TS歯車王女は謳歌したい 作:作業中
ブラッド・チェンバレンは下級貴族出身の上級騎士である。
チェンバレン準男爵家は半世紀前に起きたとある事件で活躍し授爵を受けた平民出であり、一般的な貴族のように豪勢で明媚な日常を過ごせる訳ではなく、上級貴族からは成り上がりと顰蹙を買い平民からは貴族だと目の敵にされる、不遇な立ち位置にいた。
武功により新興貴族になったものの、初代チェンバレン家当主以来傑物が現れることはなく、その立場は年々悪いものへと推移していた。
具体的にいうと、このまま凡夫を排出し続ければ失爵も辞さないであろう瀬戸際にいる程には追い詰められていた。
「一体どうすれば良いんだ……」
ブラッドの父親、ニール・チェンバレンは頭を抱えていた。
自分に才がないのはわかっている。
偉大なる祖父に多大なる期待をかけられ実の父親に睨まれ、当主として手は尽くしているが好転しない日々。
隣国との小競り合いにおいても目立った活躍をすることはできず、なんとか生還するだけで精一杯。武力も政力も祖父は愚か実の父に劣ると自覚していた彼は、とにかく焦燥していた。
特に顔が整っているわけでもなく、背丈も十分にあるわけではない。
戦場において存在感も無いし、これから一発逆転を夢見れるほど子供でも無い。
少なくとも祖父の威光に頼り切ってはいけないと自責できる程度にはまともで常識的で、貴族社会で敵を増やさぬように謙ることのできる男だった。
「せめてブラッドにだけはこんな思いはさせぬようにせねば……」
ニールの妻は政略結婚にて選ばれた。
世襲権を持たない騎士爵の次女と結ばれ、貴族だというのに大した生活もさせてやれない事を歯痒く思いながらも懸命に働いてきた。
政敵に頭を下げ、貴族に媚を売り、戦場で生と死の間を右往左往し、苦労の末にやっと一人の子を授かった──と言うのに、チェンバレン準男爵家は落ち目の貴族と言われるようになってしまった。
「ブラッド……不甲斐ない父ですまない……」
こぢんまりした書斎で一人涙を流し、ニールは祈った。
どうかブラッドの人生は煌びやかなものになりますように。
凡夫に生まれた我が子が、妻の子が無能だと蔑まれることの無い子に育ちますようにと。
そんな祈りが通じたのかはわからないが、ブラッド・チェンバレンは祖父に勝らずとも劣らない傑物であった。
齢五つにして剣を握り、八つの頃に大人と打ち合える膂力と剣才を持ち。
初代当主の遺した秘伝書を全て身に収め、指揮官としても類まれな策略を時に思いつき。
チェンバレン準男爵家の名を大きく上げながら、彼は初陣にて隣国の兵を百数人鏖殺し返り血で鎧を染め上げた。
未だ学生の身でありながら成し遂げたことから、畏敬を込めてこう呼ばれることとなる。
二つ名を、『真紅のブラッド』。
国に十人といない上級騎士として最年少で認められた麒麟児として名を馳せた彼は──二十の時に、運命に出会った。
◇
(まさかこんな長い付き合いになるとは……)
ブラッドは隣を歩く第三王女、オーフェリア・グロリアスを見ながら内心思う。
まさか準男爵家出身である自分が、王族側仕えに選ばれるなどと夢にも思わない快挙。
心優しいが凡夫な父と、騎士の娘であるがゆえに騎士道というものに造詣の深い母に育てられたブラッドは、貴族社会というものを理解していた。
準男爵家という立場の中途半端さ、父の立ち回り、親の婚姻の意味。
才があると発覚してからはより一層教育に力を入れられ敵を作らぬように生きてきた彼にとって、これは栄誉であり栄光であり躊躇ってしまうことだった。
──準男爵如きが、王族側仕えなんて絶対顰蹙買うだろ。
確かにオーフェリアを救った。
あと一歩遅ければ今頃オーフェリアはこの世にいなかった。
彼女を救い出したのは間違いなく己であると断言できるが、それはそれとして、どちらかといえば叙爵していただければいいな程度に考えていたのだ。
事実叙爵を任ぜられた。
準男爵家から男爵家に成り上がったのはブラッドの功績だ。
父は泣いて喜んでいたし母も表には出ていなかったが内心とても喜んでいた。使用人がこっそり泣いていたと教えてくれたので、親孝行できたのだと安堵の息を吐いたのはいい思い出だ。
だからと言ってこれはさぁ……
ブラッドは内心ため息を吐いた。
オーフェリア・グロリアス第三王女。
真紅の髪を後ろ髪で纏め上げ、シミひとつない柔らかな肌を煌びやかな衣服で覆い隠し、口元には常に微笑みを浮かべた少女。
高貴なる者の務めとしてその麗しい気品を崩さず歩く彼女を見ていると、視線に気がついたのか、オーフェリアもまたブラッドの事を見つめた。
「……? どうしました、ブラッド」
「いえ、よく擬態できてるものだなと」
「あなた、やっぱり私のこと
これである。
教育間違えたんじゃないかとブラッドは思った。
なぜか異常なまでに懐かれてしまったものだと、自分の人生はどこで間違えたのかと想起しても何も思い浮かばない。
思い浮かぶのはかつてのあの日、命を奪われる寸前で己を見つめる空虚な瞳だった。
「そうですなぁ、王族ですなぁ」
──まあ、あんな目をされるくらいならこれくらい元気な方がいいか。
ブラッドは思考放棄した。
これ以上面倒ごとに足を踏み入れたくないと思ったからだ。
ブラッドは政治にもそれなりに造詣が深い。
第三王女である彼女は対外的に完璧な王女として振る舞っているがゆえに、この腕白な性分を普段から抑え込んでいるのはわかっている。そして多分、それは幼い頃からずっとそうであるのだ。
他人の目がある所では絶対にこうはならない。
自分が真面目に振る舞うのと同じように、オーフェリアは必ず淑女として振る舞う。
それは気品高く思慮深く、高度な教育を受けた結果として満点の成長をした王女として。
(本当はオーフェリア様、政治とかどうでもいいんだろうな)
幼き頃から側仕えをしているブラッドは悟った。
オーフェリア・グロリアス第三王女は、本当は何もかもどうでもいいと思っているのだと。
高貴なるものの務めとか、王族としてのあり方とか、淑女らしい言動とか性格とか──そういうの全部引っくるめて、どうでもいいと思っているんだと、ブラッドは悟った。
王女として生まれたから気にしている。
立場を理解しているから、気にしている。
自分の価値を理解しているから、気にしているのだ。
聡明すぎるお方だ。
幼き頃、命を奪われる瀬戸際で彼女が言った言葉は忘れらない。
『──わたしを殺しても、王国に影響はありません。私は第三王女、スペアのスペアですから』
今と変わらぬ真紅の髪を汚れに煤けさせ、無感情な瞳で呟いた。
(……あなたは、今でもそう思っているでしょうね)
時折ブラッドは反応を試している。
第三王女に期待されてない、なんて普通であれば王族に言うべきではない言葉を投げかける度にオーフェリアは憤る。まるで、そうやって憤る事こそが正解の反応だと言わんばかりに。
コンプレックスでもなんでもないのだ。
憤るフリをして、許せないと口でいい、ブラッドに対してなんの罰も与える事なく受け流す。
特になんとも思っていない。
第三王女は第一王女のスペアであり、第二王女のスペアであると──本気で考えている。
十年間、いや、十五年間ずっと。
「ええ、王族です。なんなら王女です。第三王女ですから!」
「第三王女ですからねぇ」
だから、ブラッドは止めなかった。
自らの前で素を曝け出すことを、年齢相応の……相応か?
相応ではないかも知れないが、まるで子供のような言動を繰り返すこのオーフェリアオフモードを窘めることはしなかった。
これがオーフェリアの最後の砦だと思って。
幼い彼女に忠誠を誓った騎士として、唯一の騎士として、彼女の心を守るために。
もしも、オーフェリアが逃げたいと零したのなら。
ブラッドは背負っている何もかもを投げ捨てて、彼女の味方になるだろう。
国を敵に回してでも主君の未来を勝ち取るために、修羅道に突き進むことも厭わない。
既に己が身は血で染まっている。
その血を流す敵が変わるだけだ。
我が主君は、オーフェリア・グロリアス第三王女ただ一人。
現役最強と謳われる上級騎士、真紅のブラッドは覚悟している。
(ま、そうはならんでしょうけどね)
だってオーフェリア様、その生き方を心苦しいと思ってないし。
疑問を抱くこともなく、王女として生きることを決めている。
だからブラッドは余計なことは言わない。
ただひたすらに、オーフェリアの特別になっている事実を独占し、悪くないとほくそ笑んでいた。
我ながら気持ちが悪い。
一回り年齢が下の王女相手にこんな感情を持つべきではない。
冷静な心が自責するのと同じくして、その現実がたまらなく嬉しいと思う自分もいる。
敬愛する主君にどんな形であれ好意を抱かれていることに気がつかないほど、ブラッドは鈍くなかった。
だから、そういった感情全てに蓋をして。
ブラッドは騎士として接する。
どこまでも、どこまでも忠実な騎士。
オーフェリアに仕える唯一の上級騎士として、その誉を全て己が身に受け入れて。
そしてまた、彼女のわがままに振り回される唯一の男として。
どんな貴族ですら受けることのできないその喜びを噛み締めながら、決して叶えてはいけない情愛を抱いて。
「ねえブラッド」
「なんでしょうか」
「週一で帰ってきちゃダメ?」
「ダメなんですよねぇ」
──いつでも帰って来てくださいと言いたかった。
もし帰りたくなったら言ってください。
ただ言うだけでいい。
そうしたら俺は駆けつけます。
あなたの望みを叶えるために、と。
喉元まで浮かんだ言葉を飲み込んで、ダメだと答えた。
「なら仕方ありませんねぇ」
「そうなんですねぇ」
いつでも呼んでほしいとブラッドは言った。
それは文字通りの意味だ。
オーフェリアが呼ぶのなら例え世界の裏からでも駆けつけよう。
その意味をきっと、オーフェリアは理解していない。
それでいい。
それでよかった。
オーフェリアが望む関係性でいられるのなら、それでいい。
「──行ってきます。またね、ブラッド」
「行ってらっしゃい。俺は常に貴女の事を想っていますよ」
儚く微笑みながら一歩前を歩くオーフェリアに本音をぶつけ、ブラッドは拳を握り込んだ。
母校であり魔境であり異次元とすら評した学園に旅立つ、主君を見送ったその顔は。
「あそこは……楽しい場所ですよ」
呆れるような笑顔が浮かんでいた。
どうかあなたの人生に、彩りが加えられることを祈って。