「「あっ」」
教室のドアを開けた瞬間、対面する姫野純と鶫誠士郎の声が重なった。
「や、やあ……」
「あ、ああ……」
二人はなんとも言えない微妙な表情で、挨拶ともいえない挨拶をを交わすと、そのまますれ違う。
この様子を見ていたクラスの女子たちは、ちょっとした驚きと共に純と鶫のことを口にする。
「ど、どうしちゃったのあの二人……!?」
「昨日までは仲良さそうだったのに……喧嘩でもしたのかなぁ?」
「ケンカップルは一条くんと桐崎さんの専売特許だと思ってたけど姫野くんたちも……ありね!」
女子たちから離れたところで一条楽と桐崎千棘を囲み、舞子集や小野寺小咲、宮本るりも鶫たちのことを話題にしていた。
「初対面の時から割と距離が近かったのに、今更どうしたのかしらね」
とるり。
「やっぱり喧嘩かなぁ? 心配だなぁ……」
「うーん。あの二人の様子は、そんな感じには見えないけどねぇ」
自分のことのように二人を案じる心優しい小咲の思いを、集はやんわりと訂正する。
そして、事情を知っているであろう楽と千棘の方に顔を向けた。
「で、実際どうなの?」
「いやぁ、それがな……昨日、動物の餌を買いに行ってもらったんだが、帰ってきたらあの調子で」
「つぐみったら姫野くんを女の子だと思ってたみたいで、姫野くんもつぐみを男子だと思ってたから、それで二人とも照れてるみたいなの」
千棘の解説を聞いて、小咲が首をかしげる。
「……ぇ、鶫くんって……女の子だったの?」
「うん、そうよ」
「……ええええええええ!?」
「わかるぞ小野寺。俺も気づかなかった」
驚く小咲に楽も同意する。
「あら、私は気づいてたけど」
「俺も俺も~」
隣りでるりと集が、当たり前のことのように言った。
しかしクラス内では男子も女子も鶫の男装には気づいておらず、この二人の勘の良さが異常ともいえるだろう。
ちなみにこのあと、鶫の正体は風の速さで学園中に伝わったという。
「そ、それはそれとして……二人のこと、なんとかしなきゃだよね」
友人間で仲がギクシャクしたままというのは、放っておいていい訳がないと小咲が切り出した。
「別に私たちがとやかく言わなくても、あの二人ならまた勝手に仲直り? するんじゃないかしら」
決して興味がないということではないが、周りが余計な手を回す必要もないとるりは言う。
「つぐみ、家でもなんか元気が無くなったみたいだし、私としては早く姫野くんと元の関係に戻って欲しいなぁ」
「純も最近は、話しかけても上の空って時があるからな。ダチとしてはなんとかしてやりてえが……」
千棘と楽も二人の関係を案じてはいるが、いい解決策は思い浮かばない様子だった。
そんな中、舞子集がただ一人笑みを浮かべていた。
その様は純と鶫の不仲を喜んでいるという訳ではなく、なにか面白いイタズラを思いついたというような、
集の企みを感じさせる含み笑いを見て、るりは冷静なツッコミを入れる。
「……あんた、また良からぬことを考えてるんじゃないでしょうね」
「何をおっしゃいます、るりさんや。せっかく姫ちゃんたちの仲を取り持つ妙案を思いついたというのに」
「俺にもお前がロクでもないことを思いついたようにしか見えないが……一応聞いといてやる」
「いいでしょうとも、聞かせましょう。ただし、これはすぐに実行できる解決案じゃございません。タイミングが重要です。それは……」
楽の問いに、集は実にもったいぶった言い回しで、その妙案とやらを語って聞かせた。
◇ ◆ ◇ ◆
それから数日後。
平日ではあるがこの日、純は学校へ行かず自宅で横になっていた。
サボった訳ではない。
不意に体調を崩したためである。
朝──目覚めた時に寒気を感じ、体温を測ればやや高熱。
どうやら風邪のひき始めらしく、布団を敷いたまま自宅で大人しく療養中なのだ。
薬を飲み、その作用もあり純は一日中眠りこけていた。
そして……懐かしい夢を見ていた。
父と母と手を
子供の頃のいつかの思い出を追体験する純は、無邪気な心のまま幸せな時間に浸っていた。
そんな時もやがて終わりが来る。
意識が覚醒へと向かい、目覚めた純はただ独り、自宅であるアパートの一室で布団の上にいた。
楽しかった頃の記憶を思い出しながら寝入っていたせいか、目が覚めた時にはもう夕暮れ時だった。
不意にチャイムが鳴らされた。
無視しようとも思ったが……なぜか、出なければという予感が沸き起こる。
まだ熱っぽく、ダルさの残る体を無理に起こして、純はドアの前までやって来た。
「誰ですか?」
「あ、私だ。鶫誠士郎……」
思わぬ訪問者に、純の心臓がドキリと強く鳴る。
ドアを開けると、さらに驚く光景が広がっていた。
「ど、どうしたの……その格好」
鶫は髪に、目立つ大きなリボンを付けていた。
それだけではなく、服装も普段の男子用のブレザーから一転し、フリルのスカートが目をひく水色のワンピースを身に着けているではないか。
まぎれもなく、「少女」としての鶫がそこにはあった。
「あ、いや、これは私ではなく、お嬢に言われて、その……」
うつむき気味に顔を赤らめ、短めのスカートを手で押さえるようにモジモジとする鶫の様子は、控えめに言って破壊力抜群だった。
元からある
その反応に、鶫は不安を覚えた。
「……やはり、似合ってないのだろうか……?」
「い、いや! そんなことは無いよ。その……スゴくか、可愛い」
「!」
純の一言で鶫の頬はさらに赤味を増した。
なんとも言えない空気に居たたまれなくなった純が口を開く。
「ぁー、それで……一体どうしたの?」
「お見舞いだ。今日は学校を欠席しただろう」
「わざわざそのために……。それは、ありがとう」
立ち話もなんだから、と純は鶫を家に上げた。
「……本当は、あんまり人を家に入れられる状態じゃないんだけど」
「すまない。君も病気で大変だろうに」
「いや、僕の体というよりは……」
「?」
言い
と、途端に彼が言わんとしていたことが分かった。
部屋の中は脱ぎ散らかされた衣服が散乱し、空のカップ麺や弁当の空き箱がゴミ箱からあふれ床に散らばり、ゴミ袋が何個も部屋の隅に積まれているといった、ゴミ屋敷の何歩か手前といった有様だった。
「こ、これは……酷いな……」
鶫もここまで荒れた室内を見るのは初めてで、それが姫野純という大人しい人物の自宅ということに、尚のこと呆気にとられた。
「ま、まあ病気で片づけも出来ないだろうから、仕方ないだろう」
「いや、実はずっとこんな有様で」
「えぇ……君は、ずっとこの中で暮らしてるのか……?」
どうやら荒れ放題の純の自宅は、現状が標準の状態であるらしい。
彼のイメージとは酷くかけ離れている室内の惨状に対し、どうこう言うより前に鶫は一つの決断をする。
「姫野くんは布団で安静にしていてくれ。この部屋は、私が片付けよう」
「い、いや! そんなの悪いよ。それに鶫さんも昨日、足をひねったでしょ」
「病人をこの荒れ地に放置する方が悪いだろう。それに足はもう治った。さあ、早く布団に入って!」
鶫に背を押され、純は布団の中に押し込められてしまう。
それからはアッという間だった。
鶫はテキパキとゴミを片付け衣服を畳み、非常に効率よく部屋の清掃を終えた。
小型の台風でも発生したのかというくらいに滅茶苦茶だった室内も、今はまるで引っ越してきたばかりのようにピカピカに整えられている。
「普段から武器の手入れは欠かせないからな。こういう雑事も得意なんだ」
そう言いながら、鶫は寝ている純の隣に座る。
手にはお盆と、湯気のたつ鍋が乗っていた。
「ついでに、お粥も作ってみた。悪いが台所は勝手に使わせてもらったぞ」
「それは構わないんだけど、そこまでしてくれなくても……」
「その様子では、朝から何も口にしていないんだろう? それでは治るものも治らないぞ」
鶫はスプーンに粥を
「さあ、どうぞ」
「……いただきます」
異性だと発覚した相手に手料理を作ってもらった上にそれを食べさせてもらう、という初体験の行為に純はこの上ない恥ずかしさを覚えた。
が、相手の方は純粋な心配からこの様に振舞ってくれているので、それを表に出すのも失礼かと思い、大人しく従うことに。
「レトルトやカップ麺とかの容器が多かったが、君はインスタント食品しか食べないのか?」
「そうだね……自炊はどうも面倒で……」
「部屋の掃除もしない?」
「そうだね……整理整頓はどうも面倒で……。やっぱり引くよね」
「そんなことは無い。だが……意外とガサツなんだな、君は」
お粥を食べながら、純は人には見せない素の部分を晒してしまったことを後悔しつつあった。
だが鶫は軽蔑するでもなく、逆に面白いものを見たというようにクスリと笑った。
スカートを履き完全な女性のスタイルを持つ鶫のほほ笑みは、これまで同性だと思っていた頃より美しさを増して純には見えた。
「そういえば、ご家族は?」
「独りだよ。両親は、ちょっと前に事故で、ね」
「それは……失礼な
「平気平気、もう慣れたから」
また一つ、他人にはあまり話さない身の上を明かした純。
しかしもう、彼女に対してはプライベートを晒すのに、抵抗感は無くなっていた。
お粥も食べ終え、鶫は空の食器も洗って片付けてくれた。
見舞いもすませたことで帰ろうとするが、ドアを開ければ外は、にわかに降り出した強い雨。
テレビをつけると、集中豪雨で外出を控えるようにとの速報が流れていた。
「悪いが傘を貸してくれないか?」
「この雨じゃ傘をさしても塗れちゃうよ。風も強い……まるで台風みたいだ」
「参ったな、どうすれば……」
困り顔の鶫に、純はおずおずと提案をする。
「君がよければ、家に泊まってくれてもいいよ。部屋は空いてるし、布団もあるから」
「いや、しかしそれでは迷惑に」
「お見舞いに来てもらったから、それで帳消しだよ」
しばし悩む鶫だが、他に手はないと彼の言葉に甘えることにした。
と言ってもすでに日は落ち、純も病人であるためこれ以上の相手は出来ず、鶫は通された客室で早々に眠ることに。
「…………ん……」
不意に、鶫は眠りから覚めた。
深い眠りだったようで、今は深夜。
「他人の家だというのに、ここまで不用心に眠りこけたのは初めてだ……」
独り言ちる鶫。
ヒットマンとして張り詰めた日々の中、たとえ眠る時でも緊張感を
だが、不思議と心の中には自分を
「
鶫は舞子集の発案によって、純の家へと来ていたのだ。
集の考えた二人の仲直りの作戦とは、なんてことのない。
純が病気をした時に鶫をお見舞いに行かせ、その勢いで元の関係に戻ってしまえ、というものだった。
ついでに押し倒していい雰囲気に持っていって……など余計なことまで口走った集は、るりから制裁を受けたのは余談である。
純がそう都合よく体調を崩すとは思えなかったが、図らずもそうなってしまったのは鶫の、純との関係を修復したいという想いが天に通じてのことか……。
ちなみに鶫は普段のブレザーで来るつもりだったが、ワンピースを着ているのは千棘の
『せっかく女の子だってことが伝わったんだし、つぐみの可愛さをアピールしてきなさい!』
という百パーセントの善意によるものだ。
「……ぅ……うぅん……」
隣りの部屋で眠っているはずの純の声だ。
雨音にかき消されそうな小さな呻き声が、鶫の意識を眠りから覚ました原因だ。
「姫野くん……?」
鶫はそっと扉を開け、眠る純の様子を見る。
彼はうなされていた。
悪い夢でも見ているのだろうか?
その様子はとても苦しそうで、病気の影響だけとは思えない。
鶫は音を立てないようにして純の寝室に入ると、眠る彼の隣にそっと腰を下ろし、純の手を握った。
自分でも驚くほど、鶫は自然とそんな行動ができた。
握ったその手はヒンヤリと冷たかった。
「大丈夫だ、大丈夫」
起こさないように、鶫はそっと言う。純を安心させる言葉を。
「君は独りで寂しい夜を過ごしていたんだな。だが、今は私がいる。お嬢も、一条楽も、みんなが君の周りにいる」
だから大丈夫。
鶫の声が届いたのか、しばらくして純は静かな寝息を立て始めた。
それでも鶫はこの場を離れず、彼の手を握り続けた。
なぜそうしたのか、鶫にも分からなかった。
ただ、そうしていたいと思った。
結局夜が明け、純が目を覚ますまで、鶫は純のそばを離れることは無かった。