■ ■
大嶽修羅は、幻想郷という世界が成立する以前から生きている大妖怪であり、それこそ当代の日本国民の殆どが恐れていた存在だった。
妖怪としての名を、大嶽丸。外の世界、もとい日本において最も有名な三匹の妖怪『日本三大妖怪』の一匹として数えられる、日本最強の鬼神。
伊勢と近江の境目に位置する鈴鹿山に居座り、神通力を持った鬼神の魔王である。
鬼神にして魔王。神に通ずる力を持った最強の存在。それは、その強さは、幻想郷においても一切の変わりなし。
とはいえ、それが知れ渡っていたのは過去の事でしかない。どれだけの悪行所業を残したとて、時が経ってしまえばそれも忘れ去られるものである。
今の幻想郷(まだ主人公達が産まれてもいない時代ではある)で、大嶽修羅という大妖怪の所業を知っている人間、憶えている人間は数少ない。
人里で言うならば、上白沢慧音や稗田阿求くらいのものである。
しかし、それはあくまでも人間であるならば…の話し。
人間よりも長寿である妖怪達であれば、話しは別だ。特に、妖怪の山で暮らす者達ならば尚更、記憶に残っている筈である。
『山の四天王』―――天狗を支配していた最強の妖怪『鬼』の中でも一線を画した強さを誇った四匹の鬼。
その一人が、大嶽修羅なのだから。
「ふぅ…快晴の下で飲む茶は美味よな」
そんな大物は、自分の屋敷の縁側で一人優雅にお茶を楽しんでいた。それはもう、老人の様に穏やかに。
というか、妖怪でありながら隠居している彼が茶を飲む様は、実際に老人のそれであった。
「やはり平和とは良いものだな。お前もそう思うだろう―――スキマの」
湯呑を置き、暖かい陽射しに当たりながら気持ち良さそうに目を閉じる彼は、まるで隣に誰かが居るかの様に語り掛けた。
すると――
「あら、やっぱり気づいてたのね」
空間に裂け目が生じ、その中から一人の、否、二人の女性と一人の少女が現れた。
金髪の女性―――この幻想郷を創り出した存在にして妖怪の賢者、八雲紫。
そして、その式神である狐の妖怪、八雲藍とその式神である橙。
八雲紫を除いた二人は、彼の友人である。というか、祖父と孫娘の様な関係である。
「お久しぶりです、修羅殿」
「久しいな、藍。橙も元気そうだな」
「はい! お久しぶりです、オジサマ!」
「うむ、良い声だ。立ち話も何だ、遠慮無しに座るといい。茶と…そうさな、団子でも用意しよう」
「…ねぇ、私だけ扱い雑じゃないかしら?」
「安心しろ、境界の。後にも先にも、俺が知り合いを雑に流すのはお前だけよ」
「全く嬉しくないわね…」
「承知の上で言っているんだ、戯けめ」
お前も、さっさと座れ。そう言って、修羅は立ち上がり、台所の方へと歩いて行った。
今更ながらこの屋敷、山の奥深くに建てられてはいるものの、かなりの設備が整っている。
まぁ、この屋敷を組み立てたのは河童なのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。
なので、普通に冷蔵庫もある。河童の技術力は凄いのだ、それで納得したまえ。
と言っても、現代の様な代物ではなく、外は木製で、中で食材を支えるものは全て鉄製だ。
「優しいのか、そうじゃないのか…よく分からないわね」
「そうですか? 私からすれば、修羅殿は優しい御方だと思いますが…」
「藍達にはね。あの人、私だけ扱いが雑なんだもの」
「……? そうでしょうか?」
扱いが雑で困る。そう言った紫に、藍は首を傾げた。
「え、だってそうでしょう? 藍や橙は名前で呼んでるのに、私なんか名前はおろか苗字ですら呼ばれないのよ?」
「おそらく、紫様だけではないと思いますが…あと、私と橙が名前で呼ばれているのは、単に名字が一緒になるからではないかと」
大嶽修羅は友人が数少ない。知り合いこそ多いものの、その全てが決して友人という訳ではない。
彼は基本的に、友人の事は名字で呼んでおり、知り合いは〜〜の、と呼んでいる。例外なのは、此処に居る藍と橙だけである。
例えば、八雲紫であれば境界の。藤原妹紅であれば藤原の。蓬来山輝夜であれば蓬莱の。
と、こんな感じである。
「どちらにせよ、不服なのよ」
「大妖怪ともあろう者が、何を幼子の様な戯言を口にするなよ…みっともない」
大人(数千年を生きた妖怪)でありながら、まるで年頃の少女の様な悩みを口にする紫に、容赦なくみっともないと彼は言い切った。
三つの団子を串で刺した三色団子を、皿の上に六つ積み重ねたものと三つの湯呑を乗せた膳を持って、再び床へと腰を下ろす。
すると、橙が彼の膝へと座り込んだ。
「特等席、取りました!」
「こら、橙! 修羅殿に断りもなく…」
「はっは、善い善い。それに、初めてでもないものな?」
「そ、そうなのですか?」
「あぁ、藍が橙を預ける時はよくこうしているぞ。どうやら、爺の膝は随分と暖かいらしい」
最強の鬼、その膝の上を陣取ってゴロゴロと喉を鳴らしながら団子を頬張る橙。
そんな彼女の頭を撫でる彼の姿は、先も言った通り翁好きな孫と孫を甘やかす爺の絵面そのものであった。
鬼と猫の式。何とも凄い絵であるが、同時に微笑ましい絵でもある。
ちなみに、彼女が彼にここまで懐いているのは、単に大嶽修羅の人の良さ(もしくは鬼の良さ)故である。
「…ふふっ」
「なんだ、突然笑い出して。何か面白い事でも思い出したか?」
「いえ…昔の貴方からは想像出来ないな、と思っただけよ」
「……まぁ、そうさな。昔の俺に比べれば、天変地異の如き変わり様だろうな」
鬼神魔王―――抜山蓋世の化身、大嶽修羅。
鬼の四天王が一人。三歩踏み締めた時、敵の絶滅が確定する奥義を以て妖怪の山に恐怖を震撼させた大妖怪。
山を抜く膂力、世を覆う気迫。幻想郷を崩壊一步手前まで追い詰めた鬼である彼が、今となってはこれだ。
彼を知る者がこの光景を目の当たりにしたならば、きっと大声を上げて驚愕していた事だろう。
「昔のオジサマって、どんな人だったんですか?」
「そうねぇ…一言で表すなら暴君ってところかしら?」
「概ね合っているな。昔は妖怪らしく、鬼らしく、ただ暴れ回っていた」
「本当にね。この人が彼女と戦った所為で、幻想郷は崩壊一步手前まで行ってしまったんだから」
巫女曰く。
かの鬼、抜山蓋世を為す豪傑が如し膂力と気迫を以て天下の頂に座す者。
鬼達の神、鬼達を統べる王。この世を揺るがす暴君に他ならず、決して相手する事なかれ。
その路を阻む事なかれ。阻まば、此の世と供物に成って葬られん。
「つまらん昔話だ。ただの暴君が、幸せを掴む事もなく暴れ終えただけの―――それだけの話しだ」
今の平穏を生きる鬼の過去。
それは、鬼に相応しい壮絶な物語だった。
団子を食べながら、鬼は己が過去の一部を語り始めた。
今よりも昔の事。幻想郷が出来て数百年が経過した程度の時。
鬼の殆どが旧地獄、即ち地底へと潜り、妖怪の山からは鬼達が居なくなった。
―――たった一匹を除いて。
「久しく戦が起きたと聞いて、山道を下ったのだが…何ともまぁ、矮小なものよな」
妖怪の山では、戦が起きていた。妖怪と人間ではなく、妖怪と妖怪同士の争いが起きていたのだ。
それは決して小さなものではなく、寧ろこれまでの歴史から鑑みれば大きな戦争だった。
妖怪の山において、かつてないほどの戦争だった筈だ。
だが、彼にとっては―――『妖怪の山の鬼神魔王』大嶽修羅にとっては、実に小さく―――
「だが、それで良い。弱き者強き者、皆等しく暴れるが故の戦よ」
そして、愉快なものであった。
何時の世も、戦は面白い。あらゆる手段を用いて勝とうとする者達の生き様は、美しく素晴らしい。
鬼達は正々堂々とした一騎討ちを望み、人間達に勝負を仕掛けたていた。
だが賢い人間達は鬼達を騙し討ち、何度も退けてきた。それこそが、地上から鬼達が消えた理由だった。
が―――この大嶽修羅だけは、そうではなかった。
騙し討ちなど上等。それすらも破ってこそ、鬼は最強足り得る。何者をも喰らうからこその鬼である、と。
そもそも、人間の戦とは頭を働かせて動くからこそ華やかで、しかし泥臭く、それでいて素晴らしいのだ。
人間の利点とは、賢い事だ。戦いにおいて自らの利点を使う事の何が卑怯というのか。
戦いとは何だ?
争いとは何だ?
互いが互いの全力を出し合い、殺し合う事こそが戦争ではないのか?
使えるものを全て使い、自らに、もしくは他者に勝利をもたらす事こそが勝負というものではないのか?
ならば、そうならば、そうであるならば、人間達の戦いが醜いなどと言えるだろうか?
鬼という最強に勝つ為に、騙す事の何が悪いというのだろうか?
否、否、否、否。決してそれは悪事などではなく、寧ろ戦う者として実に合理的ではないか。
人はそうした。人間は、鬼という存在と戦う為に騙し討ちという策を取った。
ならば―――他の妖怪達は、どう策を弄するのだろうか。
今や敵同士で争っている者達が、一致団結して一人の敵に挑んだならば、どんな作戦が生み出されるのだろうか。
「愉しみじゃないか…!」
凶悪な笑みを浮かべると共に、鬼神は地を蹴って戦場へと駆け出した。
それは、まさしく絶望の如く唐突で、そして全てを抉る嵐の様に過激だった。
戦場のど真ん中に割って入る様に、その鬼は晴天の上から降り立った。
轟ッッッ!!! と、根を張った木々をも吹き飛ばす衝撃が戦場を駆け巡り、同時に希望と絶望が戦場を覆った。
最悪にして最強の敵が来てしまったという絶望が。
最高にして最強の味方が来てくれたという希望が。
その両方が、たった一匹の鬼神へと向けられた。
そして、かの鬼神は声静かに、されど大きく轟かす。
「我が名は大嶽修羅ッ! 鬼の四天王が一人、『鬼神魔王』の名を冠す鬼であるッ! 此度の妖戦、この俺も参加させてもらおうか―――!
今日の仇は今日の友、この戦に勝ちたくば――――――俺の首を獲ってみせろォッッ!!!」
その鋭く恐ろしい鬼の気迫に、戦意を喪失する者は決して少なくはなかった。
妖怪の山のみならず、この幻想郷では誰もが彼の存在を知っている。
『鬼神魔王』―――大嶽修羅。妖怪の山に居残った数少ない鬼の一人にして、他の鬼達をして最強と言わしめた大妖怪。
誰も止める事の出来ない天災の具現、鬼でありながら神に通じる力を扱う者。
天性の才覚、真性の魔王。生まれ落ちたその瞬間から、強さの頂に立つ事を約束された存在と言っても過言ではない。
そんな相手に、いったい誰が勝てようものか。
だが―――どちらにせよ、抗わなければ死が来るだけの戦。
彼らに、それを拒絶出来る意思などありはしなかった。
それから程なくして、戦は終結した。たった一人の鬼によって、呆気なく。
「つまらん話しだっただろう? 主に盛り上がりにおいて」
「やっぱ鬼なのよねぇ…」