賢者の贈り物   作:Hakaristi

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山中の蹉跌

 分厚い雪雲に遮られ、しかし舞い降りる雪片に幾重にも散乱させられた太陽光の作り出す薄明の中で、倒木と一体となるような姿勢でCHARMを構えるリリィがいた。呼吸すらも必要最小限に抑え、長大な銃身を太い枝で支えたまま、何かを待つ。

 

 火薬の炸裂する乾いた音が、ハラハラと舞い降りる雪に吸収された。排莢口(はいきょうこう)からかすかな煙と共に吐き出された空薬莢が、新雪の上に落ちてジュッ、と小さな音を立てる。

 アステリオンの銃身の延長線上、そう遠くない位置に転がる、頭を失ったHUGEの死骸を一瞥すると、一柳梨璃は周囲の警戒に戻った。

 

「やっぱり雨嘉さんみたいにはいかないよね……」

 

 王雨嘉であればチラ、とでも姿が見えた瞬間に弾丸を送り込み仕留めていただろう、と彼女は考える。以前聞き齧った狙撃術を付け焼き刃で試してみたものの、結局いつも自分が戦っている間合いになるまでタイミングを掴むことができず、狙撃と呼ぶには烏滸(おこ)がましい距離での発砲となっていた。

 

「うーん。アステリオンの狙撃弾はグングニルにもティルフィングにも使えないから早めに使い切っちゃおうと思ったけど、うまくいかないなぁ」

 

 今の発砲音もうまく雪が覆い隠してくれたのか、HUGEが周囲にいないのか、5分待っても10分待っても他のHUGEが現れる気配はなかった。

 昨日は石を投げればHUGEに当たると言った具合に大量に湧いて出てきたが、今日はさっぱり見かけない。昨日、墜落直後に呆れるほどの数のHUGEを仕留めたおかげか、一帯の生息密度が一時的に下がっているようだ。たった今仕留めたこのHUGEも、2時間ほど歩き回った末にようやく発見した一匹だった。

 

 新たなHUGEが出現しないことを悟って、張り詰めていた神経をほんの少しだけ緩ませた梨璃は、自らの仕留めたHUGEの死骸に近づくと、アックスモードへ変形させたアステリオンを無造作に振るってその四肢を切断する。おあつらえ向きに手に入った食料をロープを使って一纏めにすると、そのロープの片端を掴んだ。

 桃髪のリリィは右手にアステリオン、左手に収穫物を繋いだロープを握りしめ、ゆっくりと舞い降りる雪に消えかけた足跡を辿るように拠点へと戻っていった。

 

 

「遅くなってごめんなさい、鶴紗さん」

 

 切断したHUGEの四肢を引きずって帰還した梨璃は、拠点防衛のために残っていた鶴紗に声をかける。ガンシップの残骸に築いた拠点をたった二人で守るために、否応なく交代しながら役目をこなすことになっていた。

 

「おかえり、梨璃。こっちはなんの異常もなかったから大丈夫。いいことだけど、ヒュージが居なさすぎて怖いくらい」

「はぐれヒュージがいたから仕留めてきました。肉付きも悪くなさそうだから、食べられると思います」

 

 ひどく寒い山中に似つかわしくない、どこか蛙に似ていたHUGEを思い出しながら、梨璃は白銀の装甲で覆われた青黒い肉の塊を放りだした。三分の一ほど雪に埋まっているキャビンの外、屋根の上で最低限の陣地を構築しながら見張りをしている鶴紗に声をかける。

 

「すぐに準備しますから、鶴紗さんはちょっと待っててくださいね」

 

 ミリアム謹製の暖房具は、出力範囲を絞ることで調理器具代わりに使うことも出来るようになっていた。キャビンから持ち出した焜炉(こんろ)代わりのそれを地面の上に直接置き、ガンシップの外板を叩いて成形した不格好な鍋をセットする。辺りの雪を山盛りになるまで放り込むと加熱のスイッチを入れた。

 たちまち融け始める雪を尻目に、梨璃はCHARMを使ってHUGEの脚から装甲を剥ぎ取っていく。もともとその用途に向けて作られた兵器は、実力を遺憾なく発揮し仕事は順調に進んだ。命を失いマギの抜けたHUGEの生体装甲を、バターでも切り裂くかのように易々(やすやす)と切断し、可食部と思われる軟組織から切り離す。

 既に若干の異臭が感じられるそれを細切れにすると、沸騰し始めた鍋の中へ放り込む。剥がした装甲がまな板、包丁はCHARMという、蛮族そのものとしか言いようのない調理姿が現在の状況を象徴していた。

 

 鍋を再沸騰させてしばらくすれば、塩も調味料も何もない、文字通りの水煮ができあがった。HUGEの肉から()み出した色素によって煮汁が真っ黒に染まったそれは、魔女の鍋に煮込まれた怪しげな液体を彷彿(ほうふつ)とさせる。

 控えめに言って野性味溢れる香り、はっきりと言ってしまえば獣臭さが真冬の気温に引締められた空気を侵食していく。臭みを消し去る香草など、文明から遠く離れたこの地では望むべくもない。

 だが、多少の獣臭さなど空腹の前には些細な問題だった。空腹は最高の調味料とはよく言ったもので、昨日から水の他に何も口にしていない二人にとっては、フレンチのフルコースに匹敵するほどの魅力的なご馳走だった。

 

「いただきます」

「いただきます」

 

 くつくつと軽く煮え続ける鍋を前に、鍋を挟んで向かい合った二人の声が重なる。普段の習慣から食前の挨拶をした二人も、肉の出自を考えると当然ながら、食材への感謝の気持ちはこれっぽっちも湧いてこなかった。

 木の枝を削って作った箸を行儀悪くも直接鍋に突っ込む。お玉や取り皿などというお上品な道具は、残念ながらここには存在しない。ふぅふぅ、と軽く息を吹きかけ、鍋から取り上げた肉を冷ます。形ばかりに冷ましたそれを、喉から手が出たかのような勢いでもって無言で口の中へと詰め込んだ。

 

 最初に口から鼻腔へと突き上げてきたのは先ほどまでも感じていた、ぬも、っとした獣臭さ。まるで臭いそのものを固形にした物体を口に含んだと錯覚するような強烈なそれ。煮汁から立ち上っていたものを何十倍にも濃縮したような(くさ)みに、咀嚼(そしゃく)しようとした口の動きが思わず止まった。鍋に向けていた視線を何とはなしに相方へ向けると、ちょうど目と目が逢った。

 

「……」

 

 口の中がいっぱいで全く言葉を発することはできないが、不思議と相手が言いたいことが理解できた。絶食状態の今ですら、あまり美味しいものではない。いつもだったら絶対に口にしないだろうとお互いに考えていることは明白だった。

 それでも今はカロリーの摂取が急務だった。不快な臭い、ヌメヌメとした感触に顔をしかめつつ、口の中の肉を噛み込んだ瞬間。口の中に広がったのはこの世のものとは思えないほどの苦みだった。脳が苦みを認識し混乱した一瞬の後、苦みに隠れていた渋みが口内を蹂躙(じゅうりん)する。全身が総毛立ち、『これは食べてはいけないものだ』本能が全力で警鐘を鳴らすのが分かった。餓死への危機意識のみで本能を押し殺し、嘔吐(えず)きをこらえて必死に咀嚼する。

 二度、三度、噛み込むたびに唾液と混ざった苦渋い汁が口の中で増えていく。この世のものとは思えないような味に飲み込むのを躊躇してしまうが、ありったけの意志を動員して嘔吐感をこらえながら少しずつ、喉の奥へ押し込んだ。

 

 異変を感じたのは一口目をやっとの事で全て飲み込んだ後のこと。

 

「ねえ、鶴紗さん? なんか口の中がへんじゃないですか?」

「言われてみれば、なんだか舌がしひれてきたような……」

 

 手に持った箸を(もてあそ)びながら二口目に挑戦する勇気をかき集めている最中に感じたのは舌の痺れだった。歯科治療の際に覚えのある不快な麻痺感と、ミントのような刺激のある清涼感が舌を中心に口の中を覆っていく。声を出すと呂律(ろれつ)が回らなくなっている。

 

りり(梨璃)! らめらこれは(ダメだこれは)! ろくら(毒だ)!」

 

 明らかにたった今食べたもののせいだった。毒を飲んだことに動転する頭で、授業で習った応急処置を必死に思い出す。

 

みるをろんれはきらさないろ(水を飲んで吐き出さないと)!」

 

 梨璃は鍋を引っ掴むと、その中身を周囲の雪の上へとぶちまけた。既に胃の中に収まってしまった一口を吐き出す補助に水を飲むべきだが、今すぐに飲むことのできる水がなかった。周囲に無限と言っていいほど存在する雪を溶かせばすぐに手に入ることから、調理に使った鍋にしか溜めていなかったことが裏目に出た形だった。

 空いた鍋に入れられるだけ雪をかき集め、加熱する。普段使っている調理器などよりもよほど強い火力だったが、今は蝋燭(ろうそく)の火よりも頼りないものにしか感じられない。

 水ができるのを安穏と眺めているだけにもいかない。頭をなるべく低くした姿勢で喉の奥へ指を突っ込む。無理矢理引き起した嘔吐反射で胃の内容物を吐き出そうとするが、ほとんど空っぽの胃は一向にその要請に応じる気配はなかった。入れるときはあれだけ苦労して押し込んだものが、いざ取り出そうとしてみると全く出てこない。

 

 雪を溶かす間に行われた必死の試みは喉の粘膜を傷つけるだけに終わった。得られた結果はうっすらとピンク色に染まった粘つく液体を纏った人差し指のみ。口内の痺れは既に喉まで達し、腫れたような違和感が呼吸を少し妨げている。

 気の遠くなるほどに感じられた時間をかけて人肌にまで温めた水を、一気に(あお)る。ひと息に半分を飲み干し、相方に鍋を渡すと、再び頭を低くした体勢に戻った。

 

 しばらくの格闘の末、飲み込んでしまった物を吐き出すことに成功した二人は息も絶え絶えだった。丸太を切っただけの椅子の上で、吐瀉物にまみれて真っ黒になった雪の中で言葉を発することもなく項垂れている。加熱したままだった鍋の中身がグラグラと沸騰しているが、それを止めるだけの気力すらも湧かないようだった。

 

 

 

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