モンスターハンター 蝕霞の禍神   作:EpoMeta

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第13話 「濁淵の湖沼」

 ゾルバトギリ山麓に広がる広大な自然への調査活動は日に日にその範囲を拡大していた。市街地遺構から山沿いに煌霞の樹海を抜けた先には、蝕霞胞子が泥になり沈殿した湖沼と湿地帯が存在していた。樹海とはまた異なる風景と生態系を持つそこを、現地に住まうシェヴルー達は「濁淵の湖沼」と呼んでいる。

 

 獣竜種の下半身と飛竜種の上半身をそのままもぎ取り、合体させたかのような異様なモンスター、「隻眼モルドゥギラス」を追跡する我々調査隊がたどり着いたのは、ゾルバトギリ群峰の山麓に大きく広がる湿地帯と湖だった。その土壌は蝕霞胞子と水分が混じった泥が地表に現れており、そこにさらに瘴胞種の残骸や胞子が堆積している。だが、煌霞の樹海において生息するソラノスカビ、イエノカサなどの大型瘴胞種の姿はほとんど見られず、小型の草木や花々、小さな瘴胞種、湿潤な環境に適応した植物が鬱蒼と生い茂っている。そういう意味では、煌霞の樹海と比較して、我々の知るような環境に近い。水が多く溜まった湿地がいくつも点在している。全体として高低差は少なく、平坦な地形だ。

 さらに奥に進むと巨大な湖がある。その湖から生えるようにゾルバトギリ群峰の外輪山がそびえ立っている。煌霞の樹海からも見えた薄桃色の岩塩層はここでも見て取れる。山によって不整合な形状になっているが、その湖の形状を見るに、おそらくはかつて火山の噴火により、大きく地面が陥没した場所に水が溜まったものだと推測される。歴史的には、ゾルバトギリ群峰はかつて火山として知られていた。その頃の名残を残す地形だろう。その水量はゾルバトギリ群峰に降る雨と地下の湧水から支えられている。おそらく更なる地下に存在する地下水脈から、火山熱で変性したセジメンゾルバタイトの輸送機能を通じて地下から水をくみ上げているのだろう。この湖の面積は非常に大きく、正確に測量したわけではないが、市街地遺構が丸々入ってしまいそうなほどの大きさだ。

 この湖からはいくつかの川が流れ出ている。その多くは近くの湿地の水源となるが、一部は煌霞の樹海の方に流れ込み、その土地の生態系を支える水源となっている。一方で、ゾルバトギリ群峰の上部からはさらにこの湖に向けて水が流れ落ちている。山間部上部には岩塩の地層が見て取れるが、このフィールドの湖沼水域の塩分濃度は基本的には低く、これは岩塩層を通過する水分量に対し、地下からの湧水量が圧倒的に多いため、塩分濃度が希釈されているためである。そのため、塩化ゾルバタイトが地表に露出しているということはない。小型の草木が生える地表面を下に掘り進めると、ゾルバタイトの栄養収集力を頼りにした小型瘴胞種の群れが高密度に絡み合い、その隙間を埋めるようにゾルバタイトの泥が蔓延り、分厚い地層を形成している。

 

 シェヴルー、ビシャクの案内でこの「濁淵の湖沼」にたどり着いた我々調査隊は、まず現地に住むシェヴルー達の住処に向かった。この地域に住むシェヴルー達は定住を行わず、簡易住居を持ち運びフィールド内を転々としながら生活している。樹木からなる骨組みに、大型モンスターから剥ぎ取ったと思しきなめし革を被せた簡易住居が彼らの住処だ。その場所は一定しておらず、ビシャクもこのフィールドを訪れることは久しぶりであったため、その道中は簡単なものではなかった。

 

 煌霞の樹海の菌樹林を抜けた先には、薄暗くじめじめとした湿地帯が広がっていた。その気温は人間には低く、またゾルバトギリ群峰における日照時間の少なさからさらに体感温度は低い。全体的に濃密な霧に覆われ見通しは悪い。ぬかるんだ地面には細く背の高い草木が茂っている。その高さは人間の腰ほどまでもある。もし何か落としてしまったら、見つけるのは困難だろう。

『気を付けろ。草に隠れて沼があるかもしれないからな』

 ビシャクが注意を促す。足元はぬかるみ不安定。いつ何かに躓いたり落ちるか分からない。今歩いている土の上に生えている草が急にない場所は、下が生育に適した土壌ではない、つまり水辺である可能性が高い。しかしそればかりを頼りにするのはあまりに不安である。

『そうだ、アレがあるのを頼りにしよう』

 何か思いついたようにビシャクはそう言うと、手にした剣で遠方を指した。その先には、一頭のフルシュカの遺骸が残されていた。立ったまま微動だにしないその表面は金属のように硬質で、一部には菌糸のような形状も見て取れる。ゾルバトギリ群峰では見慣れた、蝕霞症候群による犠牲者の末路の姿だ。呼吸器不全の末、全身を金属質の菌糸に置換され死亡するのが蝕霞症候群である。その硬質化した遺骸は、一般的には風雨やモンスターなどによる損傷で一月でも残ればよい方だが、保存状態が良ければ長年残り続ける。呆然と立ち尽くすフルシュカの遺骸はおそらく最近のものであろう。

 なるほど、ビシャクはこの固まった遺骸を、湿地帯を進む道標代わりにしようというのだ。遺骸がそのまま立っている場所は、その下の地面も無事であるということであり、我々も安定した歩行ができる。霧の中目を凝らして見るとフルシュカ以外にも、ビアドン、モリカイロウなどの硬質化した遺骸がちらほらと見つけられた。

足元に気を付けながら、我々は遺骸に沿って歩みを続けた。草木が倒された跡、と思いきやよく見ると大型モンスターの足跡、ということもあった。隻眼モルドゥギラスかあるいは、その下半身と瓜二つの形状を持つ獣竜種「スロインツァ」の痕跡だろう。そうした大型の獣竜種もこの湿地を移動しているのだろうか。我々人間にとって致命的な深さの水辺も、彼ら大型モンスターにとっては浅瀬程度でしかないのかもしれない。

 おっかなびっくり一歩一歩踏み出した足のすぐそばには、大きな沼があった。霧の中からゆっくりと姿を現したのは、ゾルバトギリ群峰特有の小型甲虫種「ヌマスマシ」の群れだ。小型と言えどもその細い脚部を広げれば人間の子供ほどの大きさをもつそれらは、脚部から分泌される油分を多く含む体液により、水面を常に浮いたまま移動している。ヌマスマシ達は沼の表面を滑るように移動している。幸い、こちらには気づいていないようだ。蝕霞胞子や瘴気、毒性を持つゾルバタイトが混ざり、粘度が高い沼の水であるが、彼らはそれを意に介する様子なく、滑らかに移動していく。ヌマスマシが高速で動き回る場所は沼の上なので、できる限り近づかないように、我々はひっそりと歩いていく。どこからともなく湧き上がる霧が視界を奪い、不快な湿気を我々にもたらしている。だがそれでも、我々は一歩一歩進んでいく。

 

『あそこが湖の民の長の家だな。ここまで長かった』

「全くだ」

 前を歩くビシャクとアミカ隊長が疲労した様子で話している。目の前には一際大きいシェヴルーの住居がある。シェヴルー達の住処は一定していないとはいえ、選ぶ場所自体の傾向は存在する。モンスターから見つかりづらく、過剰に湿気を溜め込まない通気性の良い場所を彼らは好む。我々がたどり着いたこの風穴もそういった場所の一つだった。皮をなめしたその外膜が、ゾルバトギリ群峰に吹きすさぶ風を受けバタバタとはためいている。天井の裂け目から僅かばかりの光が差し込み、風穴の内部は煌霞の樹海にも見られたような輝く瘴胞種が光を放っている。

『や!久しぶりだね、ビシャク。元気だった?』

『湖の民の長、アクティ様。お久しぶりです。こちらは相変わらずで』

 外膜をばさりとかき分けて現れたのは、ビシャクよりもやや大柄な一体のシェヴルー。彼ら特有の二本角をさらに覆う角飾りと太陽のような文様を施された仮面を被っている。彼女がアクティ、湖の民の長であるという。鐘を鳴らしたような響く口調で彼女は続ける。

『聞いてるよ、ビシャク。そこの人間にゾルバトギリを色々案内しているそうじゃない?概ねここにもその目的で来たんだろう?』

『ええまあ……。可能であればここもこの人間達の調査を許してほしい』

『うん、いいよー。命の保証はできないけど、ここまで来れるってことは最低限の適応はできてるでしょ』

 深々と頭を下げるビシャクに対し、アクティは気軽そうに返す。それに、むしろビシャクはあっけにとられたようだった。

『宜しいのですか?アクティ様』

『様はよしてよ、君と僕との仲だし。それにあの頭の固いマオウ長老が君にこれほど自由な行動を容認するほど、状況が切迫しているということなんだろう?』

 そう言うと、アクティはこちらを値踏みするようにぐるりと見渡した。

「ああ、その通りだ。蝕霞胞子は我々が住む遠くの地にまで影響を及ぼしている。既に大勢が犠牲となり、そしてそれはあなた方シェヴルーにとっても同様のことだろう。我々の調査に協力していただけるというなら非常にありがたい。こちらも蝕霞症候群のいち早い解明を以て、あなた方に尽力したい」

 先程まで疲労困憊であったとは思えない力強い口調で、アミカ隊長はアクティに宣言した。その力強さは、アミカ隊長の数倍の体躯を持つアクティに対しても何も物怖じしないものであった。

『そいつは心強いや。せいぜい死なない程度に頑張りなよー。細かいことはそこにいる僕の部下に聞いていいよ』

 アクティはそう言うと、周囲をその指で示した。いつの間にか、数体のシェヴルー達が長の天幕を囲むように立っていた。それは我々を監視するかのようである。

「ご協力感謝いたします。これからもよろしくお願いします」

 アクティに向けて、私は手を差し出した。それが握手を求めているものだとアクティは気づいたようで、少し遅れて私の手を掴んだ。

『ふーん、君が評判のエリンちゃん?噂は聞いてるよ、何でもギルスペインが目当てらしいね』

「はい?どうしてそれを?」

『先に言っておくけどここにギルスペインに繋がるようなものはないよ。あれは本当に危険だから、それこそ僕たちが住まないような場所にやっと手掛かりがあるんじゃないかな』

 そう言いながら、アクティはゆっくりと体勢を下げ、私を正面から見据えた。仮面越しでも、強い視線を感じる。その圧に少し私はひるんだが、だがその仮面の奥の眼球をしっかりと見つめた。

『ビシャクをひどい目に合わせたら、承知しないんだから』

「え?もちろんそれはそのつもりですけど……」

 予想外のアクティの言葉に、私は思わず驚き、目だけで周囲を見渡した。ビシャクは私と同じように驚いた様子であり、アミカ隊長はやれやれといった感じだ。周囲のシェヴルー達もアミカ隊長と同様に少し和らいだ雰囲気を見せている。

『アクティ様また始まったよ』『ビシャクさんが来るといつもこれだからな……』

『ちょっと!君たち!うるさいよ!ほら、とっととこいつ等と出ていって!』

 シェヴルー達の小声での話がアクティの耳にまで届いてしまったのか、彼女は苛立った様子でシェヴルー達含め我々を天幕から追い払った。ドタバタと追い出される我々。

『ビシャクさんの来客だというのに申し訳ない。長はビシャクさんが来るといつもこんな感じなんです。普段はもうちょっと威厳があるのですが』

『こちらこそ気遣い感謝する。アクティの相手をするのも大変だろう。エリンたちもあまり気にしないでくれ』

 付き人のシェヴルーが我々に軽く詫びる。ビシャクは少し困った様子で返した。どうも話を聞いていると、アクティはビシャクが絡むと、あのようなかたくなな態度になるということらしい。おそらく、それだけ彼女にとってビシャクが重要な存在なのだろう。ビシャクはシェヴルー達の間でも信頼篤く、市街地遺構に住む民の次期族長として扱われている。だが、彼女がビシャクに向ける感情はそうした友愛とはまた別の感情のようだった。

「ありがとう、ビシャク。アクティさんとは知り合いなの?」

『まあそんなところだ。昔からの馴染みというか……。だからあまり湖の方には来なかったのだがな』

 私の質問にビシャクは毛を撫でながら答える。シェヴルー達の社会文化についてはまだまだこちら側は理解が及んでいない所はあるが、我々の文化に照らし合わせてみると、彼らは幼馴染といったところだろう。シェヴルー達同士でも我々人間に通じる交際関係があることを実感し、私は微笑ましく感じ思わずほころんだ。

 

 何はともあれ、長であるアクティの許可を受けて、我々調査隊は濁淵の湖沼における調査活動を開始した。だが、常に移動し続ける湖の民の生活サイクルを尊重するため、市街地遺構及び煌霞の樹海での調査と比較し、少人数による活動を主とすることとなった。そうして削減された人員については、既存のフィールドの再調査を行うこととした。特に、「クグツダケ」や蝕霞のメカニズムについての研究が優先された。クグツダケ自体は文献情報こそ市街地遺構の図書館に記されていたが、その外見など未だ不明瞭な情報が依然として存在する。それらについて、よりはっきりと調べる必要がある。それは私一人でできるものではなく、ある程度の人手を要する。

 そもそも、我々調査隊の主目的はクグツダケについての解明やゾルバトギリ群峰の生態系に関する調査ではなく、あくまでも「蝕霞症候群」の解明と感染拡大防止である。そうは言っても、蝕霞胞子飛び交うゾルバトギリ群峰に生息するモンスターの生態調査はそうした目的と密接に関連しているため、調査は不可避である。しかし、単なる調査で終わるのではなく、その中から有効に活用できる情報を取り出していく必要がある。例としては、シェヴルーの技術を応用した簡易浄化装衣がある。

 一方で、残された調査隊メンバーは、湖のシェヴルー達と協力しながら、このフィールドの生態系についての調査を進めた。これまでのゾルバトギリ群峰におけるフィールドの例に漏れず、その生態系は我々の常識では測り切れない未知のものである。だが、煌霞の樹海のように昼夜問わず発光性の胞子が飛び交っているわけではないので、ゾルバトギリ群峰特有の曇天もあり、夜は非常に暗く、夜間における調査は特に難航を極めた。

 

 これまでのフィールドでも確認できたフルシュカ、ビアドンやモリカイロウもこの地域における出現が確認されている。フルシュカの長ドスフルシュカ、モリカイロウの成体クギョウカイロウやそれを餌とする獣竜種スロインツァ、生態系の頂点たるモルドゥギラスといった大型モンスターもこのフィールド出現している。だが、それ以外にも、このフィールド特有の豊富な水資源を背景とし、それに適応したモンスターも数多く生息している。長い脚の先端に生えた体毛による表面張力を利用し、水面を滑るように移動する小型の甲虫種「ヌマスマシ」はそうしたモンスターの一種だ。脚部を巧みに扱い水面を移動しながら、発電性の魚類イナヅマスや、鞭毛をスクリュー状に活用し水中を移動する小型瘴胞種「メイストキン」などを捕食する肉食性のモンスターだ。この水面移動を真似しようとしたシェヴルーがかつており、ヌマスマシの脚を集めた靴を作り、同様に水面を歩こうとしたらしい。結果は失敗し、一瞬で湖に沈みモンスターに襲われたが、何とか一命をとりとめたとのこと。もう何百年も前の話らしいが、シェヴルー達の間で湖の危険性を伝える教訓として長く語り継がれているとのことである。

 四枚の翅を振動させ高速で飛行する小型甲虫種「ムザベランマ」はヌマスマシやモリカイロウなどの小型モンスターを好んで捕食する。硬質な外骨格で覆った細長い身体から突出した四枚の翅は透明であり、振動させるとまるで視認することができない。その飛行能力は飛竜種などとは方向性が違うもので、高速での移動からの急停止、バック、直角に近い方向転換など、機動性において非常に卓越している。そしてその一日をほとんど空中で過ごす。浅瀬から大量に現れることもあるが、群れを作っているわけではなく、各々が独自の行動をとる。食性は完全に肉食であり、すばやい移動で獲物に近づき、掴む行為に発達した脚を用いて対象を拘束し、強靭な顎で甲殻ごとむしり取るように食べるのだ。

 だが、これらの小型モンスターも大型モンスターの前では等しく餌となる。両生種「ワラルミドー」はそうした浅瀬における捕食者の一種である。平べったい体形をしたワラルミドーは、全身から分泌した体液を用いて泥や草を体表に付着させ風景に溶け込む。そして長く二股に分かれた舌部を伸ばして獲物を音もなく捕らえ一飲みにするのだ。

 浅瀬には他にも大型モンスターである甲殻種「ラセツギリガ」が生息している。これは姿を隠しながら狩りを行うワラルミドーとは対照的に、積極的に獲物に襲い掛かり捕食行動を行う。従来知られた大型甲殻種とは異なり、その背中にヤドを背負わず、全身を分厚い甲殻で覆っている。甲殻の重さもあってかその動きはあまり機敏ではないのだが、それを補うためか腕の四本が鋏状に進化しており、その広い可動範囲と攻撃密度を以て、動き回る獲物を追い詰め、捕らえ、捕食するのだ。これら二種とスロインツァが代表的な浅瀬や沼における上位捕食者である。

 

 一方で、巨大な湖の水中にはまた違った生態系が構築されている。ヒゲヅラゴケの近縁である緑藻「ミズヒゲゴケ」などに混ざり、管状のものがいくつも湖底から生え、チカチカと光っている。これは瘴胞種「ダクキイレ」であり、イナヅマスやメイストキンなどを管の中に誘引し、そのまま溶かし喰らうのである。また水中には無数の鞭毛を生やしたキノコあるいは風船のようなものがゆらゆらと漂っている。これは瘴胞種の群体「オクゲモド」である。サイズこそ異なるが外見は大型瘴胞種「サマニタリア」と類似している。がしかし類似しているのは外見だけであり、飛行後は能動的な捕食行動を行わないサマニタリアに対し、オクゲモドは水中を漂いながらもその鞭毛で周囲の環境を敏感に察知し、水中にある生物の死体を感知すると、それに瞬く間に群がり、すぐさま分解してしまう。これらの瘴胞種は水中に混ざり沈殿している蝕霞胞子を敏感に摂取し、利用しているのである。浅瀬に住む大型モンスターの内、ワラルミドーやラセツギリガはまれに水中に現れることもある。

 この湖の生態系の頂点に位置するのが巨大魚竜種「マグダレス」だ。翼を広げた大型飛竜種以上の巨体を誇るそれは、完全に水棲に特化した成長を遂げており、翼部や脚部は鰭として僅かばかりの名残を残すばかりである。全身を分厚い脂肪で覆ったマグダレスは生体電気の発電器官が極めて発達しており、常に微弱な電気を用いて周囲の環境を把握している。獲物を捕らえる際には発電した電気を放出することで対象を感電させる。マグダレスの縄張り意識は強く、この湖全体がマグダレスの縄張りと言っても過言ではない。縄張りを侵すものは何であっても容赦はなく、水面から空を飛ぶ飛竜モルドゥギラスに襲い掛かったという証言もシェヴルーから挙がっている。こうした獰猛さからシェヴルー達の間ではマグダレスは湖の主として非常に恐れられている。だからこそ、湖の恐ろしさを伝える教訓話が長年伝わっているというわけだ。

 

 湖の民の行動に同行している中で、彼らの生活様式を垣間見ることができた。湖の民は定住せず移動を繰り返す生活を送っている。これには煌霞の樹海や市街地遺構のような定住に適した場所がこのフィールドには乏しいということや、食事に適した植物などが他フィールドと比べ豊富であることなどが背景として挙げられる。瘴胞種の内食用となるものはそのほぼ全てが加熱の必要があるが、植物は熱を通さずシェヴルーの食用とできるものが多い。シェヴルーも他の一般的な獣人種と同様に雑食性であり、植物の種子などを食用にできる。無論、蝕霞胞子による汚染とは無縁ではないのでその点に関しては留意する必要がある。また、イナヅマスなどの生態系下位に位置する生物は胞子の毒性の生物濃縮は低く、適切に血抜きを行い、塩水による処理を行うことで食用とすることができる。また、水辺に生息する藻類「ミズヒゲゴケ」はヒゲヅラゴケと同様に浄化された大気を放出する性質があり、水中であってもこれを用いることで息継ぎをすることができる。これを用いることで、一部のシェヴルーは水中で小型魚類などを狩猟する。また、これは普段使いされるシェヴルーの仮面にも組み込まれており、そのため湖の民の仮面は他のシェヴ

ルー達と比較しても性能が良く、移動生活を行うに十分なものである。

 各地を転々としながら狩猟採集生活を営む湖の民では「教育」が重要なファクターされており、ある程度の時間を割いて共同体内での教育活動が行われている。その内容は瘴気の危険性や食料の調達など生活に必要な知識などの他、歴史などについても触れられることもある。先に述べた、ヌマスマシの脚を集めて湖を歩こうとしたシェヴルーの話「ヌマスマシ長者」もそうした話の一つである。これと似た民話は古代ゾルバトギリ人にも伝わり、人間の書籍「ゾルバトギリの伝説・民話集」にも収録されている。

 その教育はシェヴルー達の幼年期から始まり、教師としての務めを果たすのは群の大人たちだ。シェヴルーの子供たちは成体に比べ体躯も小柄で人間のサイズとそう変わらない。それでもなお、他の獣人種と比較すると大柄と言える。シェヴルーの象徴たる角は未だ成長しきっておらず、頭部からわずかに伸びる程度だ。そうしたシェヴルーの子供たちが一つの天幕の中に集まり、生存のための様々な知識を取得し、学びを深めていくのである。

 

 私は湖のシェヴルー達に、デルドゥーガ、あるいはモルドゥギラスの上半身からスロインツァの下半身が生えたような謎のモンスターについて聞いて回った。デルドゥーガという、本来このフィールドに生息していないモンスターの目撃情報はその珍しさから比較的に多く記憶されていた。手傷を負ったデルドゥーガは、逃げるように湿地を抜け、遠くに移動していったという。また、モルドゥギラスについては、このフィールドにおいても存在が確認されている。だが、我々が見たような異形のモルドゥギラスについては彼らは知らないという。希望的観測を語るのならば、モルドゥギラスとスロインツァの目撃情報の中に、異形のモルドゥギラスについて隠れているのではないだろうか。フィールド全域を覆う深い濃霧の中では、大型モンスターの全体をはっきりと捉えることは困難である。その中で、異形のモルドゥギラスについての情報が、通常のそれらの情報の中に紛れているのかもしれない。

 

 デルドゥーガが逃げ去っていった方向には、「ヅサマの鏡」と呼ばれる湖がある。湖の民は定住せずに狩猟採集生活を営んでいるのだが、全く無計画に移動を行っているのではなく、ある程度決められた場所を規則的に移動している。その生活の中心であるのが、かつて古代ゾルバトギリ文明において「ヅサマの鏡」と呼ばれた塩湖である。「ヅサマ」というのは古代ゾルバトギリ語において「広がり」「命」などの意味合いを持つ言葉である。ゾルバトギリ群峰において、「塩水」というのは生活面において非常に重要なファクターだ。群峰全域に岩や砂礫、微小な泥など様々な形で存在する鉱物「ゾルバタイト鉱石」を変性させ、より硬質で扱いやすいものへと変える。通常のゾルバタイトは独自に栄養源を収集する特性を持ち、瘴胞種にとって貴重な栄養基盤となるが、他の生物に付着するとその効果により不必要に栄養分を奪い取り、健康に悪影響を与える。そしてこれを放置していると、蝕霞症候群の身体金属化現象がより早く進行してしまう。そのため、シェヴルー達は時折塩水で全身を洗い流し、清潔な状態を保っている。ゾルバトギリ群峰の岩塩層から塩水が流れ蓄積した塩湖であるヅサマの鏡は、そうした意味でも生活に必需な存在である。

 丁度シェヴルー達がヅサマの鏡を訪れるというので、その道中に同行させてもらえた。

『それでねー、ビシャクが子供の時にうっかり尻尾でスマグリモに触っちゃって、危うく食べられるところで』

「えええ!?それでどうなったんです?」

『ピターン!って尻尾を伸ばして事なきを得たんだけど、毛がチリチリになっちゃって今思い出しても笑っちゃうよねー』

「それはやばいというか、ビシャクにそんな時代があったなんて……ふふふ」

『やめろ恥ずかしい』

 調査を通じてアクティと私はすっかり仲良くなっていた。アクティは湖の民の長というだけあってこのフィールドの動植物や歴史など様々な分野に詳しい。こうしてシェヴルー達の文化についての話やビシャクとの昔話をして我々を楽しませてくれる。ふと、アクティが前方の霧の中を指さした。よく見ると、ずらりと無数の穴が山肌の中に空いている。

『エリンちゃん。あれが霧の源「噴熱孔」だよ。山の地下で熱された水が蝕霞胞子と混ざって水蒸気となってモクモクと噴出してる。その熱がゾルバトギリ群峰の風で急に冷やされることで絶えず霧を生み出してるんだ』

「ゾルバトギリ群峰に地熱?この山はもう火山活動は起きていないはずですが」

『火山?あー煙だったり燃える水が流れる奴?私も直接見たことはなくて本で見ただけかな。でも似たようなものは地下の洞窟に流れてるよ』

「地下に?」

 私はそう言いながら噴熱孔を覗き込もうとした。が、その首をアクティに止められる。

「おわっ」

『危ない。霧は蝕霞胞子の塊だから直接浴びると流石に死ぬよー』

 そのまま私は地面に放り出される。九死に一生のところだったようだ。

『結構エリンちゃんって命知らずなんだねー。そういうところビシャクにそっくりね』

「エリン教授はそういう人だ。全く好奇心旺盛で」

 そう言いながらアクティはクスクスと笑う。アミカ隊長は慣れっこのようで、装衣の隙間から見える目元がほほ笑んでいる。

「んん、危ない所を助けて頂いて。ところで地下に地熱が?」

『そう。こことは違うフィールドになるけれど、地下にそういうフィールドがあるから今度行ってみるといいよー』

 ゾルバトギリ群峰におけるフィールドワークは順調でこそあるが、まだまだその範囲は決して広くはない。未だ我々は主峰の周囲を同心円状に囲む外輪山のふもとまでしか調査出来ていないのである。それぞれのフィールドを半ば程から裂くように伸びて反り返るゾルバトギリ外輪山を突破する方法は、飛行船が使えない今、全く見当がつかない。

 

『記憶が正しければそろそろ見えてくる頃だな』

『ビシャクがここに来るのは何年ぶりだったかな、おーアレだ』

 そうこうしているうちに、我々は「ヅサマの鏡」にたどり着いた。曇天のゾルバトギリ群峰の姿を水面に湛えたその巨大な湖は、まさしく巨大な鏡のようだった。山の斜面間近にあるその塩湖は、山から吹き降ろす風を受け絶えず表面を揺らめかせている。

「ここが『ヅサマの鏡』……。なんて美しいの……」

 蝕霞胞子やゾルバタイトを取り込み淀んだ他の湖沼とは異なり、ヅサマの鏡の水は紅玉色に透き通り、水底まで見通せそうだ。それは、小型の甲虫種や魚類などの生命の痕跡をまるで感じさせない、極限環境であることを示唆している。浜辺はなく、湖面の水際には塩化ゾルバタイトの巨大な結晶が所狭しと析出している。水面からも塩化ゾルバタイトが柱のように幾本か突き出している。その姿はどこか祈りをささげる人間のようなシルエットに見えた。おそらくは、湖の民のシェヴルー達と同様に、ゾルバタイトの体表からの排除や塩化加工に用いられていたのだろうが、それについての資料は今のところ散逸しており、アクティも古代ゾルバトギリ文明人の文化や風俗についてそこまで詳しくは知らないということだ。

 この塩湖は湖の民が確認する唯一の高濃度塩湖である。煌霞の樹海にもわずかに存在する塩水の流出孔は、ゾルバトギリ群峰における湖沼や湿地帯、河川などの総水量に比べると異様に少ない。というより何か意図的に「排除」されているように感じる。それはこのヅサマの鏡の形状を見ても感じ取ることができた。自然界による浸食などでは想像できない程、その外径は真円形状に近い。まるで何かがその形に整えたようだ。言葉を選ばずに言うなら「人工物」のようである。その形状に古代ゾルバトギリ人は更なる神秘性を見出したのかもしれない。

 ざぶん、と水音がした。音がした方向を見るとアクティや随伴したシェヴルー達が沐浴を行っている。体毛や角を撫でるようにして、微細な蝕霞胞子やゾルバタイトを掻き出している。それらは塩湖に吹き込む風に流されて湖面の水際にどんどん堆積していく。その様子は以前我々が樹海における聖地「聖樹林」を訪れる際に行ったものと類似しており、シェヴルー達にとっての重要な儀式であることをたやすく想起させた。異なる文化圏の儀式を、我々は黙って見守るしかない。アクティは自身の身体を洗いながら、手にした柄杓のような道具で、桶に塩水を掬い取っている。日常生活に活用するためだろう。

 

 ふと、湖の周辺に目をやると、比較的新しい大型モンスターの痕跡を見ることができた。深く沈みこんだその足跡はその歩幅などから考えると牙獣種のもの、とりわけ体重の重い重量級のモンスターだろう。おそらくは「デルドゥーガ」のものだ。未確認のモンスターの可能性もあるが、この足跡の形状からデルドゥーガと推測することが自然である。その足跡は湖のほとりに消えていた。さらにその先に視線をやると山の斜面には大きな隙間が見て取れた。あそこは?と尋ねるとアクティは別のフィールドと繋がっている、と答えた。デルドゥーガがどこに消えたのかはまだ分からないが、ここからは地下洞窟とさらに山の上の方のフィールドに繋がっているらしい。さらなるフィールドへの期待感と共に不安感が私の中によぎる。未だ異形のモルドゥギラスについての手掛かりは得られておらず、クグツダケなど蝕霞症候群についても不明点ばかりである。

 そして、このゾルバトギリ群峰そのものの「不自然さ」のようなものが私の心に引っかかっていた。同心円状に開いた外輪山の形状はもちろんのこと、意図的にゾルバタイトの変性に関わる塩分を排除しようとさえ感じる塩湖や地層の構造など、まるでこの山自体が何らかの意思を持っているかのような感覚。これには全く根拠はなく、単なる直感ですらないのだが、何故だか頭の片隅に常に引っかかっている。今解き明かすべきものはこれではなく、蝕霞症候群の治療法などなのだが、いつかこのゾルバトギリ群峰そのものの神秘性について向き合う時が来るだろう。

 

―続―

 

フィールド「濁淵の湖沼」

 ゾルバトギリ群峰山麓に位置する湖と、その周辺に点在する湿地帯。地下からの湧水と雨水がカルデラ地形に溜まりこみ、湖を形成している。水全体に蝕霞胞子が混ざっており、その毒性は非常に強いが、それらに適応したモンスターが数多く生息している。全体として平坦な地形ではあるが、絶えず濃密な霧が覆っており、人間の腰ほどまでの高さに生える草木により見通しは非常に悪い。気候は常に薄暗くじめじめとしており、それに加えて風が強く吹くことが多く、体感温度は非常に寒い。山の近くの一部には洞穴状の地形が存在する。こうした地形の一部は他のフィールドに繋がっている。

 陸地部分にはビアドンやフルシュカなど市街地遺構や煌霞の樹海とほぼ同様のモンスターが生息しているが、水圏には豊富な水資源を背景とした独自の生態系が構築されており、このフィールドのみで確認できる生物も多い。

 

モンスター

・ヌマスマシ

 種族:甲虫種(殻虫目 滑虫下目 ヌマスマシ科)

 生態・特徴

  小さな甲殻から伸びた長い脚が特徴的な甲虫種。脚の先端には無数の細かい毛  が生えており、これを用いることで水面を滑るように移動する。

・ムザベランマ

 種族:甲虫種(殻虫目 剣翅下目 ランマ科)

 別名:剣翅虫(けんしちゅう)

 生態・特徴

  細長い胴体から四枚の翅が伸びた姿が特徴的な甲虫種。翅は非常に鋭く、その側面は刃物として利用できるほどである。肉食性であり他の小型生物を捕食する。

・ダクキイレ

 種族:瘴胞種(瘴胞目 群胞下目 ダクキイレ科)

 別名:綺管胞(きかんほう)

 生態・特徴

  管状の器官を形成することが特徴の瘴胞種。水中にのみ生息し、光り輝く管の中に小型の生物を誘引し捕食する。

・オクゲモド

 種族:瘴胞種(瘴胞目 造茸下目 オクゲモド科)

 生態・特徴

  風船のような姿をした複数の瘴胞種の群体。無数の鞭毛を伸ばすことで水中を移動する。腐肉食を行い、水中に動物の死体を発見すると瞬く間に群がり捕食する。

 

アイテム

・メイストキン

 瘴胞種造茸下目に位置する小型の生物。三本の鞭毛を高速回転させて水中を移動する。

・ミズヒゲゴケ

 藻類と共生した瘴胞種。これを用いることで水中でも呼吸ができる。

 

用語

・ヅサマの鏡

 古代ゾルバトギリ文明における重要な場所の一つ。赤く透き通った水が特徴的な超高濃度塩湖。ゾルバタイトを処理するために現地のシェヴルーに利用されているが、古代においてはどのように利用されていたのかは更なる調査が待たれる。

 「ヅサマ」とは古代ゾルバトギリ語において「広がり」「大きい」などを示す語彙である。

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