ダキア大公家三男に転生したので帝国を理解らせに行く話 作:舞葉
なお今回日常回なため少々短めですが、なるべく早めに続きを上げますので何卒ご容赦ください
ターニャ・フォン・デグレチャフは、栄光ある銀翼持ちの帝国陸軍魔導少佐であり、ダキア陸軍第一親衛歩兵中隊が駐屯するシュルフリンゲン城に、部下と共に軟禁されている捕虜の一人である。
協商連合での初陣より長くライン戦線を戦い、白銀と錆銀の相反する二つの異名に加え、ラインの悪魔という忌み名をも有する正しく歴戦と評されるに相応しい彼女は、今まさにある意味過去に類を見ないほどの苦難に直面しようとしていた。
手元には愛用品の九十七式はおろか、蛇蝎のごとく嫌っているとは言え、渋々ながら最終手段として所持している九十五式も、愛用のライフルすらも存在しない。
良好な栄養事情と程よい休息のおかげで開戦時より二回りも三回りも成長し、身長160cmを数えるまでになった体を下ろし立ての紳士服とコートに包んだ彼女は、今や帝国と渡り合う欧州最強格の陸軍国家に成長したダキアの首都ブールクレストの、帝都ベルンや王都ロンディニウムにすら勝るとも劣らない大都会を眺めながら、密かにキリキリと胃を痛めていた。
「だいぶ印象変わりましたよね、髪を切った後の少佐殿は」
「そうか?前と大して変わらんと思うが」
「こう…なんというか、男装の麗人、とでも言いましょうか。とにかく、良くお似合いですよ」
同乗しているセレブリャコーフ少尉――こちらは当世風の可憐なドレス姿だ――の賞賛に満足げに頷きつつも、その瞳に浮かぶのは仄暗い不安と恐怖。普段ならば素直に喜べたであろう茶会のお誘いだが、今回に限っては相手が相手だった。
「にしても、すごいお方から招待状をいただきましたね」
「…まぁ、な。正直、あまり近寄りたくはないが」
「そうですか?私たち帝国兵にもちゃんと便宜を図ってくれますし、優しいお方だと思うのですが」
「それは認めるが…少尉も忘れたわけではないだろう?あの閣下の顔を」
ぼんやりと懐から取り出して眺めていた、赤封蝋付きの白封筒の差出人は『ファースト・レディ』ことアンネリーゼ・シュルフリンゲン。ダキア軍元帥ミハイの妻であり、ミハイ直々に業務を委託された203大隊をはじめとする帝国軍捕虜の最高責任者。兵站に負荷をかけずに帝国兵捕虜の待遇や栄養状況を大きく改善したその手腕で、帝国兵捕虜らやダキア軍内部からの信頼も厚い彼女は、しかし、ターニャにとっては二年前の一件のせいで、どこか苦手意識のある女人でもある。
「あの時のミハイ閣下、いろいろ凄かったですもんねぇ…」
「散々に嬲られたという顔だったな、あれは。正直、申し訳ないことをしてしまったと思っている」
げっそりとやつれたミハイの顔を思い出し、ショートカットに切り揃えた頭をガシガシと荒っぽく掻きながら、するりと封筒をコートの内ポケットに戻す。ふと外に目を戻せば、いつの間にか中心街ははるか後方に過ぎ去っており、車は紅く色づいたポプラ並木の間を走っている。目的地である旧ワラキア公爵邸は、すぐそこに迫っていた。
「何事もなければいいんだがな」
幅五十センチほどの砂岩の板で形作られた二本の線の上に慎重にタイヤを乗せ、滑り落ちぬようにゆっくりと走る車の振動をその間に感じながら、ターニャはひっそりとため息をついた。
「到着だ、デグレチャフ少佐」
「ここまでの運転、ありがとうございます、大佐殿」
「気にするな。それと、これは噂話なのだが…今日の我らがファースト・レディは『ヤバい』との事だ。…まぁその、何だ。武運を祈る」
「…分かりました。ご忠告感謝いたします」
この二年ですっかり顔馴染みになった首都連隊の連隊長を敬礼で見送った二人は、すっかり秋色に染まった庭園の砂利道を進み、やがて石造りの洋館に辿り着いた。
「申し訳ございませんが、本邸は現在関係者以外には開放されていません。許可証の類はお持ちですか?」
「私はフォン・デグレチャフ帝国軍魔導少佐、左のツレはセレブリャコーフ少尉だ。元帥夫人からの招待状を預かっている」
物腰穏やかに、しかし口調は鋭く誰何する詰所の衛兵に招待状を突きつければ、話が通っていたらしくワンコールで侍従長が呼び出される。五分と経たずに二人を迎えにきたのは、クラシカルなロングスカートのメイド服姿の中年侍女と、執事服の襟に小さなダキア軍中尉の階級章を煌めかせた壮年執事だった。
「ターニャ・フォン・デグレチャフ様に、ヴィクトーリヤ・イヴァノヴァ・セレブリャコーフ様でいらっしゃいますね?アンネリーゼ様がお待ちです。クララ、案内を」
「承りまして。どうぞこちらへ。曲がりくねっているので、私を見失わない様お気をつけください」
旧ワラキア公爵邸は、二人が想像していたほどに派手さの目立つものではないが、それでもさり気無い意匠の一つ一つに、携わった職人の腕が表れている。南西に大きく張り出した八角形の塔が目を引く全体的に白く塗られた建築は、連合王国風の様式でまとまりつつも、その青いタイル葺きの屋根と基調色も相まって、どこかエーゲ海沿岸の様な雰囲気を醸し出していた。クララと呼ばれた侍女頭に案内された二人は、改装工事の真っ最中なのか、昼間だというのに薄暗い邸内の曲がりくねった白壁板張りの通路と裏口を抜けた先にある、背の高い庭木と人の背丈より少し低いくらいの漆喰の壁で外から巧妙に隠された、一組のティーテーブルに通された。
「アンネリーゼ様、お二人がお見えになりました」
「ありがとう。それじゃ…十五分ほど外しておいて貰える?」
「仰せのままに。お二人のお茶菓子の準備をさせて頂きます」
レース模様の入った真っ白なテーブルと、磨き上げられた白いシンプルな椅子。たとえ平服に身を包んでいようとも、その生まれ持った気品的なものは消しようがない。燃えるような赤い瞳に見つめられた二人は、魅入られたように固まってしまう。
「どうぞ座って。急な呼び出しで申し訳ないのだけれど、それでも私の家の紅茶は一級品だから」
「あ、ありがとうございます」
戸惑いつつもコートを脱いで椅子に腰掛けた二人は、勧められるがままにマイセン焼きのティーカップを手に取る。紅茶を口に含むとオータムナルのダージリンの甘いかまろやかな味わいが口の中に広がり、捕虜生活中どころか帝国本国ですら滅多にお目にかかれない様な上物の味と香りに、二人は思わず唸らせられた。
「美味しいでしょう?お宅の海軍が静かになったお陰で、ようやくまともに手に入る様になったの。紅茶がお口に合わなければ、南アメリゴのコーヒーもあるけれど…」
「お気遣いに感謝を。されど、ここまでの品を出されては、断る道理などありませんよ。ありがたくお相伴に預からせていただきます」
それから暫しの間、三人は世間話や機密に触れない範囲での身の上話に花を咲かせた。ターニャは最近のミハイの動向を、ヴィーシャはミハイとアンネリーゼの馴れ初めを、そしてアンネリーゼは最近の帝国全般のニュースをと、三人が三人とも全く異なる話を聞きたがったため、茶会という名の女子会は大いに盛り上がった。
ニコニコ笑顔と恐縮しきりな口調で、しかし態度には一切の遠慮なく次から次へとサンドイッチを口に放り込むヴィーシャに二人が呆れる一幕を挟みつつ時は過ぎ去り、時計を見ればすでに時刻は午後の三時。そろそろお開きか…などとターニャが油断したところで、その質問は投げ込まれた。
「それで、ちょっとした質問なのだけれど…デグレチャフ少佐、あなた、ミハイとどういった関係なのかしら?」
瞬間、場の空気が冷え込み、賓客二人は染みついた本能で咄嗟に胸元に手を当てる。常日頃ならばそこにあるはずの、冷たくも頼もしい演算宝珠に伸ばされた手は空を切り、その視線は目の前に存在する脅威から離せない。
ここに至って二人は思い出したのだ。どれだけ見かけが華奢であろうとも、自分たちが相対しているのは、帝国軍史上五指に入る名将ハンス・フォン・ゼートゥーアの血を女だてらに兄妹の中で一番強く引いた女人であり、貴族の三男坊から十数年をかけて稀代の為政者へとのし上がったミハイに釣り合うだけの傑物なのだと。
穏やかな微笑を湛えていた瞳は鋭く細められ、暖かかったその眼差しは絶対零度にまで冷え込み、あまつさえ魔導適性がないにも関わらず、その身体からは何やらドス黒いオーラの様なものが滲み出る始末。よくもまぁこんな女人を妻に迎えてあんなにけろりとしていられるなと、ターニャは心の中でミハイに呆れ返った。
「…あら、そんなに身構えなくてもいいのよ?私はただ、あの抱え込み体質でワーカホリックと初対面でアルコールも無しにあそこまで打ち解ける様な人が、どんな人間なのか純粋に興味があるだけ。取って食いやしないわ」
取って食いそうな雰囲気を醸し出しておいて何をと思わないでもないが、ひとまず彼女は胸元から手を下ろして着席し、すっかり冷めてしまった紅茶を口に含む。背中に滲む冷や汗が紳士服のシャツに染み込み、じっとりとした不快感をもたらした。カフェインの助けを借りて脳内をリセットしながら、ターニャは早くもどうやって自分とミハイの共通点を誤魔化そうかと思案し始めた。
(同郷の縁…は通じんよなぁ。私は一応帝国の孤児院出身だし、アイツの肉体はダキアのお貴族様だ。同言語話者の誼も言い訳としては少し弱いな。…いっそのことすべてぶちまけるか?)
言葉を濁しながらうんうん悩んでいると、ふと彼女は自分の横から副官の姿が消えていることに気が付いた。どうしたことかと目の前のホストをチラリと盗み見ても、ダキアが誇るファースト・レディは鋭く微笑むばかり。何やら迷いも思考もすべてを見透かされている気がして、どうにもターニャは落ち着かない。やがて覚悟を決めた彼女が口を開くより先に、アンネリーゼはその引き締められた相貌を崩すと、穏やかな口調で種明かしを始めた。
「…少し意地悪をしてしまったわね。ええ、事情はミハイから聞いているわ。精神的な同郷出身者なのでしょう?」
「んなっ…そ、それを信じて下さるのですか?」
「ええ。少しばかり意地悪をしてやったら、あの人、簡単に白状したわ。最初は下手な言い訳とばかり思っていたけど…よくよく考えてみれば、あの人は私の前で嘘をつけるほど器用じゃないし、魔法の存在する世界だもの。神や異世界の一つ、あってもおかしくないわ」
当然でしょう? とでもいいたげに肩をすくめる目の前の麗人に、さしものターニャも呆れを隠せない。よくもまぁこんな調子で海千山千の帝国社交界を生き残ってきたものである。
「内側はともかく、外ヅラを取り繕うのは得意なの。昔から書庫に引きこもってばかりだから、そもそも人に会う事もないしね」
そういって片目をつぶって見せた彼女は、ようやく詰めていた息を吐き出せたターニャが息を呑むほどに美しかった。
が、茶会の余韻はそう長続きはしなかった。
「丁寧なおもてなし、大変ありがとうございました」
「こちらこそ、久しぶりに思う存分帝国語を話せて楽しかったわ。機会があれば、今度は城の方でまた会いましょう」
鉄門の前でしっかりと握手と挨拶を交わして立ち去ろうとするターニャを手招きしたアンネリーゼは、ふわりとその顔を目の前の同郷人の耳に近づけると、優しく、しかしどこか哀れみを帯びた口調で囁いた。
「『上手くいけばあのクソ神共の鼻を明かせる。申し訳ないが、付き合ってやってくれ。エレニウム工廠よりは酷くないはずだ』…ミハイからの伝言よ。私も詳細は知らないわ」
それはどう言う…と聞き返そうとした所で、彼女は両腕をいずれも技術大佐の階級章をつけた、二人の屈強な男に掴まれた。
「ターニャ・フォン・デグレチャフ少佐で相違ないか?」
「は、はい。小官がデグレチャフ少佐でありますが…」
「申し訳ないが、貴官にはダキア陸軍技術廠よりの即時出頭命令が降った。午後五時までにシュルフリンゲン城の自室に戻り、荷物を纏めて所定の服装に着替えた上で、ブールクレスト中央駅に出頭されたし。…実際の所、我らもこれより先は聞かされていないのだ。すまないが、詳細は向こうについてから担当者に聞いてくれ。以上である」
そう言って二人は半ば拉致する様にターニャを、今度は合衆国製のジープと思しき車両の後部座席に放り込むと、呆気に取られるヴィーシャと曖昧な笑みで手を振るアンネリーゼに教本通りの流麗な敬礼を寄越し、土埃を巻き上げて颯爽と去っていった。
「そういえばセレブリャコーフ少尉、少し良いかしら?」
「ヴィーシャで構いませんよ。どの様なご用向きでしょうか?」
「知り合いから国内鉄道のチケットを頂いたのだけれど、あいにく私は忙しいのよね。代わりに、皆さんと一緒に行って来たらどうかと思って。はい、どうぞ」
「…行き先、ヤッシーの重工業地帯なのですけど」
「『風光明媚』な名所だと聞いているわ。私も一度行ったことがあるけれど、夜景がとても綺麗だったわよ」
「そりゃ重工業地帯ですし社畜の灯も明るいでしょうね」
「まぁまぁそう遠慮せずに。ほら、捕虜生活からの解放だと思って」
「いや私アンネリーゼ様のおかげで捕虜生活で苦労したことは」
「い き な さ い …察しの悪い娘は嫌われるわよ」
「ハイ…スミマセン」