なでしこたち野クルメンバーがキャンプ場に到着したのは、夜の八時近くだった。
事前の計画では夕方前に着く予定だったが、その前に立ち寄った温泉と温泉グルメに行く手を阻まれてしまい、予定から大きく遅れてしまったのである。
「すみません、遅くなっちゃいました」
既に受付を閉めてもおかしくはない時間であったが、グレーの作業着を着た管理人の男性は、快く三人を迎えてくれた。
なでしこたちは受付を済ませると、キャンプ場内での諸注意事項を聞き、テントを立てるためのサイトへ向かった。
「うわ、なんだこれ?」
サイトを見た千明が声を上げた。
敷地内には、すでに多くのテントが立てられていたのだ。
「この時期にも、こんなに混むことがあるんだね」
なでしこも驚いて言う。
季節は真冬。とてもシーズンオフとは思えない人出だ。
「せやなぁ」
と、あおいも同意した。
「最近のキャンプブームを甘く見てたかもな」
「とにかくテントを立てられる場所を探そう。早くしないと、夜中になっちまうぜ」
千明を先頭に空いている場所を探す。
しかし、敷地内はどこも埋まっており、なでしこたちがテントを立てられそうな場所は見つからない。
「あかん、どこも空いてへんで。困ったな」
あおいは頭を掻いた
「このままテント立てられなかったら、あたしたち、野宿しないといけないの……?」
なでしこは、寒空のキャンプ場の隅でシュラフに
「いや、受け付けはしてくれたんだ。なら、必ずどこかにテントを張れる場所があるはずだ。諦めないで探すぞ」
千明の励ましで、なでしことあおいも気を取り直して場所探しをする。
しかし、やはりどこも埋まっており、テントどころか荷物を置く場所さえ満足にない有様だ。
「最低でもテントひとつ分のスペースでもあれば、ガマンして三人で寝るんやけど、それすらないな」
「どうする? 管理人さんに相談してみる?」
「うーん、この時間だからな。帰ってなければいいが」
と、三人でどうするか相談していると。
「……どうかしましたか」
不意に声をかけられ、三人は驚いて声を上げた。
いつの間にか、すぐそばにグレーの作業着を着た女の人が立っていた。
帽子を目深にかぶっている上にうつむいているので顔はよく見えないが、受付の人と同じ作業着なので、このキャンプ場のスタッフだろう。
「あ、すみません。あたしたち、ちょっと遅れて着いちゃって、テントを立てる場所が見つからないんです」
なでしこが言うと、女の人は
「それなら、あちらへ」
と言って、サイトの奥の方を指さした。
そこに、山の上へ続く細い道がある。
「あの上にもちょっとした広場があります。あそこなら、まだ大丈夫ですよ」
「ホントですか!? ありがとうございます!」
なでしこたちは礼を言うと、女の人は
「お気をつけて……」
と言って頭を下げた。
三人は、教えてもらった道へ向かった。
それは、森の中を一匹のヘビが這ったかのような、細くくねくねとした道だった。
月明りは樹々の葉に遮られ、ランタンや懐中電灯の明かりだけが頼りだ。
まるで樹海のように左右に草木が密生しており、妙な圧迫感に襲われる。
時おり吹く風で葉が揺れる音は、人のざわめきのようにも聞こえる。
「これ、ホントに大丈夫なん?」
あおいが心細げに言った。
このまま道は森の中に消え、帰り方も判らなくなるのではないか――そんなことを思わせる雰囲気だ。
「スタッフさんが言うんだから、大丈夫だろ?」
という千明の顔も不安げだ。
なでしこは、お気に入りのランタンをあおいに預け、自分は両手で二人の腕を掴み、絶対に離さないようにしている。
もし、こんなところでみんなとはぐれでもしたら、怖くて進むことも引き返すこともできないだろう。
いったいこの道はどこまで続いているのか、もしかしたら朝まで森の中をさまよい続けるのではないか、いやひょっとしてもう二度と夜が明けることはないのでは――なでしこはどんどん恐ろしいことを考えていたが。
「お? 道が開けたぞ」
千明が言って、なでしこは安堵の息を漏らした。
草木の茂りはなくなり、土の地面が広がっている。
懐中電灯で周囲を照らしてみた。
かなりの広さだが、テントひとつ立っていなかった。
「おー。いいじゃないか。誰もいないから、貸し切り状態だぞこれ」
千明は広さを満喫するかのように両手を広げ、くるくると回った。
荷物を置く場所さえなかった下とは大違いだ。
「でも、下はあんなに混んでたのに、なんでここは誰もいないんだろ?」
なでしこは首をかしげる。
「変やな。こんな場所、パンフレットにも載ってへんで?」
キャンプ場のパンフレットを取り出して確認したあおいも、不審そうな面持ちで言った。
「隠れスポットなんじゃねーか? あのスタッフさんが、こっそりあたしたちだけに教えてくれたんだよ」
ラッキーだったと言わんばかりの明るい声で言った千明は、
「それより、早くテント立てて、ごはんにしようぜ」
と続けた。
かなり夜も更けてきたので、ランタンと懐中電灯だけでは心細い。
なでしこたちはまず明かりを確保するため薪を集めてたき火をし、それから千明とあおいはテントを、なでしこはご飯の準備をすることになった。
「よーし、テントひとつかんせーい」
しばらくして千明が言った。
野クル備品の激安テントだ。
三人で寝るには狭いため、もうひとつ立てる必要がある。
千明とあおいは次のテントに取り掛かり、なでしこもご飯の準備を急ぐ。
そのとき。
「ちょっと! 君たちなにしてるの!」
怒気を含んだ男の声がして、なでしこたちは身をすくめた。
大型の懐中電灯の明かりがなでしこたちを照らす。
あまりの眩しさに、なでしこは目が
声の主はライトを下げ、こちらへやってくる。受付してくれた管理人の男性だった。
「なにって、テント立てて、たき火して、ごはん作ってるんですけど……」
千明は、なぜ怒られたのか判らないような口調で答えたが、やがて思い当たったかのように「あ!」と声を上げた。
「ひょっとして、ここたき火禁止でした?」
「そうじゃなくて! なんでこんな危ない場所にテント立てたの!」
管理人さんは怒鳴るほどの声で言う。
しかし、やはりなでしこたちはなぜ怒られているのか判らない。
「危ない場所って……あれ!?」
確認のため、ライトでテントの周囲を照らした千明が声を上げた。
なでしこも、千明のライトを追うように見て、はっと息を飲む。
テントは、断崖の上に立っていた。
土の地面が広がっている――そう思った広場は、テントひとつ立てるのが精いっぱいの、狭い岩場の上だった。
崖の下は、ライトの光が届かないほどの高さだ。
転落したら、とても命があるとは思えない。
テントは崖っぷちギリギリの場所に立っている。
設営の際に足を踏み外さなかったのが不思議なくらいだ。
よく見ると、ペグが刺さった地面は、わずかだが横に亀裂が走っており、いつ崩れてもおかしくないような状態だ。
もし、千明たちがもうひとつテントを立てていたら……それを考えると、背筋が凍りつく思いだ。
なぜ、こんな場所を、隠れスポット的な広場だと思っていたのだろう。
管理人さんは怒りを鎮めるかのように大きく息をついた。
「まったく……帰ろうと思ったら、サイトの上の方でたき火の明かりが見えたから、まさかと思って見にきたら、こんな危ない場所でキャンプしてるなんて……なんで下のサイトを使わなかったの?」
「あたしたちも、最初は下にテントを立てようと思ったんですけど、他の利用者さんでいっぱいで、どこにもテントを立てる場所がなかったんです」
仕方がなかったことを強調するように千明が言うが、管理人は首を捻った。
「他の利用者? なに言ってるの。こんな時期にいっぱいになるわけないでしょ。今日のお客さんは、君たちだけだよ」
「え……?」
三人は顔を見合わせた。
客は自分たちだけ……そんなはずはない。
下のサイトは、テントで埋め尽くされている状態だった。
あれで利用者が他にいないなんて、ありえない。
「とにかく、危ないからすぐ下におりなさい」
管理人さんは言った。
いま崖っぷちに立つテントをたたむのはあまりにも危ないので一旦そのままにし、三人はたき火台と料理道具だけを片づけ、管理人さんと一緒に下のサイトへおりた。
「ええ!?」
下におりて、三人は同時に声を上げる。
さっきはテントで埋め尽くされていたサイトには、なにも立っていなかった。
管理人さんの言う通り、なでしこたち以外に利用者はいないようだ。
だが、なでしこたちは確かにたくさんのテントを見たのだ。
あれは、一体なんだったのだ。
それに。
「そうだ、女性スタッフさん」
千明が思い出して言う。
「あたしたちがテントを立てられず困っていたら、女性のスタッフさんに声をかけられて、上の場所を教えてもらったんです。あの人に訊いてください。絶対、ここにはいっぱいのテントが立っていたんです」
訴えるような千明の言葉にも、管理人さんはやはり首をかしげるばかりだ。
「うちに女性スタッフなんていないよ。ここで働いてるのは、僕だけだ」
「ええ!!」
なでしこたちは、もう理解が追いつかなかった。
他の利用者もいなければ女性スタッフもいない。
ならば、なぜ自分たちはそれらがいると思い込み、あんな危険な場所に行ってしまったのだろう。
だが、いま思い返してみると。
あれだけ多くのテントが立っていたにも関わらず、利用者の姿は一人も見かけなかったし、どのテントからも気配さえしなかったように思う。
そして。
山の上へ続く道を教えてくれた女が
「お気をつけて」
と頭を下げたとき、唇の端をわずかに歪めていたように思う。
笑っていたのだろうか。
あのまま上でキャンプを続けていたらどうなっていたのか。
自分たちはなにを見て、そして、
すべては、判らないままだ。