ダキア大公家三男に転生したので帝国を理解らせに行く話 作:舞葉
統一暦1935年十一月十九日、ダキア州東部海港都市コンスタンティン。
この日、いまだオストラントで連邦と欧州連合軍の一触即発の睨み合いが続く東西冷戦の最中において、とある国家の建国五周年を祝う軍事パレードが執り行われた。
参加した国家は世界列強のほぼ全て。連合王国軍とフランソワ軍に始まり、協商連合軍、イルドア王国軍、秋津洲軍、変わり種では独立したばかりの南ベスプッチ大陸諸国の軍も参加している。
「礼砲用意!…放てぇ!」
ロイヤルネイビーの名誉記念艦たるウォースパイトと、イルドア海軍最大の武勲艦ヴィットリオ・ヴェネトの礼砲で幕を開けた大軍事パレードは、連合王国海軍とイルドア海軍の観艦式によって始まった。
先頭をゆく二隻の武勲艦に続くのは、両国海軍が保有する主力艦の中でも、第一線を戦う最新鋭艦をかき集めた大艦隊。東洋艦隊こそ動いていないものの、本国艦隊総旗艦たる戦艦ヴァンガードと、それに連なる新標準艦隊の嚆矢たるライオン級戦艦、最新鋭航空母艦たるオーディシャス級も三隻が参加している。
イルドア海軍からはヴィットリオ・ヴェネト級とアクィラ級がそれぞれ四隻参加。これらの艦艇は統一暦1800年代建造のコンテ・ディ・カヴール級が退役した今、イルドア海軍の打撃戦略の中核を担っており、欧州大戦から時を経てなおその壮健さを内外にアピールしていた。
同時並行で、観艦式をバックに陸軍によるパレードも始まった。隊列の先頭を切るのはこれまた連合王国陸軍。金メッキに輝く楽器の奏でる行進曲は、歴史ある『British Grenadiers』*1である。陸軍序列第一位のライフガーズに始まり、第一歩兵師団、ロイヤル・スコッチ・ドラグーンガーズ、第一王立戦車連隊などが揃い踏み。コンカラー重戦車やセンチュリオン主力戦車がその鈍く輝く砲身を連ね、乗馬護衛中隊も磨き上げられた胸甲と特徴的な兜を着用しての参加である。欧州大戦への直接干渉を避け、ダキアとイルドアのバックアップに徹したが故に、連合王国は未だその栄華を錆び付かせることなく誇り続けている。海兵魔導部隊も健在であり、最近総指揮を受け継いだばかりのドレイク少将が、隊列の先頭に立ってミーティア戦闘機と共に随行していた。
「…Sing tow, row, row, row, row, row, For the Albion Grenadiers…」
「こら、ユーディト。連れてきた代わりに静かにする約束だろう?」
「静かにはしてるもーん。お父さんだって鼻歌歌ってたじゃない!モントンメリー閣下も、ガスマン閣下も、お聞きになっていたのではなくて?」
「ぬぐっ…全く、うちのお姫様には敵わんな」
「心配せずとも、見事な歌声でしたぞ、シニョリーナ。でしょう、モントンメリー殿?」
「ええ、ええ。立ち居振る舞いもしっかり出来ていらっしゃる。さすがミハイ閣下の御息女だ。ディートリヒ殿にも先程お会いいたしましたが、見事なクイーンズをお話しになる。お二人とも、将来は大物になりますぞ」
「日頃の教育の成果…と、言いたいところですが、叩き込んだのはおおかたうちの兵站総監でしょうな。そちらこそ、見事な艦隊運動でしたよ。我が海軍も、今一度訓練を徹底せねば」
「お褒めに預かり恐悦至極。サマヴィールの奴も喜びましょう。…っと、今度はガスマン殿の軍の番ですな」
それに続くのは、やはりこちらもイルドア陸軍。つい最近
「しかし本当に華やかだ。あの黒い羽飾りには惚れ惚れいたしますな」
「アルディーティの皆さんのベレー帽もよく似合ってらっしゃる。…あちらの将軍殿は?」
「あれはウチのカランドロ中将ですな。全く、散々嫌だのなんだなと宣っておきながら、楽しそうに行進をするものです」
「軍楽隊の音色もいい。何より、ヘリの轟音に負けない音を出しながらあの質を維持する技量には、白旗を上げざるを得ませんな」
それに続くのはFN-FAL小銃に銃剣を煌めかせ、自国開発のAMX-13軽戦車と合州国製M26パーシング戦車のノックダウン生産品を機甲師団の主力と定めるフランソワ軍だ。BGMはフランソワ陸軍第一歩兵師団マーチングバンドの奏でる『玉葱の歌』。金色のエポレットが付いた詰襟に、派手な金モール装飾の黒いピケ帽と言う伝統的なフランソワ軍の礼装に身を包み、敢えて儀仗銃であるMAS-20ボルトアクション小銃ではなく、主力歩兵銃FM-FALを携えての登場である。ベルギエン併合により、モーゼルの天下だった帝国で燻っていたFN社の技術を手に入れたフランソワ軍は、射撃戦においては他の列強にとっても侮れない相手である。しかし、火砲と空軍においてはまだまだ他国に及ばず、海軍力ともなれば列強最弱。大戦の傷跡は、未だ色濃く残っている。
そしてその後に続くのが、サーブ社製のターボジェット戦闘機『トゥンナン』を先頭に立ててやってきた、協商連合軍の第一歩兵師団と第一装甲連隊。とある国に刺激されて大幅に技術革新を進めたstrv 74軽戦車と、連合王国のセンチュリオン戦車の独自改造型を主軸とする機甲師団は、欧州有数の戦力を有している。小火器に関しては連邦軍の影響が強いが、これは同国の気象環境を思えば当然の事であり、自国改造と国産化も、国を挙げて推進されている。
その後もパットンシリーズがその砲身を連ね、ガーランドの銃口に銃剣を煌めかせる合州国軍や、黒の詰襟ジャケットに特徴的な襟章が目を引くブラジリア軍、ピケ帽と特徴的なエポレット*2のアルゼンチナ軍、帝国軍の旧式軍服と大変似通ったチィーリ軍、アジア太平洋地域のトリを飾った秋津洲陸軍の第二機甲師団と五式・四式両中戦車など、まるで軍隊の万国博覧会のようなパレードに会場は興奮に包まれ、やがて、とあるアナウンスと共に最高潮を迎えた。
『さて、十二カ国軍パレードももう余すところ僅かとなりました。それでは、大トリを飾る二カ国、ドイッチュラント連邦軍、及び大ドナウ合衆国軍の登場です!』
1929年の三月二十九日、御前会議での決定に基づき、国家元首をそのままにドイッチュラント連邦とその名を変えた帝国は、憲法改正による皇帝大権の大幅な制限を実施。シュレージアとニーダーラントと言う二大工業地帯と、軍備制限の撤廃を勝ち取り、世界に名だたる列強としての地位を死守し、ベルリン講和条約は正式に締結された。ウィエナ体制とビスマルク体制に次ぐ、新たなる欧州秩序『ミハイ体制』の夜明けである。
「終わった、か」
「ああ、終わった。これで、この戦争は終いだ」
「これでようやく、うちの軍も故郷に帰れる…」
「参謀本部に通信を飛ばせ。キィエール駐屯軍の編成を始めるぞ」
欧州全体を巻き込んだ、五年にわたる大戦争の終結。深い感慨に浸るもの、国内への対応を練り出す者、そして純粋に終戦を言祝ぐ者。例え口先で何をほざこうとも、その表情は揃って安堵と喜びで満たされていた。
が、ミハイとゼートゥーアを筆頭とする各国の首脳による『第二の欧州大戦』は、ここから始まった。帝国とフランソワに散らばった二百万の連合軍の撤兵と、復員兵の社会復帰、そして戦前の体制への回帰である。
欧州各国にてほぼ同時期に、直訳すれば復員省となる巨大省庁がまず作られた。配属された人員はイルドアで千七百人、ダキアで七千五百人、最大の帝国ともなれば一万五千人。帝国占領下で復員作業が進められていたフランソワと協商連合とは異なり、この三カ国は四、五年前からつい半年前まで百万単位の将兵を前線に投入し、これを養ってきたのである。戦争が常態化した彼らを平時に戻す事には、多大どころでは済まない労力が要求された。
「しゅっぱーつ、進行!」
「やっとだ!やっと家に帰れる…!」
「覚悟しておけよ、おふくろ!
「四年ぶりのブールクレストか…アイツは元気にしてるかな」
帰還兵第一陣の出発は、三カ国揃って1928年の三月二十日となった。ベルン講和会議から、およそ十日後の出来事である。各国の保有する鉄道車両やトラック、船舶などを根こそぎ動員し、帝国やその近辺に集結した運送手段は、鉄道百五十編成、トラック三万五千台、船舶大小合わせて二百五十隻。昼も夜もなくこれらの輸送手段が欧州全土を駆けずり回り、欧州各地に散らばったそれぞれの兵を段階的に回収した。
復員初期段階で持ち上がった問題は、各国の復員組織の連携の欠如だった。普段杓子定規なまでに精密なダイヤを組む帝国改めドイッチュラントとダキアではあるが、兵士一人ひとりまでそうとは限らない。故郷を目指す兵士がとりあえず一メートルでも母国に近づけるならと手近な列車やトラック、船舶などに乗り込もうとした結果、
「オイちょっと待て、お前その肩章……?」
「へへへ、こんだけ人がいるんだ、バレやしねぇよ」
「オイそこのお前ら、第六十五歩兵師団は第四陣だ!さっさと駐屯地に戻れ!」
「げぇっ、バレた!」
「そーら言わんこっちゃない」
「車掌さん、早く出してくれよ!」
などという事態が多発したのである。史上最大の戦争の直後ということで、上は元帥から下は憲兵隊もろとも一兵卒まで気が緩んだのが原因だった。
特に男女問わず連合国兵が殺到したのが、連邦首都ベルンとアウステリア州都ウィエナを結ぶ路線と、キィエール発大西洋回りコンスタンティン行きの船便だった。前者はイルドア兵が、後者はダキア兵が主に詰めかけており、帝国北部は大混乱。かろうじて両軍の憲兵とキィエール運河駐屯組らが統制を取り戻そうと奮闘するものの、十倍以上の人出を抑えるのはなかなかに難事業である。比率的に徴兵組の多い帝国とダキアでは、特にこの傾向が顕著だった。
「まだ乗れるだろ!頼むから載せてくれ!」
「駄目だ!この便は第二十六歩兵師団と第三機械化歩兵師団用と決まっている!第三十九師団は次の便だ!おとなしくホームかどこかで待て!」
「あそこに止めてある貨車をつなげりゃいいだろうが!俺は早く帰りたいんだよ!頼むよ…おふくろが…おふくろが…!」
「あの貨車は兵器の後送用だ。…すまんが、私にはどうにもできん。だが、軍事郵便局に当たってみろ。あそこなら、あるいは
厳格さで鳴らす野戦憲兵とて人間だ。その職業柄、なまじ兵士としてだけでなく人間としても出来ている人間が集められた分、嘘の見分けが付く者も、誠実で厳格だが人がやや良すぎる者もいる。戦後という事実も相まって、情に流されてしまうケースも多かった。憲兵としては失格だが、人間としては至極自然な振る舞いゆえに処罰も難しい。そもそもこのような行為に及ぶものは、大抵所属部隊からの信頼や評価も高いような連中である。上の努力もむなしく、軍団単位でもこういったケースは暗黙の裡に見逃された。
それでもイルドアと帝国は半年がたつ頃にはあらかたの人員が復員を終えていたのだが、ダキアの場合、動員に際して発生したちょっとした問題が、復員に要する労力を激増させていた。
通常、予備役兵や徴募兵で構成される部隊は、駐屯地周辺出身の兵で構成されることが多い。帝国の予備役制度はそれが基本となっているし、イルドアに至っては駐屯地の名前がそのまま連隊名になっていることがほとんどだ。
が、大戦への突入から泥縄式に中隊単位で兵を集め、じりじりと大隊、連隊、旅団、師団と動員兵の編成規模を上げていったダキア軍は、一つの連隊の中にダキアの東端と西端出身の中隊が混ざっていることすら珍しくない。精々大戦初期の師団がカルパティア以東、中・後期が以西と雑にまとまっている程度だ。後からの補充の結果ではなく、本当に設立当初からそうなっている。
その結果として何が起こるか。イルドア式や帝国式では師団を丸ごと衛戍地にぶち込めば後は兵員が自力で帰宅できるが、ダキア式ではそうもいかない。出身地の異なる中隊を、ひとつづつ故郷の近くに送り届けねばならぬのだ。
結果として始まったのが、ダキア全土に及ぶ、総動員数百五十万の大道路工事である。中隊ごとならと国内のターミナル駅からトラックを徹底的に使い倒したことにより、国家規模で砂塵が問題になったのが原因だった。
「おかしいな、俺たちは帰れるっていうからここまで来たんだが…」
「ブツクサいうんじゃねぇ。口より先に手ぇ動かせよ」
「今日のノルマはあと五キロだそうだ。気張っていくぞ、お前らぁ!」
「まぁ命張るよりはましと思うか…飯もタダで出るしなぁ」
帰還兵第一陣が慣れ親しんだ軍用トラックでアスファルトや、場所によっては試験的に導入されているコンクリートブロックを運び込み、第二陣がそのあとから専用機材を使って路面を掘り下げ、場合によってはクッション砂の敷詰めも行い、第三陣が土建屋の指揮下で路面を舗装、最後に第四陣がライン引きやガードレール、標識、そして各種信号設備などの設置を行う。国全体で約二百万人が一斉に従事したことで陸軍の兵站サイドは地獄を見たが、さらなる国内の産業化の妨げとなっていた荒漠たる未舗装地域の改修費用が浮いた国交・大蔵・経産の三省庁は大喜びであった。
「将来的にはこれをパンノニア地域とスロヴァク地域にも拡大する予定だ。ただし、費用は国交省持ちだぞ」
「ぬぐっ…了解であります。新領土と本国の融和のためです、経産省も協力するでしょう。ただ、国軍の手助けはいただけるのですかな?」
「それは承ろう。侵攻時の訓練にもなるからな。動員時の兵站はこちらで持つ。ただ、機材費用はそちらが持つんだぞ」
「それは勿論了承しておりますれば」
最後のダキア兵が帝国を去ったのは、約一年後の1930年二月十六日。二地域を併合したダキアが正式に君主制を捨て、元老院と代議院の両院制のもとに統治される、共和制国家『大ドナウ合衆国』が樹立された翌日の事だった。ほぼ一年ぶりに自邸でミハイに再会したアンネリーゼは一週間以上使用人の眼も構わず夫に甘え倒し、周囲にコーヒーを流行らせる一助になったとか。
「ちょっ、あの、もう勘弁して…」
「駄目。まだ私が満足してない」
「あっ、ちょ、やめ、そこだけは!?も、もう無理!もう無理だから!アーッ!?」
そして、現在。軍事パレードの大トリを飾る二カ国は、それぞれの軍旗を五枚ずつ交互に並べ立て、ひとつの巨大な塊となって大通りに現れた。
大きく広げた羽の下に連邦構成諸州の紋章を抱いた、神聖帝国時代の国章によく似た黒鷲をあしらった軍旗を掲げるのは、五年の時を経て栄光を取り戻したドイッチュラント連邦軍。いずれの将兵も特徴的なコカルデの制帽と冬用外套をそのままに、上下を連合王国風の開襟ダブルブレストのジャケットと、スラックス型のズボンに入れ替えた第二種礼装姿である。
その隣を歩むのは、士官のカルパック帽風の制帽と下士官以下のチャプカが目を引く、開襟シングルブレストの冬季外套姿の大ドナウ軍。白地に黒十字のベースデザインの左上で大きく羽を広げるペリカンの後ろに、あの特型魔導小銃と剣をあしらった軍旗を掲げての登場だ。カラーリングはフィールドグレー一色だった欧州大戦時とは打って変わり、制帽からネクタイに至るまで黒一色で固めた冬季礼装と真っ白な折襟シャツ。金色に輝くモールと各種階級章に金ボタン、そして将兵によっては胸に抱いた勲章や、右肩から左腰に掛けて帯びるサッシュ、そして将校ならばホルスターからちらりと覗く拳銃、さらに上の佐官ならば腰に佩くサーベルなどがアクセントを添えている。
そのあとに続くのは、軍楽隊を先頭に立てた、本来は儀仗任務に使われる第一種礼装姿のドイッチュラント軍。現代的な第二種礼装とは打って変わって、まだ帝国がバラバラだった時代を思わせる、古式ゆかしいデザインである。軍靴の爪先から大型金管楽器のベル、勲章各種にサーベルの鞘の先端まで磨き上げており、その輝きはさながら地上の太陽のごとし。煌びやかに着飾った楽隊が奏でるのは、半世紀ほど前に作曲された旧帝国時代から受け継がれる『プロイセンの栄光』だ。
歩兵や工兵、輜重兵に砲兵などは、大尉以下の士官と兵はダブルブレストのブレザー型上着、佐官以上はこれまたダブルブレストの
「なんとも懐かしいデザインですね。我が軍の旧式軍服を思い出しますよ」
「あの時は相当苦労されたとお聞きしましたが、そこまでだったのですか?」
「ええ、それはもちろん。なにせ、十年でボナパルト戦争期からの百年間を駆け上ったようなものですからな」
「それは、それは……苦労なされましたね」
ちょっと引き気味な他国軍担当者はさておき、帝国軍の隊列に続くのは、先ほどとは打って変わって真っ青なフィールドジャケット姿の大ドナウ軍。この五年間ですでに十二回ほど行われている他国の災害援助派遣時に大ドナウ将兵に支給されるもので、通称『ドナウ・ブルー』。南方大陸や南ベスプッチ、東南アジアや太平洋地域などでは知らぬ者などいない、大ドナウ軍の第三世界での名声を不朽の物にした代名詞である。
青のベレー帽に黄銅煌めく大ドナウ軍の徽章を輝かせる彼らが携帯する銃器は、腰のホルスターに装着したコルト・ガバメントただ一つ。それ以外の装備は、儀礼用に装飾が施されてはいるものの、基本的に厚さ一センチほどの反りのある堅牢な山刀や、長さ一メートルほどの斧など、実用的な装備が多い。配属されている車両も架橋戦車や戦車回収車、工兵用の破砕砲搭載戦車や装甲ドーザー、変わり種では
その後ろに続くのは、大ドナウ軍の目玉の一つである機甲師団。連邦軍譲りの避弾経始を重視したお椀型砲塔、生産ラインの煩雑化を防ぐべく、どうにかこうにか戦車砲サイズにまで押し込んだ、カウンターウェイト付きの105mm五十六口径ライフル砲、ゲオルゲシリーズから居住性重視で車高の高いホルストマン式サスペンションの車台、そして西暦世界メルカバ式の車内配置と空間装甲がわりのサイドスカートを備えた、大ドナウ軍初の戦後型主力戦車『トゥラーンII』を引き連れている。均質圧延鋼とセラミックの複合装甲を採用しており、エンジンはあれほど愛したJumo210魔改造型に始まる液冷ガソリンエンジン系列を捨て、合州国のコンチネンタル社製空冷ディーゼルエンジンを採用。将来的な電子機器の拡充や、過酷な環境下での戦闘を見越して車内には空調が完備されており、尚且つ最重要戦線たる連邦の荒漠な大地を想定し、重量は42トンと比較的軽量。
大量の新機軸と引き換えに信頼性が相当犠牲になったが、もともと西暦世界における第一世代主力戦車をすっ飛ばし、砲兵装と装填機構以外のほぼすべてを第2.5世代相当まで強引に進めた相当な野心作である。不良の10や20は想定済みであり、だからこそのトゥラーン『II』なのだ。本命となる本当の主力戦車『トゥラーンI』は、ゲオルゲシリーズで培われたノウハウを元に開発された、全体的な見た目はトゥラーンIIと大差はないものの、中身は赤外線式暗視装置も発展型ステレオ測距儀も無い、T-55相当の堅実な車輌である。生産数もわずか五十両の後継とは異なり、四年間ですでに二千五百両が配備済みだ。
「大変腹立たしいが、連邦の設計思想そのものはなかなかに合理的だ」
とは、ミハイから草案と共に次世代型戦車の開発を任された、大ドナウ軍技研のある技師の言葉である。
参列した戦車はいずれも光を吸い込むような黒色に、白い月桂冠で囲まれた天秤の意匠が入った儀礼用塗装で、FB-17やF-21を主体とする航空機もダークグレー塗装に白と青のラウンデル。やや旧プロイツェン軍に寄ったデザインの軍旗や、真っ黒な冬季礼装も相待って、大ドナウ軍が帝国語圏で
やがて壮麗な軍服は大通りを過ぎ去り、累計で十五万人にもなる各国の参加部隊は、大ドナウ海軍第一艦隊母港と共に街の目玉となっている、国内最大の陸軍演習場に集結。観客も全てこの日のために誂えられた観客席に移動し、最後の締めくくりとなるミハイの演説に耳を傾けた。
「まずは、本式典にご足労いただいた全ての紳士淑女の皆様に感謝を、そして、先の大戦で散った全ての尊き命に安息の祈りを。諸外国の皆様の助けもあり、我が国はめでたく建国五年を迎えることと相成りました」
観客の反応は様々だ。感慨深げに頷くもの、苦々しげな顔で眉を顰めるもの、純粋な喜びを表すもの、そして彼が何を話すのかを期待と共に見つめるもの。すっかり己も為政者が板についたものだと、自嘲しながらミハイは続ける。
「東は秋津洲、西はブラジリアやチィーリィ、アルゼンチナまで、多種多様な国々の皆様にこうして直接顔を合わせられることは、私、いやさわが国にとっても最大の喜びであります。未だ内外において気の抜けない日々が続き、私の力不足から大ドナウ軍の尊き将兵がその命を散らさねばならぬことには、慚愧の念に絶えません」
僅かな黙祷。公式の場では必ずと言っていいほど被っている骨を抜いたクラッシュキャップを胸に当て、彼は静かに目を閉じる。これまでに大ドナウ軍は平時戦力六十万のうち、累計で三分の一に当たる二十万人を国外に送り、事故や戦病死などで六百二十名余を失ってきた。
「しかし、私はいつか我が軍が世界の官憲として国外に出ることなく、ただ祖国の防人としてのみ存在できる日が来ると、そう信じております。願わくばこの星の上で、我が国の剣が抜かれる日が悠久の先であることを」
全ての参加部隊がその軍靴のつま先と軍旗の旗頭を並べ、銃剣を煌めかせた儀礼銃を掲げる閉会式において、ミハイはそう締め括った。
夢を、見た。
体中に包帯を巻いた見慣れた例の老爺が、穏やかな顔で自分の前に立っている姿を、見た。
「本当によくやってくれた、ミハイ」
穏やかな表情で微笑む彼に、平服姿のミハイは問いかける。
「あの後、爺さんはどうなったんだ?」
「仮にも神の私を爺さん呼ばわりとは相変わらず度胸のある奴め。…貴様のお陰で、私はこの世界の管理者に戻れたよ。貴様の一撃は、連中の脳天を吹っ飛ばしたんだ。私の首をはねようとした瞬間、チュイン、とな」
ごたごたの最中で逃げおおせた目の前の老爺は、どうも相当強かだったらしい。かねてより存在Xの一派に不満を持っていた連中を束ね、連中を弾劾し、自分に同情的な神を新たなるトップに据えると、仕事を終えたとばかりにこの世界箱庭の管理役に戻ったのだという。
「そいつぁ何より。私としても、死ぬ気で戦い抜いた甲斐があるってもんだ」
「あぁ。貴様は、人の身で本当によくやってくれた。せっかくだ、何か褒美をやろう。何が欲しい?」
この世界をつかさどる神自らの白紙小切手。少し考えこんだミハイは、やがて晴れ晴れとした笑顔でこう言った。
「なら、天国の椅子を予約したい。私だけじゃなくて、私の妻も、父も、息子も、その孫も」
「お安い御用だ。貴様の寿命は、あと百年はある。気ままに過ごすといい。魔導の力も、貴様に委ねよう」
「有難い。これであの世でも寂しくないな」
やがて、そろそろ目覚めると言う段階になって、老爺はミハイにこう問うた。
「貴様は今、幸福か?」
問われたミハイは少し考え込んだあと、こう答えた。
「幸せかと言われれば難しいな。仕事は多いし、世界はクソだし、他国との外交も気が抜けない。連邦のパラノイア野郎とペドカスは相変わらず読めんし、合州国も対応が面倒だ」
だがな、と、そこで愚痴を吐き出したミハイは笑う。
「こんな私と添い遂げると、誓ってくれた妻がいる。何よりも大切な子供がいる。私の婿入りを快く受け入れてくれた家族がいる。私には、それで充分だ」
これより先百年の時を生きる彼は、終生を戦いに生き、多くのものを失い続けた。
床に伏した戦友を看取り、病に倒れた親兄弟を看取り、天寿を全うした妻を看取ってなお、その強靭な肉体は彼に生き続ける事を強いた。
しかしそれでもなお、死のその瞬間まで、彼の顔は晴れやかだったと言う。
「ああ、長い、永い、人生だった」
〈了〉
・サー・アイザック・ダスティン・ドレイク
欧州大戦後、ドレイク少将は五年ほどを魔導教官として過ごしたのち、ドレイク元帥として連合王国海軍海兵隊を辞するまでの二十年間を、連合王国の海兵魔導部隊総司令官として過ごした。晩年は同じく退役元帥となったミハイと共に狩猟や釣りなどのアウトドアな趣味を通じてさらに親交を深め、生涯の親友とまで称されるようになった。1985年没、享年九十六。魔導師には散見される、やたらと長生きする型の人間だった。
・アンソン・スー
合州国に亡命していた家族を呼び戻した彼は、欧州大戦後も大ドナウ軍の魔導将官として留まり、既に六十路を迎えながらも東欧動乱や中東調停戦争、南ベスプッチ諸国防衛戦争などに従軍。東欧動乱を機に大ドナウ軍魔導士官となった娘と共に、大ドナウ軍魔導司令官の一翼を担った。退役後は傷痍軍人会や魔導師の社会復帰などに貢献し、ドレイクより一足早く、1975年に死を迎えた。享年八十五。たくさんの家族に見送られながらの、穏やかな死だったという。
・ヴィルジニオ・カランドロ
欧州大戦終戦時いまだミハイと同世代の三十五歳で、イルドア軍の最年少将官だった彼は、1990年代まで生き延びた。東欧動乱の後、ルーシー連邦の爆散を見届けて軍隊を辞した彼は、五十代に差し掛かった頃にガスマン内閣の下で国防相、ついで次の内閣において外務相と内務相を歴任。およそ二十年間政界に身を置き、七十五歳で政界を辞すると、以降は気ままな引退生活をエンジョイした。欧州大戦参加組では最年少の一角だったこともあり、没年は1993年、享年九十九。二十一世紀を迎えたかったとくだを巻きながらの死だった。
・イゴール・ガスマン
大戦終結時最高齢の六十二歳だった彼は、東欧動乱を見ることなく大戦直後に軍を辞すると、持ち前のバランス感覚を生かしてイルドア政界を駆け上がり、六十九歳で首相に就任。以降六年にわたってイルドアを率い、途中で軍を辞したカランドロを強引に内閣に巻き込みつつも、高齢を理由に惜しまれながら引退した。その後は特筆すべきこともなく、娘婿となったカランドロと共に、孫と戯れながらのんびりと過ごした。1953年没、享年八十七。
・エーリッヒ・フォン・レルゲン
終戦時の職は参謀本部作戦課長。新生国軍の黎明期を支え、ミューニッヒ戦争における戦功をもって作戦参謀としての最高到達点である作戦参謀長に就任し、東欧動乱ではゼートゥーア、ルーデルドルフ両元帥と共に欧州連合軍において指導的な役割を担った。政治家向きな性格とは裏腹に生涯を軍人として貫き通し、東欧動乱での絶大な戦功をバネに元帥に昇進。七十六歳の高齢で体調を崩し、退役を決意するその日まで、国軍の参謀総長を勤め上げた。ゼートゥーアとルーデルドルフに次ぐ、三人目の白金ダイヤモンド十字及び黄金剣付き黒鷲勲章受賞者でもある。1989年没、享年百一。
・フリードリヒ・ウーガ
終戦時の職は参謀本部戦務課長。レルゲンと肩を並べる同輩としてドイッチュラント軍で名を馳せ、ミューニッヒ戦争時には同じく戦務としての最高到達点である戦務参謀次長に就任。新生国軍初の大舞台となったミューニッヒ戦争の後方を難なくしのぎ切ったその手腕を評価され、欧州大戦を目前にして当時のレルゲンと並ぶ中将に昇進。東欧動乱を経て元帥位を有する上級大将にまで登り詰め、レルゲン参謀総長と共に長く帝国軍を支え続けた。その職務上目立った戦功は無いものの、統一暦2000年を迎えた現代でなお、世界各国の軍大学課程において、彼の業績と手腕は必修とされている。1989年没、享年九十八。
・クルト・フォン・ルーデルドルフ
大戦終結時は五十九歳。事実上帝国軍南部方面軍最後の司令官として勤め上げた彼は、大戦後も新生ドイッチュラント軍の第一総軍*3総司令官、次いで外征軍の総司令官を勤め上げ、東欧動乱においてドイッチュラント軍を勝利に導いた。その苛烈な指揮から『迅雷』の異名を取り、連邦時代で十五年間、帝国軍時代も合わせれば二十年もの長きにわたってドイッチュラント軍の屋台骨を務め上げた。最終階級は国軍元帥。1950年没、享年八十。
・ハンス・フォン・ゼートゥーア
大戦終結時はルーデルドルフと同じく五十九歳。上級大将として新生国軍の初代参謀総長に就任し、ボロボロになった国軍の再建に尽力した。東欧動乱ではミハイと並ぶ欧州連合軍の最上位指揮官として参加し、同戦争を以て元帥に昇進。東欧動乱の終結と連邦の分割を見届け、国軍の編制改革を終えた直後、燃え尽きるようにレルゲン上級大将(当時)にその座を譲った。十八年という参謀総長在任期間は、レルゲンの二十年に次ぐ記録である。ミハイとアンネリーゼの子であり、私生活では本人が名付けを担ったディートリヒとユーディトの双子を特に可愛がったと言う。1965年没、享年九十六。
・ターニャ・フォン・デグレチャフ
大戦終結時最年少だった彼女は、常識外れの寿命をもったミハイに並び、大戦組最後の生き残りとなった。大戦後にようやく大佐に昇進した彼女は、特殊作戦群の総司令官に就任。欧州連合の底力を内外に見せつけた連邦諸都市襲撃戦においては指導的な立場を担い、世界初の通常弾頭弾道弾による飽和都市攻撃の終末誘導や、モスコーやレーネングラード、ヨセフグラードと言った諸都市の襲撃を行い、数多くの連邦高官の拉致や、秘密警察の壊滅に貢献した。東欧動乱終盤においてはヴァルコータやシルドベリアと言った強制収容所の襲撃と収容者の解放も行なっており、揃って雄叫びを上げ、拳を突き上げるシルドベリアの服役者の前で、燃え盛る赤旗と寒風に煽られてたなびくドイッチュラント軍旗とを両手に掲げる写真は有名である。1998年没、享年八十六。生涯独身であった。
・アンネリーゼ・フォン・ゼートゥーア
ミハイの独裁官辞任を経て、彼女の公式の場での役割は再び統合参謀総長夫人に固定された。大戦後はミハイが断行したエムロエイ・シュルフリンゲン家の正式な断絶宣言を経て夫とともにゼートゥーア姓に戻り、自邸もシュルフリンゲン城からブールクレスト城に改称。東欧動乱の二年前には正式にブールクレスト城伯を名乗るに至り、首都の新たなる女主人として市民の人気を集めた。東欧動乱時は正式に軍属の身となり、東部戦線最前線で辣腕を振るうミハイに代わって、ブールクレストの大ドナウ軍統合参謀本部や各地の駐屯地を巡行し、元帥夫人としてダキア残留組のお目付け役を担う。私生活面では終生夫と添い遂げ、そのあまりの仲の良さに周囲ではコーヒーが流行ったとか。息子ディートリヒを欧州に名だたる劇作家に育て上げたことでも知られている。1996年没、享年百一。
・ミハイ・フォン・ゼートゥーア(旧姓ミハイ・エムロエイ・シュルフリンゲン)
自家の断絶によってゼートゥーア姓を名乗ることになった世界最強の魔導師は、その終生を軍服を纏って過ごした。戦後大ドナウ軍統合参謀本部総長の座についた彼は、東欧動乱においては欧州連合軍最高司令官に就任。ゼートゥーアやルーデルドルフ、ガスマンにモントンメリーと言ったら名だたる指揮官をその指揮下に収め、弾道弾と魔導部隊、及び戦略爆撃隊によるコンベンショナルな工業地帯と政治施設の飽和攻撃と言う情け容赦ない戦術により、合州国を始めとする世界各国を震え上がらせた。連邦解体後も参謀総長職に居座り、常に先駆的な兵器の整備やドクトリンの研究、軍需産業の拡張や常備軍制度の改革などを行うこと四十年。ゼートゥーアとレルゲン両方の参謀総長辞任を見届けたのち、東欧動乱から二十年が経過した1970年に軍を退役。最終的には宮廷軍事局長時代から数えて五十八年間もの長きにわたり、列強最弱から世界最強にのし上がった軍隊のトップを務めた。私生活においては、生涯を通してアンネリーゼの尻に敷かれ続け、またのちに世界初の女性参謀総長にのし上がり、『ミハイ二世』の綽名を世界に轟かせる娘のユーディトを特にかわいがった。その魔導的な特異性により人類の寿命の限界を超える勢いで生き続け、2024年に百三十九歳で逝去。世界にあまねく戦艦を各艦級より一隻づつ集めたコンスタンティン大海軍記念館の建設や、秋津洲系自動車企業への膨大な初期投資、そして同国のサブカルチャー産業への巨額支援などでも名を遺した。
まずは、この場を借りて読者の皆様にお礼を。昨年夏よりはや一年と一月半、この小説に長らくお付き合いいただき、本当にありがとうございました。ここまで長く続けられたのも、感想や高評価、UAで応援してくださった皆様のお陰です。皆様の温かい応援がなければ、ここまでこの小説が続くことなど、正直無かったと思います。
水上風月様、八朔日様、カド=フックベルグ様、にぼし蔵様、lightacenoah様、じょんくら様、パンジャンドラム型フライングパンケーキ様、科駄芽様、四日市三太郎様、桶の桃ジュース様、くらぱーと様、lucky luciano様、M&H様、Die deutschen様、MAXIM様、proton様、Windowegg様、 yuki3様、アース@にわかミリオタ様、 イロワケカワウソ様、ゲベック様、たんさん6248様、ドマイナー町様、のんココ様、ぷるとにうむ様、ペンタ様、モルゲンスタイン様、ヨッシーワールド様、三里様、天城高雄様、帝具はメガネ様、浜花匙様、高機動型匠改様、麻婆餃子様、これまでの度重なる誤字報告、本当に心から感謝しております。私の怪文書が読める代物に仕上がったのは、ひとえに皆様の誤字報告あってのことです。
この先も戦前戦中戦後問わず番外編を投稿し、また執筆中のオリ作品も順次投稿する予定ですので、どうか気長にお待ち下さいませ。
そして最後に、高評価や感想、そしてもし本当に寛大な方がいらっしゃいましたら推薦など、どうぞよろしくお願いいたします。
2024/09/17 舞葉