嫌悪、いや、もう憎悪と言い換えてもいいかもしれない。そんな深く暗い感情を、入間はユエに感じていた。
それは、どうやらユエの方も同じようだ。すぐ傍で、入間を見上げるその表情は憎々し気に歪められ、瞳には殺意すら宿っている。
「ユエ」
「……入間」
互いに慣れ親しんだ名前を呼び合い、同時に不快感をあらわにする。
「……君のことが滅茶苦茶憎いんだけど」
「……あなたのことが凄く憎い」
そして、同時に澱んだ感情をストレートに浴びせつつ武器を突きつけあった。入間はギーツバスターQB9をユエの額に、ユエは蒼炎を宿らせた右手を掲げて。ついでに「あ?」「んん?」とヤクザ屋さんも真っ青なメンチを切り合う。
「ちょっと、何をしているんですか、二人共」
と、そんな一触即発の二人に、突如、声がかけられる。シアだ。ガシャコンブレイカーⅡを肩に担いだまま、いや、どちらかというと振りかぶったような体勢で二人に制止の声を……
「お二人をぶっ殺すのは私ですよ?勝手なことしないで下さい」
かけることもなく、入間達と同じく、その瞳に嫌悪と殺意を宿らせて睨んでいた。
入間も、ユエに感じる殺意に近い悪感情をシアに感じる。入間が思わず射殺しそうになるのを堪えながら周囲を見渡せば、バビルの面々も入間やユエ、そしてシアにとそれぞれがそれぞれに憎しみの眼差しを向けているのがわかった。
そこへ、更に声が掛けられる。
「お、おい、お前達、鈴木に何をする気だ!鈴木に手を出す気なら俺も黙ってはいないぞ!」
光輝だ。光輝が入間を庇ってユエ達を睨みつける。光輝の瞳には入間に対する親愛とユエ達に対する非難的な色が宿っていた。
鈴は入間に対して特に色濃い感情を示してはいない。雫もまた入間に対して嫌悪を、光輝に対して非難的な眼差しを向けているようだ。
ユエとミレディと鈴が張った“聖絶”の障壁が未だ張られているのは幸いだった。明らかに異常をきたしている入間達の隙をついてゴキブリの大群が再び押し寄せてきたのだが、その間も今のように仲間内で睨み合うことが出来ている。
障壁の外ではボスゴキブリが、いくつもの魔法陣とゴキブリの集合した物体である黒い球体で特殊なゴキブリを作り出そうとしていた。ゴキブリの大津波をけしかけて生成の時間を稼いでいるようだ。
外で魔力がうねっているのを感じながら、自分達の今の感情のベクトルと先程の自分達を包み込んだ魔法陣の光の効果を分析し、入間は今の状況を推測する。
「……どうやら、さっきの光は感情を反転させるみたいだね。強弱は元の感情の強さに比例してるみたいだけど」
「……ん。お前と同意見なのは不本意だけど…妥当」
銃口を逸らさないまま入間が語れば、嫌そうな顔をしながらもユエが同意する。たとえ感情が反転していても記憶までが消えるわけではないようだ。なので、自分達がどれだけ想い合っていたかという記憶から推測すれば確信に近い推測だった。
それは他のメンバーも同じようで嫌そうな顔をしながらも反論はない。
「なるほどの。記憶、あるいは紡いできた絆を以て反転した感情を振り払い元に戻れるか、あるいは、悪感情を抱いたままでも今までの自分達を信じて共に困難に挑めるか……嫌らしい試練じゃ。質が悪いのは、絆が深ければ深いほど反転した時の嫌悪感は大きくなるという点じゃな。何より……」
ティオが試練の意図を語り、そして言葉を詰まらせながら外壁を這うゴキブリを頬を赤らめながら見つめる。それに釣られて他のメンバーもゴキブリ達を見つめつつ記憶の中の感情との落差に言葉を詰まらせる中、チマが何とも言えない表情で呟いた。
「……愛らしく見えます」
そう、それも問題だった。敵であり、否応なく嫌悪感を抱くはずの黒い悪魔相手に、あろうことか愛しさすら感じてしまっていたのだ。記憶の中では確かにサーチ&デストロイを地でいきそうなくらい嫌悪していたというのに、だ。
感情が反転させられている。この推測を裏付けるこれ以上ない証拠であった。味方同士は絆の深さ故に憎しみ合い、嫌悪を抱く敵だからこそ愛しく思えて刃が鈍る。そういう狙いなのだろう。わざわざゴキブリ型の魔物というのは、きっと誰もが見ただけで嫌悪を抱く姿形だからだ。
このままでは連携などまともに取れず、それどころか足を引っ張り合ってゴキブリの津波に呑み込まれるか、ボスゴキブリと次々と生み出されている体長一メートルくらいの中型ゴキブリを前に刃が鈍り餌食になるか……
普通なら絶体絶命というべき状況なのだろう。
……しかし、ここにいるメンバーは普通などという評価からは最も縁遠い存在だ。
「……吸血鬼、君を殺してやりたいのは山々だけど」
「……もちもち野郎、お前を殺したくて堪らないけど」
既に変身の構えをとる入間とユエは向き合ってはいない。その視線は外壁を埋め尽くすゴキブリ達を透過して、その奥の、この事態を引き起こしたボスゴキブリを見据えている。
「……それ以上に」
「……それよりも」
入間とユエの眼がギラギラと凶悪に煌く。普段、積極的に表情を出すことのないユエが野生の狼のように眼を鋭く細めている。その瞳に宿っているのは、かつてないほどの激烈な怒り。
「……あの虫達を殲滅するのが先だ!!」
「……あいつを殺してやりたい!!」
二人の頭は完全に沸騰していた。
マグマの如く湧き上がる怒りは、覚えているために自分達がどれだけ想い合っていたのか理解できるが故のもの。その想いを利用されたが故のもの。決して触れてはならない、二人の大切を弄んだが故のもの!
激烈などと言う表現ではまるで足りない、言葉で表現などとてもしきれない巨大な怒りが、今、互いに感じる嫌悪を置き去りにし、更にはゴキブリに対する愛おしさをサディスティックなものへと転化する。それはきっと、今この瞬間だけでなく、これまでの迷宮の試練に対する鬱憤も含まれているのだろう。
そして、それは入間とユエだけではなかった。
ジオウとウィザードが発する物理的な衝撃すら伴っていそうな巨大な怒りのプレッシャーに光輝達が怯んで後退る中、シア、アメリ、ティオ、ミレディ、アスモデウス、クララ、チマもまた表情を怒り一色に染めて鬼のような形相になっている。
ウィザードが発動中の“聖絶”を解いた。鈴の慌てる姿を尻目に、入間はググッと足をたわめる。
直後、
そんな爆音を生じさせ、足元の枝通路にクレーターを作りながらジオウは一発の弾丸の如く飛び出し。変身と魔力による身体強化による爆撃にも似た踏み込み。
そんなジオウを止められるわけもなく、鈴の施した“聖絶”は内側から紙くずのようにあっさり破壊された。ジオウは周囲のゴキブリをジカンギレードの一撃で滅殺しながらボスゴキブリへと突進する。
「──“クロックアップ”」
カブトアーマーに変身してクロックアップを発動させ、時間の流れから抜け出した速度で攻撃を繰り出してくるジオウにボスゴキブリは一切反応できていない。剣を振るうその腕には一切の躊躇いはない。
ゴキブリ達は知らないかもしれないが、鈴木入間は元々、全人類が嫌悪しているゴキブリすら食料としていた男である。つまり、普通の人間ならば『蟲=生き物』と認識しているのに対し、入間の認識は『蟲=食糧』であり、それに対して入間には愛情も嫌悪感も抱いていない。
いくら感情が反転していようが、『食糧』に慈悲など存在せず、心の天秤も最初からどちらにも傾いていないならば、入間の中でのゴキブリに対する気持ちにはなんの変化もない。故に、殺すことに躊躇はない。
まるで鋼鉄と鋼鉄がぶつかったかのような轟音を響かせ、ボスゴキブリが今の今までいた場所から一瞬で姿を消し、代わりにジオウがその場に現れた。ボスゴキブリが、またクロックアップによる視認不可能な速度で吹き飛んだのだ。
一方、ジオウが飛び出した後はというと。
そこには障壁がなくなり慌てて張り直そうとする鈴の姿があった。しかし、迫るゴキブリ達が愛しく思えてしまい、群がられても別にいいかな?むしろ本望かな?とか考えてしまって機を逸してしまう。
大迷宮のゴキブリが唯の虫なわけがないのだが……
そんな鈴の致命的な隙も、悪鬼羅刹と化したウィザードの傍にいる状況ではどうという程のことでもなかった。
「“震天”」
ウィザード達を中心に、空間そのものが一瞬波打った。神代魔法の絶大さが遺憾無く発揮される。
ゴキブリ達がユエ達に到達するという寸前、空間が大爆発を起こした。発生した凄絶な威力の衝撃波は、ゴキブリ共を細かな欠片になるまで一瞬で粉砕し唯の砂のようにしてしまう。
それだけではまだ終わらない。
「“ディバインバスター・フルバースト”」
その音声が可憐な声音と共に響いた瞬間、ユエの魔力の色を表すような黄金の光が拡散し、まるで迫り来る壁のように飛び出していき、間髪入れずに突進してきた数万匹のゴキブリを一瞬で滅ぼしてしまう。
ウィザードは、その場で重力魔法を行使しふわりと浮き上がると他のメンバーのことはチラリとも見ず、自由落下の速度でボスゴキブリへと飛んでいってしまった。
と、そこへ、ジオウが吹き飛ばす前に生み出し終えていた二百体ほどの中型ゴキブリが編隊を組みながらシア達に襲いかかった。
入間やユエと同様に、深い愛情故に自分の感情が弄ばれたという認識だけはあるシア達バビルの面々と、愛子と優花。感情反転のせいで迫り来るゴキブリ達も中型ゴキブリも愛しく思えてならないが……迷宮の思惑を超えて湧き上がる激烈な怒りが胸中を満たしていく。
彼等はアイテムを取り出して姿を変えると、一斉にゴキブリの駆逐へと動き出した。
エグゼイドは強化した脚力を以て一気に飛び出すと、取り出したマシントルネイダーを飛ばして宙を駆け出した。ゲイツは【プトティラコンボアーマー】に変身し、龍騎はドラグレッダーを召喚して背中に乗り、ゴーストは重力魔法を使用し、重力操作で飛び出したウォズの背中にツクヨミが勝手に飛び乗り、エターナルは“バードメモリ”を、ゼインは【オーズ・タジャドルコンボ】のカードを使用し、シノビも重力操作を使い、編隊飛行する中型ゴキブリを射抜きながら一気に飛び出していった。
「ね、ねぇ、どうするの?ゴキちゃんは可愛いけど……死ぬわけにはいかないし、やっぱり戦わないと」
「でも、斬るのか? あんな愛しい生き物を?」
「殺らなきゃ殺られるわ。……幸い、強そうなのはアイツ等が引き受けてくれるみたいだし、取り敢えず凌ぎましょう。死なないように」
まるで、自分の首を狙っているくせにつぶらな瞳でふるふると震えながら見つめてくるチワワを相手にしている気分とでも言えばいいのだろうか。しかも、生まれた時から可愛がっているチワワ──今の光輝達にはゴキブリ達がそんな風に見えていた。滅茶苦茶矛盾しまくっているのだが、そんな風に思えてしまうのだから仕方がない。
残された光輝達は自在に空を飛ぶことは出来ないので、現在の枝通路の広場を中心に消極的な戦闘を始めた。どうしても鈍ってしまう攻撃に歯噛みしながら、今は嫌いな奴等と肩を並べて命を繋ぐ。厄介な事この上なかった。
ジオウの強烈極まりない飛び膝蹴りを受けたボスゴキブリは猛烈な勢いで吹き飛んだまま大樹の幹に激突し盛大にめり込むことになった。鋼鉄並みの強度を誇る腹部は直撃を受けた部分を中心に放射線状に砕け散り、穴という穴から白っぽい体液を噴き出している。
「ギチチチチチチチッ!!」
ボスゴキブリが触覚を揺らしながら不快な鳴き声を響かせると、すぐさまゴキブリ達が集まりボスゴキブリに纏わり付く。そして、瞬時にその体に溶け込むと同化して瞬く間にボスゴキブリの負傷を治してしまった。小さなゴキブリがいれば無限に再生できるようだ。
めり込んだ体をパラパラと大樹の破片を散らしながら抜き出し、傷つけられた怒りからか先程より大きく不快音を鳴らすボスゴキブリ。
その視線が己を傷つけた敵を探し出す……
「遅い」
……その前に、更なる衝撃が治したばかりの腹部を襲った。再び鋼鉄同士がぶつかるような衝撃音が轟く。いつの間にか眼前にまで接近していたジオウがヤクザキックを繰り出したのである。
巻き戻しでもされたように再度大樹にめり込んだボスゴキブリに、ジオウは容赦なく追撃に出た。兵器は使わない。一瞬で終わらせるつもりなど毛頭ない。
カブトアーマーから【ドライブアーマー】に変身し、一気にボスゴキブリの懐に潜り込むと、拳を次々と繰り出した。
「オラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラオラッ!!」
まるで某スタンド使いのように、ジオウの左右の拳が繰り出される度にボスゴキブリの体が玩具のように跳ね回り、しかし、逃げ出すことは叶わず大樹の幹を放射線状に砕きながらどんどん埋め込まれていく。砕け散り飛び散る木片に紛れて光沢のある黒の肉片や白い血が撒き散らされる。
いいように嬲られる姿は、いくらボスゴキブリが敵でありその姿が生理的嫌悪感を抱くものであったとしても余りに凄惨で哀れを誘うものだった。
と、その時、ボスゴキブリの体が一瞬、赤黒く発光する。途端、ジオウの背後に大量のゴキブリが現れ凄まじい速度で隊列を組むと魔法陣を構築した。
そうして発動した魔法陣から飛び出したのは黒い煙だ。モコモコと溢れ出した黒煙は、次の瞬間、猛烈な勢いで背後からジオウを強襲する。
「……チッ」
本能的に黒煙に触れるのはマズイと判断したジオウは、すぐさまその場を退避する。刹那、黒煙はジオウがいた場所を突き進み、そのままボスゴキブリと大樹を包み込んだ。
ジオウが退避した隙をついてボスゴキブリは配下のゴキブリを呼ぶ。大量のゴキブリが自ら黒煙の中に突っ込んでいった。
数秒後、傷を再生し無傷となったボスゴキブリが黒煙を振り払って現れた。払われ霧散した黒煙の向こう側にある大樹を見てみると、黒煙に包まれていた部分が灰色に変色しドロドロと溶け出すように崩れ落ちている。どうやら、黒煙は腐食の効果を持っているようだ。
ボスゴキブリは六枚の羽をビィイイイイイ!!と高速で震わせる。ジオウが再度、オラオラの刑に処してやろうと身構えるのと同時に、ボスゴキブリは姿を霞ませて高速飛行に入った。
ジオウを中心に一度旋回すると一気に加速して突進してくる。同時に、退路を塞ぐようにゴキブリの津波がジオウの背後からせり上がった。
ボスゴキブリの周りに空気の壁が出現する。音速に入ったのだ。途中の枝通路が衝撃波かあるいは真空刃かは分からないが盛大に破壊されていく。ギリギリで回避しても木っ端微塵にされるだろう。
それでもジオウは引く気を見せず、ボスゴキブリを正面から迎え撃つ──寸前、背後のゴキブリの壁を突き破り巨大な雷の龍と蒼炎を纏う龍が現れた。
ジオウがその気配を感じて、振り向かずに「ゲッ!?」という顔をする。しかし、音速に入っているボスゴキブリは既に眼前。既にどうしようもない。
「はぁっ!!」
気合一発。赤い拳の右ストレートをボスゴキブリに叩き込んだ。ボスゴキブリもまた鋭い刃のついた節足を伸ばしていたのだが、見事に掻い潜り強烈なクロスカウンターとなった。紅い波紋が広がると同時にボスゴキブリの顔面が微細に砕け散っていく。
頭部に受けた正面からの衝撃により、そこを支点にぐるりと縦に回転すると錐揉みしながら明後日の方向に飛んでいくボスゴキブリ。
直後、ウィザードの放った雷龍と蒼龍がジオウのいた場所に迫っていたゴキブリの大群ごと呑み込んだ。
「……むぅ、外した」
「それは、僕のこと?それともあのゴキブリのこと?」
「……もちろん……イルブリ」
「なにそれ。なんか色々混じってるよ。まるで新種のゴキブリみたいじゃん」
不満そうな声を漏らすウィザードの隣に少し煤けた様子のジオウが降り立つ。そんなジオウにウィザードがフフンと実に憎たらしくはなをならした。雷龍と蒼龍の攻撃を間一髪のところで回避したジオウの体から怒気があふれでるが、どこ吹く風だ。
「あわよくば殺るつもりだったね」
「……まさか。お前をあの程度で殺れるわけが無い」
「まぁ、確かに……君なら、もっと苛烈な攻撃も出来るしな」
感情反転の効果で誰よりも嫌悪し合った状態のはずなのに、纏う雰囲気は確かに嫌悪し合っているのに、何故か妙な信頼を寄せ合う二人。
そこで再び、再生したボスゴキブリがいつの間にか腐食の黒煙を纏いながら音速飛行に入った。ジオウよりもウィザードの方が与し易いとでも思ったのか、今度はウィザードの正面に回り込む。
更にはジオウ側でも圧殺でもしようとしているかのようにゴキブリの大津波がせり上がってくる。よく見れば、小さなゴキブリ達一匹一匹が黒い靄に包まれていた。ユエ側から迫るボスゴキブリに気を取られていては二人して腐食の海に呑み込まれることになるだろう。
「ねぇ、君。あの煙には腐食性がある。何なら自分から突っ込んでみれば?」
「……お前は大丈夫そう。性根が腐ってるから、きっと耐性がある」
お互いにさらりと毒を吐き、直後、「お?」「ぁ?」と至近距離でメンチをきり合った。
そんな、ある意味余裕の態度を二人がとっていると、強烈な腐食の黒煙を纏った音速飛行するボスゴキブリと、一糸乱れぬ集団行動をとる腐食の津波がジオウとウィザードに肉迫した。
だが、その程度では二人に傷を与えることは叶わなかったようだ。
ソニックブームを発生させながら突進する黒煙と黒い津波、それらが二人に到達する寸前、睨み合っていた二人はくるりとダンスでもするように位置を変えて背中合わせになった。
「ばちっ、こん!」
そして、通常形態に戻ったジオウは四本の矢を視認不可能な速度で撃ち、ユエはその綺麗な指先をタクトのように振るって五体の龍を竜巻のように眼前で旋回させた。
ジオウが早撃ちした四本の矢は一条の閃ととなって、まったく同じ場所──ボスゴキブリの眉間にほぼ同時に着弾した。頭部が爆ぜて、再び錐揉みしながら吹き飛んでいくボスゴキブリ。
一方、黒い津波も五色で彩る龍巻に呑み込まれた。雷龍に灼かれ、蒼龍に滅され、嵐龍に裂かれ、氷龍に凍てつかされ、石龍に石化されて、数十万匹からなるゴキブリ達が唯の残骸となる。
「さっさと再生しなよ。材料は腐るほどあるでしょ?」
「……材料なんて無くても、私が再生してあげる」
ゴキブリ達の残骸が豪雨となって降り注ぐ中、どこか必死さを感じさせる動きで小さなゴキブリ達を取り込み再生していたボスゴキブリが、入間とユエの声に気が付いて二人を仰ぎ見る。そして、二人に思わず後退った。
それは、意識してのことではなかったのだろう。もっと本能的なもの。己が絶対に敵に回してはいけない存在の絶対に触れてはならない部分に触れてしまったのだと本能的に悟ったのだ。
「ギイイイイイイイイイイ!!!」
ボスゴキブリは、まるで恐慌をきたしたように腐食の黒煙を纏うと、今までにない絶叫を上げて飛び出した。黒い暴風と化したボスゴキブリは、更に小さなゴキブリ達を呼ぶとそれぞれ腐食の黒煙を纏わせ、それを圧縮させる。
煙っぽさのなくなったそれは、もはや黒い砲弾だ。その数は優に数百発を超える。しかも中身はボスゴキブリが意のままに操れる小さなゴキブリなので、当然ながら腐食の砲弾も自在に操れるのだろう。圧縮されている分、瞬間的な腐食の効果は煙の時とは段違いだ。
衝撃波を発生させ突進するボスゴキブリに先行して飛び出した腐食砲弾は射線上の枝通路を一瞬で腐食させて貫通すると一気にジオウ達へと迫った。
「……無駄」
ウィザードが一言そう呟きながら、指輪をベルトにかざす。直後、ジオウとウィザードの眼前に赤い魔法陣が現れた。空間転移を行う“テレポート”だ。本来、移動用のその魔法は、今この時、絶対無敵の盾となる。
あらゆる物を瞬時に腐食させる砲弾は、着弾寸前に展開された魔法陣を避けられずそのまま突っ込み何処かに消えていった。ウィザードの言葉通り完全な無駄玉である。
しかし、半ば恐慌状態にあるボスゴキブリが、それを見たとて今更止まれるわけもない。絶叫を上げながら軌道を逸らして魔法陣を迂回し突進する。しかし、魔法陣は単に砲弾を彼方へ放逐するだけのものではなかったようだ。
「キィイイ!?」
迂回したルートから更に速度を上げた直後、何処からか飛来した鎖が、一瞬にしてボスゴキブリを拘束した。
「わかりやすい行動だね。頭の出来はゴキブリレベルか」
ウィザードの隣でジオウがそう呟く。あらかじめ、ウィザードが魔法陣を展開するのと同時に、ボスゴキブリがどのルートから突進してくるか予想して、魔法陣で視線を遮って、ジカンギレードにウィザードウォッチを使い、“バインド”の魔法を使ったのだ。更に追い討ちをかけるように締め上げる力を強くすれば、ボスゴキブリの四肢が無惨にも切り裂かれる。
悪態を吐きながらも妙に信頼し合ったり、喧嘩していたはずなのに瞬時に互いの背を躊躇いなく預け合ったり、会話も目配せもなく阿吽の呼吸で防御と攻撃を分担し合ったり……
こいつら本当に感情反転で嫌悪し合っているのか?もし、ボスゴキブリが言葉を話せたら、きっとそう言って盛大にツッコミを入れていることだろう。
「ねぇ、ユエ」
「……ん?」
ジオウが、磔にされながらもう何度目か分からない再生をしているボスゴキブリに目をやりつつ首を傾げる。
「何だか、君に対する嫌悪感が薄れてきてる気がするんだけど……今なら半殺しくらいで我慢できそうな気がする」
「……ん、奇遇。私も入間をボコるくらいで十分そう。それに、あのゴキブリのこと、そこまで好きじゃ無くなってきてる気がする」
「ああ、そうなんだ」
感情反転は大迷宮の試練の一つとティオは推測した。そして、それは乳白色スライムの粘液による快楽地獄と同じく克服できるものだとも推測した。この感情反転の厄介なところは、そもそも克服しようという感情が相手への嫌悪感故に湧き上がり難いという点なのだが……
どうやら、入間とユエの場合、共闘している間に自然と克服しつつあるらしい。
いずれにしろ、ハルツィナは草葉の陰で「世○はいつだって、こんなはずじゃないことばっかりだ」と某執務官のようなことを呟いていることだろう。
「さて、ユエ。僕のグランドジオウと君のインフィニティースタイル、どっちが多くダメージを入れられるか勝負してみる?」
「……ん。乗った」
仮面の下で悪魔のような笑みを浮かべながら、二人は変身の構えをとる。絶対、感情反転効いていないだろ?本当はそうなんだろ!?というツッコミはもう入れてはいけないのかもしれない。
二人が姿を変えたと同時に、体を修復し終えたボスゴキブリは、腐食の黒煙で何とか拘束を抜け出したようだ。そして、今度こそと再び黒煙を纏い、三対六枚の衝撃波と真空刃を生み出す羽を羽ばたかせた。
だが、ボスゴキブリもいい加減気が付くべきだろう。今この瞬間まで、入間達がどれだけ手を抜いていたかということに。凶悪な武器は使わないし、強力な魔法による直接攻撃もない。再生中は攻撃すらされない。完全に遊ばれているレベルなのだ。
そのことに気が付いていない、否、気が付いていても魔物故にどうしようもないのか……身の程を弁えない戦闘意思は悲惨な結果として示された。
体を粒子にかえ、瞬間移動の如く突如ボスゴキブリの背後に現れたグランドジオウは、そのまま間髪入れずにホークガトリンガーの弾丸をボスゴキブリの背中に全弾命中させ、更に“ドッガハンマー”をフルスイングして、ホークガトリンガーの弾丸が直撃した箇所に叩き付けた。
「ギィイイ!!?」
メキョメキョと音を立てて海老反りになったボスゴキブリは、そのまま砲弾となって空中をぶっ飛ぶ。腐食の黒煙を纏っていたはずなのだが、グランドジオウの攻撃速度が速すぎて影響はないようだ。
強烈なGが掛り、必死に体勢を立て直そうとするぶっ飛び中のボスゴキブリ。そんなボスゴキブリの眼前に空間転移でウィザードが現れ、ベルトにリングをかざした。
「ギィイイ!?」
念動力を操る魔法が行使され、今度は正面からの凄まじい衝撃によってピンボールのように弾かれて明後日の方向へ吹き飛ぶボスゴキブリ。既に体表はボロボロだ。しかし、それはまだほんの始まりである。
「“トリガーフルバースト”」
「“アクセルシューター”」
吹き飛んだ先にグランドジオウ回り込んでいたからだ。
“トリガーマグナム”にトリガーメモリを装填してバレルユニットを上げ、放たれた光弾がボスゴキブリに炸裂する。そして、速度を落としたボスゴキブリにむけ、ウィザードが60発もの誘導性を持つ魔力弾を発射する。
黄金の魔力弾が全段命中した瞬間、“カブトクナイガン”と“ファイズアクセル”を召喚したグランドジオウと、アックスカリバーをカリバーモードにもち変えたウィザードが視認不可能な速度で走りだし、一瞬のうちに無数の傷痕をボスゴキブリに刻み込んでいく。
広大な地下空間にボスゴキブリの悲痛な叫びが響き渡る。ゴキブリの大群を呼ぼうにも、グランドジオウもウィザードも、そして空中を縦横無尽に吹き飛ばされるボスゴキブリ自身も不規則かつ高速で動いているのでどうにもならない。
腐食の黒煙もまるで効かず、しかも、完全に壊れそうになると、いつの間にかユエの再生魔法により破損したボディを修復されるので死ぬこともままならない。
まさに、悪魔の所業、悪鬼羅刹の最低な遊戯だった。どう考えても、今までの大迷宮の試練でさんざん自分達の愛情を利用されたことへの鬱憤を思う存分に晴らしているようにしか見えない。実際、その通りなのだろうが。
『……入間』
と、突然、しばらく続いていた蹂躙中にユエから念話が届く。あちこち高速移動している上に距離もあるからだろう。また、飛んできたボスゴキブリをオーバーヘッドキックで弾き飛ばしながらグランドジオウは応答する。
『どうしたの?』
『ん……入間』
『ん?どうしたの?』
『入間……入間……入間……んっ』
しばらく念話で入間の名を連呼するユエ。その声音は何かを確かめるようなものから、次第にどこか甘えるようなものへと変わっていく。その声音で入間も気が付く。自分の感情に。
『ユエ、戻ったの?』
『んっ……完全に。入間は?』
『うん、僕も戻ったみたい。……ユエのことは……』
『……私のことは?』
グランドジオウは、奪われていた感情の奔流を余すことなく言葉に詰め込む。ほんの一時でも、ユエに対し反対の感情を持っていたなど考えたくもなかった。改めて、ボスゴキブリに憤怒と共に激烈な殺意が湧き上がるが、それよりも今は酷い言葉を投げかけてしまった恋人に本当の言葉を届けなくてはならない。
一度深呼吸すると、グランドジオウが吹き飛ばしたボスゴキブリの先に転移したウィザードを真っ直ぐに見つめながら念話を行使した。
『愛しさしかない』
『んっ……私も』
嬉しげで愛しげな声が響く。万感の想いを込めてお互いに胸に溢れる言葉を紡いだ。グランドジオウの真横を体中から体液を垂れ流したボスゴキブリが飛んでいくが、二人共目もくれない。
その時、再生を終えたボスゴキブリが、どこか狂気を感じさせる絶叫を上げて下層に蠢くゴキブリ達を一斉に繰り出した。
それは、もう津波などという生易しいものではない。強いて言うならゴキブリで作られた閉鎖空間とでも言うべきか。グランドジオウとウィザードを中心に巨大なドームが形成されたのである。もちろんゴキブリで、だ。光輝達がどうなったのかもわからない。
それと同時に腐食の黒煙がドーム内に充満する。外から見れば表面がざわざわと蠢き続ける山が見えただろう。大樹を中心とした地下空間は、ほぼゴキブリの山で埋め尽くされた。
よく見れば、下方に溜まっていたゴキブリだけでなく天井や周囲の壁からも凄まじい勢いで湧き出している。この世の全てのゴキブリがここに集められていると言われても不思議ではないだろう。
そして、そのゴキブリの閉鎖空間は次の瞬間、ゴギュウウ!!という音と共に一気に縮小された。
内側に取り込んだ存在を圧死させるつもりなのか。その中心は、もちろんグランドジオウとウィザードだ。地下空間の端では、どこかぐったりとした光輝達と中型ゴキブリを嬲るように倒しているエグゼイド達の姿がある。どうやら、先程のゴキブリの山も凌いだらしい。圧縮したことで範囲からも外れたようだ。
ボスゴキブリが、羽ばたきながら縮小した球体にスッと入っていく。巨大なゴキブリの閉鎖空間は、今や内部に隙間がないくらい圧縮された状態だった。
「ギチチチチチチチッ!!!」
ボスゴキブリが不快音を出す。それは、ざまぁみろと今までの屈辱を晴らして勝利を確信した雄叫びのようだった。
しかし、それは直後に覆されることになる。死体を確認しようとゴキブリの球体の中心からゴキブリを退かせたその先に……
「ユエの邪魔はさせないよ!」
“
ボスゴキブリの動きが止まる。そして、先程と同じく本能的に後退る。
それは、二人に嬲られ続けた恐怖を引きずっていたこともあるが、何より、目の前で生まれつつある力・に恐怖したからだ。
ウィザードの合わせた両の手──何かを挟むように隙間を空けているのだが、その間に蒼く煌き渦巻く小さな焔の塊が生成され始めたのだ。
それは、一見すれば炎系最上級攻撃魔法“蒼天”をただ小さくしただけのように見える。普通に考えれば、殲滅力に優れる“蒼天”を小さくするなど意味がない行為に思えるだろう。
だが、魔法の天才たるユエが、そんな無意味なことをするわけがない。
両手の間の蒼炎は刻一刻と煌きを増していき、それに反して炎の揺らめきは抑えられていく。まるで小さな星の創生でも見ているかのようだ。
「……選定」
ウィザードが小さく呟く。すると、蒼いオーラを漂わせる拳大の宝珠が出来上がった。
途轍もない力と得体の知れない力が秘められたその蒼炎の珠。
ボスゴキブリは、それが自分達の尽くを滅ぼすと理解した。理解させられた。そして、一際大きな絶叫を上げると、保護繭を打ち破って何としても蒼炎の宝珠が放たれる前にグランドジオウとウィザードを殺そうと腐食の黒煙とゴキブリを以て圧殺しに掛かった。
しかし、その行動は余りに遅すぎた。いや、きっと、どのような行動をとっても同じことだっただろう。ユエがやると言ったなら、それを隣に立つ黄金の魔王が邪魔させるわけがないのだ。
ウィザードは、すっと天に向かって蒼炎の宝珠を掲げた。自らが生み出した蒼星の光に反射し、宝石を埋め込んだ鎧を光らせるウィザードの姿はどこまでも神秘的で美しい。
そして、
「……“神罰之焔”」
脈動と共に、文字通り、神がもたらす天罰の如き滅却の蒼焔が空間全てを蹂躙した。
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