受話器越しから伝わったその言葉に私は心臓を冷えた手で掴まれるような感覚を抱いた。
アルダンとあの人が交通事故に遭い、他界したのだ。
今年四歳の幼い一人息子を残して。
葬儀の後、私は二人の息子である目白光《めじろひかり》と車に乗り、メジロ邸に向かっていた。
ライトブルーの髪色と鮮やかな紫色の瞳。正直、あの人よりアルダンによく似ていた。
屋敷にたどり着くと屋敷の規模に驚いたのか、目を見開いていた。
「今日からここが貴方の家よ。よろしくね。光」
「うん」
目の前で二人の愛し子である光がぎこちない笑みを浮かべた。
「ではそこの貴方。この子を部屋まで案内してちょうだい」
「かしこまりました。では光様。こちらへ」
執事に連れられて、光が自室へと向かっていく。
部屋に戻り机の上に置いている写真立てに目を受ける。飾られた一枚の写真の中、アルダンと私。そしてあの人がいた。
あの人は私とアルダンの元トレーナーだった。
最初は私の専属トレーナーだった。新人トレーナーということもあり、契約当初はメニューにも所々、粗があったが時間を共にするつれてその内容も改善されていった。
そして、私はトリプルティアラを達成する事に成功した。
共に歩んだ日々は私の中で彼に対する想いを燃え上がらせるには十分だった。レースに寄せる想いと同等か、それ以上の胸の高鳴り。
初めての感情だった。僅かに戸惑いながらもいつ彼にこの想いを伝えようかと考えているとある出来事が起こった。
「ラモーヌ。今日から彼女も一緒に練習する事になった」
「今日からよろしくお願いします。姉様」
妹であるアルダンも彼と私の元へやってきたのだ。彼の元に来てからアルダンは以前よりも明るくなった。
アルダンもかつての私と同じであまり強い体とは言えない。硝子細工のような脚を壊さないように彼は尽くしていた。
その甲斐あってかアルダンは順調に成長していった。
そして、妹が彼に向ける視線が熱を帯びていくのが理解出来た。妹も同様だったのだ。やはり血は争えない。
なら彼へ想いを伝える段取りを早急に計画しなければならない。
ある日。学園から少し離れた丘で一人、夕焼けに染まる街を眺めてながら、彼の事を考えていると聞き覚えのある男女の声が聞こえた。
声のする方に目を向けた時、思わず息が詰まった。
アルダンと彼がいたのだ。
胸の中から黒い炎が燃え上がり始めた。
そんな私をよそに夕焼けに染まった丘の上で二人は互いに言葉を交わしていた。
「君は俺にとって永遠の輝きだ」
「私たちだけの永遠になりますから」
二人から生み出される静謐で穏やかな空気。神々しさすら覚えるその光景に私の中で狂ったように燃えていた嫉妬の炎は容易く掻き消されてしまった。
あまりにも眩しすぎた。二人は何者も踏み入る事が出来ない確立した世界の中にいた。
太陽に翼を伸ばしたイカロスが地に落ちたようにその日,私の恋は終わりを告げた。
卒業後、二人は結婚した。
「貴方。アルダンを泣かせたらどうなるか分かっているわね」
「大丈夫だよ。それにメジロ家を敵に回したくないし」
「もう姉様ったら」
冗談を飛ばしながら、二人の式をメジロ家総出で盛大に祝った。
病弱だった妹が純白のウェディングドレス姿で祝福を受けている姿に思わず、目頭が熱くなった。
しかし、正装に袖を通した彼の姿を見るたびに燃え尽きたはずの炎が音を立てている気がした。
その隣には私がなんての言葉では口が裂けても言えない。
それでも嫉妬に狂わずに言われるのは二人の幸せを願っているからだと思う。
光が来て、一週間が経った。最初は緊張していたこの子も次第に笑顔をみせるようになった。
他のメジロの子達もこの子を実の息子のように可愛がっている。
「ドーベル叔母さん。絵、上手」
「本当!? ありがとう!」
「今度、叔母さんの漫画読む!」
「えーっとそれは」
ドーベルが露骨に目を晒した。漫画とは言っても、この子が触れて良いものではない。
「光くん。ボールで遊ぼうか!」
「ボール? 遊ぶ!」
ライアンが上手く興味をそらした。ドーベルは今後、ライアンに頭が上がらないでしょうね。
「なら私も!」
パーマーもライアンと光の元へ向かった。メジロ家の中でも特に外交的な二人ならこの子の緊張をさらに解きほぐしてくれるはず。
「助かりましたわね。とぼめじろう先生?」
「もう! ブライト!」
ブライトとドーベルが言葉を交わしている。この二人は本当、昔から仲がいいわね。
しばらくすると執事がケーキを持ってきてくれた。
「マッキーン叔母さん。ケーキ食べすぎだよ」
「大丈夫ですわ! メジロ家の淑女として健康管理は怠っていません! あとマックイーンですわ」
「チビッ子相手に本気になんなよ。あと顔に肉つき始めてんぞ」
「何故それを早く言わないんですか! あとなんでここにいるんですか! ゴールドシップ!」
学生時代から変わらない勢いで関わるマックイーンとゴールドシップ。その姿を見て、光は笑っていた。
「美味しいかしら?」
「うん。ラモーヌ伯母さんもケーキ好き?」
「ええ」
このケーキは昔からメジロ家御用達。私も他の子達も皆、このケーキを心から愛している。
「アルダンも好きだったわね」
「お母さんも?」
「ええ。体が強くなくて、あまり食べれなかったけどね」
「そっか」
光が再び、嬉しそうにケーキを頬張った。きっと母との繋がりを感じることが出来て、嬉しかったのだろう。
次の日、光の様子を見に行くと何やら絵を描いていた。
小さな手でクレヨンを握りしめて,真剣な眼差しでキャンバスに見つめる。
突然、私の胸は一気に熱くなった。その目に見覚えがあったからだ。
彼の目だ。レースやトレーニングの際に私達に見せて、鋭い眼差し。
思わず心臓が激しく脈打った。あの子から彼の面影を感じるのだ。
「何を描いているの? 見せてくださる?」
「伯母さん! いいよ!」
白い歯をむき出しにして、紙に描いた絵を見せてくれた。そこにいたのは光とあの人とアルダン。私含めたメジロ家の顔触れだった。
「上手。とても良く描けているわね」
「みんな、大事な家族だから。上手に描かないとって思って」
光が朗らかな笑みを浮かべた。私はあまりの愛おしさにこの子を抱きしめた。
なんて優しい子。なんて愛おしい子。あの人の子だ。この優しさ。私に見せた笑顔。
学生時代にあの人が私に向けた顔と同じだった。彼が生きている。この子を通して、再び彼に会える。
「伯母さん。痛いよ」
光が顔を顰めていた。
「あら、ごめんなさい。きつく抱きしめていたみたいね」
私としたことが胸の奥から湧いた激情に呑まれそうになっていたわ。
「それじゃあ。私は仕事があるからゆっくりね」
「うん。お仕事頑張ってね」
光がそう言って再び、優しい笑顔を作った。本当に可愛い子。
夜。晩酌を終えて、自室に戻ろうとしていた時、どこからともなくすすり泣く声が聞こえた。
声をたどっていくと、光の部屋だった。
恐る恐る部屋に入ると、光が魘されていた。
「おとうさん、おかあさん」
涙を流しながら、あの人とアルダンを呼んでいた。ここのところ、笑顔が増えて来たがそれでも簡単に忘れられるわけがない。
今は私が保護者。妹とあの人が残したエトワールを守る義務がある。
私は後ろからそっと抱きしめた。すると先ほどまでの震えが止まった。
「大丈夫。貴方は私が必ず守ってあげるから」
月明かりに照らされながら、改めて強く誓った。
誰にも渡さない。運命にも誰にも何人たりとも傷つけさせない。
あの人とアルダンがこの子に捧げるはずだったたくさんの愛情。私が代わりに全て与える。
そうすればきっと学生時代の後悔を取り戻せるはずだ。
「おやすみ。光」
私は光の髪を優しく撫でた。窓を一瞥するとそこには瞳が黒く濁った私がいた。
ありがとうございました!