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赤い、紅い、朱い。
全体が紅く、禍々しい妖気を漂わせるこの館こそが、吸血鬼を引き連れて幻想郷へとやってきた主犯の本拠。
そして、その門前に―――鬼と妖怪が対峙していた。
「これより先は紅魔館。例え貴方が鬼であろうと、此処から先へは行かせません」
「ふむ…門番か。困ったな、普段であれば無理強いせずに帰るのだが…今回はそうもいかん」
「……であれば」
「あぁ―――立ち会おうか」
風が吹き抜ける。同時に、紅魔館の門番―――紅美鈴の額から、嫌な汗が流れる。
気を視れば分かる。否、気を視らずとも、今こうして対峙しただけで本能が理解した。
―――強い。自分なんかとは比べ物にならない程に、目の前の相手はあまりにも強過ぎる。
美鈴が構えを取っているのに対し、鬼は構えていない。自然体の様に立っているだけだ。
だが、それこそ強者の余裕と言うべきか。
鬼にしてみれば、彼女は構えを取る必要すらない程度の相手という事なのだろう。
「―――行くぞ」
ドンッッ!!! と、一步の踏み込みで地面が凹み、周囲を揺るがす程の衝撃すら加速に利用して、鬼が真っ直ぐに突っ込む。
弾丸か、それとも砲弾か。どちらにせよ、それが直撃してしまえば死を招くものであると美鈴は理解した。
避ければ直撃はしない。風圧に体を殴られる事はあれど、死にはしない。
けれど、もし避ければ―――門は破壊され、門番としての役目を果たす事は出来なくなる。
己の死か、それとも門番としての死か。どちらを選ぶか、など―――決めるまでもない。
「受け立ちます!」
美鈴は、鬼の猛進を受け止める事を選んだ。
例えこの一撃を以てして我が身が砕け散ろうとも、それでも己は紅魔館の門番だ。
何としても、防ぎ切るのだ。この身の負荷など無視して、全力で。
全身に気を回し、体を鋼の如く硬くして受け止める他、門を守る手段はないのだから…!
「その精神、見事。だが甘い」
「なっ…!?」
音速にも至った鬼の体が、美鈴に打つかる寸前の所で減速し停止する。
勢いは完璧には殺されない。だが、その勢いを拳に乗せてしまえば、文字通り一撃必殺の武器となる。
全身でも受け止められない衝撃が来ると警戒していた美鈴の体に、ほんの僅かな隙が生まれる。
緊張が緩んだ刹那の一瞬、美鈴の腹へと鬼の鋭い拳が打ち込まれた。
バギッ…と、骨が砕ける音が夜に乗る。
まるで釘で貫かれたかの様な激痛と衝撃が、美鈴の体を駆け巡り、すぐに消え失せる。
呼吸が止まると同時に、意識が闇へと落ちていく。
強烈であり、それでいて緊張の隙を突く一瞬の打撃は、それだけで全身に気を回した美鈴の意識を刈り取った。
「敵ながら、見事な覚悟だった。門ごと突き破る予定だったが…そんな覚悟を見せられては、無粋な真似など出来る訳もない」
倒れる美鈴を片手で受け止め、地面に背を預けて凭れる様に優しく寝かせる。
一瞥する事もなく、されどその覚悟を敬意を評しながら、鬼は静かに門を開き、紅魔館の中へと踏み出した。
「まさか、内まで紅色とはな…目が痛い」
館に入ってみれば、其処は上下左右、どこもかしこも紅色で染まっていた。
血の様に紅いそれから察するに、主は随分と赤色を好んでいるようだ。
そこはやはり、血を吸う吸血鬼らしいと言うべきか。
「何とも広いな。俺の屋敷よりも広いのではないか? こうも広いと、探すのが面倒そうだが…」
「いいえ、その必要はないわ」
―――其処に居たのは、黒い羽の生えた少女だった。
窓から差し込む紅い月光を背景に、その少女は余裕ある笑みを浮かべて現れた。
「…」
「初めまして、幻想郷の鬼の頭領。私の名はレミリア・スカーレット。この紅魔館の主よ」
「もう頭領なんて肩書はない…今はただ、山に隠居するだけの爺だ。君の様な少女が聞くに値する名もない」
「あら、少女だなんて口が上手いわね。でも私、これでも永生きなのよ?」
「だろうな。だが、俺の半分も生きていない。千年以上を生きたなら、それは立派な大人にもなるだろうが…」
「初対面なのに、随分と入れ込んでくれるのね」
「それだけ強いという事だ。誤解せぬ様に先に弁明するが、俺は子供を口説く趣味はないぞ」
「あら、そうなの? てっきり口説かれているとばかり思っていたけれど」
「残念ながら―――俺が口八丁と拳で誰かを口説いたのは、後にも先にも一人だけでな」
懐かしむ様に笑って―――その表情が消え失せる。
笑顔が無感動な無表情へと変貌し、それだけでレミリアの体に“気迫”が伸し掛かる。
「っ!?」
がくん、と。浮かんでいたにも関わらず、レミリアはその気迫によって地面へと落とされ、膝をつかされる。
重い。まるで錨を投げられたかの様だ。立ち上がる事も出来るか分からない。
鬼が一步を踏み出す。
「先はああ言ったが―――今宵は違う。今や良縁に結ばれた、俺が惚れた女の頼みがある。故、貴様に我の名を聞かせてやろう」
鬼が二歩を踏み出す。
「我が名は大嶽修羅。妖怪の山を統べた鬼の一人にして、同族にすら恐れられた鬼神魔王なり」
鬼が三歩を踏み出す。
鬼神が、吸血鬼の前に立つ。
「今宵この時のみ、我は鬼神魔王。我が宿敵の望みだ、存分に力を振るってやる―――感謝しろよ、竜の御子」
「―――く、くくっ…面白い! であればその首を跳ねて、その女に届けてやろう、老害!」
気迫を振り切り、素早く宙へと舞う。
羽を大きく広げ、その手に真紅の槍を創り出す。
対して、鬼は何もしない。構えを取る事すらせずに、レミリアを見上げる。
レミリアには分かる―――あれは余裕だと。絶対的な強さから来る、自分は負ける事などないという余裕。
構えを取る必要もない。何故ならば勝つから。
武器を取る必要もない。何故ならば勝つから。
鬼神魔王、大嶽修羅にとって―――構えや武器を取るなど、格下相手には必要もない事なだ。
「その余裕を崩してやる…!」
真紅の槍を構え、自然体で棒立っている修羅へと襲い掛かる。
彼の心臓目掛けて、全霊を込めて槍を振るう。ありったけの殺意が込められたその攻撃には一切の容赦はない。
だが―――最強の鬼からしてみれば、そんな攻撃には大した意味もない。
「その程度か?」
修羅は無駄に動く事もなく、自分の心臓がある胸へと振り抜かれた槍を、事もなげに右手で受け止めてみせた。
だが、レミリアは驚かない。
想定内だ。この程度の事を、かの鬼神魔王が出来ない筈がない。
外の大陸に居た筈の自分ですら、目の前の男の名は届いていた。
遥か東の国には、強固な肉体を持った者達を束ねる最強の悪魔が居ると。
それが、眼前の鬼。自分の槍を平然と掴んでいる怪物だ。
「そんなに欲しければくれてやるわ!」
「む…」
レミリアは槍を手放し、柄の端を蹴ってダメ押しの追撃を食らわせて後方へと下がる。
だが、何もせずに下がる訳ではないだろう。修羅はそう思い警戒したが―――もう既に、仕掛けは終わっている。
パチンと指を鳴らせた瞬間、修羅が掴み取った槍は紅い光りを放ち―――爆発した。
すぐに新しい槍を創り出し、この隙に首を取ろうとレミリアは土煙の中へと飛び込んだ―――その瞬間。
「敵の懐に態々入り込む辺り、どうやら強者との戦闘を知らんようだな」
レミリアの顔面に、鋭い拳が叩き込まれた。
パァンッ!!! と、振り抜かれた拳が少女の顔面を弾き、鮮血と肉片を紅い館に撒き散らす。
普通であれば、それで終わり。完全なる絶命によって、それで異変は解決だ。
だが―――彼女は吸血鬼。血を啜った分だけ生き永らえる、外における最強の悪魔だ。
たかだか頭を弾き飛ばされた程度で死ぬ様な弱者ではない。
「―――!」
「やはり動くか」
頭が無くなったとしても、吸血鬼は生きる。その程度では屍にすらなり得ない。
首を失えど体は動く。まるで目があるかの如く、槍は修羅の首目掛けて薙ぐ様に振るわれる。
さして驚く事もなく、修羅は腰を僅かに落としてそれを躱し、次は腹へと鋭い拳を叩き込む。
ドゴッッ!!! と、衝撃が全身を伝って外へと解き放たれ、窓硝子の全てが粉々に砕け散る。
同時に、まるで跳ね飛ばされたボールの様に、レミリアの体はくの字となって勢いよく後方へと吹き飛ばされた。
「うっ…くふふ。酷い人ね、乙女に容赦も欠片もないなんて」
「生憎と、今宵の我は暴君故な…だが喜べ。今、我の眼中には貴様しか入っていない」
「そう、それは喜ばしい事ね」
朱が舞い踊り、一匹の鬼の全体を覆って取り囲む。綺麗な花に群がる虫達の様に。
縦横無尽、そう例えるに相応しい。深紅の刃が鬼神を覆い尽くして、その切っ先を向けている。
だが、鬼神は平然としている。焦る事も驚く事もなく、また感動する事もなく―――ただただ無感動に、棒立ちしている。
これまでやっても、ここまでやっても、最強の余裕は崩せないものか。レミリアは、それを理解した。
「ねぇ、魔王さま。今度、貴方の所に遊びに行っても良いかしら?」
「あぁ、構わんぞ。貴様が生きていればの話しにはなるがな」
「生きるわ―――折角、素敵な殿方と出会えたのだから」
「ふっ、幼子に口説かれた所で心動かぬわ。だがまぁ、多少の歓迎はしてやろうか」
「鬼神魔王、そう呼ばれる様になった力の片鱗を見せてやろう」
その瞬間―――紅魔館の広いエントランスホールに、天災がもたらされた。
雷鳴に鉄火、暴風雨といった様々な天災が―――竜の御子を蹂躙した。