夢とは往々にして叶わぬものであり、ましてやそれが自分の身の丈から逸脱したものであれば尚更だ。
『全てのウマ娘の幸福』。シンボリルドルフが願ったそれは、一人の手に負える範疇を大きく越えていて。
だからこそ自分は彼女を支え、彼女と同じ視座でその果てを見たいと──そんな思いで、これまで共に歩んできた。
──しかし、それももう限界だった。
*
「……ん…………」
全身の倦怠感とともに目を覚ます。同時に、腕に違和感を感じた。見れば、そこから細く伸びた管が点滴の袋に繋がれている。少しだけ身体を起こせば、顔を伏せた彼女の流麗な鹿毛が目に映った。
「あ、ルドルフ──」
びく、と小さく身体が跳ねて、彼女は驚いた顔でこちらを見た。その目元は少し濡れている。うたた寝しているところだったのだろうか、起こしてしまったのなら悪いことをした──とそんなことを思っていたら、そっと詰め寄られた。
「おはよう、トレーナーくん──身体は大丈夫かな?」
「ええっと、全身痛いけどなんとか。というか、ここは──保健室?」
「違う」
病院だよ、と訂正された。たしかに、保健室にしては設備が整いすぎている。リノリウムの床や、消毒液の独特の香り。相部屋ではなく広々とした個室であり、ルドルフもパイプ椅子ではなく背の高い一人がけのソファに座っていた。
そういえば──先程まで、自分は仕事をしていたはずだ。次のレースに備えて情報収集していたときに、急に目眩がして倒れ込んだところまでは覚えている。
「少し待っていてくれ」
そういってルドルフは部屋を出て、医師を伴って戻ってきた。先生曰く、倒れた原因は過労であり、数日は検査入院という形になるが、恐らく他に問題はないだろうとのこと。今後は無理をしないように、と釘を刺して、お大事にと退室していった。
「………………」
「あのー、ルドルフさん。もしかして……怒ってる?」
「そう見えるか?」
どこからどう見てもそう見えた。凛々しい顔立ちは普段よりもきゅっと引き締まっており、こちらに向く視線も鋭く、耳も頭につくほど後ろに絞られている。何より、普段ならそんな、こちらに問い返すような意地の悪い真似はしない。
「ごめんね、心配かけて」
「本当にな。君が倒れたと聞いた時、私がどれだけ動揺したか……命に別状はないと聞いて安心したが、それでも、目を覚ますまで一日千秋の思いだった」
「僕の心肺を心配してくれてたわけだね」
「ぷっ……洒落をいう余裕があるなら、もう大丈夫そうだな」
少し苦しそうだが、と呆れたようにルドルフは嘆息し、そこでようやく和やかな空気が流れた。
「さて、それでは私は学園に戻るよ」
「ああ、ごめんね。ルドルフの時間を割かせちゃって」
「気にしないでくれ。どうせ君が心配で、何事も手につかなかっただろうから」
微笑むルドルフ。屈託なくそう言われると、流石に照れてしまって、「僕はもう大丈夫だからさ、君のやらなきゃいけないことを済ませておいで」なんて、熱くなる頬を誤魔化すように言う。
「トレーナー君。学園のことは私に任せて、ゆっくり休んでくれ」
「うん、ありがとう」
また来るよと残して、足音は遠くなっていった。一人で過ごすには広すぎる部屋なのでどうも落ち着かず、天井を眺め、ゆっくりと目を閉じる。
──シンボリルドルフは、トレセン学園の生徒会長にして、クラシック三冠バである。シニアに上がってからも数々のレースで白星を上げ、生徒会の仕事とともに八面六臂の活躍を見せてきた。
"唯一抜きん出て、並ぶものなし"。トレセン学園の校訓を体現したようなその走りには誰もが魅了され、『レースに絶対はないが、シンボリルドルフなら常勝不敗』とまで言わしめた。
共に歩み、努力してきた身として、こういうことは言いたくないが──シンボリルドルフは、間違いなく天才だった。
才気煥発だった。
「………………」
対して、この身は凡庸。トレーナーとしての経験も知識もまだまだな新米であり、お世辞にも彼女の隣に立つ資格があるとはいえない。世間の評価からしてもそれは明らかだった。けれど、こんな自分を信じてくれたルドルフの役に立とうと、せめて自分のせいで後ろ指を指されることはないようにと、そう思って努力を続けてきた──削れるものはすべて削ってきた。
「限界だったのかな」
降って湧いた呟きを、否定するようにかぶりを振る。もう休もうと布団に潜っても落ち着かなくて、鞄に手を伸ばした。