■ ■
鬼とは幻想郷最強の妖怪達であり、妖怪の山の創設者にして管理者だった。
今でこそ天魔が妖怪の山を統べているが、昔は鬼達が妖怪の山を統べていたのだ。
だが、鬼達は地下へとその姿を消した。
鬼は正々堂々の勝負を好み、人間を攫っては戦っていた。だが、人間達は決して強くはない。
故に、人間達は正々堂々の真っ向勝負などしなかった。鬼を騙し、戦う者達ばかりだったのだ。
それが嫌になったから、鬼は妖怪の山から姿を消したのだ。
そして―――それは鬼の四天王とて、例外ではなかった。
鬼の四天王、もしくは山の四天王。当時の妖怪の山において、鬼達の中でも群を抜いた強さを誇っていた四匹の鬼達。
一人目、星熊勇儀。語られる怪力乱神と呼ばれた者。
二人目、伊吹萃香。小さな百鬼夜行と呼ばれた者。
三人目、茨木華扇。奸佞邪知の鬼と呼ばれた者。
四人目―――大嶽修羅。鬼神魔王と呼ばれた者。
この四人の内、二人は地下に潜り、一人は天道へと進み、一人は山に居座ったが隠居した。
実質、鬼の四天王は居なくなってしまったと言っても過言ではないのだろう。
とはいえ、彼らが交流を無くしたかと言われれば、決してそうではない。
星熊勇儀と伊吹萃香は共に地下に潜ったのだから交流はあるし、伊吹萃香に関してはよく大嶽修羅の家に無断で入り浸っている。
大嶽修羅本人(もしくは本鬼)としては、溜まったものではないだろう。
「修羅、居るかしら?」
その点、彼女はしっかりと彼が居るかを確認してから入ろうとしてくれる。
妖怪の山、その奥深くに建てられた大きな屋敷―――『鬼の穏屋敷』と名付けられたその家の戸を叩き、鬼の所在を問う彼女こそ、茨木華扇である。
桃色の髪と二つの団子布、左手首に付けられた鎖のついた腕輪が特徴的な仙人―――もとい、鬼である。
「おぉ、誰かと思えば茨木ではないか。久しいな」
戸を叩いて暫くすると、ゆっくりと戸は開かれ、目当ての鬼が驚いた顔をして現れた。
「久しぶりって言う程、時間は経ってないわよ」
「そうか? 俺の記憶では、最後に会ったのは数年程前だった筈なのだが…」
「数年なんて秒単位みたいなものよ。久しい時間にも満たないわ」
「ははっ、そうか。流石は修行者と言うべきか、老耄より真面目よな」
「老耄てはないでしょう? 貴方がボケるなんて、想像もつかないわよ」
「まぁな。伊吹が来る手前、老耄る事すら許されなんだ。全く困ったものよ」
困った、とは言うものの。
かつて鬼神魔王と呼ばれた鬼は、どこか嬉しそうな表情を浮かべていた。
それが古い友人が態々会いに来てくれるという友情故か、それとも何時まで経っても元気な事を喜ぶ親心故か。
どちらにせよ、それを目の当たりにした華扇は、目の前の友人が本格的にお爺ちゃんに見えてきて仕方がなかった。
彼が小さな娘と共に居ると、いつの間にか『この二人は祖父と孫』という認識に入れ替わってしまう程に。
「何やら失礼な事を考えてはおらんか、華扇よ?」
「いいえ決してそんな事はないわ」
「それにしては、随分と早口だったが…まぁ良いか。要件は中で聞こう、上がってくれ」
「なら、お邪魔します」
背を向け、中に戻る修羅を追う様に、華扇も屋敷の玄関へと入る。
木製の床が広がる道。何も飾られていない殺風景なだだっ広い廊下。
掛け軸はおろか、花瓶すらも置かれてない。
だが、それが隠居する家らしいと言うべきだろうか。
豪勢という訳ではなく、寧ろ質素な方でこそあるが、これこそ隠居者が住む家と言えるだろう。
とはいえ、木の材質は素晴らしいものである。
「居間は右だ。其処で待っていてくれ、茶を持ってくる」
「え? いや、そこまでしなくても良いわよ、悪いし…」
「客を饗すんだ、それくらいはさせてくれ。俺としては、久しぶりにお前と話したいんだ」
「…そう? なら、お言葉に甘えさせてもらうわ」
「うむ、そうしてくれ」
では、待っていてくれ―――修羅は華扇とは反対方向へと歩み、台所の方へと向かった。
「本当、凄い変わり様だわ。昔の修羅なら、そんな事は絶対に言わなかった」
かつて妖怪の山にその名を轟かせ、同族にすら恐怖を抱かせた最強の鬼だった男。
鬼でありながら神通力の扱いに長け、信仰が今よりもあった筈の八百万の神々すら下してみせたのだ。
当時の大嶽修羅は、まさしく『暴君』と呼ぶに相応しい存在だった。
気に入らないものは全て壊し、気に入ったもの全てを奪い取った。
何よりも戦を愛し、古今東西で起こっていた妖怪の戦に乱入しては荒らすを繰り返していた。
『鬼神魔王』という凶悪な二つ名に違わぬ、邪智暴虐の権化だったのだ。
それが、今となってはどうか? 人の良い祖父の様になっているではないか。
天変地異が起きたのではないか、そう言われても信じるくらいの変わり様だ。
「待たせた。良い茶葉を探すのに手間取ってな…粗茶ながら、どうぞ」
「良い茶葉を使ってるなら粗茶じゃないでしょ…ありがたく頂きます」
開いた戸の隙間から、心地良い風と蝉の鳴く声が入り込む。
蝉の鳴く声は夏の到来を実感させ、心地良い風は彼らの体を撫でて涼ませる。
鬼の体は人間の軟なものとは違い、暑さにも寒さにもやられる様なものではない。
だが、それでも感覚というものは持ち合わせている。夏に風に当たると、感覚的には涼しく感じるものだ。
要するに、そういう気分なのだ。
「平和だな…」
「そうね…」
その結果として生み出されるのが、この構図である。
男女が二人、居間でゆったりとしながら茶を啜っているという平和的な絵面の完成だ。
まぁ、二人共に鬼なので、平和と言えるかどうかは定かではないのだが。
「山の四天王と恐れられ、もう幾千年。俺達の栄光は過去のものとなったな」
「私達は、ね。勇儀と萃香の二人は違うわ、今も現役のまま」
「だろうな、奴らが休むとは到底思えん」
「私はあまり会わないけど…貴方はよく会っているんでしょう?」
「伊吹の方には、な。星熊は偶に会う程度だ」
「…意外ね。勇儀の方が会っているとばかり思っていたけど」
「今は地底の生活に満足していると、伊吹から聞いた。愉快な妖怪が多く居るとも」
人の心を読むさとり妖怪。
心を閉ざし、無意識を流れるさとり妖怪。
さとり妖怪に飼われる火車と地獄鴉。
橋を守る嫉妬の姫。
とても愉快な面子が多いから飽きないらしい。
「あの勇儀が愉快と語る妖怪達…興味が無いと言えば、嘘になる」
「地底に行くの?」
「あぁ。他の鬼達とも顔合わせをしたいというのもあるがな」
「…本当に変わったわね、修羅」
湯呑を置き、感慨深いと華扇は微笑む。
「…そうさな。確かに変わったな、俺は。自分でもそう思う」
「えぇ。今の貴方の方が素敵だわ」
「…そう素直に褒められるのは、やはり慣れんな」
恥ずかしそうに目を背ける修羅に、華扇は再び微笑んだ。
この姿こそ―――大嶽修羅の本当の姿なのだと。