第1話 プロローグ「蝕霞症候群」
調査のために未知の群峰に赴く調査隊を出迎えたのは、飛行船と見紛うばかりの巨大な「キノコ」と不気味にきらめく翼を持つおぞましい飛竜だった……。
大陸の内陸部に位置するある国は最近異常気象に悩まされていた。風や雨に交じり、未知の砂のような微小な粒子が降り注ぐようになったのだ。それは拡大してみるとどうもキノコやカビの出す胞子に似ているが、この地域近隣では確認されていない、未知の種類であると推測された。
降り注ぐ胞子による被害は甚大であった。胞子からなる暗雲は日光を遮り、常に大地は薄暗く、また地表を覆い隠すことにより、植物の生育は大きく妨げられ農作物の収穫量は大きく減少し、食糧難が引き起こされた。また、木材からなる建造物は一月程度でカビはじめ、住めなくなってしまう。石造りのものであっても表面に菌糸が生い茂り、そこからさらに無数に毒の胞子をばらまき、次第に建造物自体も脆くしていく。結果、数ヶ月単位で街や森が廃墟に変わっていき、人類やモンスターたちは住処をどんどん減らしていった。
建造物だけでなく、生物に対する健康被害も大きかった。生物がその胞子を吸い込む、目に入り込むなどして体内に入ると、神経や臓器に様々な異常をもたらした。軽症であれば咳や痰、頭痛や発熱、呼吸困難などだが、重症になれば筋肉が思うように動かなくなり勝手に動き狂乱し、幻覚を見始めるようになる。なによりその末路が恐ろしかった。最期には狂乱していた動きが止まり、その死体を放置していると、全身から毒の胞子を吹き出しながら、体が金属のように硬質化してしまうのだ。その死骸のおぞましさには、多くの人々が戦慄した。これは人間だけでなくモンスターも例外なく、特に家畜を育てていた場所はまさしく死の牧場と言っても過言ではない惨状に見舞われた。人間では未確認だが、モンスターの死骸は体表が硬質化した後さらに菌糸が飛び出し、自立して動いたという恐ろしい報告まである。何より感染したら最後、自己の免疫力以外に頼れるものがない、抜本的な治療・予防策がないことが恐ろしさに拍車をかけた。
この恐ろしい胞子による被害は国の機関により「蝕霞症候群」と名付けられ、その原因究明が急がれた。まずはその胞子――「蝕霞」が一体どこから来たのかというところであったが、ここ数年間の風向や気象を勘案すると、この国の北東部に位置する山群から吹き降ろす風に乗り、飛来していると推測された。
「ゾルバトギリ群峰」その山群は我々からそう呼ばれている。その意味は「死の風の山」。歴史的には活火山地帯として古くは観測されており、噴出した火山灰や噴石といった火山砕屑物が周囲に降り注ぐことで住居や農作物に甚大な被害をもたらしていた。「死の風」を意味するその山名も、こうした被害からいつしか呼ばれるようになったものである。しかしそうした火山活動は過去の物であり、ここ百年単位で、噴火あるいは噴火の兆しである地震などは観測されていない。
火山活動の減少に伴い、それと入れ替わるように姿を現したのが、蝕霞症候群の存在である。初めて人間において類似した症例が現れたのが約50年前だが、金属化したモンスターの死骸が確認されたのはそれよりさらに遡る。そしてそうした例が発見されたのは例外なくゾルバトギリ山麓である。これらのことから考えるとやはり、蝕霞症候群の被害を食い止めるカギはゾルバトギリ群峰にあると推測して間違いないだろう。仮に何の成果も得られないとしても、わずかな手掛かりにすがるしかない、それほどまでに状況はひっ迫していた。
その問題解決のために結成された調査隊の一員として私は飛行船に乗っていた。遠くに広がるのはゾルバトギリ群峰の特徴的な地形である、並のように反り返った切り立つ山の姿とその上に湧き上がるように鎮座する真っ黒い積乱雲。吹き付ける強風には霧雨が混じっている。
「あまり雨に当たるとお体に障るぞ、エリン教授」
そう私に話しかけてきたのは、厳つい儀礼用の甲冑とドレスを混ぜ合わせたような服装を纏った、まだ少女と言っても通じるぐらいの女性、アミカであった。その顔立ちにはまだ幼さが残るが、普段は宮廷に暮らす王女でありながらも実地たたき上げで我々調査隊の隊長に就任した女傑だ。
「お気遣いありがとうございます。隊長殿」
私はそう言うと、正面の積乱雲から目を下げ地表を見やる。我々の調査隊は私エリンを含めた、地理学・生物学といった諸分野のエキスパートからなる研究班、移動や拠点建造、種々の工業などを請け負う技術班、実地での行動を行い、ハンターギルドからの出向も多い行動班、そしてアミカ隊長直属の親衛隊、の四つからなる。
「ゾルバトギリ……。ここ数百年人間が住んでいない地ではありますが、それより更に前にはいくつかの街があったようですね」
眼下には森に交じって建造物の残骸がぽつぽつと見受けられた。かつて栄華を誇ったそれらの街も今では金属化したモンスターたちが陳列する廃墟であろう。
「そのようだな。かつての文明も大自然に還っていく。だが文明の痕跡を探ることも、何か蝕霞症候群の解明に繋がればいいのだが……」
自然に還り行く古代の残骸、これも蝕霞症候群に何か関係があるのかもしれない。点在する滅び去った遺構は、我々の文明の行く末を映しているように思えた。
不意に前方の積乱雲が脈動した。強まる雨足に雷鳴。刹那雷雲を貫いて飛び出してきたのは飛行船と見紛うばかりに巨大な「キノコ」とそれを追うように姿を現した飛竜種のモンスターだった。
ぶくぶくと膨れ上がったその傘からは気球を連想させた。しかしその後部に振り回された巨大な綱のような器官。凄まじいスピードで回転することでまるでスクリューのように力強い推進力をそのキノコに与えていた。
一方それを追いかけるように飛び掛かる飛竜。オーソドックスないわゆるワイバーン骨格をしているが、体躯に比してやや大きめに思われる翼、そして兜のように大きく盛り上がり発達した頭部の外骨格が特徴的であった。その両者の争いは、通常空の覇者として君臨する大型飛竜種が、縄張りを侵されたことに怒り、攻撃を仕掛けているように思えた。
しかし驚くべきはその巨大なキノコがただやられるだけでなく、巧みに飛竜に反撃を行っていることだった。力強く綱のような器官――菌類で言うのなら鞭毛だろうか?――を振り回すことで巧みな機動を見せるだけでなく、さらに数本の発達した同様の器官によって飛竜を打ちのめしている。耐えかねたか、飛竜が苦悶の咆哮を上げる。しかし負けじと傘の上側に飛び込み、その爪を突き立てる。ずぶりと爪が食い込み、まさしく気球が破れたように巨大キノコはその裂け目から空気に交じり胞子のようなものを吹き出した。
「まずい!全員口元を隠せ!」
濃い紫色の胞子をそのキノコが噴出したや否や、アミカ隊長が声を張り上げる。蝕霞症候群、その原因は「キノコやカビのような微細な胞子」である。なればこそこの未知の巨大キノコが今まさに噴出した胞子こそその原因かもしれない。そうでないにしても、飛行船と遜色ない巨体で自在に飛行するキノコという未知の生命を前に、取れるだけの防御を取るに越したことは無いのだ。
きりもみ回転しながら体勢を崩す巨大キノコ。一度距離を取った飛竜はさらなる追撃を掛けようと空中で体勢を整え、キノコに向けて突撃する。
「これはあの飛竜に軍配が上がるか……?」
「お言葉ですが隊長殿、キノコが自分を切られて痛がっていることを見たことがありますか?」
そう、キノコには少なくとも我々のような痛覚が存在しない。外見だけでキノコの仲間と私は判断したが、どうやらそれは当たらずとも遠からずのようだ。巨大キノコはダメージを意に介さず。飛び掛かる飛竜にカウンターの連撃を与えた。たまらず体勢を崩し飛竜は我々の乗る飛行船を掠める。その拍子に飛行船の先端が飛竜の片目を切り裂いた。鮮血を吹き出しながら墜落していく飛竜。その上を巨大キノコは先程とは打って変わって悠々と回遊していた。その姿は、これから我々が向かうゾルバトギリ群峰には全くの未知の生態系が成り立っていることを否が応でも感じさせた。
しかしそれだけでは終わらなかった。積乱雲の内側から放たれた高速の水流が巨大キノコを一撃のもとに叩き落としたからだ。悠々と姿を現したのは、先程墜落した飛竜と同種と思われる個体。だが、その体躯は先程までの個体とは異なり、さらに大きく堂々たるものであった。領空を侵犯する狼藉者を排除したその飛竜は轟々と咆哮し、その眼で我々を捉えた。それはすなわち、自らの縄張りを侵す邪魔者だと認識し、排除することを決定づけたということである。
飛行船の前に立ちふさがるように飛ぶ飛竜はその巨大な翼を広げた。曇天の中でも一際不気味に煌びやかにきらめく、その翼の内側は無数の胞子嚢が存在する異形のものであった。形容しがたいその光をぽつぽつと放つ様は、まるで一足先に夜空が訪れたようであった。
その翼から放たれたきらめく粒子は、飛竜が翼で扇ぐ風に乗り我々に降りかかる。まるで突然発生した砂嵐のようだ。微細な粒子が乗組員だけでなく、飛行船そのものにダメージを与える。たまらず目を閉じていた私だったが、一瞬、かろうじて目を開けることができた。私の目に映ったのは、疑問を浮かべたような表情を浮かべた飛竜の顔と、そこから放たれた高水圧の水流だった。
瞬間我々を襲う衝撃。飛竜が放った水流ブレスが飛行船に大きなダメージを与え、大きくバランスを崩し航行が困難な状態になってしまったのだ。こうなっては墜落は免れ得ない。大声で指示を出す隊長や乗組員たちをよそに、私は衝撃に備えた。
幸いにも墜落しての大爆発、部隊全滅ということは乗組員たちの決死の努力で免れた。何とか軟着陸したその場所は、ゾルバトギリ群峰の外輪山の中腹の高原といったところだった。しかし、我々の思い知った草木が生えた高原というものとはまるで異なっていた。そこは、草や木といった植物だけでなく、巨大化したキノコや粘菌類と形容するしかないものが生えた、異形の大地だったのだ……。
―続―
用語:ゾルバトギリ群峰
大陸内陸部に位置する山群。その名称は古代の言葉で「死の風の山」を意味する。歴史的にはかつては活火山地帯として観測されており、噴出した火山灰や噴石といった火山砕屑物が周囲に降り注ぐことで住居や農作物に甚大な被害をもたらしていた。しかしそうした火山活動は沈静化し、ここ百年単位で、噴火あるいは噴火の兆しである地震などは観測されていない。特徴としては、いわゆる主峰が一つあり、それを中心に周囲を取り巻くように同心円状に山々が並んでおり、その山々の形状が崖を下から見たように反りかえった、巨大な花輪あるいはキノコを無数に重ねたような歪なものであることが挙げられる。
火山活動の減少に伴い、それと入れ替わるように姿を現したのが、蝕霞症候群の存在である。
用語:蝕霞症候群
ゾルバトギリ群峰から放出される「蝕霞胞子」による気象被害・健康被害の総称。胞子からなる暗雲は日光を遮ることで食糧難を引き起こす。また、建造物はカビてしまい、住めなくなってしまう。胞子が生物の体内に入ると、軽症であれば咳や痰、頭痛や発熱、呼吸困難などだが、重症になれば筋肉が思うように動かなくなり勝手
に動き狂乱し、幻覚を見始めるようになる。最期には狂乱していた動きが止まり、その死体を放置していると、全身から毒の胞子を吹き出しながら、体が金属のように硬質化してしまう。現段階では有効な対処方法がない。
用語:調査隊
蝕霞症候群の被害に悩む王国が設立した部隊。地理学・生物学といった諸分野のエキスパートからなる研究班、移動や拠点建造、種々の工業などを請け負う技術班、実地での行動を行い、ハンターギルドからの出向も多い行動班、隊長直属の親衛隊の四つからなる。蝕霞症候群の原因解明と被害軽減のための調査が目的である。