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山から太陽が顔を見せ、眩い光を放つその様は、まるでこの幻想郷におはようございますと朝の挨拶を告げている様だ。
薄暗かった空が明け、光を帯びて少しずつ青に染まっていく。
夜が明けた。そして、それと同時に大嶽修羅もまた、目指していた目的地へと辿り着いた。
古道具屋『香霖堂』―――彼の数少ない友人である「森近霖之助」が店主を務める、様々な道具を扱っている店だ。
ちなみに最初から言っておくのだが、香霖堂はこんな早朝から開く店ではない。
現在の時刻は午前五時丁度。それこそ、夜と何ら変わらない時間帯である。
「……」
静かな早朝。鳥も囀らない時刻から、修羅は香霖堂の扉を開いた。
からん、と小さな鐘が鳴ると共に、ぎぃ…と、木造らしい音を立てて扉が開かれる。
「やぁ、いらっしゃい。いつも通りの遅い時間だね」
呆れた声で、店主は朝早くからやってきた客をもてなした。
この時間帯でありながら、この早朝でありながら、店主は起きていた。
『動かない古道具屋』森近霖之助は、本を読みながら座って待っていた。
「早朝から読書か。相変わらず暇なのだな、森近よ」
「君が来るだろうから、寝ずに待っていたのさ。扉を壊されるのは御免被るからね」
「その様な荒事はせんさ。俺を何だと思っているのだ?」
「すぐ何でも壊す暇人」
「ふはっ、違いないな。自分でも困ったものよ」
可笑しくなって、鬼は笑う。
自分の持つ力が、何でも壊す事を。
そんな自分を恐れず、堂々と文句を言える友人が。
こんな素晴らしい友を持てた事も、可笑しい。
「君はよく笑うね。その笑顔、もっと他の人にも見せるべきじゃないのかい?」
「何を言う。笑顔はよく見せているさ」
「どうかな。君を知る客からは、君は鬼に似合わず仏頂面だって聞くけどね」
「ほう、俺の事を仏頂面と言う知人か…さて、誰かな。藤原のか、それとも蓬莱のか、はたまた風見か…もしくは天魔の阿呆か?」
「残念ながら、天魔様みたいなお偉い様は来てないよ。ちなみに、言ったのは君の宿敵さんだ」
「何と…“博麗”のか。まさか奴がそんな事を言うとは、意外だな」
「まぁ、彼女にとっても君は記憶に残る人物だろうしね。なにせ、人生で初めて致命傷を与えられた相手だ」
「それは掘り返すな…褒め言葉にも聞こえん」
「そりゃ、褒めてないからね。当然さ」
「そうか、それは何ともお前らしい。だが、その方が有り難いな…」
まるで初めて珈琲を飲んだ時の様な、そんな苦い顔をする修羅。
どうやら、彼にとって先代博麗の巫女との戦いは思い返したくない出来事らしい。
普通の妖怪ならば、博麗の巫女に致命傷を負わせた事は末代まで誇るべき事であると豪語しそうなものであるが、彼は違うようだ。
「まぁ、それはそれとして。今日は何をお求めかな?」
「本を幾つか。あと、遊戯が出来る物があればそれも欲しい」
「なるほどね…なら、お勧め出来る品が幾つか有るよ」
「それは畳々。遠出した甲斐がある」
「君は住処が住処だからね…」
何せ妖怪の山、その奥深くだ。ただでさえ登るも降るも大変な妖怪の山の奥地なのだ。
誰一人、誰一匹として近寄る事のない領域に屋敷を建てて住んでいるのだ。
そんな場所を住処にしてみれば、そりゃ遠出にもなるといものである。
「あぁ、そういえば森近よ。百年程前に預けたアレは、どうだ?」
「あぁ、『三明の剣』の事かい? あれなら君の予想通り彼女が持って行ったよ」
「そうか、それは良かった」
「勿体ないとは思わないのかい? あの三振りの内の一本があるだけで、君の生活に役立つと思うが」
「戦をせん俺には、もう要らんさ。それに、あれは元々あの娘の代物よ」
「そうかい。本人である君がそう言うのなら、僕からは何も言うまい」
「あぁ、そうしてくれ」
三明の剣。それは遥か古の昔、まだ幻想郷が無かった頃の世界で、大嶽修羅が神の娘から奪った三本の剣の事である。
神の娘という程だから、さぞかし強いのだろうと期待して襲撃した結果、その期待を裏切られてあっさりと倒してしまったという過去がある。
幻想郷に流れ着き、数千年もの時を過ごして心が入れ替わった彼は、きっと流れ着くであろう彼女に剣を返す為に香霖堂に預けたのだ。
鬼にも悲しき過去あり。大嶽修羅にとって、それだけに限らず、自分が過去に犯してきた愚行は全て悔やむべき所業である。
とはいえ、過去を変えるなどというたいそれた事が出来る訳もなし。
そして、鬼である自分が表に立って罪滅ぼしをする事もまた、出来る訳もない。
故に、隠居した。それこそが罪滅ぼしになるのだと。
まぁ、その所為で、幻想郷に流れ着いた鈴鹿某は、目的であった大嶽修羅を見付けられずにいたのだが。
「あぁ、そうだ。君に伝え忘れた事があったんだが」
「ん?」
「彼女、結婚したよ」
「……は?」
「だから、“博麗の巫女”が結ばれたって言ったんだ」
「な―――はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!??!?!?!?!?」
珍しく、というか人生(もしくは鬼生)初の大声を上げて、大嶽修羅は身を乗り出した。
「む、結ばれただと!? あの博麗がか!?」
「そうだよ。普通の人間だけど、全く彼女を恐れない。それどころか尊敬すらしている、彼女曰く変な人さ」
「な、なんと…人里にその様な人間が居たのか…いや、しかし、あの博麗だぞ?」
「言わんとしている事は、まぁ分かるよ」
博麗の巫女。この幻想郷において最も強いであろう人間。
『物事や概念を突き破る程度の能力』を用いた肉弾戦で、数多の妖怪を葬ってきた鬼巫女。
大嶽修羅と対立し、見事打ち破った唯一無二の存在である。
それ故に、大嶽修羅はその事実が、その現実が、あまりにも信じられるものではなかった。
あの巫女が、凡人と結ばれるなどと。
「そうか…あの娘が結ばれたか。それは祝の品を用意せねばならんな」
「あぁ、やっぱり用意するんだね。殺し合ったのに」
「過去は過去よ。それに、めでたい事に代わりはなかろうさ。昨日の敵は今日の友と言うだろう? それと同じよ」
「何となく違うと思うけどね」
殺し合えども、今となっては複雑な感情を抱きながらも友の間柄。
否、複雑な感情を抱いているからこそ、祝の品を送るべきなのだろう。
罪悪感を覚えているならば、相手にとって良い品を送るべきだ。
「酒でも贈るかな。丁度先日、萃香から酒を贈られたばかりだ」
「…鬼の酒を贈って、大丈夫なのかい?」
「博麗ならば問題なかろう。それに、それで博麗が酔ったとしても結果的には良事になるだろ。どうせ何時しかまぐわうのだろうしな、やるが早いに越した事はない」
「生々しいな…」
「言っただろう、どうせ何時かやると。なら早くに終わらせた方が良い。特に、あいつは巫女としての仕事があるのだからな」
「まぁ、そうだね。子供を身籠った際は、動き過ぎるのも危険だ」
「うむ。故に、素早く事は済ますに限る。何、いざとなれば俺が代わりに動くさ」
「えっ…君がかい?」
「人里は無理だが、山などの場所であれば俺でも赴ける。最近は碌に体も動かせておらんからな、丁度良い機会になろう」
わりと暇なのでな、俺は。
鬼は、楽しそうに笑った。
□ □
場所はかなり変わって、向日葵が咲き誇る花畑。
爛々と輝く太陽の光を受けて、まるで気持ち良く背を伸ばす子供の様に立っている向日葵達が咲き誇るその花園は、まさしく絶景と言えるだろう。
「いつ見ても、此処の花々は美しいな」
絶景。その感想を抱くのは、鬼である彼とて例外ではなかった。
幻想郷という、隔離された世界が出来上がる前から、彼はこの花園に来ては花を眺めていた。
決して花を愛でる様な性格の男ではなかったが、鬼神魔王として動かなかった際の彼―――つまるところの、一匹の鬼としての大嶽修羅―――は、基本的にこの花園に居座っていた。
「そう? 鬼の神様からそう言ってもらえるなんて、嬉しい限りね」
花々の奥から、一人の女性が歩いてくる。
日傘を差した緑髪の女性―――花の妖怪にしてフラワーマスター、そして彼の数少ない友人の一人、風見幽香である。
「花たちも喜ぶわ」
「そうか? 俺としては、怖がらせていないかと心配だが…」
「あら、自分が怖いという自覚はあるのね。意外だわ」
「誂うな…と言いたいところだが、事実か。俺は鬼、鬼とは自然の破壊者に他ならん。故に、花が怯えぬかは心配しようさ」
「御優しい鬼だこと。それなら、何の心配もいらないわ。随分と前から、花たちは貴方が優しい事を知っているから」
柔和な笑み(他からしてみれば恐ろしい)を浮かべながら、幽香は花たちへと目を配る。
随分と前から、それこそ数千年も前から、この大地に咲き誇る花々は彼の優しさを知っている。
鬼神魔王として恐れられていた鬼の心が、穏やかなものである事を理解しているのだ。
花の心に嘘偽りはない。故に嘘偽り、悪意には過敏なのだ。
だが、花達は穏やかに咲き誇っている。自信満々に、咲いている。
それ即ち、彼を受け入れている証拠である。
「立ち話もなんだし、家に上がりなさい。紅茶、出すわ」
「風見の紅茶か、楽しみにしておこう」
「えぇ、期待してもらって良いわ」
この男、大嶽修羅。
種族は鬼、和服に身を包んでいる上に古風な口調ではあるものの、和風文化に染まっている男ではあるものの。
普通に洋風文化も受け入れているのである。何なら紅茶を好んですらいる。
和服に紅茶とは、何とも似合わぬ絵面である。
「そういえば、今日は何の用で来たのかしら。貴方、基本は山から出ないじゃない」
「祝の花が欲しくてな。お前に見繕ってもらおうと考えたのだ」
「祝い…誰の祝いかしら? もしかして、四天王の誰か?」
「華扇は兎も角、星熊や伊吹に相手が出来る訳なかろう。相手が死ぬ」
「酷い言い様ね、貴方…」
「事実だからな、伊達に数千年も奴らと過ごしとらんさ」
酒に溺れる事もあれば、強者との戦いを望む二人だ。あんなのと付き合える者など、まともではない。
同族の鬼ですら相手するのも難しいというのに、もし相手がそこらの妖怪や人間だったなら何が出来ようものか。
「で、その贈る相手は?」
「博麗だ。つい最近、良縁に恵まれたそうだ」
「へぇ…あの娘がね。意外ね、そういった事とは無縁の人物だとばかり思っていたけれど」
「俺も意外だった。森近曰く、博麗の方から日に日に惹かれていったそうだ」
「…どんな人なのかしらね、あの娘と結ばれた人って」
「博麗を恐れず、丁寧に敬い、親しく接する男だそうだ。俺も会ってみたいものよ」
そんな人間が居るならば、会ってみたい。
妖怪すらも恐れる存在を恐れず、逆に敬い、愛す人間。妖怪からしてみれば、そんな人間は何とも興味深い。
まぁ、もっとも。
そんな望みは、決して叶わないものではあるが。