう。そんなことを頭の隅で機械的に思い浮かべながら、冷えたベッドに再び身体を滑り込ませる。

 固く握った拳には、血潮の脈動が未だ残っているような気がした。

 それを見つめながら、思う。

 

 ──失敗した。

 ──失敗した。

 ──殺せなかった。

 ──あそこで事を済ませてしまえば、こんな苦しみからは解放されたのではないか。

 ──違う、

 

 違う。

 こんなのは正しくない。

 間違っている。

 心の奥底で、そう叫ぶ声を聞いた。わかっている。殺人は罪だ。それでも構わない。今さら裁かれることに恐怖がある訳ではない。

 ……違う。

 違う?

 

 ──否定するのか?

 ──神の如き能力も、……かつてそれに完膚なきまでに打ちのめされたことも。

 ──そんなものは最初から存在しなかったと。

 ──哀れな勘違いだったのだ、と。

 

 そんな事実を、許せるのだろうか。

 否、許せない。

 だったら“俺”は何のために生き、何のために死んだのだ?

 肉体の死は耐えられない。

 ならば、存在の死は?

 

 ──成島タツナミは、無敵で、完璧な存在で在らねばならない。

 

 それゆえに。

 

 ──俺に、成島タツナミを殺すことはできない。

 

 初手を打つ以前の問題だった。既に極り切った盤面だった。

 呆然として。ようやくそれに気づいた頃には、既に底なし沼に飲み込まれたその後だった。

 

「……う、う…………」

 

 成島タツナミは、天才である。

 幾度となく反芻してきたそれが、翻ってナイフのように喉元へ突きつけられる。

 

 ──こんな場所で。

 ──こんな場面で。

 ──その命を終えることは許されていないのだ。

 

 ここはお前の死に場所じゃない。

 成島シレネはお前を殺していい人間じゃない。

 だから。

 俺は。

 

「…………あほ」

 

 

 眠れぬ夜が、窓の外でゆっくりと明けていく。

 けれど、それは終わりなどではなく。永劫に続く苦痛の始まりに過ぎないことを、俺は温まらないベッドの中で悟ったのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──僅かに開いた硝子窓の隙間から、春の欠片が入り込んでいる。

 

 板張りの廊下に落ちたその花弁を摘んで、その隙間から庭に放る。土の上ならともかく、室内では腐敗してごみになるだけだ。

 窓に近づいたら、庭に植えられた桜の木が目に入った。今がまさに満開といった雰囲気で、花弁もそこから飛んできたのだろう。

 空気が温もり、花が咲き乱れるこの季節を、人は“春”と呼んだ。

 黙っていても月日は巡るし、それ自体はどうしようもないことで、どうでもいいことだ。

 ──けれど、これから迎える春は何か特別なものになる。

 根拠は無いけれど、そんな予感がしていた。期待、と言い換えることができるかもしれなかった。

 窓を閉めて、目的地への歩みを再開する。着込んだブレザーと、初めて締めたネクタイとが少し息苦しかったが、悪い気分ではなかった。

 

 

 

 

 扉を開けた先。

 薄暗い部屋の中心で、一人の少女が簡素な木製椅子に浅く腰掛けていた。

 カーテンは全て締め切られている。桜の木も、青い空も、ここからは見られない。外界の全てから隔てられたこの空間で、少女はただ、椅子に座っていた。それだけを淡々と、真摯に行なっていた。

 後頭部をやや高い背凭れの笠木に預け、天井を仰いだその姿を見る。

 背板の上に夜が流れている。淡いネイビーブルーの、癖のない長髪。白く華奢な手が、蝉の死骸のように力なく座面に投げ出されている。

 円と角とがきちりと揃った横顔のラインと、新品の制服に収まる一切の無駄なく纏まったしなやかな肢体。理想を元に描かれた絵画を目の前にしている、と言われても納得の行く完璧な絵面だ。

 しかし、絵画ならばいつまでも眺めていられるけれど。

 彼女は生きた人間であり、やらねばならないことが存在するのだ。

 

「シレネ」

 

 彼女の名前を呼ぶ。

 

「時間だ。行こう」

 

 ──今日は、養成学校の入学式。そして、このナルシマ孤児院に別れを告げる日でもある。

 

 途端、虚空を見つめていた瞳が、滑らかにこちらへ向いた。

 落ち着いて、冷め切って見える色合いと佇まいの中で、内側で煮え滾る血潮を唯一透かしたその色。激情の赤であり、魂の輝きだった。

 

「……ああ」

 

 身体の芯を撫ぜるようなハスキーボイスに、武者震いのようなものを覚えた。

 隙のない動作で彼女が立ち上がる。軽い、というよりは地に足がついていないような歩みで近づいてくる。

 改めて、彼女を見つめる。

 精巧な人形じみて見えたその姿も、少し距離が詰まると、ところどころに生命の綻びを感じる。

 涼しげな目元を重く沈み込ませる隈、乾いた唇。元からややもすれば消えて無くなりそうだとは思っていたが、近頃はそこから自壊しかねない危うささえ感じる。やや艶を失った長髪を弄る彼女に、思わず呼びかけていた。

 

「大丈夫か」

 

 瞬間、紅い瞳に鋭く睨めつけられる。

 

「ああ」

 

 しかし、そんな苛烈な反応とは対照的に、彼女は落ち着き払った声音でその問いに応えてみせる。

 

「問題は、無い」

 

 何も。

 素っ気なくそう付け足して、脇をすり抜けていく痩躯。すれ違う瞬間、仄かに沈香の気配がした。冷たく優しい死の香り。

 

「…………」

 

 芽吹きや生とは対極に位置している──ように見える──彼女の目に、咲き誇る桜や、青い空はどう映っているのだろう。

 

 ──願わくば、彼女もこの春に“特別な予感”を抱いていてほしい。

 

 そんなことを考えながら、遠ざかっていく背中を追いかけた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

TS転生美少女が男友達ムーブして幼馴染の情緒を破壊する話(作者:寿司鮓)(オリジナル現代/恋愛)

男友達だと思ってた幼馴染が実は女の子で再開したら美少女になってたムーブを自然にしてたTS転生者ちゃんさぁ。


総合評価:2401/評価:8.45/連載:6話/更新日時:2026年03月13日(金) 07:16 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>