スモール級の群れとミドル級複数を退け、休息とも呼べないような休憩をとった後。時折襲いかかってくるスモール級を撃退しながら斜面を登り切り、尾根の稜線にたどり着いた二人の前に現れたのは巨大な蛇型のHUGEだった。恐らくはラージ級、体長だけを取ってみればギガント級にも届くような巨体がとぐろを巻き、鎌首をもたげながら真っ赤な舌をチロチロと出し入れしている。
HUGEが行動を阻害されることを嫌って破壊したのか、稜線は巨体が自由に動き回れるような広さで平らにならされていた。氷点下のキリリと冷え込んだ大気でも隠しきれない、ドロッとした、瘴気とも呼べるような負のマギが辺りに漂っているのが感じられる。
「梨璃、無理しないで。さっきのラプラス、赤字だったでしょ?」
「鶴紗さんこそ、さっき怪我したばっかりなんだから」
互いに得物を構えながら、軽口を叩く。ラプラスは負のマギを転換し自らのものとするスキルではあるが、常に収支がプラスになるわけではない。空間に満ちる負のマギを利用する性質上、一定のマギインテンシティを超えない場合には、スキルの駆動に必要なマギを転換したものだけで補うことはできない。そして、HUGEの動きを鈍らせるほどマギインテンシティを低下させるには、莫大な量のマギを用いて尋常ならざる出力でスキルを行使する事が必要だった。
このまま逃走、という選択肢もあったが、それはガンシップの方へ後戻りすることになる。なるべくガンシップから距離をとってHUGEを引きつけたい二人にとってそれは避けたいものだった。それに、恐らく群れのボスであろうこのラージ級は数日前から小型種を二人に
「見た目は蛇だね」
「ええっと……、蛇の特徴は……」
HUGEから目を離さず、見た目からラージ級の戦闘力を探る。まともな生物に姿の似ているHUGEは、基となった生物の特徴を色濃く反映していることが多い。動植物の特徴を覚えることもリリィの訓練の一つである。
「瞬発力が高いはず。首の射程にいるときは注意しないと危ない」
「ピット器官? ヤコブソン器官? 赤外線と匂いも感知するはずだから、隠れるのは無理かも」
「じゃあ、こっちは分かれて挟み撃ちがいいと思う。二対一だから」
「毒液を飛ばしてくる蛇もいたはずだから、正面に立つときは気をつけて」
最低限の打ち合わせを済ませると、二人は左右に分かれて走り出す。蛇型であるならば想定される攻撃は噛み付き、巻き付き、長い胴体を叩き付けるか尾で薙ぎ払うか。どれもが複数方向に対応したものではない。よって挟撃を仕掛けることで比較的安全にダメージを積み重ねられるはずだった。
二手に分かれたうち、大蛇が狙ったのは鶴紗の方だった。人どころか乗用車ですら一飲みにできそうな口を開けると、人の腕ほどもある二本の毒牙が現れる。左右に細かく動く鶴紗に合わせて、首を僅かに動かしたかと思うと、その牙から液体が噴射された。
「っと!」
常人であれば知覚することも難しい速度で飛来する毒液を、しかし鶴紗は大きめの余裕を持って
ホースから噴射される水のように、毒液が途切れることなく鶴紗を狙い続ける。無数の液滴に別れ、地面を五月雨のように叩くそれを脇へ見ながら、鶴紗は少しずつ間合いを詰めることしかできなかった。
挟撃を仕掛けようとしていた一方が大きく回避を行えば、攻撃のタイミングにズレが生じてしまう。大蛇が鶴紗に毒液を吐きかけているのを好機とみた梨璃が、その間に間合いを詰めていた。状況で言えば、一方が攻撃を引きつけている間に、もう一方がHUGEを叩くというセオリー通りのもの。
「やぁっ!」
気合いとともにグングニルが大蛇の胴体に振り下ろされようとする。その刃がHUGEを裂こうかというまさにそのとき。視界の端に映り込むものを見た梨璃は、CHARMに乗せていた体重を全て軸足に乗せ、全力で背後へと跳躍する。
一瞬でも判断が遅れていたら危なかっただろう距離を、獲物を丸呑みするために進化した大きな口が役目を果たせず虚しく通り過ぎていく。
なんとか躱した、と気を緩めている時間はなかった。頭の襲ってきた方向とは反対側から、鋭く尖った尾が、串刺しにしてやるとばかりにうなりを上げて伸びてくる。
空中で無理矢理体を捻り、グングニルで尾を受ける。足場のない空中では衝撃を逃がすこともできず、梨璃はそのまま吹き飛ばされた。
「梨璃!」
吹き飛んだ先にはラージ級との距離を詰めようとしていた鶴紗がいた。この状況ではHUGEに攻撃を仕掛けるどころではない。梨璃がこのまま地面に叩き付けられれば危ない――と見てとった鶴紗は、梨璃の身体を受け止めると、その勢いを殺すために抱き合ったまま地面を転がる。
完全に止まりきる前に二人とも跳ねるように立ち上がり、バラバラの方向に飛びすさる。直前まで二人の居た位置を毒液が直撃し、辺りに飛び散った。
尻尾を用いた攻撃は想定外だったが、少なくとも相手に手札を切らせ、こちらはほとんどダメージを受けていない。危ういところだったが、全体的に見れば優位を得ていると言ってもよい。
一瞬で思考を立て直すと、声を掛け合い、戦術をアップデートする。
「鶴紗さん! 同時に攻撃しないと対応される!」
「私が合わせるから、梨璃は同じようにお願い!」
再び駆け出す二人を毒液が襲った。二人のタイミングをずらすことを狙いとした攻撃が、またもや鶴紗に集中する。一度の交錯で戦術の自信を深めたのか、ラージ級は接近されるまで梨璃を完全に無視する事に決めたようだった。
「何度も同じ手は食わない」
小さく呟きながら、先ほどと同じように途切れない毒液を、今度は紙一重の領域で回避していく。ファンタズムで見切った、液滴同士の僅かな空間に無理矢理体をねじ込み、梨璃と同じ速度で前進する。体を
もとよりHUGEの吐き出す毒液がヘビ毒そのままのものだとは考えていない。生物が使用するには明らかに威力過剰な毒にも怯むことなく、リジェネレーターで回復しながら力強く足を踏み込んでいく。
液状の死が満ちる空間を駆け抜け、鶴紗がCHARMの間合いまで入り込むとHUGEは毒液の噴射を止めた。追従性に劣る毒液の噴射よりも、自らの筋力と質量を頼みとした打撃が鶴紗を襲う。ラージ級の攻撃に合わせてカウンターを狙う鶴紗もティルフィングを振りかざし、斬撃と打撃の応酬が始まった。
それとほとんど同時に梨璃も尾側から攻撃を仕掛ける。先ほどは実質的に二対一の状況になったことで不覚をとったが、今度は頭を鶴紗が抑えている。鋭く伸びる尾をいなしながら、ズルズルと動き回る胴体を両断すべく近づこうとするが、突き、薙ぎ、振り下ろしを器用に使い分ける尻尾の堅守を崩すことは容易ではなく、ともすればこちらがやられかねない。
「後ろが見えてるの!?」
横薙ぎに襲いかかる尾を、飛び退いて躱しながら梨璃が叫ぶ。先ほどから死角へ、死角へと位置取りを行っているにもかかわらず、梨璃と
「ピット器官だ! 全周で赤外線を見てる!」
頭部と死闘を繰り広げる鶴紗が叫んだ。一般的な蛇類は視力が低く、地面から伝わる振動と優れた嗅覚によって獲物を探す。一部の種類の蛇はそれらに加えてピット器官によって赤外線を利用することができるが、その精度は高くない。
だが、目の前の大蛇はHUGE化によって新たな力を手に入れたようだった。手に持った刃の届くような至近距離から観察してみれば、ピット器官が本来あるべき
だからといって現状を有利にするすべもなかった。ラージ級の優れた筋力から繰り出される一撃は、牽制や妨害の目的であっても必殺の威力を備えており、肉を切らせて骨を断つ、といった戦い方も難しい。挟撃の策を持って戦いを挑んだものの、その策に対処されてしまえば、あとは真正面から打ち倒すしかなかった。尾を手足のように操るこのHUGEを相手取るには、近接武器のみの二人ではとても手数が足りない。リリィがもう一人か、せめて射撃が可能であれば、この膠着状態を打破できるかもしれなかった。
絶死の攻撃が行き交う熱い均衡を破ったのはHUGE側だった。
鶴紗の相手取っていた頭部が急に上昇し、遙か高みへと持ち上がる。あまりに急激な、そして無意味にも思える大蛇の行動は、鶴紗をして標的を見失わせ、ティルフィングをからぶった少女は、
「鶴紗さん! 上!」
大蛇の頭部が隕石のごとき速度を持って振り下ろされる。激突の瞬間、梨璃の声と
凄まじい轟音を響かせ、鶴紗の代わりに地面を思い切り殴りつけた衝撃が地面を介して伝播する。乱れた体勢で足下を強烈に揺さぶられた鶴紗の体が完全に泳いだ。
それは一瞬だった。尾と打ち合っていた梨璃も、強烈な振動に足下を
「ケイブ……!」
思わず口から目の前の現象の名前が漏れる。この状況で戦術的に使用されたケイブの出口など一つしかない。反射的にそちらを見やると、血の筋を引きながら鶴紗が宙を舞い、
「鶴紗さん!」
全身の血が凍り付くような恐怖を感じる。かつて一度経験した、大切なものを失うときの喪失感。頭の中はグチャグチャで、ただ目の前の事態を何とかすることしか考えられない。
脳内で麻薬物質でも出ているのか、極限まで加速された感覚がHUGEの次の行動を捉えた。鶴紗を一呑みにしようというのか、倒れた少女にスルスルと近寄っていくHUGEとの間に割って入り、CHARMを叩き付け弾き飛ばす。
「鶴紗さん! しっかりして! リジェネレーターを!」
後も先も考えない全力でラプラスを発動する。周囲のマギはおろか目の前の大蛇からすらもマギを徴収し、正の側へと変換されたそれが鶴紗の体に流れ込んだ。
僅かに
HUGEも鶴紗の復活を察知したのか、激しく攻めかかってくる。いかなラプラスでも、ラージ級が相手ではその効果は限定的だった。スモール級やミドル級であれば動きを封じるか、極端に鈍くすることもできる出力のレアスキルを受けてなお、ラージ級は攻め手を緩めない。
ギラリと光る鋭い牙が並んだ口で一呑みにしようと迫る頭を飛び上がって躱す。空中に逃れた梨璃に対して好機とばかりに尾が襲いかかる。鋭さは無いものの、有り余る運動エネルギーによってリリィの体を貫いてくる一撃をまともに受けてしまえば、リジェネレーターのない梨璃ではそのまま死んでしまうだろう。空中で身を捩り、受け流すべくCHARMを構えたところに尾が唸りを上げて突き込まれる。
「ッ!」
レアスキルの行使、連戦による疲労、鶴紗の負傷による動揺。受け流すはずの打撃を刀身でまともに受け止めてしまった梨璃が吹き飛ばされた。
HUGEはその場で再び尾を振り回し、辺りを薙ぎ払う。ケイブを通って少女を殴りつけるはずの尾は、虚しく空を切った。
ラプラスは場の負のマギを転換する性質上、レアスキルの発動下において場のマギは通常時とは異なる振る舞いを起こす。そしてケイブは空間を繋ぐという性質上、その構築には繊細なマギ操作が要求される。思考速度を要求される格闘戦を演じながらケイブを構築するような埒外のHUGEも、そんな変則的な状況にはとっさには対処できない。そのことを見抜き、吹き飛ばされ地面に叩き付けられながらもレアスキルの発動を止めなかったのは梨璃の慧眼だった。
ラージ級HUGEは苛立ったように地面を叩くと、梨璃を仕留めることを諦めたのか鶴紗へと牙を向ける。跳ね起きた梨璃が大蛇の頭部との間に割って入り、間一髪で鶴紗を救うが、ダメージの抜けきらない体では鍔迫り合いに持ち込むのがやっとだった。HUGEは丸太の太さと鞭のしなやかさを併せ持つ尾を振りかぶると、鶴紗を叩き潰すために振り下ろす。
「鶴紗さん!」
「鶴紗!」
そのとき、緑の閃光が走った。