ダキア大公家三男に転生したので帝国を理解らせに行く話 作:舞葉
第十九話
折から降りしきる豪雨の中、傘もささずに一人の男が猛然とクルツラスク宮殿前広場を横切っていく。
フィールドグレーの軍服の上に着込んだ灰色のコートから覗く襟章は、彼が将官であることを表すそれ。ぐしょぬれになったクラッシュキャップが頭からずり落ち、後ろ手に縛った亜麻色の長髪が露になることも厭わず、彼はまっすぐに駆ける。きらびやかな宮殿の門柱に泥を撥ねさせながら、一瞬の逡巡ののちに大慌てで敬礼を寄こす宮殿警備兵に答礼を返す余裕もなく、ただひたすら一直線に衛兵詰所へと向かうと、血を滲ませるほどに握りしめた拳でもって、ドアを打ち壊さんばかりに叩いた。
「はいはい、いったい何の用で……って、閣下!?そのような格好で、なぜ宮殿に…」
「黙れ能無し!フェルディナント一世はどこだ!あのクソッタレはどこにいる!?」
宮廷における最低限の儀礼すらガン無視した、恫喝寸前の詰問。腰の拳銃にわなわなとミハイが手を伸ばしかけていることに気付き、顔面蒼白で大広間にいる旨を伝えた衛兵は、いったい文官である彼のどこにこんな力があるのかというほどの勢いで突き飛ばされ、尾骶骨を強かにフローリングの床に打ち付ける羽目になった。
足を呑み込むような深い赤絨毯に黒いシミを作りながら、道すがらの使用人や貴族らを時にするりと回避し、時に強引に押しのけてミハイは宮殿北翼の大広間に向かう。
尻もちをついた貴族に、受け身を取り切れずによろけた侍女の持っていた紅茶が直撃して大惨事になっている後方を今日だけは無視し、保安上の理由で内側から鍵のかけられた大広間入口の大扉前にミハイはたどり着いた。
「すぅ…はぁ…フェルディナント閣下、私です。どうか、お目通りを」
精一杯の誠意を籠めた解錠の願いは、しかし内側から響く笑い声によって一蹴される。
『申し訳ありませんが、お目通りはかないませぬ、ミハイ閣下!軍人は軍人らしく、参謀本部に戻って攻撃計画の策定をお願いしたい。閣下はお忙しくあらせられるのですぞ』
内側から響くグラスの音。おそらく、パーティーか何かでもやっているのだろう。ミハイの怒りは、ここで頂点に達した。
ズドン!
『おわっ、何をしなさ…ほげぇ!?」
響き渡る銃声。長い銃身を持つ大型拳銃から撃ち出される9mm弾の威力は鍵を破壊して余りあるほどであり、ミハイはそのまま黒檀製であろう重たいドアを蹴り開けた。
「フェルディナント・エムロエイ・シュルフリンゲンはどこだ!出て来い、この売国奴めが!」
アルコールで呆けた赤ら顔をゆったり向ける兄に猛然と歩み寄ったミハイは、そのまま襟首をひっつかみ近くの壁に叩きつけた。
「何をするんだ…カハッ、弟よ…!」
「何もクソもねぇよ、この野郎!
なんで帝国に宣戦を布告した!」
ダキア軍参謀本部のみならず、大半の陸海空軍の人間にとってあまりにも唐突すぎる宣戦布告。すでに近衛師団とそれに引っ張られた一部の歩兵師団が越境したという報告が入っており、ミハイの脳内では焦燥が渦を巻いている。
「こ…攻撃計画が出来上がっているといったのは貴様であろう!」
「それは白軍レジスタンスと共闘してのユクレイニア方面進出と、イルドアと共謀しての対フランソワ侵攻作戦の話だ!あぁクソ、どこのどいつだ、こいつに歪曲した情報を流した犬畜生は!この俺が直々にその脳漿をぶちまけてやるぞ!」
すでにパーティーの雰囲気は根底から破壊され、一部の貴族はミハイに敵意すら向け始める始末。しかしそんな連中を一切気にすることなく、ミハイはさらなる追求を始めた。
「き…貴様こそ、増長しているのではないか!?大体、ダキアの国権は大公が握るべきものだ!間違っても、軍部独裁主義者が、握るものでは、ない!」
なるほど、彼の言い分はある意味では正しい。
彼らが、その軍部独裁主義者が生み出した権益の上に乗っかってさえいなければ。
「そのグラスも、そのイルドア製ワインの一瓶も、どれだけの苦労の上にテメェらの手にわたっていると思っていやがる!肥え太るだけの豚野郎にはもったいないブツ、こうして宮廷に流してやっているのは、家族だと思って優遇した俺の恩情なんだぞ!」
ミハイは怒りのままに続ける。
「そして…増長といったな?まさかテメェら全員、貴族派の権力を増やすためだけに宣戦したんじゃなかろうな!?」
否定してくれと言う祈りを込めての質問は、しかしミハイの願いを完全に裏切る。
「その通りだ、統合参謀総長。貴様の権力は強すぎる。国家の指導は中央政府が行うべきであって、まかり違っても軍人が行うものではない。シビリアンコントロールを忘れたとは言わせんぞ、
そう言い放つのは、ダキアの名門ダネシュティ家出身のワラキア公アレクサンドル・ダネシュティ・ワラキア。ミハイによる国家改造計画を経てなお政府直轄領に次ぐ領土を誇るワラキア公の座に居座る名君であり、今の今までミハイ寄りの立場をとっていた男である。
「散々俺に協力しておいて、貴公がいまさらそれを言うか、ダネシュティ卿!貴公の現実主義はどうした!?」
「なに、私も人間だ。思考というのは移ろうものだよ。バランスを保たねばならぬのだ」
何かがおかしい。ミハイの知る限り、確かにワラキア公は風見鶏だが、同時に極度のリアリストだ。対帝国宣戦布告など考えるはずもなく、よしんば戦争に訴えるとしても、最悪軍事最高責任者のミハイに一報くらいは入れるはずだ。大改革をほぼ無傷で生き延びた嗅覚は伊達ではない。
「ダネシュティ卿の言うとおりだ。中央政府は我々であり、軍部ではない。実権を握るのは我々だ」
「宣戦布告の権利は軍部にはない。貴様ら軍部は、ただ我々の大戦略に粛々と従えばよいのだ」
パーティー会場は、妙な雰囲気に侵され始めた。貴族連中の瞳はらんらんと怪しく輝き、ミハイに非難がましい視線を突き刺してくる。
≪あと一押しだろう。彼の心をへし折ってやれ≫
≪御意のままに≫
実戦を経験したミハイですら気圧されるような剣呑なオーラを纏う彼らにおもわず後ずさり、やがて大広間に壁にミハイは追い詰められた。
「売国奴は貴公であろう、元帥。帝国貴族の娘など娶りおって」
「然り、然り。フランソワを侵攻する計画を立てていたような男だ。何をしでかすか分かったものではない」
「思いあがるなよ、独裁者め。この国を支えているのは我々なのだ」
「参謀本部などいらぬだろう。戦争指導は我々で十分だ」
凄まじいプレッシャーと、鋭い舌鋒。やがてミハイは、大広間の床に崩れ落ちた。雨に打たれたコートが壁をこすり、白い壁が灰色に染まる。
「貴公が」
「貴様が」
「卿が」
「貴君が」
「「「「「ダキアを戦争に導いたのだ」」」」」
≪…もういいだろう、奴は堕ちた。フン、モルぺウスの使徒とて、こんなものか。エリス、オイジュス、ゼーロス、奴は放っておけ。もう終わりだ≫
≪承知いたしました…っ!?なんだ、これは!≫
「妻がな、泣いていたんだよ」
崩れ落ちたミハイに背を向け、パーティーに戻ろうとする貴族たちに、低い怨み声が投げかけられる。
「天涯孤独で生きてきた俺に、ようやくできた父親だったんだ。あと十五年もすれば欧州の緊張を収める算段だった。帝国とダキアを行き来しながら、名誉職になった元帥号の年金で、のんびり隠遁生活を楽しむ予定だったんだよ」
紡がれるのは、幸せな未来予想。つい先ほどまで燦然と輝いていた、しかし数秒前に儚くも砕け散った未来。普段の声音からは考えられない、怨嗟のこもった教会の鐘のようなよく響く深い声で、彼は静かに笑う。
「貴様らは知らんだろうよ。家族を失うこともなく、のうのうと生きてきた貴族様には」
滂沱の涙を流し、茫然とフローリングに座り込むアンネリーゼの姿が、親を失ったかつての己に重なった。
「そうかそうか、失敗したのか、爺さん」
『すまぬ、ミハイ。やはり連中、儂とは格が違ったようだ』
「…誰と喋っておるのだ?この男は」
「誰か、誰かおらぬか!さっさとシュルフリンゲン卿を連れ出せ!」
ポツポツと、脳内に弱々しく響くモルペウスの声にぼそぼそと受け答えしつつ、ミハイはゆらりと立ち上がった。
「まぁいいさ、責めはしないよ。老人は老人らしく、ゆっくりと休んでいればいい」
崩れ落ちたときとは対照的に、その足取りは歴戦の叩き上げ少尉のようにしっかりとしていた。絨毯を貫通してフローリングを軋ませるほどの勢いで踏みしめ、彼は毅然と顔を上げた。
「あぁ、もういい。もう大丈夫だ。もう。吹っ切れた。……神も精霊も貴族も軍人も、≪≪私≫≫の邪魔をしようというわけか。……クハハッ。ハハッ、アッハッハッハ!そうかそうか、そんなに世界は私の破滅を望むか!よろしい、よろしい。ならばこの手でぶち殺してやる。どこの宗教のどんな宗派の神かなんざ知ったことか!ああ貴様らもだ、卿らよ。暴走列車の前にわざわざ好き好んで身を乗り出したのだ。……後悔する資格なぞ、貴様らには存在しないと心得ておけ」
そういい捨て、唖然とする貴族たちを捨て置き、近衛師団壊滅の知らせを持ってきた伝令と入れ違いにミハイは宮殿を後にした。
後にこの事をアンネリーゼに話して「なんかお父様に似てきた」と言われた彼が、何とも言えない微妙な表情で暖炉の前に崩れ落ちるのは、また別の話である。
「航空偵察ユニットをありったけ西方に展開しろ。まぁ一応奇襲だ、帝国の航空艦隊の展開までなら、多少の猶予はあるだろう。ただし、生存を第一とするように厳命しておいてくれ」
「戦略予備軍と空軍の戦闘部隊は如何いたしますか?」
「東部で待機だ。両方ともまだ数が揃っていない。最低でもカルパティア山脈が抜かれるまでは動かせん」
「緊急!哨戒網が接近する帝国軍魔導部隊を捕らえました。識別コード、『ラインの悪魔』。ライン戦線で我が軍の第六師団を叩きのめした怨敵です。後続して機甲師団の接近も確認できていますが、こちらはLT-38、およびLT-35戦車が主力ですので、そこまで気にしなくてもよろしいかと」
「接近コースは…南側か。よろしい、第七と第六に雪辱を晴らさせてやろう。第七師団は機甲師団を、第六師団は魔導大隊を狩れ。V40mm L-75*1なら両方相手取れるはずだ」
一時的に大混乱の渦に叩き落とされたものの、それでもダキア軍は軍機構としてはかなり優秀な部類に入る。師団長たちは各々の判断で規定の第一防衛ラインまでの撤退を開始し、参謀本部も上から順にミハイの強権で押さえつける形でひとまず統制を取り戻した。
戦争が始まったならば、補給網を。侵攻されているならば、防衛計画を。攻撃に転ずるのならば、やはりこれも前線までの兵站状況の整備を。条件反射で対応計画を立て始める参謀将校らの姿にひとまず安堵しながら、ミハイは現状最良の手段を探し求める。
「戦争するにしても、せめて来年頭の参戦ならばなぁ……デコイも新式銃も航空戦力も、潤沢にあったはずなんだが」
今年の終わりをめどに納品が予定されていた、オリオン戦闘機やWz.1916を始めとする各種新型兵装。手元にありさえすれば帝国軍を押しとどめうるそれらは、しかしこの肝心なタイミングで手元に存在しなかった。
「戦闘機はイルドアでおねんねしているし、新式銃はまだ配備が始まってもいない。ないものねだりは良くないぞ、大佐」
「しかしですよ、准将閣下。これでは、とても……使命を果たせないということがここまでつらいとは、士官学校でも軍大学でも教えてくれませんでした」
「准将も大佐も、現実を抱きしめるのだ。それが、たとえどれほど苦かろうとな」
「「中将閣下…」」
ウーランゲーリが苦々しく零すように、ダキアに突き付けられた現実は残酷だ。主兵装はボルトアクションライフルと軽機関銃、火砲は西暦世界一次大戦相当の型落ち品、航空戦力は皆無に等しく、唯一マトモに動けるのは海軍艦隊のみ。つまり、帝国よりも劣る兵力と、帝国よりも劣る武装で戦わなくてはならないのだ。これを悲劇と言わずして、どう形容できようか?
「……これは決定事項だ。全軍をカルパティア山脈まで下がらせる。どうせ型落ち品だ、重装備は放棄して構わん。その代わり、要所要所の鉄道の破壊を徹底させろ。カルパティアならば西部より補給状況も格段に良くなる。…時間を稼ぐんだ」
狭い国土と規模の小さい軍に、帝国以上の密度を誇る鉄道網。カルパティア山脈を境にして、ダキア東部の工業地帯は鉄道網の発展が目覚ましい。まとまった数の揃っている対空兵器群は、ダキア側に東部防衛に対する確固たる自信を与えていた。
「我々に選択肢は二つしかない。戦うか、蹂躙されるかだ。そして私は、戦争を選ぶ。…こんな愚か者にでも、貴官らはついてきてくれるか?」
窓ひとつない会議室の最奥、不安を隠そうともしない最高権力者に、並み居る参謀達は揃って最敬礼を寄越した。