「ひょっとしてこの家の持ち主だろうか。だとしたらすまない、勝手に借りてしまった」
「……」
私の発言に対し、直立不動で視線を合わせる以外の行動を取らない。
そもそも私の声は聞こえているのだろうか。それすらも反応がないせいではっきりしない。
水に浮かび揺蕩う木の葉のようであり、しかし朧げで今にも溶けてなくなりそうな霞のようだ。
仕方がない、手あたり次第にいくつか当たり障りのない質問を投げかけてみようか。
「非礼を詫びる。人がいるとは思わなかったんだ。しかし一体君はどこから?」
「……」
「もしよければ、君の名前を聞いても?」
「……」
「……怒っているだろうか?」
「……」
ダメだな、まるで反応を示さない。風に靡くカーテンに手を押し付けるかのような手ごたえの無さだ。
どうしたものか。このままではただ徒に時間を浪費するだけ、何かすべきだろうが、ここで出来ることがあまりに少ない。
一番確実なのは国に帰って報告、なるべく早く保護してもらうことか。よし、それでいこう。
孤児を一人見つけただけだ。さして悩む程のことではない。
そう考え、何かしら切り出そうと口を開いた時だ。私の腹からぐぅ、と虫の音が聞こえたのは。
そういえば昨日は早めに寝て、起きてからは何も食べていない。
……よし、子供を相手にするのは苦手だが、ここは一つ。
「もしよければ、一緒に食事でもどうだろうか?」
少女は何も返事を返さなかった。
心が折れそうだ。
そのまま民家内に入ることはせず、恐らく庭があったであろう廃墟の一角に場所を作る。
元はレンガ造りだったであろう大きな花壇、そこをさっと払い上から布を敷いて腰掛ける。
対面の花壇にも同様に布を敷くと、少女はぼうっとそれを眺めるだけ。
「座ってくれると、助かる」
そう促して初めて、少女は花壇に腰掛ける。どうやらついてくる以上の自発的な行動はほとんど起こさないようだ。
私にとっては膝程の高さだが、少女にとっては十分な高さになったようだ。
なるべく少女から目を離さずに鞄の中身を漁る。その途中、彼女について思案する。
座っている少女は既にこちらを見てはおらず、力なく俯いている。
その視線には何の意思も込められていない。空腹への関心も無ければ、食事への期待も無い。見知らぬ私への警戒心すらも空っぽの心には置いていないようだ。
とはいえ、何度見ても不健康を体現したかのような彼女を前に、自分だけ朝食をしっかり摂るというのも気が引ける。
差し出してみて食べないなら、仕方がない。潔く諦めよう。
「確か前に良さそうなのを買ったんだが……おっ、あったぞ」
ある日の余暇、なんとなしに早起きして朝から領内を散策してた時を思い出す。
あれはまだ夜が明けてすぐだったろうか。まだ鳥も鳴かない時間帯だというのに、香ばしくパンを焼く店があったのだ。
即座に購入を決め込み、開店と同時に手に入れて保存用鞄に大切にしまっておいた焼きたてふかふかのパン。
今こそこれを食べる時ではないか。だって好きだろう、子供は。ふかふかのパンが。
「コーンスープがあるじゃないか。よし、これでいこう。いただきます」
鞄から取り出した焼きたてのパンをハンカチでそっと包み、筒に入れておいたコーンスープは小さく深めの皿に注いで手渡す。
パンを先に渡すと、そっと受け取ってくれる。よかったと思う反面、見知らぬ男が手渡した食事にはもっと警戒するべきではないかと考えてしまう。
食事に毒を混ぜるなんて愚行を行うことは生涯ないだろうが、世の中にはそれを躊躇せずやる者がいる。
ましてやこの子は幼い。
パンとスープを渡された少女は、まるで人生で初めての食事かのようにじっと手もとを眺めている。
その姿は、手元からじわりと伝わる熱に戸惑っているようにも見える。
日の差さない場所で育った白枝のように痩せ細った手足が、その時私には酷く悲しいもののように映った。
「……どうぞ」
「───……」
声をかけてようやく少女はゆっくりと、手元のパンを口に近づけ、小鳥が啄むように噛み千切り咀嚼する。
その姿に僅かな安堵を覚え、私も一口齧る。
うん、美味い。噛めば小麦の柔らかな甘さと芳しい香りが口いっぱいに広がり、噛み千切った時のもちもちとした食感がたまらない。
コーンスープは自家製だ。とうもろこしと玉ねぎを丁寧にすり潰し、牛乳や塩、胡椒と合わせて丹念に煮込んだ一品。
うちのメイドがよく作ってくれるものだが、私はこれが好きだ。飲めばいつでも、身体を芯から温めてくれる。これを飲んでいるときだけ、まるで実家のように安心できる。
一息ついてチラと少女を見る。どうやら食事が摂れないわけではないらしく、ほんの少しずつだが食事を進めている。
膝の上に置いたスープ皿も僅かにだが手を付けているようだ、よかった。
……しかし、明朝からこの家に訪れたこの子は何者なのか。
そもそもどこから来た?この周辺は森と畑だったもので囲まれている。
無理やり魔法で飛んだのなら、その余波で私が気づく。それが無かったと言うことは、独力で、歩いてここまで来たということに他ならない。
何よりこの少女、見てると私の
今のところ捜索対象である坊ちゃんはおらず、出会ったのがこの髪色だけは似ている少女。
しかしその他にはまるで似通う要素が見当たらない。
反応があれば儲けものだ、少し揺さぶりをかけてみるか。
「なぁ、君。私と来ないか?」
「……」
「余計なお世話だったらすまない。どうにも、放っておける外見をしていなかったものでな」
当然のように返事はなく、黙々とパンを齧り続けている。一口が小さいからだろうか、あまり食べ進めているように見えない。
何かの間違いでこの子がディルバであるか比較してみるが、やはりどう考えても違う。
文字通り風が吹けば灯火のように赤髪が揺れるこの子が、手配書の暴君と同一人物とはやはり思えん。
可能性があるとするなら、親族である……とか?
彼の足取りを追ってこの地に訪れ、辿り着いた先にいたのは彼と同じ赤髪の少女。
偶然かもしれない。しれない、が……
(……そういう線もあるな)
今、嫌な考察が頭を過ってしまった。
ひょっとしてこの子は、リーデヒス家の不義の子なのでは?
存在を隠すために僻地へと追いやられ、しかし平和に暮らす少女にディルバは悪感情を持っており、見せしめとしてあの村を焼いた、とか?
この子は生き残り、一人この地に取り残されて……というのはどうだろう。
私の脳内に浮かぶ。村を焼いて高笑いするディルバ・リーデヒス(仮)と、その光景を見て目から光が失われる赤髪の少女。
いやいやいや、いくら何でも考え過ぎだ。何を根拠にしているんだ。
……だが少なくとも目の前の少女がリーデヒス家と関係性がある可能性は高いと踏んでいる。
というのも、私が少々
足跡や人伝いではない、異能の類。だからこそ、この子との出会いは偶然ではないと考えている。
思い切って本人に聞いてみるか?いや待て、もし本当に不義の子なら私の方が危うい立場になりうる。
見捨てることも心情的にできず、さりとて首を突っ込めば面倒事に巻き込まれる可能性大。
とりあえず報告を纏めて国に提出、後は王に全部任せれば……ダメだ、第一発見者である私に面倒が降りかかるのが目に見える。
それならまだ目に見える形で関わっておく方がまだ覚悟できる分マシだ。
「……む、ご馳走様」
どうしたものかと悩みながらパンを齧りスープを飲み干し、半分も味わえないまま食事を終えてしまった。
くっ、もったいないことをしてしまった。旅先で美味い飯が食えることなどそうそう無いというのに。
それがあまりに嫌で長旅の際は鞄に美味いものを詰め込んでおくのだが、いい加減手持ちのストックが心許ない。
それも踏まえてやはり一度国に戻るべきだろうか。いやしかし今戻って何もかも報告したら私の立場が危うくなる可能性も……そう考えると……
などと考え、どうしたものかと半ば無意識に少女を見る。
少女の眼からはポロポロと、涙が零れていた。
「おわっ、とっと、ど、どうしたんだ!?ス、スープが熱かったか!?」
思ってもみなかった表情に慌てすぎて膝に乗った皿を落っことしてしまう。
まさか食事を提供して泣かれるとは思ってもみなかった。いやしかしこの環境だ、満足に食事を取れていなかった可能性は十分に考慮できる。
飢えに苦しむことの辛さはよく知っている。名も知らん少女とはいえ、この歳で飢えを経験するのはあまりに忍びない。
鞄からハンカチを取り出して清潔な水で湿らせ、少女の目元を軽く拭う。
乾いた布では目元が痛むかもしれない、慎重に。
「スープが熱かったか?無理はしなくていいからな」
涙を拭っている間もずっと、少女の眼からは涙が溢れ続けている。表情を変えることなく、声を上げることもなく泣き続けている。
声を上げずに泣いている。それだけの事かもしれない。だが私の中で行動の指針を決めるには十分すぎることだ。
その泣き方は、何もかもを失った者にしか出来ない。
ならば私がすべきことは……
「……ん?」
その為にどうやって説得するべきか。そもそもまともに反応の帰ってこない少女からどのように返事をしてもらうか。
そんなことを考えていたからだろうか、気づけなかった。少女は涙を拭う手に自分の手をそっと重ね、何も言わずじっとしていた。
「……」
「付いてきてくれる、のか?」
軽く手を揺らしてみても手を離さない。力を込めている訳ではないが。
判断が難しい……だがこの少女を置いて行けば、遠くない将来餓死してしまう。
考え直して見ても、やはりこの場所に置いて行くことは出来ない。
「とりあえず、食事を済ませなくてはな」
そっと手を離してやり、手放したパンを持たせてみた。
相変わらず少女から返事は無かった。
さて、連れて帰ると決めたのはいいが、何も考えず連れて行くのはよくない。
人命救助の為捜索は中断し帰還、現場調査の為に追加の人員を送ってもらう旨を先に伝えるのがベストだろう。
懐から古めかしい小さな鐘を取り出し、チリンと鳴らす。
「仕事だ」
すると私の前に白く小さな光が少しずつ集まり、やがて手に乗る程の光球となる。
鐘を仕舞い、両手を差し出すとその光は空中で跳ねるように、ポンと元気よく飛び乗る。可愛らしいものだ。
伝えられる言葉は限られている、必要最低限だけ詰めて送ろう。
「痕跡発見。要救助者確認。帰還する。以上だ、頼んだぞ」
もしこれに表情があったのなら、きっと満面の笑みだろう。
ひとしきり私の手の上で楽しそうに跳ねまわった後、再度光が収束し、手から跡形もなく消える。
少女は隣に立ち、それを見ていた。面白かっただろうか。綺麗だっただろうか。
表情が変わらないから何を考えているかは分からないが、感じ入るものがあったのなら嬉しい。
「我が家に伝わる魔法、精霊術という。またすぐ帰ってくる」
その間食器を片付けつつ、出来る限り現場を報告するためのレポートを纏めておく。
戻って即提出とはならないだろうが、こういうのは後にすると記憶が薄れる。
手短に、村の大まかな場所と爆心地となっている現状、魔術魔法的保護の無い家、少女を保護した旨の内容を纏める。
恐らくディルバのものと思しき痕跡、壊滅した村についての記述はなるべく詳細に。
ペンを走らせる最中も、少女はずっと私の隣にいた。何かに注視するというよりは、ぼんやりと全体を眺めているようだ。
「まぁ、こんなところだろう。……ん、帰ってきたか」
一通り纏め終えたころに、帰ってきた精霊が私の目の前に発光しながら突然現れる。今回の伝令役は少々悪戯好きなようだ。
精霊の動きがピタリと止まる。そのまま白色から黄色に光を変え、その中心から若い、まるで少年のような声が響く。
『帰還承認。3番帰還所解放中』
それだけ伝えると精霊はまた色を白に戻し、突然私の手元を離れ少女の周りをクルクルと飛び回り始めた。
チカチカと眩く明滅するも、反応が無いとみると光が萎む様はまるで親に相手にされなかった子犬の様だ。
そうこうしてる内に飽きたのか、瞬きをしている間にフッと消えてしまった。
どうやら少女は精霊に好かれる性質らしい。大変喜ばしいことだ。本人は至って無表情だが。
「準備は出来た。さぁ行こう、手を取ってくれ」
鞄から帰還の
片手で魔力を通しながら、近くにいる少女に手を差し伸べる。
相変わらず瞳は虚ろだが、ある程度こちらを認識してくれているらしい。そう時間を置かず手を重ねてくれた。
私はこの子が喋っているところを、一度たりとも見ていない。
「直前で悪いのだが、君の名前を教えてもらえるだろうか」
今朝から気が付けば、私はこの子の名前も知らぬまま連れ去ろうとしていた。とんでもないスピード感だ、これでよかったのだろうか。
しかし放っておくつもりなど毛頭ない。呆然と虚空を眺め、腹を空かせて彷徨う子供を置いて帰ったなど私の矜持が許さん。
貴族らしく、等と気取る気は無い。私は貴族である前に魔法使いなのだから。
いかん、つい愚痴っぽい考えに耽ってしまった。
自分から聞いておいて声に耳を傾けないなど、これほど不義理なこともあるまい。
「───レ」
「カーレ・リーデヒス」
その名が紡がれると同時に、帰還の魔術書が正常に作動した。
「トスクロ・オ・コーゼ」
魔導管理庁精霊課所属の魔法使い。23歳、長身痩躯に眼鏡、伸ばした髪を後ろ手に纏めた男。
コーゼ家は代々精霊との繋がりが強い家であり、その長男。
収入は主に領地経営による算出と官職によるもの。コーゼ領では良質な材木や薬草、魔法魔術に用いる触媒が豊富に取れる。
それに加えて所属する精霊課での職務が官職として与えられており、これらによって生計が成り立っている。
名前を直訳すると「コーゼ領のトスクロ」となる。貴族の性は統治する地域の名前を性に置くのが通例。