一陽来復   作:織葉 黎旺

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「よし、ようやく着いたな」

 

「………………」

 

「長いこと運転を任せてすまなかったね、トレーナー君。私が免許を持っていないばかりに、申し訳ない」

 

「いや、そっちは対して疲れてないから大丈夫だよ……」

 

 たしかに慣れない長距離の運転による疲労はあったが、どちらかといえば、助手席の彼女が延々と披露してくるダジャレの数々の方が疲れた。……とはいえ、自分を励ますためにやってくれているのは伝わったので、文句は言えない。

 

「……予想よりも、結構立派なところだな」

 

「そうだね」

 

 よく手入れのなされた日本庭園を眺めての呟きに、ルドルフが頷いた。

 今日来たのは、トレセン学園から車で三時間ほどのところにある温泉旅館。ずっと使わずにいた、新年の福引で出た旅行券を消費しにきたのだ。

 チェックインを済ませて部屋に向かう。八畳の部屋は二人で過ごすには広くて、一泊分の荷物を雑に放り投げてもまだまだ余裕があった。

 

「とりあえずお茶でも淹れよう。トレーナー君は座っていてくれ」

 

「悪い、助かる」

 

 テキパキと手際よくお湯を沸かし始めるルドルフの尻尾は揺れている。気を使って誘ってくれたのかと思ったが、彼女も楽しみにしてくれていたなら何よりだ。

 

「またせたね」

 

「いや、全然」

 

 湯気の立つ茶飲みを口に運び、盆に盛られたお茶菓子を食べる。貧乏舌にはよくわからないが、何だか高級な味わいだ。

 

 静かに息を吹いて熱を冷ますルドルフを見て、そういえば猫舌だったな、なんて微笑ましく思っていると、視線に気づいた彼女が「仕方ないだろう、熱いんだから」と少し頬を膨らませて答えた。

 

「お()があっ()()()()()なら仕方ないな」

 

「ぷっ……! 君が()目っ気を出すのは珍しいな」

 

 たまにはね、と誤魔化す。あまり合わせ過ぎるとこちらのギャグセンスまで歪みそうなので頻繁には言わないのだが、静かに笑いを堪えている彼女を眺めていると、絆されるのも悪くないかな、と思わされてしまう。

 

「ふう。ようやく一息つけたね」

 

「だな」

 

 湯呑を口に運んで、ルドルフは穏やかな笑みを浮かべた。最近はずっと慌ただしかったので、何も抱えずに二人で休むのは、本当に久しぶりかもしれない。

 

「迅速果断に仕事を終わらせた甲斐があったな」

 

「練習をサボった甲斐もね」

 

 ──当然だが、シンボリルドルフは多忙である。日々の学校生活や練習だけでも忙殺されている生徒が多いのに、そんな中多岐に渡る生徒会業務をこなしているのは凄まじいバイタリティといえる。

 

 だが今回、日程を空けるために練習を放棄し、空いた時間で数日分の仕事を片付けたのだ。トレーナーとしてはサボりを止めるべきだったのだが、こちらが入院して自主練を言い渡している間にやられてしまうと、叱るに叱れない。そして無事退院したところで温泉に来た、というわけだ。

 

 

「テレビでも点けようか」

 

 リモコンを手にしたルドルフがチャンネルを回す。サスペンス番組、観光番組、ローカル番組などを経て一瞬、レース番組で止まった。が、観光番組に戻った。

 

「あ、観たかったのに」

 

「私も気になった。しかし休養のための旅行なのだから、今日くらいはやめておこう」

 

「……まあ、それもそうか」

 

 しかしいざ休息の時間が生まれると、こういうときに何をしていたのかまったく思い出せない。空き時間に観る動画はだいたいウマ娘かトレーニングに関するものだし、読む本は大抵レース関連の雑誌、指南書だ。そもそもルドルフと二人でいるのに自分のことに没頭するなんて論外だし、何か遊ぶものでも持ってくればよかっただろうか。

 

「さて、早速名物の温泉を味わってくるとしようか」

 

 お茶と菓子をつまんでいると、彼女は浴衣を抱えてそう言った。たしかに、そのための旅行なのだから、それが一番である。

 

「ゆっくり浸かっておいで。サウナとかもあるらしいし、たぶん僕も長風呂になる」

 

「ああ。病み上がりなのだから、のぼせて倒れないようにね」

 

「気をつけるよ」

 

 先に帰らせて締め出してしまってはいけないので、鍵はルドルフに預けて男湯の暖簾を潜った。時間のおかげか空いていて、身体を洗い終える頃には貸切状態だった。

 

 檜と硫黄の香る熱々の湯船に浸かると、思わず息が漏れた。最近はシャワーで済ませてばかりだったので、湯船を味わうのは本当に久しぶりな気がする。手を組んで身体を後ろに伸ばす。身体がぽきぽきと小気味よい音を立てて鳴り、気持ちがいい。

 

 温まってきたところで、露天風呂の方に向かう。滑らないよう気をつけつつ、引き戸を越えて石のタイルを踏みしめる。昼間とはいえ晩冬の屋外は一糸纏わぬ身体には毒であり、逃げるように湯船に入った。中の大浴場に比べればぬるいが、外気温との対比で心地よく感じる。

 

 

 浮かぶ落ち葉を眺め、鳥の囀りに耳をすませていれば、竹の仕切り越しに誰かがお湯に浸かる音が聞こえた。どうやら露天風呂は女湯と男湯で隣接しているらしい。もしやルドルフだろうか。駄洒落でも呟けば一瞬で答えはわかりそうなものだったが、確かめる意味もないと思った。

 

 いまは、ひとりひとりの時間でいい。

 

「………………」

 

 そう思ってはいても、思考の端にあるのはレースのこと。トレーニングのこと。──ルドルフのこと。

 邪念と後悔を振り払うように、サウナに入った。タワーの一番上の層に座って、倒れ込むように水風呂に飛び込んで、またサウナに入って。

 思考力を削ぐためのソレで『ああ、だから僕はアレだけ働いていたんだなあ』と気づいたのは皮肉だった。熱に浮かされて働いている間は、本質を捉えなくても済むから。

 

 整うよりも前に倒れそうな気がしたので、無理せず出ることにした。

 暖簾を潜れば、目の前の休憩スペースで、紺色の浴衣に身を包んだ彼女が座っていた。

 

「あぁあ、トレーナーくんん」

 

 というか、震えていた。マッサージ機の振動で。いつも硬い印象があると言われがちな彼女の姿としては恐らく、相当柔らかいソレだった。

 

「またせたね、ルドルフ」

 

「いやいやあ、大丈夫だよお」

 

「うん、とりあえずマッサージやめようか」

 

「あああ」

 

 少し名残惜しそうにボタンを押し、動作が停止してから彼女はゆっくりと立ち上がって、伸びをした。

 

 

「初めてマッサージチェアに座ったが、これはなかなか良いものだな」

 

「手軽だし、人の手を煩わせないのがいいところだよね」

 

『人の手を煩わせている』という優越感でほぐされる部分もあると思うので、その辺りは一長一短だが。

 

「トレーナー君も試していくかい?」

 

「いや、遠慮しとくよ。あまり得意じゃないんだよね、機械に揉まれるの」

 

 耳元に響く機械の駆動音だとか、身体を淡々と刺激されていく感覚だとかがどうにも気持ち悪くて、こういうものにはあまり頼れない。かといって整体に行く時間もないので、本当に自慢じゃないが、相当凝り固まった身体をしてると思う。

 

「ふむ…………」

 

「気に入ったなら今度、トレーナー室にでも置こうか」

 

「それはいいな。私が離れられなくなる恐れもあるが」

 

「時間制限でもつけるといいかもね。一日二十分まで、みたいな」

 

 くだらないことを話しているうちに、部屋まで戻ってきた。畳の香りと、さっき淹れたお茶の残り香が微かに残っている。

 

「そういえばルドルフ、さっきお湯に浸かってる時にちょっと思ったんだけど」

 

「うん?」

 

「今日の()()はん、何かなあ」

 

「ぷっ……!」

 

 静かに畳に倒れ込んだルドルフが、身体を捻るようにして静かに笑いを堪えていた。雑な思いつきは、どうやら皇帝のお気に召したらしい。

 

「や、やはり君はセンスがあるな……!」

 

「うーん、どうだろうな……」

 

 彼女に褒められれば褒められるほど不安になるが、まあ今日くらいはいいだろう。談笑しているうちに、部屋の戸がノックされる。

 

「失礼します。お食事のご用意ができました」

 

「よろしくお願いします」

 

 仲居さんが次々と運んでくる料理を眺める。山菜の和え物、伊勢海老のソテー、刺し身の盛り合わせ、霜降り肉の乗ったすき焼き鍋などなど……これ本当に商店街の温泉旅行か? と首を傾げそうになるようなメニューである。

 

「それではごゆっくり」

 

「どうも」

 

 会釈して、ルドルフと料理とを交互に見つめる。そんな僕を見て苦笑しながら、「とりあえず食べようか」とルドルフが言った。冷めるようなものはほとんどないとはいえ、見つめているだけというのも料理に失礼な話である。ひとまず手を合わせた。

 

「いただきます」

 

 声が重なった。色々なところに箸を伸ばし、静かに味を楽しみながら食は進んでいく。

 

「すごく美味しいね」

 

「そうだな」

 

「ルドルフはやっぱり、こういうところにも慣れてるの?」

 

「多少来たことはあるが、それでもやはり美味しいものは美味しいよ。特に私の場合は、何か食べる時は責任も付随してくることが多かったから」

 

「ああ……」

 

 名家・シンボリ家のウマ娘である以上そういった会食の経験は多いものだと思っていたが、それ故の重圧というものもやはり付き纏うらしい。偉い人との会食は、社会人である以上一応経験はなくもないが、緊張で味なんてよくわからないことも多かった。

 

「私もそうさ。だから、こうやって君と食べていると──見た目以上に、食前方丈の感がある」

 

 ズルいなあ、とそう思う。その微笑みは反則だった。

 

「それは僕だって同じだよ。この時間が何より幸せかもしれない。下手すると──」

 

 ──言いかけて、口を噤む。いま僕は、トレーナーとして言ってはいけないことを言いかけた。ウマ娘に対して『レースや練習の時より幸せかもしれない』──なんて。

 

「いや、なんでもない」

 

「……ああ」

 

 彼女のことだ、僕の言いかけたことなんてある程度察しがついているだろう。それでも聞かないでおいてくれるその優しさが、むしろ苦しかった。

 

「そういえば、この旅館は地酒が有名だそうだよ。百薬之長ともいうし、トレーナー君もたまには羽目を外しても良いんじゃないか?」

 

「あー、でも……」

 

「私のことは気にしないでくれ。正直に言うなら、君の酔った姿が見てみたい……という気持ちもあるから」

 

 そう言われてしまうと、もう飲まないという選択肢はなかった。

 日本酒は門外漢なので、何となく名前が気に入ったものを注文する。一合のつもりだったのに徳利で来たのは誤算だった。お酒あまり強くないけど大丈夫かな、と少し不安になる。

 

「お酌しようか」

 

「じゃあ、お言葉に甘えて」

 

 とくとくと酒が注がれ、特有の香りが部屋に広がる。飲むのも相当久しぶりだなあ、と思いながら、形だけでもグラスを突き合わせる。

 

「乾杯」

 

 声が重なった。乾杯の衝撃で揺れた液体を口元に運ぶ。久方ぶりのアルコールの匂いに一度顔を顰めたが、そのまま口に含む。芳醇な香りと確かな甘み、水のような飲みやすさは、この酒が上等なものであることを示していた。

 

「口に合ったようだね」

 

「うん。日本酒はあまり飲まなかったんだけど、これは結構気に入った。ルドルフのおかげだよ」

 

「酒気も()()()になりそうってことだな」

 

「そうかも……?」

 

 一瞬首を傾げてから時間差で駄洒落に気づいた辺り、早くも酔いが回ってきているのかもしれない。一度水を飲んで落ち着こう、そう思って飲み込んだ液体が酒だったことに気づいて、そっと血の気が引いた。同時に、身体が熱くなった。

 

「やば、酔ってきたかもしれない……」

 

「水を持ってくるよ」

 

 ルドルフの歩く姿がふらついて見えるが、言うまでもなく僕の視界がぐらついているだけだ。持ってきてくれたコップに口をつけ、飲む。冷たくて美味しい。

 

「ふう……ごめん、少し夜風に当たってこようかな」

 

 立ち上がった瞬間、立ち眩みを感じて体勢を崩しかける。すんでのところをルドルフに支えられ、どうにか倒れずに済んだ。

 

「ご、ごめんルドルフ……ありがとう」

 

「怪我がなかったならよかった。……とはいえ、今のを見てしまうと一人で行かせる訳にはいかないな」

 

 右腕に柔らかな感触。ルドルフが腕を絡めてきていた。それに口を出す前に「支えているだけだから、何も問題はないな?」と釘を刺される。

 

「さあ、行こうか」

 

「ハイ……」

 

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