ゾルバトギリ群峰を取り囲む密林「煌霞の樹海」には一般的な樹木だけでなく、この地域で初めて確認された分類「瘴胞種」が複雑かつ立体的に林立し、ユニークな生態系が成立している。今回紹介するのはその生態系の中で下位捕食者あるいは分解者としての役割を果たしている甲殻種「モリカイロウ」とその成体「クギョウカイロウ」である。
モリカイロウは光があまり届かない煌霞の樹海の地表付近や無数に生えた瘴胞菌樹の表面に数多く生息している。その大きさは、小型の幼生の物ならば人間の掌に収まる程度、大きくとも子供の背丈をやや上回る程度、中型モンスターよりも小さいものである。樹皮や土壌中に含まれる有機物を、ヤスリのような口腔で削り取り、主な食料として生活している。これには腐敗した生物の死骸や排泄物などが含まれている。モリカイロウはこうした成分を分解し、大地の生命循環に還す役割を持っている。
彼らの性格は非常に憶病であり、外部からの刺激を長い触覚で感じ取るとその薄い靴の様な平べったい甲殻の下から生えた脚を用いて高速で物陰に逃げこむ。または、その体を丸め込み、球体のような防御姿勢を取る。甲殻をすべて外側に向けたこの防御姿勢は並のモンスターの牙や爪では砕けない程非常に硬く、また転がることで逃げることにもつながる。
モリカイロウの甲殻はその大きさに比して非常に硬い一方、脱皮直後の肉体と脱皮後の殻は非常に脆い。脱皮直後の体表は水分を含んでブヨブヨとしており、ここから乾燥していくにつれて硬度を増していく。脱皮した殻は脱皮前の硬さから想像よりははるかに薄く、硬くはあるのだが簡単な衝撃で粉々に砕けてしまう。ここからは推測になるが、脱皮前のモリカイロウの甲殻の硬さは、硬質だが割れやすい甲殻の内側に柔軟な体組織があるからこそ、大型モンスターの攻撃でも簡単には割れにくいものになっているのではないだろうか。
モリカイロウが脱皮を繰り返し、より巨大な体格を有する成体として成長した個体が「クギョウカイロウ」である。その体躯は大型の鳥竜種や、これまで確認されてきた他の甲殻種と比較しても引けを取らない。成長に伴い甲殻は厚みを増し、側面は刃物のような鋭利さを持ち触れた細木なら容易く切断してしまう。一般的には、クギョウカイロウを中心にモリカイロウが十数匹集まり、小さな群れを作りながら生活している。あまり長い時間動くことのできないモリカイロウの幼生を背中に乗せて行動することもある。
基本的な気性及び生態は、幼体であるモリカイロウと変わらないが、ある程度の縄張り意識を持ち、縄張りや同族を侵す外敵に対して攻撃を仕掛ける様子も見られる。その場合は、幼生において防御行為であった体を丸める動作を攻撃手段として用いる。全身を丸め転がりながら外敵に突撃する様はまるで砲弾である。細かく転がる方向を変更し外敵を追跡するが、これには感覚器官である触覚による周囲探知が密接に関連しており、よく観察してみると球状に丸まった体の側面から触覚が突出している。これによって回転中でも周囲の状況を把握しているのだ。
実際の生活の様子を見てみよう。常に瘴気交じりの曇天に覆われているゾルバトギリ群峰だが、煌霞の樹海は瘴胞種の吐き出す瘴気が異様な発光を見せて不気味に明るい。その地表を一匹のクギョウカイロウが率いる群れがゆっくりと移動している。何匹かのモリカイロウはクギョウカイロウの背中に乗っている。彼らは新たな餌場を求めて移動中のようだ。前方には巨大な瘴胞種「ソラノスカビ」の立体コロニーだ。その表面にはバケモノカイダンやハヤシダンゴといった他の瘴胞種も群生しており、彼らにとってはまるで瘴胞種の盛り合わせといったところだろう。
だが、彼らの足取りを阻むものがいた。数頭のフルシュカがその瘴胞菌樹の前にたむろしていたのだ。モリカイロウはフルシュカにとってもいい餌であり、彼らは器用に甲殻を爪と嘴を駆使してはぎ取り、その中身の肉を啜るように食べる。フルシュカ達の横を通り過ぎようとしたクギョウカイロウ達だが、一頭のフルシュカがその長い爪でモリカイロウを小突いた。その拍子にモリカイロウ達は散らしたように逃げていく。
だが、逃げるモリカイロウとフルシュカの間にいくらか大柄なモリカイロウとクギョウカイロウが立ちはだかった。その様子を見てフルシュカ達はその鳴き声で会話を行い、数瞬の後にクギョウカイロウ達に襲い掛かった。切りかかるフルシュカ達の爪を、クギョウカイロウの分厚い甲殻が弾き返した。フルシュカとクギョウカイロウでは体躯が違いすぎる。それに伴う筋量にも絶対的な搭載量の差が存在する。クギョウカイロウの発達した前肢による薙ぎ払いが、先頭のフルシュカを弾き飛ばした。続けてモリカイロウ達も体を丸め突進する。同量の砲弾にも匹敵するその破壊力を受けたフルシュカ達は、今度は反対に這う這うの体で逃げていった。だがクギョウカイロウはそれを追いかけることはしない。むしろ、フルシュカ達を追い払うことができて行幸といったところだろう。地表を見れば逃げていたモリカイロウ達も戻ってきている。彼らはゆっくりと歩みを再開し、瘴胞菌樹に登っていった。
だが、彼らへの脅威はフルシュカ達だけではない。一匹のモリカイロウがびっしりと細い毛の生えた樹皮に触れた。瞬間、その部分はゼリーのような質感を持ちながら広がり、モリカイロウの全身を覆い隠した。瘴胞種「潜這胞」スマグリモである。スマグリモから分泌される粘液はモリカイロウの甲殻を溶かし、ゆっくりと捕食していく。その刺激性の体液は体内だけでなく体外にも染み出しているため、周囲からは触れることもままならない。スマグリモはこうして自分より小さな獲物を捕食して生活している。一方、自らの身体より大きいものは捕食しきれない。触れた部分だけを消化するにとどまり、逃げられる事の方が多い。
クギョウカイロウ率いる群れが、運悪く「穿甲虫」ズワンジアに遭遇した。ズワンジアは、目につくもの全てに襲い掛かり、口にできるもの全てを捕食するという獰猛な性格のモンスターだ。当然、クギョウカイロウもその捕食対象の例外ではない。既に、ズワンジアの強靭な腕にモリカイロウが捕らえられ、口元には嚙み砕かれた甲殻が散らばっている。唾液を撒き散らしながら咆哮するズワンジアに対し、クギョウカイロウも触覚を開き臨戦態勢を取る。
最初に動いたのはクギョウカイロウの方だった。体を丸め、ズワンジアに向けて転がりながら突進する。全身を強固な甲殻で覆った突撃を、しかしズワンジアは臆することなくその巨大な角でクギョウカイロウの突進を力づくで弾き返した。だがクギョウカイロウも負けてはいない。側面に飛び出した触角を頼りに態勢を整え、再度突撃する。クギョウカイロウの甲殻の側面は鋭利な刃物状になっている。狙うはズワンジアの後ろ側面の尾葉、ズワンジアの主要な感覚器官である。
だが、ズワンジアはその突撃を跳躍によって回避する。ズワンジアの強靭な後肢に支えられた跳躍力はゾルバトギリ群峰に生息するモンスターの中でも特筆したもの。ひらりとクギョウカイロウを飛び越え、その着地でさらにモリカイロウを踏み潰す。その咆哮はどこか誇らしげに聞こえる。
さらなるズワンジアの突撃。頭部に戴く巨大な角に衝撃が集中している。一閃。クギョウカイロウの丸まった全身を力強く弾き飛ばす。ズワンジアの突進を受け、巨大な菌樹にぶつかるクギョウカイロウ。見ると、その強硬な甲殻も一部が欠けてしまっている。だがしかし、起死回生の更なる突進。ズワンジアの着地後の隙を狙い放たれたそれは的確にズワンジアの前面の甲殻を打ち抜き、尾葉を破壊した。苦悶の叫びをあげ飛び去っていくズワンジア。対するクギョウカイロウの全身もボロボロである。だが、クギョウカイロウがズワンジアを撃退するというのは、生態系において非常に希少な事象である。この個体は非常に強力かつ幸運な個体であると言えよう。
――今まさに、彼らの天敵である「装殻竜」スロインツァが現れなければの話であった等の話だが。
クギョウカイロウは湿地や湖沼といった水が豊富な場所を巣窟としている。逆に言えば、水源がなければ生息はままならない。そして、暗くじめじめとした場所を好んで生活している。そういう意味で言うならば、常に曇天に覆われたゾルバトギリ群峰は、彼らの生活に非常に適した環境であると言えよう。煌霞の樹海の地表近く、瘴胞種や樹木が複雑に生える隙間に一匹のクギョウカイロウが潜んでいた。その腹部には無数の卵を抱えている。薄く透けた乳白色のそれの一部はぷるぷると震えている。周囲を見るとまた別のクギョウカイロウがゆっくりと徘徊している。警戒しているようだ。どうやらこの二匹はつがいのようらしい。卵を腹部に抱えたメスの周囲を、オスが護りながら警戒している。
クギョウカイロウは大型モンスターとはいえ、食物連鎖においては下位に位置し、天敵も多い。そのため、彼らの出産はそうした外敵が入りにくいような瘴胞菌樹の隙間で行われる。クギョウカイロウの卵は非常に柔らかそうであり、突いただけで壊れそうだ。クギョウカイロウがその腹部に抱卵するのは、脆い卵を外敵から保護するためであろう。
今まさに、メスのクギョウカイロウが抱える卵が一斉に震え出した。卵の殻が裂け、小さなモリカイロウの幼生がぽとぽとと地表に落ちていく。その形状自体はモリカイロウをただ小さくしただけであり、幼生期特有の外部器官などは見られない。色だけが薄いやや透けたような薄黄色をしていることがモリカイロウとの違いである。クギョウカイロウは一度に五十から七十匹程度の幼生をこのようにして産卵する。産み落とされた幼生はすでに移動や食事といった最低限の行動が可能であるが、個々の組織についてはまだまだ未発達である。そのため、脱皮を繰り返して甲殻などの諸器官をより精巧かつ強固に発達させていく。そうした脱皮の果てに成体であるクギョウカイロウに至った個体は非常に強靭である。
モリカイロウの幼生たちは自己を育んだ卵の殻を周囲の土と混ぜ合わせながら食べていく。既に割れた卵殻は柔らかく食べやすい。そして周囲の土から必須なミネラルを摂取していく。生まれたてのモリカイロウの甲殻はブヨブヨとしており非常に弱い。しかし、土壌中に含まれるミネラルを摂取することと乾燥に伴い、次第に硬度を増していく。生後初の食事を終えたモリカイロウの甲殻は透明感がなくなり、茶褐色の硬いものとなる。
産み落とされたモリカイロウは親であるクギョウカイロウの周囲に集まり、あるものは甲殻の上に登っていった。産卵を終えたクギョウカイロウは体力を回復するために、餌を求めて移動していく。クギョウカイロウの歯は削ることに特化しており、嚙み砕くといった行為はできない。そのため、立体的に複雑に交差した瘴胞菌樹の枝ではなく、削りやすい太い幹の方が食しやすい。そうした大きな菌樹を探し、クギョウカイロウの群れは薄ら明るい樹海の地表をひっそりと移動していくのである。
―続―
クギョウカイロウ
種族:甲殻種(十脚目 長尾下目 甲掛蝦上科 カイロウ科)
別名:甲掛蝦(こうかけえび)
危険度:☆3
生態・特徴
全身を硬い甲殻で覆った、平べったい形状が特長の甲殻種。性格は基本的に温厚かつ臆病。腐敗した生物の肉や排泄物、樹皮に含まれる有機物を主食として生活している。危険を察知すると体を丸め、全身の甲殻を外部に集中させた球形をとり、自己防衛を行う。
素材
・甲掛蝦の甲殻
クギョウカイロウの全身を覆う甲殻。表皮のみでは脆いが、その下の皮ごと剥ぎ取ることで、柔軟かつ強靭な素材となる。
・甲掛蝦の脚
クギョウカイロウの全身を支える脚。煮込み、火を通すことで食用となる。
・甲掛蝦の堅爪
クギョウカイロウの脚の内、前方に飛び出た一対の脚部。とりわけ甲殻が分厚くなっている。
・甲掛蝦の鋭刃
クギョウカイロウの甲殻の側面にある鋭利な部分。そのままでも細木程度なら切断できる。