ダキア大公家三男に転生したので帝国を理解らせに行く話 作:舞葉
誓約同盟連邦参事会連邦院の大会議室を借り切って行われた講和会議は、その参加国数を鑑みれば、驚くほどスムーズに始まった。帝国やフランソワ、協商連合といった国家の再建を優先する連合国の代表と連合王国のオブザーバー団が、断固として他国の初期交渉への介入を拒んだからである。
まず第一に提出されたのは、ミハイに促されたフランソワ代表団の持ち込んだ、後世俗にダラディエーレ案と呼ばれる、対帝国強行講和案。イルドア軍政下のフランソワで政権を握ったエドゥアルド・ダラディエーレフランソワ行政長官が、いまだ反帝国強行派がそれなりの割合を占める国内世論を宥めすかし、否決された暁にはせめてその責任を連合国に投げつけられるようにと作成したものである。
「ざっと読みましたが…ライン河以西の全帝国領のフランソワ編入、住民投票による民族自決に加え、三軍合計二十万人、航空母艦と戦艦の建造制限、航空機千五百機以内の軍備制限、賠償金一千七百億ライヒスマルクに加えて、現物賠償が鉄鋼に石炭に…貴国はこれを、本気で?」
「はい、これが我が国の
どこまで行っても民意、民意、民意。西暦世界におけるヴェルサイユ条約並の無茶な要求をぶん投げたダラディエーレの表情は見事な仏頂面であり、この案に不満しか存在しないことを示唆している。彼の言う『ご理解』とは、要するに国内からの突き上げに対するフランソワ政府なりのSOSだろう。独裁制ってこう言うとき便利だよなぁと、ミハイは勝手に思った。
そして案の定、帝国側は強硬に反対した。真っ先に反論を挙げたのは、帝国側財界の大物たるヤンマール経済相。かつては『帝国の大番頭』と呼ばれ、ダキア相手の激烈な消耗戦と戦時体制への移行を身を削って支えた、ゼートゥーアからの信任も厚い逸材である。彼の握る万年筆は、不条理と屈辱とでいまにも折れそうなほどキツく握りしめられていた。
「無礼を承知で申し上げますが、フランソワ国民の皆様は現実が見えていらっしゃらないようですな、ダラディエーレ閣下。そんな額のマルク、存在する訳がない!物納の量も、はっきり言って現実的ではない。石炭はまだ理解できます。シロヌスク=シュレージア炭鉱も、ライン=ヴェストファーレン石炭シンジゲートも健在です。年千五百万トンくらいは捻り出して見せましょう。しかし、家畜は無理だ。牛も、馬も、使えるものは貴国との戦争のために根こそぎ使い潰してしまったのですぞ!?」
合州国と連邦からの莫大な資源輸入に加え、帝国側の駐屯部隊や国境警備部隊のほぼ全てを占めるほどに購入された兵器の数々と、欧州大戦中終盤にかけて、馬匹の代わりに帝国軍の兵站を支え続けたZis-5やGAZ-AA、スチュートベーカーUS6やWCシリーズに代表されるトラックなど。『レンドリース』ではなく購入を選択した背景には、将来
「強気と言えば協商連合さんもなかなかのものですな。賠償金二百七十億ライヒスマルク、ノルデン地方全域の正式領有に加えて、スレースヴィイ・ホーエンシュタインの領有と、ダンツィヒ、グデニャ、グダニスクの三都市の半世紀租借とは。かなり思い切った案とお見受けしますが」
「ダラディエーレ閣下と同じく、これが我が国における最低ラインです。これ以下では、我が国の納税者諸君が納得しませんのでね」
「それはまた。あの辺はかなりライヒ民族主義が跳梁跋扈する地方ですが…?」
「少なくとも、
(私は、か。占領行政などやりたくもないだろうに…哀れな事だ)
彼らの内心の不満を現したのか、案を投げるだけ投げた後の彼らはとにかく置物に徹していた。帝国側代表、具体的には財務畑の人間の追及に対しても大した反論を返さず、講和会議上の議論はさながら一方的な戦略爆撃のごとし。オブザーバー諸国も彼らに大した発言権などないことを察しているのか、会議を聞くフリこそしているものの、その視線はちらちらと、ここぞとばかりにチェーンスモーカーと化している上座のミハイに向けられていた。
やがて熱心に論戦を繰り返していたヤンマール帝国蔵相もさすがに燃料切れになったのか、はたまたフランソワと協商連合の煮え切らない態度に何かを感じ取ったのか、講和会議のテーブルは再び静寂を取り戻した。
「…それでは、場も物理的に温まってきたことですし、ここで我が国の要求を提示させていただいても?」
「良い頃合いと思われます、ガスマン殿。むしろ、貴国こそがいの一番に述べるべきだと我が国としては思っておりましたよ。トールマン閣下、どう思われますかな?」
「私も賛成です、チューバレン閣下。この際だ。多少強欲になっても、ばちは当たらないと思いますよ」
連合王国首相と合州国大統領の後押しを受け、ガスマン率いるイルドア代表団は次のような案を提出した。
「アウステリア以南の、パンノニア州を除く全帝国領及び南方大陸植民地の割譲、潜水艦や戦車、自動小銃に航空機などの兵器の正式な接収、賠償金としては二百七十億ライヒスマルクの三十年払いと、石炭五百万トンの五年払い。これらが、イルドア政府としての正式な要求であります」
安い要求ではないが、かといって受け入れられないというわけではない絶妙なライン。確かにダルマティア地方は地中海への重要な玄関口だが、どの道ジブラルタルとスェーズを連合王国が握っている都合上大した戦略的価値はない。年九億ライヒスマルクと言うのも妥当な額だ。むしろ帝国側としては、手塩にかけて育ててきた愛着のある南方大陸植民地の方が問題だった。
「物的・金銭賠償と本国南部はまだ良いでしょう。これならば確かに三十年払いで完済できます。しかし、南方大陸諸州は我が国としても受け入れ難いものがあります。そもそも、植民地と言う言い草も少々控えていただきたい」
叛乱と和解の果てに帝国に対する絶対的な忠誠を誓うまでになったブルンジ・タンガニーカ・ザンジバルの三伯領、それをモデルにしたことで帝国本国並みの識字率を手にしたナミビア候領、そして現地人の白人に対する強烈な不信感を乗り越え、血と汗と涙の果てに安定させた旧フランドル王個人領、現フランドル公領コンゴ帝国直轄州など、帝国政府の南方大陸植民地に対する愛着は、同地をリソースとしか見ていないフランソワや連合王国の比ではない。西暦世界とは異なり植民地分野においてはドイツ帝国に輪をかけて後発組な分、植民地支配の締め付けがどうなるかを周辺の諸国からキッチリと学び取っているため、帝国の植民地は扱いも帝国本国と対等である。原住民族との関係とも相当良好、なんなら帝国市民権を持っている者も少なくない。
「我が国には南方大陸の全てを含めて『ハイマート』と呼ぶ者も多くおります。貴国の要求は理解しますが…かなり統治は難しくなると、老婆心より述べさせていただきましょう。特にコンゴは不味い。三年前にようやく人口増加が再開したばかりのあの土地を他国の手に委ねるのは、人道的に見ても適切ではないと存じます」
その後も講和会議は議論百出。ライン以東の編入が嫌なら物的賠償を増やせと要求するフランソワの右翼政党代表、キィエール他の海港都市を勘弁してやる代わりに賠償艦を回せとごねる協商連合元政権関係者、そして編入が嫌なら独立国家化で手を打てないかとこちらは真っ当な交渉を挑むイルドア側担当者など、オブザーバーと主催国が静かなのを良いことに戦勝諸国は好き勝手に交渉という名の要求を突きつけた。
対する帝国代表団も一歩も譲らず、フランソワに対してはこれ以上の負債増額は百年払いが妥当だと事実上の拒否を投げ、協商連合に対しては帝国海軍主力は現在全てダキアの管轄下にある、どうしてもと言うなら前弩級戦艦なら全艦くれてやると戦勝国に責任を丸投げ。戦艦よりも高性能で小回りの効く帝国海軍の巡洋艦が欲しい協商連合はダキア側に水を向けるが、それに対してようやく欧州第二位にのし上がった海軍力の減少をよしとしないダキアのコンスタンティン海軍長官が盛大にゴネたため、双方の案は暗礁に乗り上げた。唯一のまともな妥結例はイルドアぐらいのもので、コンスタンティンと協商連合がやり合っている間にこそこそと帝国代表に接近したイルドア側の譲歩によって、帝国は南方大陸領の『譲渡』を『二十年後の独立』に変更し、代わりにイルドアが喉から手が出るほど欲しい鉄鋼の賠償が上乗せされた。
そして、その時はやってきた。
「…さて、そろそろ良い頃合いでしょう。我が国からも講和条約案を出したいのですが、宜しいでしょうか?」
先程まで合州国の代表団の一人とM8装甲車とジープのライセンスについて話し込んでいたダキア側全権代表ミハイによる、唐突な『講和案提示』発言。発言力から言っても事実上の最終決定者である同国の登場に、講和会議は一気に緊張感を増した。
「よろしいかと、元帥殿」と、連合王国代表チューバレン首相。
「右に同じくであります」と、合州国代表トールマン大統領。
「…異議なし」と、連邦代表モートフ外相
「お待ちしておりました」と、秋津洲代表東剛外相。
オブザーバー並びに全交戦諸国代表から同意を得たのを見たミハイは、ダキアによる要求案を、ビロード張りの黒檀のテーブルに勢いよく広げた。
「これは…!?」「なかなかに思い切りましたな」「ここまで切り取られるのは…いやしかし…」「ふむ、想定通りですな」「…これはどういうことですかな、閣下?」「ぬぐっ、これは…だがこれなら本国への言い訳も…」「おい、本国に連絡だ。書記長閣下の耳にも入れねばならん」
広げられた地図と要求明細に対する反応は千差万別。提示された講和案は、ダキアの帝国に対する要求にとどまらず、参戦各国すべての要求を適度に取りまとめ、バランスを取ったものになっていた。
まず領土的要求に関しては、帝国からパンノニア州とスロヴァク州、それにオストラント南部の工業・資源地帯シュレージアを割譲。物的賠償としては現在ダキアが保有している帝国海軍艦隊の六割と、大戦開始後に設計された全ての兵器を、小火器は生産ロット六個分、航空機や戦車、火砲などは各形式それぞれ二十づつ。賠償金百二十億ライヒスマルクに加え、石炭の優先販売権と、各種貿易・防衛協定の締結も盛り込まれている。
協商連合によるスレースヴィイ・ホーエンシュタインとバルト海沿岸諸都市の割譲・租借は廃され、両国の国境は重ねて提示された『ノルデン及びキィエール運河最終規定条約』に伴ってキィエール運河に固定。運河より沿岸十キロの完全非武装化及びその監視のための向こう十年にわたる連合国軍の駐屯と、現在川幅100メートルの運河を2.5倍にする工事が決定された*1なお、賠償金額は据え置きである。兼ねてより要求されていた海軍賠償に関しては、アドミラル・ヒッパー級重巡洋艦を一隻、マグデブルグ級軽巡洋艦をニ隻、ライプツィヒ級軽巡洋艦三隻、そしてZ46級駆逐艦を六隻の、計十二隻が割り当てられた。イオニア海の大海戦を経験したこれらの艦隊は、協商連合において十年後に再び艦隊決戦を経験することになる。
フランソワに関してはフランドル北部の領有が却下され、賠償額も千七百億から六百五十億に大幅減額。帝国に対する軍備制限も撤廃されたが、その代わり石炭資源の上から鉄鋼・レンガ・ガラス・コンクリートなどの物納が合計で三千万トン強と、ブレーメン級豪華客船二隻を筆頭とする、六万トン〜五千トン級の輸送船五十八隻が追加された。
軍備制限に関しては、今後百五十年間三軍合計五十万人の制限。これ以外に固定翼機運用能力のある艦、すなわち航空母艦や重航空巡洋艦・航空戦艦と言った艦艇の建造制限や、固定翼・回転翼にかかわらず、ありとあらゆる軍用機の保有が最大四千機と定められた。
これで戦争を終わらせられるならと静かになった協商連合とフランソワ、そして元から話を通してあったイルドアはさておき、ダキア側の予想通り、帝国側代表団の反応は激烈だった。
「失礼ですが、シュレージアの全土割譲を?あの地域は我が国最大級の工業地帯ですぞ!ベルギエンに加えてシュレージアまでも奪われてしまえば、とても賠償なぞ出来ません!」
「彼の地は我が国最大級の経済地域でもあります。貴国がそれを欲するのならば、それ相応の対価を頂きたい」
「陸軍としても賛成しかねる。シュレージアは東部ライヒの武器工廠だ。我が国が帝国として残る以上、軍事力に深刻な影響を及ぼす講和条件は承服できない」
叩きつけられたヤンマールの握り拳は、ギリギリと締め付けられたまま開かれる気配がない。疲れ切った各国代表団がふと時計を見やれば、なんとまぁすでに時間は五時を大きく回っていた。
「…分かりました。今日は一旦この辺りで解散と参りましょう。皆様も長旅でお疲れのはず。私も幾度か私的に訪れた事がございますが、誓約同盟は風光明媚な観光名所です。どうぞごゆるりとお楽しみを」
これ以上進展はないと判断したミハイの鶴の一声により、この日はここで一時中断となった。各国代表団も講和の進捗を本国に送る機会を窺っていたこともあり、渡りに船といった具合である。しかし、憤懣やる方ないと言った顔で去ろうとした帝国側の三巨頭だけは、
「ヤンマール蔵相、コンラート次官、それにゼートゥーア上級大将。御三方には少しお話がありますので…そうですね、平服で構いません。午後七時にこの店に来ていただけますか?無理にとは言いません」
と、ミハイ自ら呼び止められ、お誘いという名の召集令状を突き付けられたのだった。
ミハイが指定した店は、連邦院から歩いて四十分ほどの距離にある、広さ五メートル四方ほどの小さなバーだった。
テーブル席二つ以外にはカウンターのみと言うシンプルな店内には所狭しと世界各国のアルコールが並べられ、腰ほどの高さの片開き扉で仕切られた奥には、こじんまりとした趣味のいいキッチンが覗く。生成色のワイシャツと釣りズボンの上に前を開いたシングルブラストのジャケットというカジュアルな姿のミハイは、カウンター席に一人ポツンと腰掛けていた。
「すまん、遅れた」
「いえいえ、大して待たされてはおりませんよ。さ、義父さんもお二方もお掛けください。コートと帽子の類はあちらのラックに」
促されるがままにそれぞれの上着と帽子を脱いだ彼らは、呑兵衛たるゼートゥーアを筆頭にそれぞれお気に入りのアルコールを頼むと、左からゼートゥーア、ミハイ、コンラートにヤンマールと言う順番でカウンターに腰掛けた。カウンターの上に置いてあるラジオはなぜか電源が入っておらず、話す者もいない店内には気まずい沈黙が満ちる。三人を呼びつけた当人であるミハイはただグラスを傾けるのみで、口を開く気配はない。
やがて三人のアルコールが出されると、ミハイは手振りでマスターを奥に下がらせ、徐に懐中時計を取り出した。妙な事をするものだなと首を傾げた三人は、次の瞬間驚愕に目を見開くことになる。
「この気配…まさか、それは演算宝珠か!?」
「ご名答。少し耳を塞いで頂けますか?黙らせます」
言われるがままにゼートゥーアは躊躇いなく、コンラートとヤンマールはおずおずと耳に手を当てたのを見計らい、ミハイは魔導適性のない三人ですら感じ取れるほどの強力な術式を発現。直後、バーの付近から苦悶の声の大合唱が巻き起こった。
「み、耳が!俺の耳が!」
「これは…まりょく、酔い?」
「血が、血が出たじゃないですか!」
「クソッ、やっぱり勘づかれていたか!」
「やべ、もう、無理…****(〜Nice Boat〜)」
「あー!俺のおろし立ての一張羅がー!」
「ジャーナリストや密偵というものは厄介なものでしてね。常日頃からこうしていないと、プライバシーも何もあったもんじゃありませんよ」
事も無げに言ってのけるミハイ。実際彼にしてみればリミッターの外れた大魔力を使って広域精神干渉をかけているだけなのだが、そんなことを知る由もない三人は、ドーラですら破れなかった防壁をぶち抜いたあの一撃といい、つくづく出鱈目な野郎だと呆れ返るしかない。間諜を排除したミハイは、途端に饒舌になり始めた。
「では改めまして…お初にお目にかかります、ヤンマール殿、コンラート殿。小官はダキア臨時軍政府独裁官、連合国軍最高司令官、並びにダキア軍元帥を兼任している、ミハイ・エムロエイ・シュルフリンゲン。そちらのゼートゥーア殿の、義息子でもあります。以後、お見知り置きを」
「は、こ、これはご丁寧に…アウグスト・フォン・メッテルニヒ首相の元で蔵相を務めさせていただいております、ヤンマール・シャハトと申します。こちらは我が外務省の…」
「コンラート。コンラート・フォン・アーデルハイトと申します。リーベントロップ外務大臣閣下の急病に伴い、帝国代表団の外務省代表として参りました」
一通り自己紹介を済ませた彼らは、時間を惜しむように本題に入った。
「それで、私があなた方をここに呼び出した用件でありますが…端的に言わせていただきたい。現下の講和条件を受け入れていただけない場合、私も望むところでは断じてありませんが…帝国には、一度滅んでいただかなければならないかと」
シン、と満ちる静寂。なんとか再稼働を果たしたのは、外務担当たるコンラートだった。
「滅んでいただく、とは?」
「大雑把にいえば、現状の政体と大して変わりません。官僚も続投されます。軍人も大して変わりません。領土も…まぁ、シュレージアは譲歩いたしましょう。各国の賠償の減額も考慮します。ですがその代わり、『帝国』は亡くなる。ホーエンツォラーン皇帝家は、歴史の表舞台から消えていただきます」
外務一筋のコンラートには、ミハイの理屈が痛いほど理解できた。この長すぎる戦争を終わらせるには、『何か』に責任を押し付ける必要がある。現状の講和条件では、それは大鉱山たるシュレージアであり、帝国きっての工業地帯たるベルギエンであり、帝国の資源や海軍戦力といった、物的賠償だ。
だが、帝国側がそれ以上を望むならば?ただひたすらに安寧を望むフランソワの世論とて、これ以上賠償が軽くなれば、沸騰どころでは済まないだろう。戦勝国内の世論を押さえつけるためにも、新たなるスケープゴートが必要になる。
「はっきり言いましょう。貴国にとって、皇帝と帝政は持ちうる中で最大かつ最良のカードとなり得ます。貴国の憲法上最も分かりやすい国家の長でありながら、実際の権力は多くなく、吹き飛んだところで名目上はさておき、国家運営への害は大きすぎない。到底受け入れられない発言であるのはわかっていますが…」
帝政と引き換えなら、かなり交戦諸国から値切れるし、帝国に対する安全保障や貿易協定などの便宜も図れる。ミハイはそう断言し、そしてさらに踏み込んだ。
「憲法改正と立憲君主制の明文化でも構わない。貴国はすでに植民地の放棄に合意した身、帝国主義国家のレッテルも使えません。神聖不可侵なる最高権力者から、最高権力者の五文字を排せば問題ない。絶大な賠償か、皇帝か。貴国にはどちらかを選んでいただきたい。自由と民主主義発祥の地であるフランソワが、帝国を敵に回して奮闘し、絶対権力者に民主主義を受け入れさせたと言うストーリーがあれば良いのです」
現状の政体と重たい戦後賠償を天秤にかけられ、帝国代表は黙り込んでしまった。ダキアの地政学上代案となりうるオストラントの割譲は受け入れられる訳もなく、かと言って全土に大量のダキア兵が駐屯している現状では、帝国側の拒否権は無いに等しい。
「…貴国のご存念は、しかと。こちらで協議の時間をいただいても?」
「構いません。どうせこの講和会議は私のもののようなものです。そうですな…」
そこでミハイは言葉を切り、いったん考え込むと、胸元から良く分からない平べったい機械を取り出し、「失礼、少し連絡を」と言い残したかと思うと、十二分ほどごにょごにょと話し込み、やがて再び三人に向き直った。
「一週間。一週間、貴国に差し上げます。連邦と合州国は私が抑えて見せましょう」
そこから一週間は、まるでかつてのボナパルト戦争の講和条約を再現したかのような、だらだらと中身のない議論が続いた。各国代表共に大した意味もない言葉を交わし合い、しびれを切らした合州国オブザーバーの干渉はミハイとチューバレンがやんわりとカット。帝国の弱体化を目論む連邦は共和国のラインラント割譲や、さらに踏み込んだ賠償金と軍備制限を主張したが、連邦を脅威とみなすダキア・イルドア・連合王国・秋津洲の四カ国は、帝国きっての左派政党ラインラント労働者党の勢力圏であるラインラントのフランソワへの委譲を全力で妨害し、またこれ以上の領土割譲は国家としての死につながるとフランソワもこれを固辞。帝国代表も断固たる拒否を叩きつけたため、連邦代表のメンツは丸潰れとなった。
他方帝国内ではミハイから提示された条件に対し、連日連夜大論争が繰り広げられた。錦の御旗として国家をまとめ上げている皇帝は、帝国にとって欠かせない存在であるが故に廃位など不可能。必然的に、選択肢は今までの不文律からの脱却、即ち完全なる立憲君主制への移行か、現状の政体の代わりにシュレージアと帝国軍の大半を手放すかと言う究極の二択に絞られた。
代理を出席させて帝国に舞い戻ったゼートゥーア一行は、ダキア軍政下で開かれた皇帝臨席の閣僚会議において、ミハイ案の受け入れを断固として主張した。
「しかしゼートゥーア上級大将、我々が受けたとして、その口約束が履行される確証はあるのかね?」
「ここでミハイ元帥の案を拒絶すれば、連邦政府の思う壺かと。だな、コンラート次官?」
「はい。口先ではどれだけ強く宣おうと、究極的には連合国や連合王国に出来るのはわれわれを痛めつけることのみであり、息の根を止めることはできません。私の想像ですが、ミハイ閣下は自国と共に連邦に対抗する友人を欲してらっしゃる。かなり良い条件が毟り取れるかと」
「先ほどから聞いていれば畏れ多くも陛下と皇帝家を掛け金にするような…。お三方とも、陛下の御前ですぞ!」
「だからこそ、こうして無礼を承知で申し上げているのです!今ここで決断しなければ、最悪ハイマートの全てが灰燼に帰してしまう!それだけは…それだけは、なんとしてでも避けねばならんのです!」
白熱するばかりで着地点を見失い、嵐に揉まれて飛行場を見失った飛行機のような議論は、おおよそ三日三晩続いた。誰も彼もが死力を尽くし、やがて誰が命ずるともなく静まり返った会議場。最終的に決断を下したのは、ひたすら無言で置物に徹していた、帝国皇帝その人だった。
「皆の精勤と忠義に、ただ今は最大限の感謝を。余は―――――」