「梨璃! いいから救命コクーンに入って! もう二日もなにも食べてない! このままじゃ救助が来る前に死んじゃう!」
「ダメだよ。鶴紗さん。私はみんなを守るって決めたから。だからここで頑張らなくちゃいけないの」
生気の失われた瞳が向けられた先にはいくつも並んだ黒い球体が鎮座している。一柳隊、救助を呼びに行った梅以外、六人の収まる六つの球体が、半壊したキャビンの奥に設置されていた。ただでさえ広いとは言いがたかったキャビンは、その容積のほとんどを救命コクーンにとられ、起きている二人が使うことのできる面積は猫の額よりも狭い。
「みんなに
歩哨を交代する合間に交わされるこのやりとりも幾度目か分からないほどだった。「私は一柳隊の隊長なんだから」梨璃は呟くとゆっくりと立ち上がり、グングニルを引きずりながら外へ歩き出そうとする。
「そんなフラフラでヒュージと戦えるわけがないでしょ……! 後は私に任せて……」
「……何も食べてないのは鶴紗さんだって同じなんだから……」
「私には
「それだって空腹感までなくなるわけじゃないよね。だったら条件は同じだよ」
「梨璃……」
昨日とほとんど変わらぬやりとりに鶴紗は口をつぐんでしまう。
梅の救援要請が上手くいったとして、最低でもあと3日はこのまま二人で耐えなければならない。既に2日の絶食を行っている梨璃にとってそれは致命的なものとなる可能性があった。一般人の四倍のカロリー摂取が必要ということは、餓死までのタイムリミットが四分の一しかないことと同義であるのだから。そして、散発的に発生するHUGEとの戦闘は、そのリミットを見た目にわかる勢いで縮めている。
リリィの例に漏れず健康的でふっくらと輝き、林檎のようにつやつやとしていた梨璃の
周囲のHUGEが食用に適さないことが分かった今、彼女を救う方法は二通りだった。すなわち、どうにかして彼女を言いくるめて救命コクーンに避難させること、もしくは何とかして食料を調達すること、である。
鶴紗は梨璃の救命コクーンを無理矢理に展開させることを考えないでもなかった。近頃はめきめきと腕を上げ、百合ヶ丘でも指折りのリリィとして名を馳せはじめた梨璃とは言え、近接戦闘に絞れば未だに鶴紗に
だが、高い確率であるとは言え、確実に成功する保証はない。まかり間違って、二人の体力だけを無駄に消耗するような事態になれば今度こそ状況は詰んでしまう。仲間同士で無駄に争いになるような行動は厳に慎むべきだと考えられるくらいには、まだ理性が残っている。
加えて、鶴紗は本人の意に反して無理に何かをさせることに恐ろしいまでの拒否感があった。それは自分が長いことG.E.H.E.N.A.の実験体として過酷な戦場に駆り出されていたせいかもしれない。そこに拒否する選択肢などなかった。自分が誰かに行動を強制してしまえば、それは奴らと同じ穴の
まともな食料の調達は絶望的、彼女を説得してコクーンを使わせることもできない。となれば鶴紗のとりうる手段は一つしかなかった。梨璃のトラウマになりかねない手段はなるべくなら避けたかったが、今の状況は「なるべく」の範疇を大きく逸脱している。
鶴紗はCHARMを持ってキャビンから出ると、機体の上にあつらえた陣地で周囲を警戒する梨璃の背中にもたれかかるように座り込んだ。その辺りに落ちていた丸木を適当な長さに切り出し、ガンシップの屋根に固定した椅子と、アルミを蒸着した防災ブランケットで防風の工夫を凝らした簡易テントによる即席陣地は、素人仕事ながら厳しい見張りの時間をかろうじてしのぐことができる程度には役立っていた。
「……梨璃、私は何か食べ物が採れないか探してくる」
「警戒と休憩を交代でするって決めたはずだよ。鶴紗さんは休憩する時間だと思うけど?」
梨璃は体はそのままに、辺りを見回していた顔を限界まで鶴紗の方に向けると、疲労と空腹で濁った目を向けながらその行動を非難がましく制止した。
「私の警戒中はヒュージが近くに来なかったし、休んでたようなものだから。体はほとんど万全だよ。それよりも梨璃が何も食べてないことの方が大事なの」
ティルフィングを片手に持ち、外観に異常はないか、各部に歪みなどが発生していないかを見る。「誰かさんが救命コクーンに入ってくれたらいいんだけど」鶴紗は冗談めかして呟いた。機関部の稼働をチェックしていく。「それはできないっていったよね? それに私が居なかったら鶴紗さんはもっと無茶すると思うんだ」変形を何度か動作させ、可動部の噛み込みや引っかかりがないかを確認する。「現在進行形で無茶をしている人が言っても説得力無いよ」鶴紗は梨璃の軽口に言い返す。マギクリスタルコアにエネルギーカードリッジの残量を表示させ、戦闘に支障がないことをはっきりさせると、ティルフィングを待機モードへ移行させた。
「どうしても出かけるの? 昨日も空振りで、この辺りの生き物はヒュージに狩り尽くされたって結論になったんじゃ?」
「それはそういう可能性もあるって話しただけ。素人が少し探したくらいで獲物を仕留められるほど、狩りは甘くないってことなんだと思う」
思ってもないことを言い訳のためにスラスラと並べ立てることができるとは、自分も追い詰められればできるではないか、などと内心で自嘲しながら鶴紗は立ち上がった。
実際のところ、初日に殲滅したHUGEの数と、未だ低下しないマギインテンシティから予測されたHUGEの生息密度は異常なものであって、人が食べられるような動植物が残っている可能性は低かった。
この辺りのHUGEが体内に毒を持つに至ったのも、同族という天敵から身を守るためであるという側面もあるのだろう。あるいは共食いで生き残った最強の一匹が次の段階へと進化するという、HUGEの種族としての機能なのかも知れなかった。
(まるで巨大な蠱毒の壺だな)
頭をよぎった考えにそんな感想を抱いて決着をつけると、鶴紗は立ち上がった。膝に乗せていた毛布を梨璃の背にそっと掛ける。 ゆっくりと首を回しながら周囲を警戒している梨璃の集中を乱さないように、忍び足で陣地から出ていった。
(昨日見かけた岩陰でいいかな)
常緑樹を切り倒して擬装した拠点を出入りするときに絡まったであろう葉を、髪から外してもてあそびながら鶴紗は思考する。
これからやろうとしていることを考えれば、血の匂いを嗅ぎつけたHUGEどもが寄ってきても問題がないようになるべくガンシップから距離を取った方が望ましかった。思い至ったのは、狩りを兼ねた昨日の探索で記憶に残っていた大きな岩。その巨体を半分ほど崖にうずめたそれは、都合良く3方向からの視線を遮ってくれるような作りになっていた。拠点からは自分たちの行動半径ギリギリの距離にあり、地理的条件も悪くない。
ティルフィングを鉈代わりに振るい、進路を邪魔する枝を切り払う。長年人の手の入っていない山は、自然の浸食によって、この真冬の
腰高まで降り積もった新雪をかき分けながら進む。聞こえる音と言えば、自らの荒い息づかいと、樹上に降り積もった雪が重みに耐えかね落下する時のものくらいだった。人もHUGEも消滅し、まるで世界に自分一人きりになったような気分になる。
むしろ好都合だ、と強がりながら永劫の孤独を乗り切り、目的地へと到着した。昨日目撃した通りの姿のままでそこにあった岩は風を遮って、周囲に比べればわずかに快適な環境を提供している。
身を切るような寒風、靴の中へ入り込んだ雪は恐ろしい勢いで鶴紗の体力を消耗させていた。素肌とほとんど変わらぬ薄手の靴下で雪をかき分けた脚も、まるで雪そのものであるかのような温度まで冷え切ってしまっている。低下した体温のせいか、歯の根も合わぬほど全身が震えていた。
凍傷を癒やすためにリジェネレーターを弱めに起動する。この場のマギインテンシティなら激しい戦闘にでもならなければマギ切れの心配はない。
強化スキルが凍てついた皮膚をじんわりと解凍していくのを感じ取ると、鶴紗は震える指先でポケットの中を探った。
彼女の白い指につままれてポケットから出てきたのは、雪と同じく真っ白なハンカチだった。ワンポイントにデフォルメされた猫の刺繍がされたそれを少しだけ眺める。
「鶴紗さんも、もっと可愛らしい小物を持ったほうがいいのではないでしょうか」そんなことを言った神琳と、それに賛同する皆の勢いに抗うことができず、渋々町へ出かけて購入したハンカチ。ファンシーになりすぎない、ワンポイントの刺繍の入ったものを買ったことでせめてもの抵抗とした。それまで使っていた無地のハンカチにはない可愛らしい刺繍は、手洗いのたびに目を楽しませ、少しばかりの幸せを振りまいてくれていた。
何度も洗濯したせいか、少しくたびれたお気に入りのそれを口の中に詰め込む。
右脚だけ靴と靴下を脱ぎ去り、その辺りに放り投げると、鶴紗は両足を前に投げ出して雪の上に座り込んだ。腿の上に覆い被さったスカートを限界までたくし上げ、ティルフィングを逆手に構える。
一瞬の躊躇の後、CHARMが太腿の真中へと振り下ろされた。
「ーーーーッ!」
決して穏やかであったとは言えない彼女の人生の中でも上位に入るであろう激痛が走る。全身の毛穴が開き、油汗が噴き出す。口の中のハンカチを千切れんばかりに噛み締め、喉の奥から漏れ出る声を殺す。振り下ろす場所を間違えぬよう、決定的な瞬間まで見開かれていた目は固く閉じられ、荒い呼吸のリズムに合わせて目尻から輝くものが落ちていった。
大腿部の半ばから切断された断面から、心臓の鼓動に合わせて真っ赤な鮮血が噴き出す。辺りを埋め尽くす白を、毒々しい赤が侵食していく。
先ほど回復させたはずの指先が急激に冷えるのがわかる。息を吸っているのに息苦しさが治まらず、自然と呼吸が浅くなっていく。体から力が抜け、上体を維持できずに雪交じりの血の池にバチャリ、と音を立てて倒れ込んだ。
血圧が下がりすぎて脳に酸素が行き渡らなくなったのか、意識が朦朧とする。しかし、下半身から登ってくる激痛は鶴紗を気絶から強制的に叩き起こし、失神へと逃避することを許さない。
気絶と覚醒の境を行き来するたびに、視界が明滅する。生命の危機を感じ取った最後の生存本能が、リジェネレーターを起動した。
グチャリ、と真冬のこの場に似合わない、湿った、粘着質な音が
植物の成長を早送りするように、真っ赤な切り口から真っ白な骨が見る間に伸びていく。その後を追うようにして、ミミズを束ねたような筋繊維がグチャ、ピチャ、と音の聞こえるような速度で伸び、白い骨を覆い隠す。筋肉と同時に血管も成長し、閉じられていない端から深紅の液体を垂れ流しながらも、復活した組織に血液を送り届ける。土台が出来上がるのを待っていたかのように、日焼けのない真白な皮膚が、グロテスクな造形を皮一枚で覆い隠していった。
湯が水になるほどの時間で、右脚が生まれたままの姿を取り戻した。赤黒く染まった辺り一面とは対照的に、染み一つない輝く肌を持つ右脚の隣には、血塗れになっている以外はまったく同じ外見をした脚が、微かに湯気を立てながら無造作に転がっている。
鶴紗は生え替わった右脚を恐る恐る、といった動作で慎重に触った。指先で軽くつつき、手のひらで優しく
脱ぎ散らかしてあった靴をはき直すと、両の脚でしっかりと地面を踏みしめる。二、三歩歩いて膝が抜けないことを確かめると、切り落とした自らの脚を肩に担いで帰路についた。
「鶴紗さん!」
雪と木で擬装を施したガンシップを見つけるよりも先に、梨璃の声が飛ぶ。見渡す限りが真っ白に染まった世界で、血塗れの鶴紗は真昼の太陽よりも目立っていた。
鶴紗も、血塗れのまま梨璃の元へ帰ることには思うところがあり、道すがら雪を拾い上げ血みどろになった体を拭ってはみたものの、寒さで乾いた雪は汚れを拭き取る目的にはまったくと言っていいほど役に立っていなかった。
「ただいま、梨璃。食べ物、手に入ったよ」
「ヒュージにやられた……わけじゃないよね。どうして……、鶴紗さんがそんなことする必要なんてないのに!」
鶴紗の正面に駆け寄った梨璃は、すぐさま事態を飲み込んだ。鶴紗の肩に担がれた人間の脚。血にまみれて真っ赤に染まったティルフィングの刀身。そこまでの重傷を負うほどの戦闘があったにしては
何があったかは理解した。鶴紗の性格を考えれば、どうしてそのような行為に及んだのかもわかる。わかった上で感情が叫んでいた。鶴紗さんがそんなことをする必要なんてないのに! 鶴紗さんだけが大変な思いをする必要なんてない! 私が少しだけ我慢すれば丸く収まるのに!
最初の言葉以外を口に出すことはしなかった。疲労と空腹によって削り取られたなけなしの理性を総動員して感情を抑え込んだ。自分で自分の脚を切断するような行為が生半可な気持ちでできるわけがない。強く否定すれば、それは鶴紗の覚悟を踏みにじることになる。
「梨璃は一柳隊の隊長で、今は動けない皆を守らなくちゃいけない。だったら優先すべきことはなに? 私にはリジェネレーターがあるから……」
こちらを見つめたまま黙ってしまった梨璃の瞳に、悲しみの色が浮かんでいることを見てとると、鶴紗は何とかして同意を得ようと口を開く。自分の行為で梨璃が悲しむことは覚悟していたはずだったが、隠しきれない動揺がいつもよりも
「これだけは言わせて。梨璃が今思ってる気持ちは、私も同じように感じてる。普段だったらもっと別のやり方もあったかもしれないけど、今はお互いに少しずつ、何かを背負うのが一番だよ。自分の力で、できることを最大限にやらなきゃ生き残れない」
「梨璃はできるだけのことをしてる。でも、救援が来るまで早くてもあと3日はかかる。ヒュージの襲撃もだんだん間隔が狭まってきてるのは梨璃も感じているでしょ? 体調が戻れば初日みたいにこっちから打って出ることもできるかもしれない。だけど今の梨璃じゃ、皆を守るどころか、逃げ回ることだってできそうにない」
「私にも梨璃の重荷を背負わせて。どんなことをしても、皆で帰って、またお茶を飲もう」
梨璃の気持ちが固まっていた。最後に必要な覚悟を決めると、首を振って表情を改め、鶴紗に確認する。これが緊急避難的な措置であることを自らに刻み込むために。
「……ねえ、鶴紗さん。私がもっと強かったら、みんなを守れたのかな……。鶴紗さんが嫌ってるスキルを使わせなくても済んだのかな……。私が今から救命コクーンを使うって言ったら、もう鶴紗さんはこんな事しなくていいのかな……」
「違うよ、梨璃。どんなに強くたって一人でできることなんてほんの少しだけ。それに今は、リジェネレーターのことが嫌いじゃない。自分のためじゃなくて、みんなを、梨璃を守るために使えるから」
梨璃の顔つきが良い方向に変わったことをみた鶴紗は、今の梨璃に必要であろう返答を返していく。
「私はもう決断したから。梨璃が今から救命コクーンを使うのなら、
「……そうだよね。大丈夫。私も決めたよ。鶴紗さん。ありがとう」
そう言って梨璃は鶴紗を抱きしめた。そして鶴紗の耳元で、囁くように言った。
「でも謝らせて。鶴紗さんがいいって言ってくれたって、大変なことには変わりないんだから。私の、私たちのためにこんな事をさせてしまってごめんなさい。それからもう一度お礼も言わせて。もし、鶴紗さんがそうしてくれなかったら、私たちはここで全滅していたかもしれません。ありがとう」
「いただきます」
「いただきます」
食前の挨拶をした後も、梨璃はいつもより長く、深く手を合わせたままだった。隣に座る鶴紗が少々の困惑を覚え始めた頃、ようやく顔を上げる。そして鶴紗の方を向くと、再び手を合わせて言った。
「いただきます」
昨日とほとんど変わらない、しかし決定的に違う肉の煮込みへと箸をつける。滋味溢れる味わいが口の中いっぱいに広がる。暖かなスープが喉を滑り落ち、胃の中でその熱を主張する。二度、三度と咀嚼するたびに唾液が溢れ、生きる喜びを思い出させた。
「おいしい……、おいしいよ、鶴紗さん……」
よく煮込まれた肉片を口へ運ぶたびに、目からぽろぽろと涙をこぼして梨璃が呟く。肩を寄せ合うように座った鶴紗は、隣に感じる温もりをひとまず守ることができたことに安堵した。