恋するヒットマン   作:ほろろぎ

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難産で時間がかかりました…その分いつもよりちょい長いです。


第五話 水館

 この日、一条楽と桐崎千棘を筆頭としたいつものメンバーに姫野純と鶫誠士郎を加えた面々は、放課後ハンバーガーショップに立ち寄っていた。

 というのも、近々クラスでテストが行われることが担任の口から突然知らされ、その対応のためである。

 いわゆる「勉強会」というものを開こうと、舞子集が提案したのだ。

 

「私、友達と放課後にこういうお店で一緒に勉強するって夢だったのよねー!」

 

 千棘は真っ先に集の提案に乗り、当然の流れで彼女と近しい楽と鶫も加わる。

 面子は多い方がいいと、さらに小咲とるり、純にもお声がかかっての参加となった。

 

「いらっしゃいませー」

「いらっしゃいましたー!」

 

 学生御用達のファーストフード店「マックドバーガー」にやって来た一同。

 店員の挨拶に元気よく返す千棘は、キラキラと目を輝かせ店内を見回す。

 

 それぞれ思い思いのイスに着席する中で、集が

 

「姫ちゃんはそっちねー」

「あ、うん……?」

 

 と、さりげなく純の座る場所を鶫の隣に指定する。

 ごく自然なやり取りに純も疑問に思う間もなく、鶫の横のイスに座った。

 

 間食用にポテトとドリンクを人数分頼み、続いて教科書などの道具を机に広げ、しめやかに勉強会は始まった。

 

「…………」

「…………」

 

 教科書をめくる音や、ノートにペンを走らせる音が静かに響く。

 みな無言で、集中力の高さを感じさせる。

 

 その中で純は一人、難しい顔をして本とにらみ合っていた。

 ペンを持つ手は微動だにせず、教科書のページも同じ所で止まっている。

 

「どうしたんだ?」

 

 その様子に気づいた隣りの鶫が声をかけた。

 

「いや、それが……問題の答えがサッパリ分からなくて」

「どれ、見せてくれ」

 

 教科書をのぞき込むような態勢をとったことで、鶫の顔は純の鼻先まで近づいてくる。

 シャンプーの匂いだろうか。甘い香りが彼女の髪から漂って、純はつい息を止め硬直してしまう。

 そんなことには気づかない鶫は、自然な様子で問題文に目を通す。

 

「ああ、これは、ここがこうなって……」

 

 純が苦戦していた難問も、鶫にかかればあっさりと説かれてしまった。

 決して簡単な問題ではないはずだが、彼女の知性の高さが(うかが)える一端だ。

 

「どうかな、伝わったか?」

「ぁ、うん。すごく分かりやすかったよ」

 

 間近に見える彼女の横顔にドギマギして話し半分の純だったが、それでもしっかりと理解できたのは鶫の教え方が非常に上手だったため。

 何気に成績の高い集も興味を持つ。

 

「もしかして誠士郎ちゃんって勉強できる方?」

「人並み程度だ。クロード様にも、『どこの大学でも楽に入れるようにしておけ』と言われたからな」

「日本の授業ってすごく簡単よね~」

「わーお、それってとんでもないレベルなんじゃ……」

 

 鶫の言葉に同調する千棘も、かなり頭が良いことが発覚した瞬間だった。

 そうと分かればと知性派の鶫と千棘をリーダーとして、他のメンバーは分からない所を質問する形式で勉強会は進んでいく。

 

 

 

 

 

「ふ~、ちょっと休憩するか」

 

 楽の一声で皆の集中が解ける。

 それぞれペンを置き、肩のコリをほぐしたりしている中で、純は席を立った。

 

「飲み物のお代わり持ってくるよ」

「あ、私も行こう」

 

 鶫も連れだって、二人はトレーを手にカウンターへ向かう。

 と、途中で突然、鶫は足を止めた。

 その不自然な行為に純は首をかしげる。

 

「どうかした?」

「…………」

 

 彼女は何かに意識を集中させているかのように、純の声にも応えない。

 

 不意に、入り口近くの客席で何かが動いたのが、鶫の視界の端に映った。

 瞬間──彼女は懐から拳銃を抜き、一発の弾丸をその客席へと放つ。

 

「「「!?」」」

 

 目の前の純を含め、千棘や楽たちも鶫の突然の発砲を見て、驚愕に顔を染める。

 弾丸は客席の向こうに張られたガラス窓を打ち抜き、窓は砕けて散った。

 

「うわっ、何だ!?」

「えっ!? なになに!?」

「どうしたんだ、急に窓が割れたぞ!?」

 

 他の客や店員たちは、銃声にも、それを撃ったのが鶫だということにも気づいていない様子。

 純は、まだ銃を手に周囲を警戒している様子の鶫に声を上げる。

 

「ど、どうしたの鶫さん!?」

「いや……殺気を感じて……」

「殺気!? ……って誰が」

 

 純も辺りを見回してみるが、そんな怪しい人物の姿は見当たらない。

 そこに千棘たちも慌ててやって来る。

 

「ちょっと、つぐみ! アンタいきなり何考えてんのよ!?」

「お嬢!? こ、これは……」

「おい、これバレるとマズいぞ。とりあえず……」

 

 楽の言葉に全員はうなづく。

 一同は、鶫が拳銃を所持していることが発覚するのを恐れ……全速力で店を後にした。

 

 

 

 

 

 バーガー店が見えなくなった辺りまで逃げてきた七人。

 呼吸を整え、改めて千棘は鶫の行為を問い詰める。

 

「それで、何でいきなり、あんなことしちゃったの?」

「店の中に不審な人影が見えて、つい……」

 

 少し怒っている様子の千棘に、鶫は委縮して答えた。

 

「不審な人なんていた?」

「僕は分からなかった」

 

 るりは純に尋ねるが、当の鶫以外誰も不審者には気づかなかったようだ。

 楽も鶫に疑惑の目を向ける。

 

「お前の勘違いなんじゃねえのか?」

「む。私はこれでもヒットマンとしては腕に覚えがある。そんな初歩的なミス、冒すものか!」

「確かに、つぐみが今まで誰かを間違えて撃っちゃったなんてこと、一度も無かったけど……」

「そうです! それにあの気配は……」

「つぐみ?」

「い、いえ……なんでも、ありません」

 

 言い淀む鶫だが、確かにあの時店の中で感じた気配は、間違いのないものだったと確信している。

 なぜならその殺気とは……彼女の敬愛する桐崎千棘に対して(・・・・・・・・)向けられていたものなのだから。

 

(しかし犯人が不明な状況で、イタズラにお嬢を不安がらせる訳にはいかない)

 

 今は自分の胸の内にしまっておこう、と鶫は内心で思うに止めるのだった。

 

 余談だが、彼らが飲み食いした品の代金は事前に支払い済みであり、店を出る直前に鶫はポケットマネーで、割ってしまった窓の代金を修理費も込みで余分に置いていったことを記しておく。

 

 

 

 

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

 

 

 

 

 鶫による誤射? 騒動から幾日か経った。

 すでにクラス内での緊急テストは実地済みで、その返却も終わった。

 勉強会のおかげで一同は誰一人赤点を取ることもなく、後は林間学校を楽しみに待つだけとなった。

 

 が、その前に純には、一つのイベントというべきものが待っていた。

 それは休みのこの日に、鶫を水族館へと誘っているということだ。

 

 誤射の一件で千棘に怒られてから鶫は少し元気が無くなり、そんなしょんぼり気味の彼女を励まそうという思いからのものである。

 それだけでなく、鶫に勉強を見てもらったおかげで赤点を回避できたお礼も兼ねてなのもあるが。

 

 なんにしても、当の鶫は純の誘いを二つ返事で受けてくれたのは、彼にとっても喜ばしいことだった。

 水族館のチケットは、ツテの広い集がどこからか手に入れてくれたもので、彼はこの券を純に格安で譲ってくれた。

 

 そして当日。時間は開園より前。

 約束の場所で、純は待ち合わせた時間より早めに鶫を待っていた。

 こうしたプライベートで女子と二人どこかへ行くなど初めてのことだが、約束の三十分前には待機しているものだということは、雑誌かなにかで知っていた。

 

 純が待ち合わせ場所に来てから間もなくして、鶫も姿を現す。

 

「悪い、待たせてしまったな」

 

 慎重な足取りで歩み寄る彼女は、以前純を見舞いに来てくれた時と同じ、水色のワンピースを身に着けていた。

 小物を入れたショルダーバッグを肩から斜めにかけており、肩ヒモが食い込んで彼女の大きな胸を、ことさらに強調している。

 

「どうしたのだ?」

「い、いや! なんでも」

 

 男の(サガ)で純はつい、鶫のバストを見入ってしまった。

 誤魔化すように視線を泳がせる。

 鶫は、自分を女性と意識されているとは気づかず、首を傾げた。

 

 純は一つ咳払いをして、誘いに乗ってくれたことに礼を述べる。

 

「今日は来てくれてありがとう」

「こちらこそ、誘ってくれて感謝する。水族館は初めてなんだ」

「そういえば、ペットショップもあの時が初めてだったっけ」

「ああ。クラスの皆と勉強するのも初めてだったし、君といると初めて体験することばかりだな」

 

 鶫の微笑は朝の陽ざしの下で、キラキラと輝いて見えた。

 

(こうして見ると、やっぱり女の子なんだなぁ)

 

 と純は思った。

 それも、かなり可愛い。

 

 友人である一条楽の周りには、桐崎千棘に小野寺小咲、宮本るりと、美少女と呼んでもいい容姿の良い人間が集っている。

 そんな少女らと比べても、鶫の風貌(ふうぼう)はまったく劣っていない。

 むしろ彼女たちには無い、なにか特別な可憐(かれん)さの様なものを純は感じていた。

 

 そしてその鶫の可憐さに気づいているのが、自分だけであればいいなと彼は心のどこかで思っているのだが、それはまだ自覚のない感情である。

 

「ぁ、あの……そんなに見つめないでくれ」

 

 純は無意識にずっと彼女に視線を送り続けていたようで、鶫は顔を赤くして抗議した。

 そこで純も、自分がどれだけジロジロと失礼なことをしていたかに気づき、慌てて謝る。

 

「ごめん! でも、やっぱり可愛いなと思って」

「かわっ……!? か、揶揄(からか)わないでくれ」

「揶揄うなんて、そんな。本心だよ!」

「わ、分かった! それ以上は言わないでくれ……恥ずかしい」

 

 ますます赤面する鶫はうつむいて、彼の視線から逃れようとする。

 

「も、元々は普段の制服で来ようと思ってたんだ……だがお嬢が、せっかくだからこっちを着ろ、と」

「そうなんだ……」

 

 桐崎さんグッジョブ! と脳内で純は千棘に対して親指を立てた。

 

 そんなやりとりをしている内に、水族館は開園の時間を迎える。

 周囲で同じように開館を待っていた客らしき人々が、こぞって入り口に向かうのを見て二人も後に続く。

 

「ぬ……っと……」

 

 純の隣で、鶫は小さく呻くような声を漏らしながら歩いていた。

 彼女は普段男物のシューズを履いているが、この日は女性らしくハイヒールを履いている。

 おそらくこれも千棘に言われての事だろうが、相当に慣れていないらしく、足元がおぼつかないのが見て取れた。

 

「……。鶫さん!」

「な、なんだ?」

 

 ヒールでの歩行に四苦八苦している鶫に、純は思い切って声をかけた。

 鶫は足元にやっていた目線を上げ、彼の方を見やる。

 

「よ、よければ……お手をどうぞ」

 

 純は鶫に向けて片手を差し伸べる。

 彼女が転ばぬように、自らの手で支えようとして。

 

 その意味を察した鶫は、一瞬キョトンとした後で──照れながらも差し出された手に、自分の右手を重ねる。

 そして二人は手を(つな)いだまま、館内へと続くゲートをくぐっていった。

 

 

 

 

 

 水族館の中はムードのある薄暗さに保たれ、魚の泳ぐ水槽にスポットライトの様な照明が当てられている。

 月の光のような柔らかな照明に照らされ泳ぐ魚の影は、とても幻想的だ。

 

「おぉ……すごい、魚がいっぱいいるぞ……!」

 

 その光景に、初めて水族館を訪れた鶫は感嘆の声を漏らす。

 

「あ、あっちには小さな魚の群れが! 姫野くん、見に行こう!」

「ま、まって鶫さん!」

 

 普段のクールな様は鳴りを潜め、鶫は年頃の少女らしく、はしゃぎながら純の手を引く。

 彼女と繋いだ手が離れないよう、純も慌てて後を追った。

 

(そういえば僕も、子供の頃にこうして水族館に連れて来てもらった事があったっけ……)

 

 今は亡き両親との記憶が純の脳裏に浮かび上がる。

 目の前の楽しそうな鶫の姿に、純は当時の子供だった自分を重ね合わせた。

 

「この魚たちは何というんだ?」

 

 青い水槽の中には、赤や黄色の体色をした熱帯魚が沢山泳いでいる。

 鶫はガラスに張り付くような勢いで顔を近づけ、まじまじと魚を見ながら純に尋ねた。

 

「これは……」

 

 純は水槽の隣に掲げられている、魚の説明書を読み上げる。

 

「……む? あれは……」

「どうしたの?」

 

 説明を聞きつつ魚の遊泳を見つめていた鶫が、何かに気づいたように視線を逸らす。

 彼女の瞳の先には、水槽の底の砂利の上にひっそりと設置された、ピンク色をした塊があった。

 二人は水槽に顔を近づけ、その物体が何であるかと目を凝らす。

 

「これは……ハート形をしたオブジェ、かな?」

「うむ……水の中で照明の光に照らされ、キラキラと輝いているぞ! 綺麗だなぁ~」

 

 ただのプラスチックの置物だが、鶫はそれを見れたことをとても喜んでいる様子。

 女の子らしい反応に、純も微笑ましく彼女の顔を横目で見やった。

 と、視線の先に館内の壁の一角が映りむ。

 

「あ。鶫さん、これ見て」

 

 純が指さす先には、壁に張られたポスターが一枚。

 鶫は張り紙の文に目を通す。

 

 そこには、水族館に来たお客さん限定のイベントの開催が告知されていた。

 館内で行ういくつかのミッションをクリアすると、限定のヌイグルミをプレゼントしてくれるらしい。

 

「なるほど。さっきのハート形のオブジェは、このイベントの一環だったのだな」

「そうすると、僕らはすでに一個ミッションをクリアした事になるね。……ねえ、せっかくだしこのまま参加してみない?」

「ほう、それは面白そうだな。ヌイグルミもいい記念の品になる」

 

 二人はうなづき合うと、近くのスタッフにイベント参加の申請を行った。

 

 そして、アシカとのハイタッチや幸運の熱帯魚の捕獲など、様々なミッションをクリアしていき、ついに最後のイベントへとこぎつける。

 広いホールに集められたお客さんたちの中に、純と鶫も混じっていた。

 彼らの前にイベントのスタッフが現れ、最終ミッションの内容が通達される。

 

「今日のイベントに参加してくれた彼氏彼女さん、今日はありがとうございま~す!」

「「ん?」」

 

 スタッフが何気なく発した単語に、鶫と純は引っかかりを覚えた。

 

「なあ、姫野くん。今私たちの事、彼氏とか彼女とか言わなかったか?」

「うん、言ってたね」

 

 二人は周囲を見回すと、なるほど確かに周りにいるのは、若い男女のカップルばかり。

 冷や汗が浮かび始めた二人をよそに、スタッフは最後の難題を発表する。

 

「お互いへの愛の証明として、お二人の熱い抱擁を見せてくれることが最後のミッションです! これをクリアできれば、当館限定の可愛いヌイグルミをプレゼントしちゃいま~す!」

「ほっ……!?」

「抱擁って……」

 

 鶫も純も瞬時に顔を赤くし、動揺をあらわにした。

 

「さあさあ、そこの高校生カップルさんも! 早くしないと失格になりますよ~?」

 

 スタッフが煽るように二人をターゲットにする。

 周りのカップルたちは、まるでそれが当然のように抱擁を行っていた。

 

「ど、どう……する?」

「どうもこうもないだろう……」

 

 純の問いに、鶫は力なく答える。

 

「そうだね、ここは辞退して」

「さあ、ドンとやってくれ!」

「……えぇっ!?」

 

 さすがに付き合っている訳でもない相手を抱きしめるなど純には出来るはずもなく、イベントの参加を取りやめようとしたが、思わぬことに相手である鶫には許可されてしまった。

 

「ぃ、いや、しかしだね……」

「せっかくここまで来たのに、土壇場で辞めることもないだろう! そ、それに!」

 

 言い淀む純に、鶫は必死さにも似た声色でミッションの継続を進言する。

 

「それに……私は、君が相手ならその……嫌ではない、ぞ?」

 

 彼女は頬を赤らめながら、うつむきがちに小声でそう続けた。

 加えて鶫の表情は、どこか期待に満ちている様にも純には見えた。

 

 彼女の意図する所がつかめないながらも、女性にこうまで言われては男として引くわけにはいかない。

 覚悟を決めた純は、自分の手をそっと鶫の背中に回した。

 

「……!」

「~~っ」

 

 以前鶫をおぶったことのある純だが、こうしてきちんと彼女の体に触れたのは初めて。

 柔らかな胸のふくらみが背中越しではなく、今度は真正面から純のボディに当たっている。

 

 言葉にできない不思議な心地よさで純の頭はフワフワし、間近にある鶫の髪からはシャンプーの香りが鼻に抜け、これもまた彼の頭をクラクラとさせた。

 柔らかいのは胸だけでなく、鶫の体そのものがクッションのような抱き心地で純の腕の中に納まっている。

 こうして彼女の体を抱きしめていると、鶫がギャングのヒットマンという物騒極まりない仕事に従事しているとは信じられないくらいだ。

 

「は~い、ハグタイム終了でーす! 皆さんありがとうございました~」

 

 たっぷり五分間、純と鶫は体を寄せ合い互いの温もりを感じあった。

 イベントの景品であるヌイグルミを貰った二人は、疲労困憊といった様子で水族館を後にする。

 

 外は夕暮れとなり、水族館前の広場は茜色に染まっていた。

 

「「はぁ~……」」

 

 二人は負った精神的な疲れを体外に放出するように、深い深い溜息を吐く。

 そして純は、隣りの少女に軽く頭を下げた。

 

「ごめんね、鶫さん。まさかデートイベントとは思わず……その、変なことをしてしまって」

「い、いや、姫野くんが謝る必要はないぞ! あれ(・・)は私の方から頼んだことだし、な……」

 

 鶫は恥ずかしさから純と目を合わせられない様で、伏し目がちに言葉を続ける。

 

「異性に抱きしめられたのは生まれて初めてだったが……相手が君で良かったと思ってる」

「えっ」

 

 それはどういう意味? と純は問いたかったが、口は上手く動かず言葉は出なかった。

 

「……って、私は一体何を言っているんだ!? うぅ、恥ずかしい……!」

 

 動悸を抑えるように胸に片手を当て独り言ちる鶫。

 もう片方の手は、水族館に入る時からずっと、純の手と繋がれたままだ。

 二人はその状態に、すっかり違和感を感じなくなっていた。

 

「ぁ、そうだ。これ以上は遅くなるから、もう帰らなきゃ」

「そうか、もうそんな時間になったのか……」

 

 不意に冷静さを取り戻した純は、周囲の夕暮れがさらに深まっているのに気づく。

 時間は刻一刻と過ぎ、じきに太陽は完全に没して夜が来てしまう。

 まだ学生の身の二人には、さすがに夜間の外出は許されていない。

 

 帰宅を告げる純の言葉を聞いた鶫は、とても名残惜しそうな顔を浮かべた。

 

「今日は楽しかったな。こんなに楽しい時を他人と過ごせたのは、お嬢以外では初めてだ」

「そう、なんだ。それは良かった」

 

 純は心から、今日鶫を誘えて良かったと思った。

 それは嵐の後の穏やかな波にも似た、落ち着いた感情だった。

 

「…………」

「…………」

 

 二人は、どちらからともなく繋いでいた手を離した。

 鶫は薄く染まった頬で、今度は純の顔を正面から見る。

 純もまた頬を染めていた。それは夕暮れの赤とは別の色であると、鶫の目にも見えた。

 

「改めて、今日は誘ってくれてありがとう、姫野くん」

「こちらこそ、誘いに乗ってくれてありがとう、鶫さん」

 

 これで今日のイベントは、真に終わりだ。

 それでも、これで二人の関係が終わるわけではない。

 

「「また学校で」」

 

 互いに同じ言葉を交わし、二人はそれぞれの家路へと向かう。

 

 その帰路の中で彼らは共に、繋いでいた手の平を見つめていた。

 そこに残る相手の熱を名残惜しむように。

 

 二人の脳裏に互いの顔が浮かび上がる。

 そのヴィジョンは笑顔を浮かべ、優しく語りかけるように像を結ぶ。

 

「……早く明日になりますように」

 

 小さく呟かれた言葉は、しかし強い想いを乗せて空に消えていった。




今回はゲームのヨメイリの鶫ルートを参考にしています。
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