「――はい注目! これより、今週末に行う野クルキャンプのキャンプ場を発表する! みな心して聞くように!」
放課後を迎えた本栖高校の校庭に、パンパンと手を叩きながら高らかに宣言する声が響き渡った。
本栖高校野外活動サークル・通称
野外活動サークルとは、その名の通り様々な野外活動を行うサークルだ。
多くの生徒からは「ときどき校庭でたき火をしている妙な連中」くらいにしか認識されていないし、実際校内ではそれくらいのことしかしていないが、週末や大型休みを利用して定期的にキャンプを行っており、それこそが野クルの目玉なのであった。
「久しぶりのキャンプだからワクワクするね、あおいちゃん」
なでしこは焚き火に三脚で吊るしたアウトドア用のケトルを取り、インスタントコーヒーを入れたマグカップにお湯を注ぐと、隣のあおいに渡した。
「せやね」と、関西弁で答え、あおいはマグカップを受け取った。
季節は寒風吹きすさぶ冬。
野クルの校内での活動時には学校指定のえんじ色のジャージを着るのだが、この時期、いかにマフラーやヒートテックなどを重ね着しても防寒効果は薄い。
冬の野クルには、焚き火とその火で沸かしたお湯でつくる温かい飲み物が欠かせないのだ。
あおいはコーヒーをひと口すすった後、「んで――」と言って視線を千明へ移した。
「今回は、どこのお得なキャンプ場を見つけたん?」
「ふっふっふ、聞いて驚け」
千明はトレードマークである眼鏡をきらりと輝かせて含みのある笑みを浮かべると、ジャージの中からアウトドア雑誌を取り出し、付箋を貼っていたページを開いて二人に見せた。
「じゃじゃーん!
おおぉ! と大袈裟に歓声を上げ、なでしこは雑誌を受け取った。
富士五湖周辺のオススメキャンプ場という特集で、春山田キャンプ場は見開き2ページで紹介されている。
千明は雑誌と交換するかたちでなでしこから紅茶を受け取り、ひと口すすったあと得意げに胸を張った。
「本栖湖近くの湖畔キャンプ場だ。普段は一泊三千円だが、期間限定の『梨っ子だんべ割クーポン』を使えば、一泊千円の超お手頃価格で利用できるんだぜ!」
野クルは部員数が校内の規定に満たないため、『部活』ではなく『サークル』扱いだ。
部費の支給が無く、活動費はもっぱら自腹である。
ゆえに、費用を抑えることは野クルの活動理念であり、部長である千明が最もこだわっている点なのだ。
「しかも薪使い放題て、お財布に優しいキャンプ場やな」
あおいは掲載された基本情報を指さして言った。
「本栖湖の東側なら、電車とバスを乗り継いで二時間くらいかな。交通費も手ごろやし、ええんちゃう?」
「夜の富士山見れるかなー」
なでしこは夜の湖畔でゆらゆらイスを揺らしながら富士山を眺める様子を思い描き、にんまりと笑った。
「場所的には湖の反対側になるが、曇や霧が出てなければ、バッチリ見れるだろうな」
千明が言った後、あおいはスマホを取り出して当日の天気を確認する。
「えーっと、週末の天気は晴れやから、見れるんちゃう?」
「やったぁ!」となでしこは両手を挙げた。「写真いっぱい撮っちゃお!」
「湖のすぐそばだから、ウィンドサーウィンやカヌーなんかも楽しめるらしいぞ」と千明。
「うわー! あたしやってみたいー!」
「うーん、素人が真冬にやるのは無謀やないかな。ガイドさん頼むと、
そう言った後、あおいはさらに基本情報の項目を読み進めていき、下段の方の項目を指さした。
「あ、でも、貸しボートもあるみたいやで? これならイケるんちゃう?」
「あ、それいい。冬の湖畔でボートに乗って愛を語り合うなんて、ロマンティックだねぇ」
「愛を語り合う相手なんていねーだろ」と言って、千明はにひひと笑った。
「それよりなでしこ君。いつものように、夕飯の方を頼めるかね」
「お任せあれ! お得なキャンプ場にふさわしいお得で美味しいメニューを考えます!」
「買い出しする店も探しといた方がええな。ちょっと調べてみるわ」
あおいはまたスマホで検索をする。
「電車とバスの時間も調べておいてくれよ? 行き当たりばったりの旅も悪くはないが、最低限、陽が暮れる前にキャンプ場に着いておきたいからな」
「そういうの、いっつも人任せやね」
「頼りにしているということだよイヌ子君」
などと、みんなでワイワイウキウキワクワクしながら計画を立てていたのだが。
「…………!!」
紹介記事の最後の方、キャンプ場へのアクセスマップを見たとき、なでしこの背中に強烈な冷気がほとばしり、それが瞬時に全身に広がって、瞬間的に凍りついた。
まるでドラム缶いっぱいの液体窒素をぶっかけられたかのようである。
しばらくそのまま固まっていたが、やがて頭からつま先までがたがたと震えはじめる。
「ねねねねねねねねアキちゃんあおいちゃん」
なでしこは歯をがちがちと鳴らしながら二人の方を見た。
「キャキャキャキャキャンプ場、べべべべべ別の場所にしない……?」
「どうした急に」と、千明は冷めた口調で言う。
「なんか、都合悪いことでもあったん?」あおいは首を傾けた。
なでしこは紹介記事を千明たちに向け、アクセスマップを指さした。
春山田キャンプ場の周辺の地図があり、幹線道路や最寄り駅・バス停からの経路が描かれている。
キャンプ場にはピンのイラストが刺さっており、その西側には本栖湖が、東側には広大な森が広がっている。
「こここここここここここ、樹海の近くだよ!」
なでしこはマップの東側の森を指さし、涙を流しながら言った。
「樹海?」
千明とあおいは顔を見合わせた後、雑誌を受け取って地図を見た。
しかし、「あるけど、それがどうかしたの?」と、動じた様子も無く訊いてくる。
「どうしたのって、樹海だよ!? 春山田樹海! あたし、そんな怖いところの近くでキャンプなんてできないよ!!」
なでしこは、悲鳴に近い声を上げた
春山田樹海――富士山のふもとに広がる広大な森で、日本有数の心霊スポットとして知られる。
そこに足を踏み入れたが最後、その者は二度と外へ出ることはできない。
樹海の中ではコンパスが機能せず、携帯電話やGPSなども故障するため、遭難者が後を絶たないのだ。
また、自殺の名所としても知られ、日本中から死をのぞむ人が集まる場所でもある。
こうした要因が重なり、樹海の中にはそこらじゅうに死体が転がっているという。
それらの死者は怨霊と化し、近くを通る人を森の中へ誘い込み、死へといざなう。
こうして、恐怖は連鎖してゆくのだ――。
……という話を、なでしこは恐怖におののきながらもなんとか最後まで説明し終えた。
だが、話を聞き終えた千明とあおいは、もう一度顔を見合わせた後、同時に吹き出し、笑い始めた。
「ちょっと! なにがおかしいの!?」となでしこ。
なでしこにしてみれば、なにもおかしな話はしていない。
なのに、笑われるのは心外だ。
「ごめんごめん」
千明は笑って乱れた眼鏡を直しながら顔を上げた。
「なでしこ、いまだにそんな話信じてるんだと思って」
「まあ、しょうがないんちゃう? なでしこちゃんは元々怖がりやし、ちょっと前までは県外に住んでたんやから」
あおいはそう言った後、なでしこを見た。
「なでしこちゃん、その話、都市伝説やで?」
「都市伝説?」
「せや。地元の人は、誰も信じてへんよ。だから、安心してキャンプしてええで」
満面の笑みで言うあおいだが、なでしこの心には『警戒』の二文字が浮かぶ。
「ウソだー! あおいちゃん、またウソついてあたしのことだまそうとしてるー!」
大きく後ずさりし、あおいを指さした。
「いやそんなしょーもないウソつかへんよ」
なあ? と、あおいは千明に同意を求める。
「どの口がそんなことを言う」
千明はばっさりと切り捨てた。
「なんのことやろ?」
しれっととぼけた後、あおいは視線をなでしこに戻した。
「でも、これはホントにウソやないで」
「そうそう」と、千明も同意する。
「いまどき樹海なんて、子供でも怖がらないぞ」
二人は諭すように言うが、なでしこは背を向けてしゃがみこみ、耳を塞いでぶんぶんと顔を振りたくりながら、「信じない信じない信じない信じない……」と呪文のように繰り返しつぶやいた。
「雛見沢症候群か」
千明は呆れた声で言った。
「どうする? なでしこちゃん怖がってるし、別のキャンプ場にする?」
妥協しようとするあおいに、千明は「いや――」と言って、眼鏡をくいっと上げた。
「なでしこも、今や立派な山梨県民……あたしたちと同じ梨っ子だ。このまま誤解したままにしておくのも不憫だ。春山田樹海は、山梨が誇る観光スポットのひとつ。なんとしても、あのすばらしさをなでしこにも伝えなければ」
「でも、どうするん? あの様子じゃ、ウチらの話なんかまともに聞きそうにないで?」
「8割は貴様の普段の行いのせいだがな」
「2割は自分のせいだと思ってるんやね」
「よし」と、千明はぽんと手を打った。「ここは、専門家に頼もう」
「専門家?」
「ああ。この学校には、こういう都市伝説のたぐいにチョー詳しいヤツがいるんだよ。あいつの話なら、なでしこもきっと耳を傾けるはずだ」
と、いうことで、なでしこは千明とあおいに引きずられ、専門家がいるという図書室へと移動した。
「……って、なんであたしが専門家なんだ」
図書室の受付カウンター内で本を読んでいた図書委員の
リンは放課後の人の少ない図書室で本を読むことを楽しみにしており、野クルメンバーがやって来て騒がしくするのを嫌っている。
しかし、千明はそんなことお構いなしだった。
「だって、リンはいつもそういう怪しげな本ばかり読んでるだろ? 『UFO遭遇ファイル』とか、『三ツ星心霊スポット』とか」
「いや、そういう本ばかりってわけじゃないけど」
と、言いつつも、いま読んでいる本は『最強のムラサキカガミ式記憶術』というタイトルだ。
「リンちゃん!!」
なでしこはカウンターを乗り越えんばかりの勢いで身をのり出し、リンに詰め寄った。
「春山田樹海って、怖いところなんだよね!? 一度入ったら二度と出られない迷いの森で、コンパスもケータイもGPSも使えなくなるほど地磁気が乱れた場所で、そこらじゅうに死体が転がってる天然のモルグで、日本中から志願者が集まる自殺の名所で、怨霊うごめく魔の森で、死にきれなかった人が樹海の奥で集落をつくってて、日本転覆を企む宗教団体の巣窟と化してるんだよね!?」
「さっきより増えとるがな」
あおいはため息をついた後、リンを見た。
「……と、こんな感じで、春山田樹海を怖いところやと思うてるんや。リンちゃん、誤解を解いてあげてくれんかな?」
「ん、まあ、いいけど……ちょっと待ってて」
渋々といった顔でそう言うと、リンはカウンターを出て、アウトドア関連の書籍がある棚から本を一冊取り出して戻ってきた。
県内のレジャースポットを紹介する雑誌だ。
リンはパラパラとページをめくった後、「あったあった」と言ってページを広げ、カウンターの上に置いた。
『春山田樹海/富士の麓に広がる原生林』というタイトルの記事で、樹海内の写真がいくつも掲載されていた。
木の葉の間から射す太陽光で森中が輝いているように見える神秘的なものや、鹿やリスや野鳥などの姿を撮影した生命を感じさせるもの、樹々も地面も一面緑色のコケに覆われた悠久の年月を感じさせるものなど、そのどれもが美しい写真だ。
「二人の言う通り、春山田樹海は心霊スポットとかじゃないよ」
とリンが説明する。
「駐車場もバス停もあるし、遊歩道も整備されてる。自然豊かだし、天然記念物に指定された洞窟もあるし、本栖湖や西湖を一望できる絶景スポットもある。トレッキングとかで人気の、ちゃんとした観光地だよ」
リンは説明しながらページをめくっていった。
原生林のページでは野生動物や珍しい植物が紹介され、洞窟のページではキラキラ輝く氷柱や太い縄を束ねたような形で固まった溶岩の写真が載ってあり、絶景スポットのページでは富士山のふもとに広がる樹海と湖を写したパノラマ写真が掲載されている。
なでしこがイメージしている心霊スポット的な様子は、カケラも感じられない。
その美しさに思わず感嘆の息を漏らして見ていたなでしこは、「じゃあ――」と言って顔を上げた。
「一度入ったら二度と出られない迷いの森っていうのは」
「遊歩道や案内板が整備されてるから、それに従えば迷うことはないよ。まあ、かなり広い森であることは間違いないから、遊歩道から逸れて奥に入っちゃうと、迷うことはあるだろうけどね。でも、コンパスが狂うっていうのは完全に都市伝説。ちゃんと使えるよ。ケータイやGPSは、電波が届かないところはあるだろうけど、それは樹海に限らずどこの森だって同じじゃないかな。少なくとも、遊歩道の周辺は、昔と比べて電波は入りやすいって話だよ」
「じゃあじゃあ、遭難者や自殺した人でそこらじゅうに死体が転がってるっていうのは?」
「いま言った通り遊歩道から逸れなければ迷うことはないから、遭難者なんてめったに出ないよ。残念ながら、変なウワサが広まったせいで自殺者が集まって来るっていうのはあるらしいけど、役所や自治体や警察が協力して見回りや声掛けなんかの対策事業をしてるから、自殺者は減少傾向にあるはずだよ」
「じゃあじゃあじゃあ、死にきれなかった人が樹海の奥で集落をつくってるっていうのは!?」
「樹海の中に集落があるのは本当。でも、死にきれなかった人が集まってるわけじゃなくて、普通の村だよ。観光客相手の民宿が多くて『民宿村』って呼ばれてる。ネットの口コミサイトで概ね☆4以上がついてるから、結構いい宿なんじゃないかな」
「じゃあじゃあじゃあじゃあ、日本転覆を企む宗教団体の巣窟と化してるって話は!?」
「その辺は、三十年くらい前に地下鉄に毒ガスを撒いたっていうテロ組織の影響だろうね。もちろん、いまはもうその団体の施設は存在しないよ。ただ、富士山は日本一の霊峰だから、周りに宗教施設がたくさんあるのは確かだけどね。でも、樹海に集中してるってわけじゃないし、いまはもう、テロをするような危険な宗教団体は無いんじゃないかな」
「じゃあじゃあじゃあじゃあじゃあ――」
「壊れた蛇口か」
「樹海って、ホントに怖い場所じゃないの?」
「もちろん」
リンはにっこりと笑って頷いた。
「だから、安心してキャンプを楽しんできたらいいよ」
リンにそう言われ、なでしこの心から恐怖という闇の感情が洗い流され、希望という光の感情が射し込んできた。
「よーし」と言って、千明がパンと手を叩いた。「なでしこの誤解も解けたようだし、キャンプ初日は、樹海ツアーにするか?」
あおいが「ええな」と同意する。「せっかくやし、なでしこちゃんを案内しよ」
「うん! あたし、樹海に行ってみたい!」
さっきまでの樹海コワイコワイモードから一転して積極的ななでしこに、千明が「調子のいいヤツだな」と言って笑い、つられてみんなもいっしょに笑った。